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HEINE  作者: ふみづくえ
第五章
32/34

オリビア


 教会に在駐していた教徒らは、今回の騒動には無関係だとエマソンが言い張り、事なきを得た。エマソンが一連の無礼を詫びたことと、教会の役割は旅人には必要不可欠のため、町の住人らも受け入れた。

 そうした後始末を終えると、エマソンは、ハイネと俺には一言もなく、偽教徒らを連行して、いずこへと帰って行った。

 そして、店長とオリビアさんは、その後、何事もなく帰ってきた。

 本当に何事もなかったようで帰ってきた店長はいつもと変わらぬ様子で、けれど、いつもの軽口を叩く程の余裕はないようだった。

 店長がオリビアさんに気付いているかは分からない。たとえ何かしら気付いていたとしても待つことに慣れてしまった店長には自ら事を起こす術を持ち得ないのかもしれない。

 今後について…ハイネと旅に出る事に関して店長と話を詰めていたときも、時々うわの空になっては、話を聞いていなかった。

 あの時見たこと店長に言うべきか。

 しかし、オリビアさんの意志を無視することは出来ない。思い余って、こっそりハイネに相談してみた。

 「そうか…それは難儀だな」

 作業台の向こう側で、頬杖をつき、ハイネは言った。

 「オリビアにしてみれば、自分は恋人を手にかけた咎人だ。何かしら思うところがあるのだろう」

 「やはり、口を出さない方がいいでしょうか」

 「そうだな。オリビア自身がご店主に気付いていない可能性もあるが、気付いていた場合、黙っていた理由(わけ)があるはずだ。その理由を知りもしないで、口を出すのは間違いだ」

 「じゃあ……」

 「様子を見る。それでも動く気配がないなら、こちらからオリビアに働きかけてみよう」

 「はい」

 ハイネの提案に何の不服もなく頷いて、手元の作業に戻った。

 「しかし、オギよ……良いのか、それで?」

 「何がです?」

 耳を傾けながら、一つ一つ丁寧に靴紐を通していく。

 「オリビアだ。あのおなごに興味があったのではないのか?」

 「……俺がいつ、彼女に興味があると言いましたか」

 「言うたではないか。付き合ってみたいと」

 「言ってません」

 付き合ってみたらどうかとは言われたが、自分から言ったのではけしてない。しかも、それを言ったのはハイネである。

 自分の記憶を整理しているのか、ハイネは眉根をよせて思案顔。

 しばらくそのまま放っておき―――やがて、そっと呼びかける。

 「ハイネ。出来ました」

 告げたとたん、ハイネの顔が輝いた。思案など忘れてしまったように、作業台から身を乗り出して、出来上がった靴に熱烈な眼差しを送ってくれる。

 ライトブラウンの表層に、黒の靴紐。全体はシンプルに仕上げたが、押し型の装飾を個々にあしらい、洒落気も少しひそませた。内部もハイネの成長をふまえ、調整ができるよう厚みを持たせ、靴底も足の負担を考えて、なるべく弾力性のあるものを選んだ。

