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HEINE  作者: ふみづくえ
第一章
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ハイネ・ガラドリエル

 「言うたであろう。わしは存外に詳しいと。これまでの旅路でも前世の悩みで思いわずらう者に何度も会っておるのだ。中でも一番多いのがおぬしと同じ悩みを抱えた者だった」

 朗らかに彼女は言った。

 あのあと、香りを楽しむのも忘れ、ただ料理を飲み下すと、足早に食堂を出て、昨日も立ち寄ったくぬぎの大木(実りの大樹)の公園へ直行した。

 人気のないところを選ぶとなると、ここしか思いつかず、昨日と同じベンチに座り、何から話すべきかまごついている内に、ハイネはそう言った。

 「…じゃあ、他に何人も…?」

 「そうだ。他にも前世の記憶を持たない者たちはおった。断じておぬしに限ったことではない。ただ、世間的な認知度が低いゆえ、外へ向けて言い出しづらいことではあるな」

 けして異常なことではないと諭すハイネの口調は柔らかかった。

 「じゃあ、どうして記憶が……」

 「単純なことだ。つまり、今世が初めてだっただけのこと。つまりな、今のおぬしが、おぬしにとっての前祖ということだ」

 まさに、目から鱗が落ちた思いだった。

 こんなにも意外な形で、長年の答えが目前に差し出されるとは。何だかもう色々な感情が渦巻き、それは脱力にも似て、知らず知らず天を仰いだ。

 「どうだ。納得したか?」

 「…むしろ馬鹿らしいです。まったく何を深刻に抱え込んでいたのか……こんな単純な答えに、気付けなかったなんて、自分がすごく無駄な時間を過ごしてきたみたいで」

 「何を言う。けして無駄になどなりはせん」

 天を仰いでいた顔を、ハイネがのぞき込んでくる。

 ベンチにのぼった彼女の笑顔は、太陽の射す光を受けて、きらきらと輝いて見えた。

 「今この時、おぬしは誰かに相談するという一歩を踏み出し、それを見事に解決させたのだ。良いか、この一歩は、次ぎ一歩の助けとなる。おぬしは歩み始めたのだ。今は分からずとも、歩んでいけば分かる。最初の一歩というものが、どれほどの意味を持つか、おぬしはいずれ知ることになるであろう」

 ハイネは言うが、それは予言のようで、予言された身としては確かに良く理解できない言葉だった。でも、不思議だった。きらきらと輝くものの中にあったのは、闇に敷かれた一筋の光明だったような、そんな奇妙な感覚。

 でも、それは、会ったときから幾度か感じていた気がする。

 子供じみた言動ばかりと思えば、長い年月を培ってきた年長者のような物言いをする彼女に、奇妙ながら、感じ入るものを抱かされてきた。

 幾世代も重ねた経験を持っているのだから当たり前なのかもしれない。けれど、前世の記憶を持たない自分には、とうてい持ち得ないモノであり、自分より大きな存在だと思える人の言葉は、不思議と胸の真ん中を落ちていく。

 ハイネは、ベンチの背もたれに腰掛けると、今度は頭を撫でてきた。

 幼子をあやすような優しい手つきに、抗いたい気恥ずかしさを感じるが、ハイネの手には、どこか逆らえない力があった。

 「とはいえ、すまんな。あんなカマをかけるようなことをして。いつもなら、もっとやんわり解いていくのだが……」

 「いえ、それは別に――って、いつもこんな事をしてるんですか」

 「そうだ。誰かが道に迷っていれば、より良い道を示してやるのがわしの身上でな」

 「……変わってますね」

 「そうか?わしは迷子の手を引いてやりたいだけだぞ」

 「迷子って……」

 「気にするな。言葉の綾だ。それに、いつもはわしの友が最初に気付いてくれててな。わし一人では限界あって、確かめるに少々手荒になった……まあ、掘った穴に人を引き入れた瞬間は、中々の悦を覚えたが」

