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二人

翌日、城島から連絡が入る。


「中野先生、あの女は誰なんですか?」


また行き成りの質問だった。


「あの女って?」

「朝からテレビでやっていますよ。昨日、加賀茜とは別の女を車に乗せてマンションから出て来たって」


裕也は溜息を吐く。

城島も電話の向こうで溜息を吐いている。


「加賀茜が3時から会見するそうです」


城島に言われて時計を見ると1時だった。

解ったと短く言って裕也は電話を切り、仕事部屋の片隅にある小さなテレビをスイッチを入れた。

音は小さく絞って、パソコンの画面に向かう。



不思議なことに怒りが集中力を高めて行く。

明日、入稿予定だが、この分なら間に合うだろう――そう裕也は思った。


耳に中野裕也と言う自分の名前が飛び込んできて裕也はテレビに目を向けた。


「中野先生とは、本当にいい関係でした。皆様をお騒がせして申し訳ありませんが、結婚の予定もありません」


加賀茜が白いワンピースを着て、手にはハンカチを握り締めて会見をしていた。


「中野さんからのコメントをお聞きになりましたか?」

「はい。ご迷惑掛けてしまって・・・・・・・」

「加賀さんは、中野さんとの結婚を望んでいらしたんでしょう?」


リポーターからの質問に加賀茜は目頭をハンカチで押えた。


「そんな事は、ありません」


フラッシュが洪水のように焚かれる。


「昨日は、あんなに にこやかコメントされたのに、一転してこの会見になった理由は」

「ですから、中野先生のコメント通りで、私達は仕事上のお付き合いだけです。それを説明するために……」

「中野さんの車に同乗されていた女性のことはご存知だったんですか?」

「知りません」

「昨年、春頃から、その女性とのお付き合いも始まっているとか」

「えっ?そうなんですか?」


加賀茜は、そう言うと再びハンカチを目に当てる。フラッシュがまたも盛大に焚かれる。


裕也はまるで人事のように映像を見つめていた。

この会見に自分が関係しているように思えなかったのだ。


しかし、加賀茜はプレイボーイを気取る作家に弄ばれた悲劇のヒロインとなり、裕也は卑劣な男だと女性誌が面白おかしく書き立てた。

そして、映画『かさの街』が公開され、皮肉なことに観客動員数は順調に伸びていく。

主人公の恋人・清香が茜のイメージだと言ったインタビューが何度も流れたから好奇心を煽ったのかもしれない。


莉桜は何も言わないが、祥子からは説明を求める電話が掛かってきた。

高尾や早智子は莉桜を心配してマンションへ尋ねてきていた。


「大丈夫?」


高尾達に訊かれる度に

「大丈夫」

と、答えていた。


不思議なことだけど、テレビや雑誌が裕也を悪く言うほど、莉桜は裕也を信じられたのだ。


「何で信じられるんだ?」


繰り返される質問。何でだろうと莉桜も自問する。

そんな時、浮かぶのは二人で過ごす些細な日常。

甘い言葉でもロマンチックなデートでも高価な贈物でもない。

ただ二人でいることが答えだと思う。


世間の騒動とは別に二人で静かに過ごした。


噂が収まるのを期待したがなかなか簡単には火は消えなかった。

茜が体調不良を理由に長期の休養を発表すると、一斉に妊娠説まで飛び出した。

そして茜の事務所の社長から連絡が来た。


老舗の料理屋で会うことになり、裕也は重たい気持ちのまま出かけて行った。

茜に会うのは嫌だったが、事態を収拾させるのには仕方が無いと腹をくくる。


「お連れ様がお待ちです」

と、通された部屋には予想とは違い、男が一人座っていた。

40代前半ぐらいに見える。


「わざわざお越しいただきまして有難うございます」


会うなり深々と頭を下げられる。


「この度はご迷惑をお掛けいたしました」


男の意図が解らず裕也は戸惑う。


「申し遅れましたが、私は加賀茜の所属する大原プロダクション社長の大原と申します」


大原と名乗った男は、裕也に茜のことを話し始めた。


裕也に好意を抱いていたのは本当で、軽い気持ちで吐いた嘘が大騒動の元になってしまったらしい。

もともと精神的に弱い面があり、過密スケジュールで追い詰められていたようだ。

女優として大成させてやりたいと語る男に、自分が莉桜に抱く気持ちと同じものを感じた。


馬鹿らしいと裕也も思う。

ハッキリ言ってしまえば、こんな混乱を招くことも無かったのだろう。



騒動を収めるために裕也は行動に移した。


手記を書くことにしたのだ。

話題の作家の手記だから、どの出版社からも声が掛かっていたが、裕也は一番親身になってくれた城島に頼むことにした。

掲載前に裕也はもう一つの大きな決意をする。



その夜、莉桜と夕食を食べて、食後にコーヒーを飲んだ。

裕也は意を決して立ち上がった。


「手記を掲載してもらうことにした」


そう言って裕也は、プリントアウトした原稿を莉桜に渡す。


「莉桜には許可を貰わなくてはいけない事が書いてあるから読んでくれ」


莉桜は瞬きもせず裕也を見つめた。

真剣な眼差しを受け止めて原稿に目を落とす。



『今回の報道に一番驚いていたのは俺だと思う。

 

 何が真実で、何が嘘かを言い立てるつもりは無いが、

自分の行動の何がいけなかったのかと自問した。

 確かに食事には何度か行った。

 そこが間違いだったのか?

 そのことが、こんなに大きな騒動にさせてしまったのか?