 ずいぶんと時間はかかったけれど、込めた想いは時間の比ではない。

 今できる全力を尽くして作り上げた、ハイネ一人だけの靴。

 「履いてみますか?」

 二つ返事でハイネは頷いた。けれど、ハイネは靴を履かせてくれとせがむので、仕方なく彼女の前にひざまずき、その細い足首をすくい上げる。

 ただ、こうしてハイネを仰ぎ見ることに、全く抵抗を感じない自分が少しだけ嫌なった。

 内心でため息をつきながら、両足の靴紐を結び終える。

 ハイネに手を貸して、その場に立たせた。

 タイルの床に爪先をつけ、かかとをしっかり踏みしめる。

 ハイネが、俺の作った靴を履いている。

 向こうの壁際まで歩いていって、身をひるがえし、戻ってくる。

 この感動を表すには、言葉じゃとても間に合いそうにない。

 熱く痺れるような余韻に浸っていれば、ハイネが笑いながら懐に飛び込んできた。かなり戸惑ったが、抱きとめて、髪に触れた。

 「…こんにちは」

 その声は、あまりに出し抜けだった。

 肩まで飛び上がった手を持て余しながら振り向けば、裏口に人がいた。

 オリビアさんだった。




◆◇◇◆◇◇◆




 風が吹いていた。髪を引かれるほど強くはなく、さわさわとくすぐる風は、黒い巻き毛とたわむれに遊んでいた。

 「それじゃあ、あの指示書はやっぱりオリビアさんが?」

 「…少し前から、変な連中が動き回ってるのには気付ていたの。ハイネちゃんを見張ってるって……」

 大きなくぬぎの木の下で、オリビアさんは言った。ニットのボレロにワンピース。いつものフリルエプロン姿じゃないせいか、今日の彼女はまるで違う人に見えた。

 実りの大樹の公園に呼び出されたのは、店長ではなく、何故か俺だけだった。

 ハイネも店に置いて、一人だけで呼び出された。

 「ただ、ハイネちゃんのそばにはオギくんがいるでしょ。そして、オギくんのそばにはあの人がいる……だから、ずっと気になってた。ずっと見てた……あの日の夜も」

 戒杖を取り返しに行った夜、何故か彼女は診療所にいた。きっと、狙われたハイネのそばにいる店長が、心配で居ても立ってもいられなかったのだろう。

 「オギくんが倒れた後、本当は帰されたんだけど、全部聞いてたの。だって診療所には、見過ごせない影があったから」

 「エマソンの…?」

 「たぶん、そう……」

 俺は、前世の記憶が曖昧で、人目もはばからずハイネをなじった。

 それから間もなくだ。エマソン本人が現れたのは。そして、ハイネはエマソンのもとへ行き、エマソンは町の人を人質に取った。

 「あの人、怒ってたわ。皆の無事を確かめに来たとき、何も言わなかったけど、何かあったことは一目でわかった。だから、あの人の助けになりたくて、こっそり裏で動いてた」

 「どうして、そこまでしてくれたんですか?」

 「……いじわるね。本当はもう、知ってるんじゃない?」

 彼女は、もの言いたげな目で見つめた。

 「……白の公国の、騎士様…ですか?」

 やっぱり、と言って彼女は微笑んだ。

 「どうして……どうして、店長に明かさないんですか?」

 はやって投げた問いは、オリビアさんから笑みを消させた。

 彼女は、答えを避けるように、くぬぎの巨木に足を進める。

 木の葉のささめきに耳を傾けるようにして、木漏れ日を仰いだ。

 「不思議ね。もう何度も違う目を通して見ているのに、この木は、あの頃とほとんど変わらない……オギくんは、あの木のどんぐり、拾ったことがある?」

 「…いいえ」

 「私はあるわ。あの頃からずっと……あの頃、あの人がどんぐりを欲しがっていると聞いて、それで私はこっそり届けたの。私、どうしてもあの人に近づきたかったから……あの人はとても喜んでくれて、お城の中庭にどんぐりを埋めていたわ。知ってる?あれって、ちゃんと土に埋めてあげて、芽が出なきゃ御利益なのよ?」

 それは、このくぬぎの木が『実りの大樹』と銘される由縁で、この木のどんぐりを拾うと願いが叶うとされていたが、土に埋めて芽を出すまではさすがに知らなかった。

 しかし、くぬぎの木にしてみれば、確かに芽吹いてこその願い(たいか)だろう。

 「あの人は、どんなお願いをしたのか絶対に教えてくれなかったけど、その時に埋めたどんぐりは今じゃ立派な葉を茂らせてる……だからね、私も、それにあやかりたくて、生まれ変わるたび、必ず一個拾うのよ」

 「……オリビアさんのどんぐり、芽は出ましたか?」

 彼女の背が、首を横に振った。

 「きっと分かってしまうのね。私が嘘のお願いをしてるって」

 「嘘…?」

 「私、あの人を愛していなかった」

 その言葉は、一陣の風にさらわれ、上手く聞き取れなかった。

 「…え」

 「ただ、利用したかっただけ。姫君だったあの人を。君主制を終わらせるために利用して、クーデターさえ起したら、もう彼女に用なんてなかった。それなのに、死線にまでしゃしゃり出てきて、思い込み激しく勝手に死んだ」

 繰り出される一言一言が信じられなくて、手を握り込んでいた。

 「彼女、死に際に言ってたの。来世で待ってるって、私を…だから、生まれ変わってから興味本位で確かめに行った。そしたら、本当に待ってるの。笑ったわ。どこまで馬鹿なんだって。そのあと私は自分の好きなように生きた。彼女の事なんか忘れて……でも、皮肉ね、それからすぐに私はこの町の宿屋の子に生まれたの。子供の頃、あの人が来た。教会に私しか知らないあだ名が書いてあって、お城の中庭で待ってますって……毎日来てた。私のお墓に花を届けに来てくれた。かつて私が好きだったお菓子まで供えてくれた」

 あ、と呼び起こされたのは、店長のケーキ趣味。本当は毎日作っていたのに、俺が靴屋に居付いたせいで、週一度にせざるおえなくて、でも、作ることはけして止めようとしなかった。あのお菓子たちに贈り先があるなんて考えてもみなかった。