 「…変な味、覚えないでください」

 「努めよう」

 悪戯っぽく笑うハイネに誘われて、何だかこちらも可笑しくなる。

 改めて空を見上げれば、外がこんなにも穏やかな晴天に恵まれていたことに、ようやく気が付いた。流れる雲の合間から、目が眩むほどの光が差して目蓋を閉じた。

 肌に感じる温かさと太陽の匂い。

 風薫る季節とはよく言ったもので、くぬぎや樹木の青臭い木の葉や、花壇に咲き乱れる花々の個性を競った匂いなど、目には見えない色取り取りな世界を風は運んでくる。

 でも、何より好きなのは、風そのものの匂いだった。

 水よりもガラスよりも、もっと透明な匂い。

 そんな風の匂いを感じると、いつも思い出すことがある。

 昔、店長に風に匂いなんてないと言われたときは本当に驚いた。驚き、自分が異質なんだと自覚したのは、多分その時だ。

 「……あの。これも記憶がない事に関係してたりしますか?」

 頭によぎった考えが、驚くほど素直に口から出ていた。

 「ん?なんだ」

 「…どうも、俺は、嗅覚とか味覚とか……感覚的な部分がちぐはぐで、鼻はきいても、味を区別できないみたいで……実は、さっきの料理も味なんて分かっていませんでした」

 目を見開くハイネが、見なくてもわかった。

 「……それに、人より夜目もききます。でも、人より……俺は、痛みに鈍いみたいです」

 「痛み?」

 「……はい。まるで体自体が着ぐるみで出来ているというか……今ではそんなこともないんですが、昔はよく金縛りにあってたんです。それも動けないというより、自分に手や足があることを忘れてもがいてるって感じで……だからなのか、時々、手足の力加減が掴めなくなったりして、それで―――」

 「…それで、しばしば怪我をしたのか?」

 言葉を継いでくれる彼女に、小さく頷いた。

 それからだんだんと力加減は掴めていった。

 ただ、何度も怪我と治癒を繰り返していくうち、怪我の治りが早くなっている様な気がした。それだけでなく、体も人並み以上に丈夫になっていった様で、今ではかなり無理なことをしても、体がついてこれるようになっていた。

 いつからか、自分の身体能力を試すようにもなった。

 仕事の合間を縫ったり、夜中に部屋を抜け出したりして、定期的に自分を試した。

 好奇心とかではなく、むしろ、それとは真逆の感情からだった。

 知っておいた方がいいと思ったのだ。どんなことが出来て、どんなことが出来ないか。何か不測の事態が起きたとき、対処できるよう、知っておくべきだと思った。

 都合良く、奥深い森が手近にあったので、森の地形を活かした力試しは、誰も踏み込まないような森林の奥の奥、急流の激しい滝の岩場などが選ばれた。

 自分で言うのも癪だが、この体に大した筋力があるとは思えない。細身だとも言えるだろう。だから、それが一体どういった仕組みでそうなるのかは説明できない。

 自分で説明はできないが、この体は、木を幹ごと倒したり、岩肌を砕いたりできた。さすがに岩を割るとまではいかず、二度ほど手の骨を折ったりもしたが、他に、大木を持ち上げてみたり、大岩を押し出したりと、力任せにできることが意外と多かった。

 力任せで言うなら、足の方も力でなんとかなった。

 滝の岩壁をひと息に上れるほど跳躍力はなかったが、それでも壁面を跳んだり、駆けたりすれば数秒で上れた。速力の方は、基準にする何かがなかったので量りようが―――

 「魂と肉体は影響し合うものだ」

 けして愉快とは言えない体験が次々に脳裏を駆けめぐる中、ハイネが言った。

 「魂に刻まれた記憶の中に、あまりに強い体験が含まれていると、生まれ変わった後の肉体にも影響を及ぼすことがある。しかし、それとて違和感を感じる程度のものだが…しかも、おぬしに前世の記憶がない。となると、それは初めて聞くケースだ」

 「…………」

 そっとハイネを見た。

 そこに好奇の目があることを恐れたが、彼女はあらぬ方向を見つめていた。

 わずかに眉根を寄せ、笑顔のない顔で思案する姿は、今までの彼女からは想像できない居姿だった。真剣な横顔は小さくとも鋭く、子供らしさは欠片も残していない。それが余計に緊張を誘った。

 「確か…この町には教会があったな。案内してくれるぬか」

 予想外の単語に、疑問符が浮かぶ。

 「教会で少し調べてみたいことがある。最近あそこに行ってなかったのでな、新しい事例の中に同じような例が報告されているかもしれぬ」

 「教会でそんなことが調べられるんですか」

 「もとより教会はそのためのものだ。前世に関した歴史、思想、情勢、弊害などあらゆる情報を統括するため、ヘルゲンバーカーが設けた組織よ。特にこういう旅人が集まる場所は、様々な事例が集まりやすいからの、行ってみる価値はある」

 「そんなこと初めて聞きました」

 「そうか?……そうだな。あそこは今、あくまでも教会(・・)だからな」

 そう、ハイネは少し含みのある言い方をした。

 オギが知る限り、教会は、聖人教の教義を説き聞かせるための場所であり、他には、前世での氏名を預かり、前世でゆかりあった人と出会えるよう取りはからってくれる場所でしかないかった。

