間違い
それから数日後、裕也は馴染みのバーに高校時代からの友人・滝川幸平を呼び出した。
莉桜を見舞う理由を自分に納得させるために誰かに話したかったのだ。
「……で、いつ分かったの?その子が女だったって事」
「処置室で、姉貴にカーテン閉められて様子みようとしたら女の子の診察を覗くなんて何考えてるの!!!って言われてさ」
「おまえ、男だと思ってたって言わなかっただろうな」
「………男じゃないのかって言った」
「ったく。傷ついたな、その子」
「熱でうなされてたからな、気が付いてないと思う」
「容態悪いのか?」
「肺炎だってさ。いろいろ持病とかあるらしくて大変だと言われた」
「それで気になって見舞いに通っているわけか。それにしても『リオ』って明らかに女の子の名前じゃないか、どうやったら間違えるんだよ」
「リオって奴、居ただろ?クラスの委員長だった」
「あれは『としお』。利益の『利』に英雄の『雄』って書いてたのをお前が面白がって『リオ』って呼んでたんだぞ」
「そうか、リオが本名じゃなかったんだ。忘れてた」
裕也が病院に運んだのは、女の子だった。しかし、ダブダブのトレーナーを着込んでボイッシュな髪型の『リオ』を男だと思い込んでしまったのだ。
よく見れば体格も顔つきも女の子そのものなのに、酔っ払っていたのと容態が悪そうなので焦って、とにかく不覚にも男だと思ったんだと裕也は弁解する。
―――入院することになり、ベットの上で点滴を受け、酸素マスクもされていた莉桜をほっとけなかった。
莉桜の母親はすでに亡くなり、父親はアメリカに赴任中だと祥子から聞かされて不憫に思ったのも確かだ。
その父親に連絡を取ろうとしたら、アメリカからドイツへ出張のため飛行機の中で、どんなに早く帰国できても一日後になりそうだったと知ったから、だから、病室にいた――― 裕也は、そう説明をする。
「ママ……ママ………」
莉桜は何度かうわ言で母親を呼んだ。
手を動かし、母の姿を求めているように思え、裕也が手を握ると弱々しく握り返してくる。
幼い顔に見える。
時々、激しく咳き込み相変らず苦しげな呼吸で意識も朦朧としているようだ。
心配だった。
昨日まで隣に住んでいても顔を知らなかった女の子なのに、裕也は気になって仕方がなかった。
だから普段なら絶対にしないようなことをした。
締め切りが迫っていたのに裕也は病院に居続けたのだ。
「先生、もう直ぐ締切なんです。頼みますよぉ。彼女じゃないんでしょう?先生が付き添うことないんじゃないですか……」
「大丈夫だ。ちゃんと締め切りは守るから。彼女は……恩人の娘さんなんだ。だから、俺が……」
「先生、本当に大丈夫なんでしょうね」
「うるさい、大丈夫だって言ったら大丈夫なんだ」
自分でも呆れる言い訳だと裕也は思うが、編集者に怪しまれても病院に居たのだ。
家に居たって、こんな気持ちで作品を書けるはずがない。
そして結局、翌日の夜、父親が現れるまで裕也は病室に付き添っていたのだ。
バタバタと大きな足音をさせ、莉桜の父親が病室に入ってきた。
「莉桜!!!」
娘の名を呼び、オロオロとうろたえていた。
祥子が慌ててやってくる。
「西田さん、お久しぶりです」
「中野先生、莉桜は大丈夫でしょうか?」
「運ばれて来た時は心配しましたが、薬が効いて来てますので大丈夫だと思います」
「良かった………2度も拾った命だから」
「彼女は強いですから、大丈夫ですよ」
その時の裕也は、話に加わるタイミングがなく、中途半端に立ち上がったままの姿勢でいたのだ。
祥子が先に裕也に気が付いた。
「あら裕也、まだいたの?」
「こちらは?」
莉桜の父親が怪訝そうに裕也のほうを見た。
「はじめまして、中野裕也と申します。お嬢さんの隣に住んでいまして、一昨日の夜、鍵を忘れて自宅の前で座り込んでいたお嬢さんに気が付いて……」
「ああ貴方が莉桜をここへ連れてきてくれたのですか。ありがとうございました。病弱な娘の一人暮らしは反対したのですが、大学に入ったばかりだから一人で日本にいると珍しく強情に言い張りまして……。体調が悪くなったら早く病院に行くように言ってあったのですが、幼い時から入退院を繰り返していたためか病院嫌いで。お隣にこんなに親切な方が住んでいらっしゃったとは、本当に嬉しいです。えっ、中野?え――っ、中野先生の弟さんで作家の中野裕也さん?」
早口でまくし立てるように喋り、突然、裕也の正体と祥子との関係に気が付いたらしい。
「ええ、まぁそうです」
「そう言えば、あのマンションに引っ越した時、管理人からお隣は作家の先生が住んでいると聞いたのですが、そうですか、中野さんだったのですか」
恰幅のいい父親は声も大きく張りがあった。その声で莉桜が目を覚ましたようだ。
「パパ?」
「莉桜、気分はどうだ?」
「……最悪だよ」
「あんなに言っていたのに、薬はちゃんと飲んでいたのか?」
「……う…ん。時々、ほんの時々忘れてただけ」
「それにしても隣の方が親切で良かったな。パパ、知らせを聞いて、心配で心配で」
「ゴメンなさい」
「いや莉桜が謝ることではない。薬が効いてきてるようで安心したよ」
「パパ、仕事は?」
「仕事は大丈夫だ。袴田君に任せてきたからな。もう直ぐ清川君がこっちに来るはずだ」
そう言って莉桜の父親は裕也のほうに向き直る。
「本当にありがとうございました。お忙しい所、見舞いにも来ていただき感謝しております。もうしばらくしますと私の秘書がこちらに参りますので、後は大丈夫です。後日、改めてお礼に伺いますので、本当にありがとうございました」
「そうですか。では失礼します」
丁寧に礼をされ、父親から帰れと言われれば居るわけにはいかないので、裕也はイスに掛けてあった上着を取り入口へ向かう。
莉桜の顔をもう一度見て
「お父さん、来てくれて良かったな」
と言って帰ろうと扉に向かう。
莉桜が礼を言い、
小さな声で
「また……来て下さい」
と付け加えた。
裕也は振り返り莉桜の顔を見つる。
そして、ニヒルな大人の笑顔を作り
「早く良くなれよ。また来るよ」
そう言ったのだ。
病室のドアを静かに閉めながら裕也は何とも言えない寂しさを感じていた。
その気持ちが何なのか、分からないまま病室を後にした。