聖夜
返事のないままクリスマスイブがやってきた。
裕也は年末進行の原稿を明け方ようやく仕上げる。これで年内の仕事は終わりだ。
担当の城島が原稿を持って帰っていくと、裕也は倒れこむようにベットに潜り込んだ。
夕方近くになってようやく目を覚ます。
ベットサイドに置いた携帯が光っている。
開くとメールが来ていた。莉桜からだ。
『シチューを作りました。
ケーキもあります。
家にいますから、よろしければ食べに来てください』
時計に目をやると5時を指している。
慌ててメールを返す。
『7時に行くから』
それから裕也は大急ぎでシャワーを浴び、車のキーを掴んで出かけた。
駐車場で車にエンジンを掛けていると再びメールの着信音が鳴る。
『待っています』
莉桜からの返事。
裕也は急いで目的地に向かい、7時に間に合うように帰ってきた。
玄関のチャイムを鳴らすと莉桜が出迎えてくれる。
今日はシンプルなセーターに可愛らしいスカートを合わせている。
「いい匂いがする」
裕也のお腹が言葉とともに鳴り二人で笑う。
「あんまり期待しないでくださいね」
莉桜に促がされて部屋に入る。
料理の匂いと共に絵の具の匂いもするようだ。
綺麗に整えられた部屋。リビング部分は製作スペースにもなっているようでイーゼルが置かれ布が被せてある。
テーブルの上には二人分の食事の支度が出来ていた。
ワインクーラーも置いてある。
「ワインまで用意してくれたのか?」
裕也が喜んでくれたので、莉桜は嬉しくて微笑んだ。
でもワインの選択には自信がない。
「お店の人のお薦めなんです」
裕也の顔を不安そうに見つめる。
「なかなかいい選択だ」
ワインの銘柄を見て裕也が言う。
高いワインは手が出ないから、予算で買える物の中から一生懸命選んだのだ。
「良かった」
気にってくれたようで莉桜はホッとする。
「ここに座ってくださいね」
裕也がテーブルに着くと、サラダと暖かいシチューと焼きたてのパンがテーブルに並べられる。
莉桜がワインを開けようとバタフライ型のコークスクリューで四苦八苦するので
「かしてみろ」
と、莉桜からワインを受け取った。
そして慣れた手付きでコルクを抜きグラスに注いだ。
「あっ、忘れる所でした」
莉桜が手にしたのはキャンドル。灯を灯して電気を消した。
あっという間に雰囲気の変わる室内。
小さくクリスマスソングも流れている。
「メリークリスマス」
静かに言ってグラスを合わせる。
莉桜が作ったビーフシチューはとても美味しかった。
「本当に美味しいよ」
裕也が料理を褒めると、莉桜はニコッと笑う。
「祖母の得意料理だったんです。だからこれはおばあちゃんの味なんです」
思い出を噛みしめるように莉桜が言う。
莉桜が母親を失くしたのは小学2年の時で、その後、忙しい父に代わり母方の祖母の手で育てられた。
給食で出て美味しかったと言う莉桜のために、わざわざ料理教室に習いに行き作ってくれたのだ。
その祖母も大学に入学した年に亡くしている。
裕也に祖母の思い出を少し話す。
話せない部分に触れないように、でも大好きな祖母の話をしたかった。
「素敵なお祖母さんだね」
裕也の声が優しく莉桜を包む。
思い出を語ると寂しくなって行く。でも、それは大切なことだと裕也は思う。
「私、肉親との縁が薄いんです、きっと」
裕也は静かに莉桜の話を聞いている。
「それなのにパパにもクリスマスは忙しくてアメリカには行けないって嘘ついてしまったんです」
アメリカに行かなかった理由を莉桜は持て余していた。
でも、今、裕也と二人でいる時間がとても大切なものと思える。
父親の元へ向わず目の前にいてくれる莉桜のことを裕也は愛おしく思う。
一緒に居たい。
二人が言葉に出来ずに願うこと。
「なぁ、正月は暇か?」
裕也からの突然の問いに、莉桜は「はい」と即答してしまった。
