待ち人の町
「すみません。店長が騒がしくて」
「なに、楽しい店主ではないか」
結局、面倒くさい店長のせいで、この小さなお客様の街案内(相手)をする羽目になった。
こっちはこっちで、空気の入れ換えだと思えれば良かったが、何しろ、この少女が前言通り腕に両手を絡ませて、ぴたりと隣に寄り添っていた。
「にしても、おぬしは野暮ったいの。せっかく良い色の髪と目を持っているのに、そんな野放しではもったいない」
「…はぁ」
答えに困った。
野暮ったいと言われても、この黒のスウェットは作業着も兼ねており、汚れの目立たない黒の無地が便利だっただけ。ただ使い込んでて多少くたびれてる感はあるかもしれない。
「色合いはよい。赤と黒はわしも好き組み合わせだ。ただ、着こなし方が不格好では、おなごにモテぬぞ?」
「……そうですか」
気乗りしない返事に、少女はまったく気付かないようだった。
「まあ着こなせすぎるのも問題だが……わしの一つ前の前世は男でな、若い頃はそなたなど足元にも及ばぬ美青年で、そうなると何を着ても似合ってしまい困ったものだ。女たちがわしを放っておかず大変な毎日だった」
なにやら前世自慢を繰り出す少女に、早く帰りたいと切に願いながら淡々と歩いた。
ひとまず、手近なところで表通りを端から見て回ることになった。
そこは、初夏を匂わせる豊かな緑を蓄えた街路樹と、豊かな人の往来であふれていた。
表通りを左右に囲う漆喰やレンガ造りの建ち並ぶ町並みは、高さも色も年代も不揃いに居並ぶが、そんなことは誰も気してないと、その間を行き来するのは人と人。
行商人や宿継ぎの馬車も町を経由するが、それらのは町の西側にある問屋場を目指すため表通りを直進することはない。何より、表通りは旅人のためにあけておくものだった。
人の流れに乗りながら、オギは表通りに軒を並べた店の特色をざっと説明していった。
この町に二軒しかない食堂は、経営者が同じなので価格などに大差はなく、宿屋は大小含めて五軒あるが、その内の四軒は普通に酒場を兼ねていた。あとは、衣類や靴、携帯食などの旅人の必需品を扱う店や、診療所や理髪店など町民も利用する施設があるぐらだが、この町の規模なら申し分ない店並みだろう。
そうした一方的な説明に、少女はただ相づちを打つばかりだったが、駄菓子屋を発見するやいなや、かぽかぽ足を鳴らして駆けてく。背丈の変わらない子供らに混ざりながら、チョコレートは立派な保存食だとうんちくを垂れつつ、チョコを漁っていた。
「あら、オギくん。こんなところで奇遇ね」
不意にかかった声に振り返れば、見知った女性がいた。
二十歳ばかりの快活そうな彼女は、黒髪の巻き毛をふわふわ揺らし、フリルエプロンという出でだちで通りかかっていた。
「あ、こんにちは……」
「はい。こんにちは。いつも通り素敵な髪ね。すぐに目に付いちゃうもの。それで?今日はどうしたの。あのオジサマにお菓子が食べたいって言われたの?」
くすくすと笑う彼女の名前は、オリビアさん。
食堂で働くウエイトレさんで、いつもフリルエプロンでいることも相まって、ふわふわと柔らかそうな印象のある人だった。
「甘党のオジサマが一緒だと大変ね。でも、二人とも食事はちゃんとしたものを食べなきゃダメよ。もちろん、その時はウチのお店をよろしくね。じゃ、あたしも急ぐから」
言って、彼女は歩き出し、雑踏の中へと消えていく。
格好からしてまだ勤務中なのだろう。買い出しでも頼まれたのか。
ともかく、男所帯で炊事が面倒なときにしか世話にならないの客でも気にかけてくれるのだから見習いたい。たぶん無理だが。
少女が大きな紙袋を手に戻ってきた。
紙袋にはチョコのみならず、色々なお菓子が詰まっていた。
「いかんのう、ついつい買い込んでしまった。すまんな、待たせたか?」
待たされたぐらいなら、まだ良かった。
それから少女は、買い込んだお菓子の味見がしたいと言いだし、仕方なく近くの公園まで案内させられた。
公園といっても、町の郊外に広がる森とほとんど同化してしまっているこの公園は、子供のための遊具があるわけでもなく、とりわけ今の季節は人もまばらで、閑静な森林浴を楽しむ程度にしか使われていない。
手近にあった木製のベンチに腰掛けて、お菓子を広げる少女に、このまま帰ってしまおうかとも思ったが、お客を途中で放り出したと知られたら、あの店長に何を言われるか……少女に付き合ってベンチに座り、彼女の気が済むのを待つしかなかった。
「…のう。あの木の名前は何と言ったかの」
色取り取りの味覚を存分に堪能していた少女が、ふと切り出した。
彼女の視線を追えば、公園の中央に、柵で囲われた巨大な木が一本そびえたっていた。灰褐色の幹や枝に添え木こそあるが、秋には大きなどんぐりを落とす、くぬぎの木。
