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HEINE  作者: ふみづくえ
第五章
31/34

真打ち


 言って、その背を踏みつけるのは、教徒の黒い外套をまとった男。

 その男は片腕を包帯で吊ってた。そして、もう一方の腕にはエマソンを打ち据えた、あの黒い柄に赤い宝玉の戒杖が握られていた。

 「たまには魂だけじゃなく、人の顔もちゃんと見た方がいいね。ほら、自分の部下が入れ替わってることにも気づけなくなるから」

 男はフードを取り、見せつけるように顔をさらした。二十歳半ば、金茶の髪に品のある整った顔立ちで―――戒杖トルトゥーガの名を騙り、ハイネを階段から突き落とした男。

 「なぜ――」

 「何でここにいるかって?それはね、君が僕を査問会にかけようと本部に送り返した馬車が、不慮の事故にあって護衛が全滅したからだよ」

 「――っ」

 世間話でもするように男は談笑し、隣にいたもう一人の教徒に目で合図すると、自分に代わってエマソンを押さえつけさせた。

 「君はぬるいんだよ。どうせ人質を取るなら、ちゃんと活用してあげなきゃ」

 男が手招きすると、またしても黒い外套の教徒が応えるが、その腕にはハイネが抱えられていた。口を塞がれ、身動きできぬよう抱える手には、抜き身の短剣が握られていた。

 次々と手の平を返す教徒に、黒い外套の人間全員を警戒したが、残りの教徒らは事態の急変に戦々恐々としてるばかりだった。

 「とはいえ、僕はこれでも聖人ハイネには畏敬の念を払っている。何しろ僕らを死すら超越した存在にしてくれ人だからね。だから、敬意を表して殺しはしない。なに、指の一本や二本なくなっても、死にはしないだろうから安心して」

 朗らかに言いながら、しっかり脅しをかけてくる。

 「さあ。みんな下がってくれるかな。あ、待って、そこの赤毛くん。君はこっち。君には大きな借りがあるから、これから始まる寸劇の主役にしてあげよう」

 包帯で吊された片腕をこれみよがしに撫でつける。

 店長がごねたが、回りに説得され、ようやく一人取り残されると、男の目が狂喜をちらつかせながら、戒杖をこちらに向けてくる。

 赤い宝玉を間近にするだけで、力が抜けるような感覚が這い、全身を冷や汗が流れた。なのに、抵抗ひとつ出来ず男にされるがままの戒杖に、どうしようもなく腹が立つ。

 「その男に戒杖を渡してはいけませんっ、そいつには戒杖を横奪しようとした容疑がかかっています。戒杖を使い―――」

 エマソンの一声を、背上の男が押し潰す。それでもエマソンは声を発した。

 「ハイネの名を、騙らせてはいけないっ」

 「とまあ、先にネタを明かされちゃったけど、早い話がそこなんだよ。僕はこの、聖人ハイネが聖人ハイネだと(あか)す戒杖が欲しい。でも、よくよく聞けば中身がスカスカだって言うじゃない。でも、よくよくツイてることに中身は自分から歩いてやってきた」

 「…………」

 「ちょっくら、この戒杖に魂を戻してくれるかな。無理かな?無理だよね。じゃあ仕方ない。ちょっと手荒い方向に予定を変更しようか。心配いらないよ、簡単な実験だから。今ここで君を殺せば、戒杖に魂が戻るかどうか試してしみよう」

 現状で確認できる敵勢は三人。その内の一人は、口やかましいが片腕を怪我している分、さして脅威にならない。問題は、ハイネとエマソンをおさえているあの二人。

 この虚脱する体に鞭打って、全力を出せば同時に二人を倒せるかもしれない。けれど、全力だからこそ、手加減が出来ない。おそらく、きっと―――殺してしまう。

 「ガン無視すんなよ」

 眼中にないことを気付いた男が、無表情に戒杖を振りかざす。

 こめかみに一撃を食らい、眼鏡が飛ぶ。グラスチェーンに引っかかり、眼鏡は胸元を叩くが、続けざまに後頭部を殴打され、地べたにひれ伏す。

 ハイネのくぐもった悲鳴が聞こえた。

 額が切れたか、生暖かいものが額をつたう感触がした。

 やはり、片腕を吊っているで、さほどの力は入っていない。なぶり殺しなら出来るだろうが、一撃でしとめるにはほど遠い。もし殺す以外で方法があるとしたら、この男を使って戦意を喪失させるぐらいか―――まるでダメージを受けていないと、冷めた目で見返したせいだろう、男の顔が別人のように歪んだ。