 

 始まってもいないことが、始まって、いつの間にか終わっていることになっている。

 それは、とても恐ろしいことだと思う。

暴走を始めてしまった噂を止めることはできないのだ。

そのことで傷つく人がいても暴れ馬のように突き進んでしまう。

  


(中略)


 今、俺は恋をしていると思う。

 相手は内気で大人しく礼儀正しい人だ。

 辛い経験や過去を乗り越えて、決して声高に自分を主張しないが、

 頑固とした個性を持ち自分の世界を表現することを知っている。

 だから彼女から目が離せない。

 彼女と共に生きていきたいと俺は思っている。 

 1年かけてゆっくりと築いてきた関係だから、今回の騒動にも彼女は揺るがなかった。


 守りたい――自立した人に向かっておこがましいとは思うが、そう願う。

 一緒にいたいのだ。                           

 二人で歩きたい――歩調を合わせ手をつなぐことは決して一人では出来ないのだから。』



莉桜は原稿を見つめたまま何かに耐えているように見えた。


「私のこと?」

「そうだ」


莉桜の瞳が涙で潤む。


「俺の気持ちだ。迷惑なら、この原稿は出さない」


莉桜は首を振って否定した。

秘密にしていたことを話さなければと莉桜は思う。


「私、白血病だったんです」


莉桜の言葉に裕也は頷く。


「知ってたんですか?」

「いや知らなかったが、深刻な病気をしたことには気付いていた」


祥子との会話などから想像はしていたが、病名を口にされるとやはり重い。


「一度は良くなったのに再発して、だから骨髄移植を受けたんです。

 一応完治した状態になっているけど・・・・・・いつまで生きられるかも判らない」


誰だってそうだと口にしそうになり裕也はぐっと言葉を飲み込んだ。

事実はそうでも切迫感はない。

『死』はいつか来るもので、考えることも殆どない奴が、軽々しく気休めを言ってはいけないと思った。


「それに中野さん、子ども好きでしょう?」

「そうでもない」


それは裕也の本心だった。


「でも、中野さんのご両親は孫の顔を見たいと思っているわ、きっと」


裕也はそんな事はないと言うと、莉桜は寂しく笑う。


「私、子ども産むこと出来ないの」


治療ですべての人が不妊になるわけではないが、副作用をなくすことも出来ない。

命を救う為の治療の後遺症。

女性にとって、子どもを産めないと言うことは大きな問題なのだろう。

産む、産まないの選択も出来ないという事実。

それは、莉桜が硬くなに一人で生きなければと決意している理由の一つだと裕也は感じた。


「茜さんとなら子ども産んで、家族になれるよ」


莉桜の口から茜の名前が初めて出る。

この騒動が起こってから一度も彼女の名を言わなかった。

裕也も弁解も言い訳も必要ないと思っていたのだ。


「何故、彼女の名前が出る?」

「……健康そうだから。それに綺麗でしょう。同性から見ても憧れます。だから……」

「だから、何だ!」


裕也の口調が荒くなる。莉桜は目を伏せる。


「だって、中野さんが幸せになれないです」

「俺の幸せは俺が決める。では聞くが、莉桜の幸せは何だ?」


莉桜は涙をこらえるよう大きな目を見開いている。

泣きたくない―――莉桜の気持ちが裕也には解った。

強がりたいのだ。本気で一人で生きようと決意していたのだろう。


「俺は、答えられる」

「…………」

「莉桜と一緒に生きることだ」


堪えきれずに莉桜の目から涙がこぼれる。

裕也は莉桜を抱きしめた。


「俺と過ごす時間は莉桜にとって幸せではないのか?」


裕也の問いに莉桜は答えられない。

口にしてしまったら、もう隣人には戻れないのだ。

失う悲しみも知っているから、怖いと莉桜は言う。


「ったく。馬鹿だな」


いつもと違うおどけた調子で裕也が言う。


「先のことは誰にもわからないんだから。未来のことを勝手に予測して今から悲しむことはない」

「でも・・・・・」

「莉桜の過去は変えられない。失った人たちを莉桜の元に返してやることも出来ない。

 それでも莉桜は、今、生きている。幸せを感じることが出来る。

 莉桜が悲しんで怖がって生きることを誰も望んでないんだ」


ママの笑顔を莉桜は思い出していた。

祖母の優しい手の温もりと裕也が与えてくる安心感は似ていると思った。


病院で一緒に病気と闘った子供たち。

助かった子も亡くなった子もいる。


私は生きている――莉桜はそう感じた。


幸せは、直ぐ傍にある。チルチルミチルが探した青い鳥はここに居るのだ。

裕也に抱きしめられて自分の胸の鼓動なのか彼の音なのかわからないリズムに包まれる。


それはとても心地よいもので、二人で居ることなのだと思う。

裕也の顔が近づいてきて唇を塞がれる。


「莉桜」と、優しく響く声で呼ばれる。


「ずっと……」


莉桜は裕也を見上げる。


「ずっと何?」

「一緒に居たい」


小さいけれど、ハッキリとした言葉が裕也の耳に届いた。

裕也は再び莉桜の唇にキスをした。






俺の隣で眠り込む莉桜。


二人で取り留めのない話をした。

母親の記憶、辛い思い出、病気のことや初恋のことも。


裕也も話す。

今回の騒動の困惑や大原と話したこと、その時感じたこと。


そして、これからのことも語った。

どんな夢を持っているのか、どんな暮らしをしたいとか、行きたい国、住みたい場所、欲しいもの………。

未来の話をするのは、とても楽しい。



寄り添い生きるのが二人の願いだと気が付いた。

ただそれだけでいい。

一人より二人で歩こう。


夜明けまでの束の間の時間を裕也は莉桜を抱えて眠りについていた。


病気の記述で辛い思いをされる方がいるかもしれない。わかっていますが、あえて書いています。

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