旅支度
「色々とありがとう。私がんばってみる」
そこには、憑き物が落ちたような、すっきりした笑顔があった。
あとは、オリビアさんしだいなのだろう。でも、店長とほとんど変わらない時間を見守っていたオリビアさんに、店長がどういう想いを抱くかは、結果を見なくても分かるような気がして、だから余計に二人の出会いが少しでも早まればいいと思う。
「こうなったら攻めてみようと思うわ。まず、名乗り出るのが先だけど。それだけで終わらないようにしなくちゃ。それでね、ちょっと考えたんだけど、オギくんがハイネちゃんと旅に出るなら、お店の人手が足りなくなるでしょ。だから、せっかくだし靴屋さんで雇ってもらおうかなって」
「いいですね。店長一人じゃ何かと心配なんで、俺からもお願いしたいです」
いつも食堂で見るような花の笑顔に、ついついこちらもつられて笑顔を返す。
「でも、そうすると食堂のお客さんが泣きますね。あの大立ち回りで、名実ともにこの町のアイドルさんなのに」
「それは仕方ないじゃない。私はオジサマのファンなんだもの。生まれ変わる度に魅力的になって、もうメロメロ」
「め――」
いや、何も言うまい。と、ぐっと言葉を呑み込んだ。
「あ。そうだ、忘れてた。オギくんをこうして呼び出したの、本当はね、謝ろうと思って来てもらったの」
「謝る…?」
「うん、何て言うか…ほら、オジサマってオギくんに対して過保護じゃない?それにね、実はあの頃の私とオギくんって面差しが結構似てるのよ。だから色々心配になっちゃって」
何が心配になったのかは聞かない。絶対聞かない。
「だから、わたしがオギくんに近づいて、それを嫉妬する誰かにあわよくば呪い殺されちゃえばいいなってずっと思ってたの」
「…………」
「でも、オギくんってば全然わたしになびかないじゃない。だから大人の女に興味ないのかなって思って。だから…だからね、ほんのちょこっとだけど、オギくんが幼女趣味だって噂も流しちゃったの。ホントごめんね」
「ホント何してくれてんですか」
あまりの発言に目眩すら覚える。
オリビアさんは、これまでに見たこともない、とっておきの笑顔を振る舞った。
「だって、可愛さ余って憎さ千倍って言うでしょ」
「…一桁、多く見積もってます」
うふふ。と笑って済ませるオリビアさんに果てしなく黒いものを見た気がして、ここは大人しく引き下がる。つまるところ、この愛らしくも黒いおちゃめさんが、彼女の本性かと思うと、そこはかとなく店長の将来が偲ばれるが、いつかは通らねばならない道だと、かたく自分を言い聞かせた。
「じゃあ、そろそろ行くわね。そろそろ、オギくんのアイドルさんが怖いから」
言って、ちらりと視線を送る。見れば、木製のベンチにハイネがいた。
いつから居たのか、腰掛けの上に座り、腕を組み、足まで組んでなにやら横柄な態度で居座っていた。
オリビアさんと別れをすませ、ハイネのもとへ足早に駆け寄る。
「聞いていたんですか?」
「聞いてはおらぬ、わしはおぬしを信じておったからな。それでオリビアは何とした?」
「はい。店長に打ち明けてくれるそうです」
「そうか。では、おぬしは見事、彼女のわだかまった前世に光射す道を示してやったわけだ。わし抜きでも」
「え…ああ、そういうことに…なりますか?」
言われてみれば、そうかもしれない。でも、全く実感がなかった。 たぶん、自分の身の上を話したにすぎないからだろう。思い返しても赤面ものだが、それで彼女の道を変えられたなら……そして、店長の道までも変えられなら、けして悪くない気分だった。
「これからの旅を思うと幸先がよいの。しかも、可愛らしい娘子の手を引いてやれて、大いに気分が良かろう」
その言い様には、やけに棘があった。
「……何か、怒ってません?」
「怒ってなどおらぬ。ただ、随分と楽しそうだったな。おなごを泣かせたうえ口説き落とすとは、なかなかやるではないか」
「何の話ですか」
けれど、ハイネはへそを曲げるように、そっぽを向いてしまう。
まさか、まだ俺がオリビアさんに興味を持っていたと疑っているのか。驚異の濡れ衣に、返す言葉も見つからない。ただ、ハイネのふくれっ面が、つまりはヤキモチから来てると思うと、安直だと思うのに、許せてしまうから恐ろしい。
何か気を引けるモノはないかと探せば、それはすぐに見つかった。
きっと彼女の機嫌を直すには一番の特効薬。
「ハイネ。これから一緒に散歩でもどうですか?」
彼女は視線だけをこちらに向けた。
「その靴を、ならしに行きしょう」
ハイネの視線が足下の、真新しい靴へと移る。組んでいた足を崩し、眺めるようにかかとを二、三度鳴らした。
やがて、行ってあげてもいいと、言わんばかりのすまし顔で手を差し出す。そんなハイネに苦笑しつつも、その手を取った。
◆◇◇◆◇◆◆
旅立ちの準備は着々と進んだ。
ハイネに付き合ってもらい、旅に必要なものを揃えにも行った。
この町は旅人のための町、品揃えに困りはしないが、行く店の先々で品物を無料でにされてしまい、それには困った。旅に出る餞別ということもあるが、何より、ハイネがあの聖人だと知られてしまい、聖人から金は取れないと皆が口を揃えるので、ハイネと一緒に説得して回るのはひと苦労だった。それでも、駄菓子屋にてチョコレートの大箱だけは、しっかり貰おうとするので手を焼かされた。
そうして、買い出しに何度も表通りを往復するため、そのせいで理髪店の三兄弟に見つかったりもした。立ち塞がり、餞別に髪を切らせろと絡まれたが、ハイネが勿体ないからと断固として断ってくれた。
他にも、俺は必要ないと言ったのだが、ハイネが頑として譲らないため、旅用のコートを一着新調させられた。仕立屋の女将さんとハイネは、意気投合したり議論し合ったりを繰り返し、人を何時間もマネキン扱いしてくれた。
旅行鞄は一番大きなものを買った。
その大きさは、ハイネが中に入っても余裕で眠れるほど。
ハイネの靴の調整や修理をするための工具を持って行くことにしたので、大きさを必要としたが、必然とかなりの重さにもなり、下手をして誰かを圧死させないよう気をつけねばならなかった。
白ひげの療医から、丈夫に出来ているからといって、体を酷使するなと口を酸っぱくして注意されていたが、体を鍛えるつもりで持てば、一石二鳥だと内緒におくことにした。
さらに、衣類や携帯食など身の回りの品々から、インクとペン、方位磁石や小型ランプといった雑貨品などを揃えると、ハイネに手伝ってもらいながら鞄に詰め込む。ハイネは、旅の荷造りが何よりも好きだと言っていたが、改めて見渡す荷物は、どれもこれも新しくて、いかにも新米の旅人丸出しで、少し格好が悪かった。
そうして、あれやこれやと旅の準備を二人でしている間に、店長はオリビアさんと何かあったらしい。このところ、店長が毎日のようにくケーキや菓子類を作っているのだ。
例の臭撃はハイネと買い出しに行くため、被害はほとんど受けないが、買い出しから帰って来きても、店長は必ず出かけており、その行き先はどうやら町の外だった。
どこへ行っているか心当たりはあったが、決定的だったのは、オリビアさんが食堂のウエイトレスさんを辞めてしまったと、町の男衆が大いに嘆いていたことだった。
あちらはあちらで、色々と立て込んでいるだろうと、そっとしている内に旅立ちの日はやって来た。