 「でも、そんな世に知られていない資料、簡単に見せてくれるんですか?」

 「その辺は問題ない。わしがゆけば二つ返事で開示してくれる」

 きっぱりと断言したハイネ。

 何故そこまで言い切れるのか。その過分とも思える自信に、当然な疑問が沸いてくる。

 「あの…失礼な言い方ですが……貴方はいったい何者ですか?」

 「わしは何者でもないぞ。言うたであろう、わしはハイネだ。ハイネ・ガラドリエル」

 「……………は?」

 聞き返した顔がよほど面白かったのか、彼女は小さく笑い出した。

 「なんだ、聖人ハイネがこんな小童(こわつぱ)では格好が付かぬか?」

 そういう問題ではない、とオギは言葉を詰まらせる。

 世界を前世に目覚めさせたという聖人ハイネは、実在していない。などとは思っていないが、でも、やはり、どちらかといえば伝説の中に住んでいる人である。

 それを、何のてらいもなく告白する少女と結びつけろと言う方が無理だった。

 確かに、聖人ハイネといえば、どうしても念頭に立つのは白々しいくらい白いお爺さんが民衆に仰がれている姿だが、彼も生まれ変われば、子供から始めるのだろうと少し考えれば理解できる。しかし、だからといってこうも人懐っこい軟派な少女であっていいはずがない。聖人だと言うからには、もっと威厳というか、人知を越えるような雰囲気があるのではないのか、とオギは思う。

 ただ、完全に否定も出来ない。彼女の生まれ変わり関する知識や、旅人に関する見識が普通の人と比べて広い気がした。それに何より、教会が資料を開示するという自信は、相手が聖人なら頷ける。しかし、それを差し引いても―――

 「信じられぬなら、それでも良いぞ。こちらも聖人扱いされるのには飽きたしな」

 そう、ぱたぱたと手を振った。

 そのこだわりの無さは、かえって信憑性を高めるだけだった。

 「それより、教会に行く前に、もう少し詳しくおぬしの事を知っておきたい。何か他に気になっていることなどないか?」

 「…………」

 もし、本当に彼女が聖人ハイネの現世なら、前世についてこれ以上の専門家はいない。けれど、それは同時に聖人ハイネすら知らない症例を自分が抱えている事だった。

 前世の記憶がないのは自分に限ったことではないと言われ、それで全てが収まった気になっていた。自分には、もう一つ奇異な部分があることを忘れていた。

 目の前の聖人ハイネに寄れば、魂と肉体は影響し合うものだと言う。

 なら、この体の様々な奇異は、魂に影響されているということになるのか。

 しかし、人の体に、人の体が許容し得るはずのない影響を与える魂とは、いかなる魂か。そんな魂を抱えて存在している自分は何なのか。

 解決するどころか、ますます得体が知れなくなった気がするのに、自分の全てを正直に話すべきなのか、心は揺れた。

 教会に行っても原因が判明するとは限らない。ならば、わざわざ見世物になりにいくような事をする必要などないではないかと―――

 「安心せい。誰にもおぬしのことを言うたりはせぬ」

 ぐずぐずと煮え切らない心中を見透かしたように、ハイネがまた頭を撫でてくる。

 頭を撫でられる感触が、つい今しがた見た光景を思い起こさせた。

 出口のない闇に、一筋の光明が敷いた道。

 ハイネならあの道をもう一度教えてくれる気がした。ハイネが自らを聖人と名乗ったからじゃない。迷子の手を引いてやりたいと、言ってくれた彼女だからこそ、そう思えた。

 「――…へ、変なものを見ることがあります。常に見えているわけじゃないんですが…それは昔から今も変わらなくて……裸眼だと、気味の悪いものが見えるんです」

 どうにかそれだけ言えたが、いくら待っても何の反応も返らず、覚悟を決めて彼女の様子をうかがえば、ハイネの見開かれた瞳からは信じ難いものを見る視線が注がれていた。覚悟していたことはいえ、ショックだった。

 ハイネの声はかすれていた。

 「――変な、もの(・・)とは?」

 「……説明は…しがたいです。分かるのは、ぼんやりと何かがあることぐらいで…だだ、それが見えるのは、人に限って、です」

 「――それで、眼鏡を?」

 はい、と、ずいぶん時間をかけて口にする。

 不意に手が伸ばされた。

 それがハイネの手で、眼鏡に向けて伸ばされているのだと気付いたとき、その行為に驚愕して、体ごと逃げていた。

 あからさまな拒絶に、我に返ったか、ハイネの方が取り乱す。

 「ああ、すまぬっ。無礼なことをした。すまぬ許してくれ」

 ベンチの上にしゃがみ込んで、うろたえた。

 ほとんど跪きながら懇願されては、何も言えなくなった。

 「そ、それに、教会に案内しろと言ったが、おぬしが嫌ならわし一人で行こう。だから、どうか怒らないでくれ」

 うつむいて今にも泣き出しそうだった。

 卑怯だと思った。卑怯なくらい目に見えた落差に毒気を抜かれてしまう自分がいた。

 「いえ…俺も行きます。でも、店長に断りを入れてからでいいですか?」

 ハイネは眉の垂れ下がった顔を上げた。そんな小動物の怯えた顔で、かたじけない。と言われたら、こちらから笑みを傾けて、手を差し伸べたくなった。


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