旅先
裕也が目覚めると莉桜の姿は無かった。
テーブルの上にメモが置かれている。
『 旅行の支度をしてきます
莉桜 』
熱いシャワーを浴びて頭をすっきりさせ、旅行鞄へ適当に荷物を詰め込んだ。
それからメールを送る。
『起きたか?
出かける準備が出来たら出発しよう』
直ぐに返事が来る。
『いつでも出かけられます』
そして二人は30分後には車に乗り込んでいた。
都内は閑散としていたが東名高速に入ると車の量が増える。
伊豆は片側1車線の道路が多いから渋滞すると悲惨なことになるので、裕也は深夜に移動することが常だったが、莉桜と一緒なら渋滞も気にならなかった。
不思議なものだと裕也は思う。
途中で休憩がてら昼食を食べる。
天気がよく風もないので日なたにいると気持ちいい。
目にした看板に名物ソフトクリームと書いてある。
家族連れの何組かが食べているのを見ているうちに急に食べたくなってきた。
「ソフトクリーム食べないか?」
裕也の意外な提案に莉桜は驚く。
「嫌いか?」
首を振って否定する。
「じゃあ食べよう」
ベンチに腰掛て食べる。
目の前を無邪気に子どもが走ってきて、パタッと立ち止まると二人を見つめた。
「見られてます」
「ソフトが食べたくなったのかな?」
「私たちも、そうでしたね」
「人が食べていると美味しそうに見えるもんだ」
「本当に美味しいですよ」
「お腹の中が冷えてきたが、大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。子どもじゃありません」
子どもの視線を浴びながら小声で話した。
突然その子どもが叫んだ。
「ママー、ソフト食べたい!!!」
少し離れた所にいる母親の元に駆けていくが、途中でステンと転んで、今度は盛大に泣き出した。
ニコニコ笑いながら母親が近づいていく。
女性はお腹が大きいから妊娠しているのだろう。
泣いている子どもを優しく起こして膝の汚れを払っている。
大声で泣きながら指はソフトクリームの店を指していた。
「泣きながらねだってるよ」
「可愛い・・・・・・」
親子の姿を見ながら裕也は莉桜が母親になったら同じような優しい顔をするんだろうと思った。
伊豆までは予想していたよりは順調にドライブが出来た。
「疲れてないか?」
裕也は時々莉桜に訊いた。
「大丈夫ですよ。とっても楽しいので疲れません」
そのたびに莉桜がそう笑って答えてくれる。
にやけた顔をしていると裕也は自分のことを思う。
有名な観光名所から少し離れた高台の別荘地。
部屋からは伊豆の海が良く見える。
別荘の敷地へ車を入れると祥子の子ども達が出て来た。
「裕也おじちゃん!」
真っ先に飛び付いて来たのは未来だ。
莉桜が車から降りるのに気が付く。
「莉桜ちゃんも来てくれたよ!」
玄関に向かって大声で言う。
祥子が顔を出した。
「いらっしゃい。疲れたでしょう」
「平気です」
「そうね、顔色もいいし大丈夫ね」
大地が莉桜の鞄にしがみつく。
「僕が持ってあげるから、ここに置いて」
「重いから・・・・・」
「大丈夫。僕、力持ちなんだ」
クスクス笑って莉桜は大地の言葉に従った。
顔を真っ赤にして大きな鞄を持ち上げている大地。
鞄の底が下に着きそうだ。
「ほら大地、頑張れ」
降り返って裕也が言う。
「前見ててよ。僕、大丈夫なんだから!!!」
一人前に怒っている姿がまた可愛くて大人たちは微笑んだ。
結局、大地は莉桜に準備された部屋まで荷物を運んだ。
お茶にしましょうと呼ばれたリビングで大地は威張っている。
「ね、見たでしょう?僕、もう1年生になるんだから、小さくないんだよ。解った!!!」
解ったって言う口調が可笑しい。
莉桜の隣に威張って座り、喉が渇いたからジュースが飲みたいと騒ぎ出す。
大地と手を繋ぎ、一緒にキッチンに向かう莉桜の姿を裕也はぼんやりと見ている。
「何、見とれているの?」
祥子に声を掛けられて初めて自分が会話に加わることもせず莉桜を見つめていたのだ。
「・・・・・・・疲れてないかなと思って」
しどろもどろな言い訳をする。
「一度、聞こうと思ってたんだけど、遊びじゃないわよね」
何をと訊ねずとも祥子の問いが意味することに気が付いた。
「ああ、そんなつもりはない」
「気付いていると思うけれど、彼女はいっぱい背負っていることがあるの。それごと受け止める気がないなら引き返しなさい」
祥子の視線が厳しく裕也に向く。
引くこともせず裕也は見つめ返して静かに
「解っている」
と、答えた。
「莉桜ちゃん、ジュース飲んだらお庭のブランコに行こう!」
大人たちの緊張を打ち消すように大地のはしゃいだ声が響く。
「未来、先に乗る」
「駄目ーーー!!!ずるいよ、お姉ちゃん。僕が最初に乗るって言ったのに・・・・・・」
ガタガタバタバタ音がして子供たちが外に出て行く気配がする。
莉桜も一緒に行ったのだろう。
祥子はもう何も言わず、自分も庭へ出て行った。
両親と義兄の中に裕也は残される。
莉桜との事をこれ以上、聞かれたくないと思った。
しかし祥子の質問が両親からの問いでもあり、裕也の態度に思うところもあったのだろう。
それ以上、誰からも莉桜との関係を聞かれなかった。
毎年、煩いほど結婚しろと催促されるのに今年はそれもない。
莉桜を連れて来たからなのかと裕也は思う。
夕食を終えると未来が裕也にリクエストする。
「裕也おじちゃん、今年もピアノ弾いて!」
リビングにはアップライトピアノが置いてあることに莉桜は気が付いていたが、裕也が弾けるとは思っていなかった。
「中野さん、ピアノ弾けるんですか?」
「まあな」
「聴いてみたい」
小さな声での願いに裕也は立ち上がる。
「あら珍しい。今日は素直に弾いてくれるのね」
祥子にからかわれて少し怒った顔のまま裕也はピアノに向かった。
「久しぶりだから・・・・・・」
無造作に座って弾き始めたのはシューマンの『トロイメライ』
それは都会の喧騒を離れた静かな家の中に優しく響く。
子ども達も莉桜の隣で大人しく聴き入っている。
曲が終わると子ども達が大喜びで拍手を贈る。
椅子から立ち上がって裕也もおどけてお辞儀をした。
「莉桜ちゃんもピアノの弾く?」
「弾けないの。ごめんね」
「じゃあ未来が弾いてあげる」
そう言って今度は未来が弾き始めた。
小さな手で奏でる音は拙いけれど可愛らしく大人たちは幸せそうに微笑んでいる。
未来と大地と裕也が交代でピアノを弾き、和やかな夜は過ぎていく。
もう寝る時間と祥子に言われた子ども達が最後にもう一曲弾いてと裕也にせむ。
裕也が選んだのはサティの『ジュ・トゥ・ヴ』
タイトルに意味を込めたのか莉桜に目を向けてから弾き始める。
お前が欲しい――莉桜は日本語のタイトルを呟いた。
恋人未満の二人の思いを包んで夜は更けていく。