 「――もう、申し訳なくて」

 彼女の声は、悔恨の念に震えていた。

 「そんなことしてもらう価値なんて無いのに。でも、名乗り出る資格もなくて……私に出来たのは、遠くから見守ること。私のことなんか忘れて、誰か他の人と幸せになってくれるのを見届けるつもりだった……でも、それは嘘だった」

 「………………」

 「それに気付いたのは、つい最近。現世に生まれて、この町に来た時、もうあの人のそばにはオギくんがいて…あの人は子育てに懸命で、夢中だった。尋常じゃない怪我ばかりするオギくんにかかりきりで、それこそ……知っるかしら?一度ね、オギくんの怪我はあの人がやってるんじゃないかって疑われたことがあるのよ」

 「――!」

 寝耳に水の話に、反論の言葉が口を衝いて出そうになる。

 「でも、そんな噂なんて、すぐに払拭するくらいオギくんを大切にしてたから……今でもちょっと過保護だし」

 拗ねたような目でオリビアさんは睨んだ。

 「それで気付いたの。私、オギくんにすら嫉妬してた。そんな私が他の人と幸せになるあの人を見るなんて、きっと耐えられない」

 もう思うだけで苦しいのか、彼女は胸に手をやった。

 「気付いたの。名乗りでなかったのは幻滅されるのが怖かっただけだって。だって名乗り出れば、きっと黙ってはいられない……全てを打ち明けて嫌われるのが怖かったのよ」

 胸を掻き抱くように小さく丸まった背が、今もなお去来する心の葛藤を如実していた。

 ずっと店長に明かせなかった理由は理解できた。

 でも、その気持ちは分かるとか、そんな安易な同情を寄せて、彼女を苛む苦しみを、推し量るつもりにはなれなかった。だったら、店長は―――

 「でも、店長はずっと貴方を待っています。貴方に会いたがっています。会って言いたいことがあるそうです。お願いです。あの人の気持ちを汲んであげて下さい」

 「……私はね。あの人が私を待っている間、あの人が自分のものだと感じて、喜んでいた人間なの。それでも?」

 「それでもです。甘えないで下さい。貴方は、待つ側の気持ちなんて少しも考えてないじゃないですか」

 誰かを待つということは、その人を望むことだ。

 いつ来るかとも知れない相手なら、なおのこと想いは馳せる。どうして来ないのか。何かあったのか。安否や、所在をいつまでも案じていくのだ。

 いつまでも、いつまでも、いつまでも宙に浮いた心を抱えて、地に着かない足は、どこにも行けない。

 「店長は、貴方に待っていると言ったことを後悔してます。待つことが煩わしくなったんじゃありません。呪いのようだと…人殺しをさせたうえ、呪縛まで負わせてしまったと言って、自分すら縛り付けているんです」

 小さな背中が振り返えった。

 そんなこと考えもしなかったのだろう、動揺を隠せないようだった。

 「お願いです。店長を許してあげて下さい。店長は……店長は、貴方のことを許してくれます」

 けれど彼女は、顔を背けるようにうつむき、唇を噛みしめる。

 「……そんなこと、知ってる。あの人は、きっと私を許してくれるわ。でも、こんな私を、もう好きになってはくれない」

 「何故そう言えるんですか」

 それでも弱音を吐く彼女に、そうじゃないと痺れを切らす。

 「何百年も待ち続けた想いを甘くみないで下さい。そんなことで嫌えるくらいなら、とうの昔に諦めています。店長だって馬鹿なじゃない。ここまで待たされて、貴方を一度も疑わなかったはずがない。その度に、何か事情があるからだと言い聞かせてきたに決まっている。そうやって理由をこじつけてまで待ち続けたのは、待っていたからったからです。貴方に会いたかったからです。きっともう、会えるだけでいいんです。だって、貴方がどんなにわがままでも、手も付けられないほど奔放者だとしても、会えるだけで何もかもが報われる。俺はいつだって、そうして―――」

 自分で何を言っているか、気が付いた。途中から、私情はなはだしい見解を口走っていると知って口を閉じるも、呆然としたオリビアさんの顔を見付けてしまう。

 「……あ、いえ、つまり…一般論として、です」

 苦しい弁解は、ただ、彼女には余聞だったのかもしれない。

 オリビアさんは、うつむき、考え、何かを言おうとして、でも、口を閉じ、優柔不断にも相当な時間を要した。

 大の男三人をものの一分で片付けた勇姿から、とても想像できない姿は、それほど彼女にとってこの一歩は、それこそ、あの時よりもよほど勇気のいることなのだろう。

 「……こんな…こんな私でも、好きになってくれるかしら」

 ためらいがちに、けれど、オリビアさんは言った。

 「オリビアさんが、お姫様とはほど遠い店長でも好きになってくれるなら……きっと」

 そう言うと、オリビアさんは泣きそうな顔で笑って、それから、少しだけ泣いた。


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