 戒杖を頭上高く振り上げ、二度、三度と打ち付ける。

 痛みはほとんどないが、頭を揺さぶられる感覚は気持ち悪かった。

 「やめろっ」

 店長の声だった。駆け寄ってくる。駄目だっ、と制止しようとした言葉は呑み込まれた。

 店長だと思った先に店長はおらず、居たのは長い金色の髪の女性。

 たおやかに揺れる白いドレスの場違いな出で立ち以上に、その美貌に目を奪われた。

 頭をかばい、被さってくる彼女は、その秀麗なかんばせを間近にしても、誰だか分からない。分かるのは、振り上げられた戒杖が、触るだけで折れそうなこの人に振り下ろされようとしていること。押しのけたくとも、間に合わない。

 異様にかわいた音が響いた。

 ただ目を見張るしかなかった。わけが分からなかった。

 女性の肩越しに見た光景は、はためく青いマント。

 鋼の甲冑をまとう騎士が、男の凶器をその白銀に光る剣で受け止めていた。

 「オリビアっ!!」

 遠くで誰かが叫んだ。その驚愕に満ちた声は、間違いなく騎士に向けられていた。

 自分が眼鏡をしていないことに気付き、急いで胸もとの眼鏡をかけ直す。

 そのわずかな合間に、騎士は低く一歩を踏み込むと、剣を男の腹に打ち込んだ。男はまともに食らい、衝撃にまかせて頭から倒れ込む。騎士は目もくれず駆けだした。

 狙いは、ハイネを抱え込み、短剣を手にした偽教徒。

 その後ろ姿を眼鏡ごしに捉えたとき、鋼の甲冑はフリルエプロンに、白銀の剣はデッキブラシへと姿を変えた。

 まごうことなきオリビアさんは、迷いなく直進し、彼女の疾走にひるんだ偽教徒は、迎え撃つには邪魔なハイネを放り出した。その判断は正しかったかもしれない。が、技量に差がありすぎた。一度も切り結ぶことなく、短剣をあっさり飛ばされ、一撃で落とされる。

 最後の一人は、エマソンを置いてすでに逃亡を謀っていたが、オリビアさんの放ったデッキブラシが見事に足を捉え、転倒した。

 往生際悪く起き上るも、オリビアさんの回し蹴りが、再び地面に寝かし付け、二度と起き上がることはなかった。

 きっと一分も経っていない。静まりかえった一同は、ただただオリビアさんの瞬く猛攻に息を呑んだまま、未だ状況の把握に追いついていなかった。

 「オリビア…」

 店長が呟いた。いつの間にか隣に店長がいた。

 あのお姫様はもうどこにも見当たらなかったが、それよりも、店長の声が聞こえたらしいオリビアさんが、振り返りもせず駆け出していく。

 「店長っ」

 反射的に叫んでいた。

 「追って下さい。オリビアさんにお礼を言わないと――早くっ」

 店長はどこか判然としておらず、ただ言われたままに頷いて、言われたままにオリビアさんの後を追って行った。

 それを皮切りにして、皆が一斉に動き出す。

 安堵や歓声、罵声も少々含まれた思い思いの言葉が飛び交う中で、何よりまず、この目が見付けるのは、一直線に駆けてくるハイネの姿。

 半泣き状態で、頭もぼさぼさで、怪我はないかと、尋ねる間もなく抱きしめられた。泣きながら強く握り込む手に、大丈夫だと伝えたくて、そっと背に腕を回す。

 その瞬間、抱きしめ返す腕が自分にあると気付いて、心が震えた。

 ハイネを呼ぼうとした声は、声にならなかった。

 「お取り込み中のところ悪いんだが、頭診せてくれるかね」

 白ひげの療医が面倒くさそうに言った。

 ここが公衆の面前だと思い出し、慌てて離れるが、他の皆は明らかに見なかったフリをしながら偽教徒らを縛り上げていた。額の血が噴出したりしないかと懸念しながら、大人しく療医の診察を受けていれば、誰かが落ちていた戒杖を拾う。