「伊豆に別荘が会って、うちの親たちは新年をそこで迎えるんだ。たまには顔を出さないと思っているんだが一緒に行くか?」
祥子に莉桜が日本にいるなら誘ってちょうだいと言われてはいたが、実際、自分が口にするとは思っていなかったので、裕也は己の言葉に驚いた。
莉桜も戸惑った表情を浮かべている。
定期的に姉の診察を受けている莉桜から俺の名前がよく出るらしい。
そう聞かされて裕也は嬉しかったのだ。
だから誘ったのだ。
莉桜から寂しそうな表情を消したくて。
笑顔を見たいのだ。
裕也はジャケットのポケットに入れた小箱に触れる。
「部屋はいっぱいあるし、お手伝いさんもいてさ不自由はない。姉貴達もいるから鬼に金棒だろ?何より温泉に入れて、美味しい魚が食べられる」
莉桜が構えなくてもいいように、軽い調子で付け加える。
「私が行ってもいいのですか?」
不安そうに莉桜が言う。
「ああ莉桜ちゃんさえ嫌でなければ。姉貴からも誘ってくれって言われてるんだ」
裕也は笑顔で答える。
戸惑った気持ちのまま莉桜は伊豆の祖母のことを話した。
偶然、同じ場所に行く理由があったことに驚く。
でも良い機会だ。
「ちょうどいいじゃないか。顔を見せてあげるといい」
裕也の提案に、莉桜の顔にパッと笑顔が広がった。
そして二人で旅の計画を立てる。
伊豆と言っても範囲は広い。でも裕也の別荘と莉桜の祖母がいる場所は車で30分ぐらいで近かった。
だから向こうに滞在中の1日を祖母を訪ねる日とした。
行きたいところの話から、話題はどんどん変わっていく。
時計はとうに12時を過ぎている。
「もうこんな時間だ」
裕也が気が付く。
「ホントですね。気が付きませんでした」
二人の間に少しだけ距離があく。
「忘れる所だった」
その距離をもう一度近付ける為に、裕也はポケットから小箱を取り出し莉桜に手渡した。
「私に?」
莉桜の問いに頷く。
受け取った小箱からは、可愛らしいネックレスが出てきた。
銀の子猫の目がキラリと光っている。
「可愛い・・・・・・ありがとうございます」
素直に喜んでくれて裕也は安堵した。拒まれたらどうしようと思っていたのだ。
次回作の取材で偶然知った流行のジュエリーショップ。
目に入った子猫のネックレス。
莉桜から食事に誘われた時に思い出し、まだ店にあるかどうか不安だったが買いに行ったのだ。
莉桜がネックレスを付けれず焦っているので裕也が手を伸ばし付けてやる。
そして、「Merry Chrismas!」の言葉と共にそっと抱きしめた。
腕の中の莉桜は力を入れれば壊れてしまうような気がする。
狼狽えながら莉桜も小さな声で応える。
裕也の腕の中で莉桜は
「私もプレゼントがあったんです」
と、言う。
「何?」
裕也が聞くと、スルリと腕の中から抜け出てイーゼルの前に立つ。
「この絵?」
コクンと莉桜は頷く。
「見ていいの?」
再び頷く莉桜。裕也は静かに布を外した。
そこには月明かりの窓辺で椅子に座っている男と膝の上で気持ち良さそうに眠る子猫が描かれていた。
深い藍色の中に柔らかな光。穏やかな時間を裕也は感じた。
「これ、俺?」
莉桜は裕也の反応が怖くて声も出せない。
「ありがとう。嬉しいよ」
そう言われて莉桜は初めて顔をあげた。
裕也はもう一度、莉桜を抱きしめ、額に小さくキスをした。
それ以上進むべきなのかわからないまま裕也は莉桜の部屋を後にする。
莉桜が描いてくれた絵を大事に抱えて自宅の鍵を開けようとして気が付いた。
小さな紙袋がドアノブに掛けてある。
中には包装紙に包まれた箱とメモが入っていた。
『
Merry Chrismas
お留守なので置いていきます。
お会いしたかった・・・・・・
茜 』
複雑な思いで裕也はそのメモを見つめ、溜息と共に箱をテーブルの上に置く。
それから裕也はリビングボードの上に莉桜の描いた絵を立てかける。
そして明日にでもイーゼルを買ってきて飾ろうと決めたのだ。