「ああ…実りの大樹です」
「おお。そうだったそうだった、覚えておる。懐かしいの、変わっておらぬ。確か…あの木の実を拾うと願い事が叶うのだったな。この町で唯一の名所だの」
故郷でも懐かしむように少女は言うが、その言い様は、あからさまな矛盾を残していく。
「あの…まさか、この町に来たことがあるんですか?」
「まあの。とはいえ、今世では初めてだが」
「そうじゃなくて……来たことがあるのに、町の案内をさせたんですか?」
「もちろんだ。こうやって魂の記憶を刺激してやらねば、すぐに薄れて消えてしまうからの。だから何度でも思い出して、新しくしてやらねばならん」
その言葉に、わき上がった腹立たしさは腹の底から冷えていった。
「……魂に刻まれた記憶でも、消えてしまうんですか」
「正しく言えば眠ってしまうのだ。よほど強烈な記憶でもない限り再び呼び起こすことは難しいからの。眠ってしまった魂の記憶は、まず取り戻せぬと思った方がよい。心せよ」
「そう、ですか……」
しごく当然のように口にされ、冷えた気持ちは重く沈んだ。
「……じゃあ、前世どころか前祖の記憶なんて大変でしょうね」
少女が小さく笑い出す。
「何を言う。前祖の記憶は別格だ。はじまりの前世だからの。忘れようにも忘れられぬものではない。故に生まれ変わった後の名ではなく、前祖の名を使う者が多いだ」
「…………」
「しかし、まるで他人事のように言うのう。なんだ、自分の前祖に悩みでもあるのか?言うてみよ。わしならかまわぬ」
「……会って間もない相手に、前世の話を聞くのは失礼ですよ」
「まったくお堅いの。そうだな。では、こちらから打ち解けてやろう。まずわしの話をしてやろうではないか。わしの前世は色々とすごいぞ。聞いて驚け」
「もう、聞きました。前世ではたいそうな美青年だったそうで。それはモテて大変な毎日だったんでしょう」
「その通り。だが、いっときの恋にうつつを抜かしてはおれなんだ。私は旅人だからの。そのほとんどは一夜の夢よ」
「じゃあ何ですか、恋路を求めて旅でもしてたわけですか」
「そうとも言えるの」
言えるのかっ。と、思わず心中でつっこんでいた。
「確かにそれも楽しみの一つではあったが、正確ではない。言うならば、わしは旅が目的の旅人なのだ」
少女の言葉を、すぐに飲み込むことは出来なかった。
「旅が目的…って、旅がしたくて旅をしているってことですか?」
そうだ。と、頷く少女に、少なからず衝撃を受ける。
そんな発想があるなど、これまで考えてみたこともなかった。
「旅は良いぞ。その土地の名産や名所を巡ってな。道中もまた、見飽きぬ風景模様しかり、人間模様にあふれておって面白い。何より、人の心に触れられる。まあ、心に触れれば、体にも触れたくなるのが人の情というものだが」
「……結局そこですか」
「まあ、待て。そうやって毛嫌いするな。いいか。大切なのは心に触れることだ。そうすれば、いずれ全世界の人々と縁を結ぶことも可能なのだぞ」
そう、さも得意げに少女は言う。
「――それは……壮大な計画ですね」
全世界の人間と縁を結んだら、その世界はどうなるのか……
まったく想像の及ばない世界だった。
何にウケたのか、少女は声を立てて笑った。
「そうしようと思えばの話だ。わしらには人生が何度も用意されておるが、それでも一筋縄ではいかんだろうな。それに―――」
笑顔が物悲しげなものを含む。
「それに、今は少し違うからの。もっと別の目的があって旅をしておる……いま、わしは友を探しておるのだ」
「……トモ…お友達、ですか」
「そう、わしの大事な友人だ。長年、何世代にも渡って連れ添ってきた知己での、わしの傍らには、いつもそいつがおった。わしは一カ所にとどまるのがどうも不得手な性分で、そんな寄る辺のない旅にも文句一つ言わず付きおうてくれていた……のだが、突然別れを突きつけられてしまってのう。あやつが選んだのなら、それも仕方がない。世が巡れば、いつかまた帰ってきてくれるだろうと思ったのだが……寂しくてなぁ」
無くしたものを惜しむように、眼差しが遠くを見つめた。
「あれのいない一人旅がどんなものか、前の世でほとほと痛感した。もしかすれば、あやつが側にいてくれる有り難みを忘れておったわしに灸を据えたかったのかもしれん……ならばと思うて探してみたが、前世ではついに見つけられなんだ」
「…………」
「……もう、骨身に沁みて懲りたから、早くわしの隣に帰ってきて欲しいのう」
その語尾はかすれていた。見れば瞳に涙がにじんでいた。
「いかんいかん。まだまだ年端が幼すぎて、すぐに泣きべそをかいてしまうわ」
鼻をすすり、涙を呑み込むよう喉を鳴らす。すると、そこには笑顔が飾られていた。