 見れば、エマソンが完全に白目をむいた男を見下ろしていた。

 その目はいつになく凍えて見えた。

 「この男は、詐欺と窃盗を繰り返していました。過ちを悔い、改心すると誓っため、教団に入団することを許されました。ご覧なさい。これが答えです。この男のように救いようのない人間もいるのです。それとも、この先、貴方はこの男ですら道を示せると?」

 エマソンの気持ちを、分からないわけにはいかなかった。

 こんな男に―――公然と「死すら越えた存在」だとのたまう男に、来世が逃げ場にされると思うとやるせない。

 ハイネは、まだ濡れた瞳で男を見ていた。そして、エマソンと向き合う瞳には、一片の迷いもみられなかった。

 「わしは、全ての道を変えらると思うほど自惚れてはおらんよ。現に、わしには変えられなかった道がある。そうであろう、エマソン?わしには到底おぬしの進む道を変えられなかった。けれど、おぬしは道を変えた。ヘルゲンバーカーの手に引かれて」

 エマソンが顔をそらした。

 「そやつが、己が道を変えてくれる人物に出会えるかは、わしには答えられぬ。だが、どれだけ来世を重ねても、そこに待っているのは死すら越えた宿業(えにし)だと、少しでも早く気付いて欲しい……自分がどこへ向かっているのか、気付いて欲しいと、そう思うよ」

 「貴方のご託は聞きたくない」

 ハイネの言葉を、すげなく一蹴するエマソンは、自分で聞いたことだと分かっているはずなのに、理不尽に怒る様は、まるで子供の駄々だった。

 「そうか。ならば帰ってヘルゲンバーカーにしてもらえ。戒杖を持って行くがよい。事のあらましを説明するのに必要であろう」

 思わずハイネを見た。それでいいのかと、俺に気を遣っているのではないかと、尋ねる言葉が顔に出ていた。ハイネはそれを読み取って、頷き、笑った。

 「良いのだ。わしは、おぬしさえいれば」

 言って、愛しそうに頬を撫でられては、何も言えなくなる。

 エマソンは、手の戒杖をひとしきり見つめていた。

 根拠は何もないけれど、その先にヘルゲンバーカーの姿を見てる気がした。

 エマソンはハイネが嫌いだと言った。その理由はハイネの放蕩ぐせだとしたが、本当は他にもあることを、記憶を取り戻した今なら知っていた。

 ヘルゲンバーカーに最も認められていながら、彼の意にそわないハイネが腹立たしく、妬ましい。だから、目の前にいれば突きかからずにはいられない。

 だから、そんな相手に善意で戒杖を贈られも、心境は複雑でしかないのだろう、エマソンはハイネに礼も言わず、無言で踵を返した。

 そのまま行ってしまう気がして、急いで呼びかけた。 

 「あの、やっぱり俺、ヘルゲンバーカーのもとへ行こうと思います。自分の足で…だから、彼の居場所を教えてもらえませんか」

 エマソンは振り返り、真っ直ぐこちらを見据えた。

 「敵か味方か分からない人間に、彼の居場所は教えられません」

 きっぱりと言い切った。礼を言うどころか少しも態度を軟化させないエマソンにはさすがに呆れてしまうが、エマソンはさっさと立ち去る風でもなく、未だこちらを伺っていた。

 「オギ・トルトゥーガ」

 その名が、自分に宛てられたものだと一瞬わからなかった。

 「これから旅に出るのなら、この世界を良く見て回ることです。世界を知ってもなお、その考えが変わらないか、貴方の是非を確かめに、遠からず訪ねさせていただきます」

 言いながら外套をひるがえし、たなびく裾と共に去っていく。

 ―――が、途中で捕まった。

 「ちょっと待ちな、お嬢ちゃん。頭と背中、診せてもらえるかね」

 そして、白ひげの療医の診察をムリヤリ受けさせられていた。

 その時の動揺とうろたえぶりはエマソンを年相応に見せて、ハイネと二人、小さく笑い合った。


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