「湿っぽくしてしまったな……そうだ。今度は、おぬしの話をしてみはくれぬか?」
そうやって気にかけてくれる彼女の気持ちは嬉しいが、そうそう簡単に語れない理由が自分にはあった。
「――…すみません」
「よいよい。ムリなら仕方あるまいて。だが、言いたくなったらいつでも構わぬからな」
困惑を察してくれたように、少女は話を切り上げてくれた。
「そうだ。おぬしの名は何と言ったかの?」
「…オギです」
「そうか。ではオギ、また明日も町の案内を頼めぬか?そなたを気に入ったのだ」
気に入られる要素なんてこれっぽっちも思い当たらなかったが、ここで断るのも気が引けて、わかりました、と答えていた。
「あの…お客さんの名前は?」
「私か?私はハイネだ。ハイネとそのまま呼んでくれてよい」
一瞬驚いた。けれど驚くことではない。おそらく今世の名だろう。
その一生が良い旅になるように。と、お守り代わりに聖人の名を持たせることは少なくないと聞く。
「では、そろそろ宿に戻るかの。さすがに旅の疲れが出たか、枕が恋しくてならん」
日が暮れるにはまだ少し早いが、彼女の年齢と体力を思えばいたしかたない。
「…送ります」
真面目だのう、と余計な一言が付くが、散らかしたお菓子を紙袋に片付けるのを手伝って、来た道を折り返す。
少女の泊まる宿まで送り届け、その店先でまた少し話をしてから別れた。
斜向かいの靴屋に戻ろうと、おもむろに振り返るが、ふと目前の光景に目をやった。
日暮れ時も近いというのに、往来の絶える気配を見せない表通りは、いつもと変わりばえのしない風景だった。
漆喰やレンガ造り。高さも様式もばらばらで、いつ見ても不揃いなこの町並は、それでも、それなりの情緒を見せてくれる。
それはきっと、この町を訪れる人々の国柄や年齢、性別、格好もまた不揃いに往来の波へ呑み込まれていくからだろう。この一本道にすぎない表通りが、いずれ数多の国と繋がっていくのだと人々の姿は物語っていた。
普段なら気にもとめない光景が、今日はやけに目に付いた。
そういえば、この町についてハイネにきちんと話していなかった。
いや、彼女ならすでに知っているかもしれない。俺よりもずっとこの町の歴史に通じていても不思議じゃない。
毎日旅人が訪れて、毎日旅人が去っていく。
ここは、『待ち人の町』
誰かが忘れていったように、ひょっこりと、いち山だけが佇む『ひとつ山』の麓、豊かな緑を蓄える森の一面に白線を引くようにして伸びる街道がある。その街道を軸にして糸巻き状に広がる町並みが、待ち人の町だった。
人口約百人ほどの小さな町は、かつて白の公国の関所にあった。
今なお、表通りの終わりには関門の残骸が転がっており、当時はその門前で通行書や荷物が入念に調べられた。そのため、よく人の流れが滞り、時間を持て余す商人たちが待ち人相手に積み荷を解くようになると、やがて露店が開き、宿が建ち、宿駅から宿駅に荷物を継ぎ立てる問屋場が置かれるようになり、宿場町として発展していった。
そうした歴史を経て自生した町は、白の公国が滅びた今も生き残っていた。
国が滅びても、町が生き残ったのは、ひとえにこの町が旅人のための町だったからだ。
聖人ハイネ・ガラドリエルによる前世への目覚めは、多くの人を旅人に変えた。
前世で結ばれた縁が、人を旅人にした。
かつてよしみを交わした人。かつて暮らした土地。そんな、かつてあったものへ思いを馳せる人は後を絶えず、もはや旅人抜きで一国の情勢は語れないほどに膨れあがった。
前世からの想いを果たそうと巡る旅人は、いまや国と故郷、街と町をつなぎ経済と情報の循環を高め、諸外国の発展に大きな影響を与える。しかも、それは人の足だけで及ぼされる人的事象だった。
現世をゆく旅人は、馬車を厭う。
それは、世界に敷かれた全ての道を歩いたという、聖人ハイネにあやかって旅の安寧を祈るためであり、もしくは誓いを立て、前世からの想いを果たす願掛けとするためである。
祈りのような一歩一歩を踏みしめて、いつの日か願いへと繋がる道を旅人はゆく。
今この時ですら、すれ違う人の足を動かしているのは、前世の記憶なのだろう。
夕暮れの薄闇色に沈んでいく町並みの中、絶え間なく行き交う人々を眺めていた。
雑踏には、旅人だけではなく、商人や町人の姿もちらほらと垣間見えた。
それなのに、その全てが身内に抱えた前世のために、先を急いでいるように見えた。
先を急ぐのは、大きな前世を抱えているからだと、さも得意げにひけらかしているように見えてならなかった。
けど、そんなのは単なるやっかみだと分かっていた。
過ぎゆく人と人を通して、立ち止まったままの自分を見ていたにすぎない。
その姿は、ひどく滑稽だった。
この場に立ち尽くしているのは、聖人ハイネが目覚めもらした人間なのだから。