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HEINE  作者: ふみづくえ
第五章
30/34

人と人


 思い返せば、そんな兆候はあった。

 ヘルゲンバーカーの功績を話す彼女は、どこか憂いて見えた。それに、あの質問だって……ハイネがトルトゥーガに何度もした、あの質問。

 ―――お前には、この世界がどう映る?

 ハイネがどうしてあんな質問ばかり繰り返したのかを思えば、理由は明らかではないか。迷っていたのだ。ハイネは。ずっと。

 聖人ハイネですら迷わせるほど、この世界は進む道を誤ってしまったのか。

 重たい衝撃が胸を襲う。

 「ちょっと待てよ。じゃあ何か。オレ達はヘルゲンバーカーどころか聖人ハイネにまで見限られたワケか」

 店長だった。

 「お前らにしてみりゃ、オレは部外者なんだろうが、お前らがその部外者を引き合いにして、そういう結論を出そうとしてるなら、オレはかなり納得いかないんだがな」

 驚いた。店長の横やりに驚いたんじゃない。

 そう言った店長が、あまりにも平静な顔でいたから驚いたのだ。

 話を聞いていなかったのか。ハイネが…あの聖人ハイネが、自ら旅を止めると言いだしたのだ。そうしなければならないほど、この世界は道を見失って―――いま一度、店長を見た―――そんなはずが、なかった。

 「ハイネ。聞いて下さい」

 呼んでも、細いうなじは垂れたまま、起き上る気配もない。

 それでも、どうにか聞かせようと彼女の肩を掴む。

 「俺も店長と同じ意見です。納得できません。どうしてか分かりますか?俺もハイネと同じ質問を店長にしたからです。この世界がどう映るかと、貴方は何度も私に聞きいた。あの質問に店長は答えてくれたんです。店長にとってこの世界は、旅人の世界だそうです。長い長い時間をかけた人間の旅だと言ってくれました」

 かすかにハイネの肩が震えた。

 「貴方のような考えを持っている人は他にもいるんです。でも、そんなの俺たちはとっくに知ってるはずです。聖人ハイネは一人ではない。その人達が貴方のように誰の手を取り、進む道を変えるところを、もう何度も一緒に見てきたではありませんか」

 ゆっくりと、本当にゆっくりとハイネは顔を上げた。

 親とはぐれた迷子のように、緑の瞳は寄る辺を求めて揺れていた。

 「その人達のためにもハイネが必要です。自分の進んでいる道が正しいと、そう思わせてくれる聖人(あなた)の存在が。どうか迷わないで下さい。どうか―――」

 言って、はっと気が付いた。

 ハイネの心をそこまで追い詰め、迷わせたものが、いったい何だったのか。

 「もし……もし、貴方の心を迷わせたのが、トルトゥーガの不在なら…俺が浴びせた虚言のせいなら、もう一度チャンスを下さい。俺は貴方のもとに帰ってきました」

 声にならない声だった。ハイネは涙を堪えようとして失敗し、嗚咽となってこぼれでた。

 「ハイネ。前世と来世、この長い旅路には道が必要です。現世において道を示せる人が。だから、貴方だけは道を変えてはいけません。どうか、貴方だけは変わらないで」

 こぼれ落ちる涙にもかまわず、ハイネは何度も、何度も頷いた。

 やっと迷子の手を掴めたような、そんな感慨に襲われた。

 「くだらない」

 ハイネの涙をその一言で切り捨てたのは、凍てつく青い目を持った顔。

 彼女の心変わりを、醜悪な裏切りだと罵る目がそこにあった。

 危うさを感じ、エマソンからハイネを遠ざけようと、店長の方へ彼女を押し出す。

 「そんなくだらない理想論を掲げるばかりに、この世界が後戻りできないところまで道を踏み外しても構わないと」

 「だからこそ、俺たちをヘルゲンバーカーの元に連れて行って下さい。俺たちは、貴方ではなく、ヘルゲンバーカーと話し合いたい」

 「ええ、連れて行きますとも。その小賢しい考えをこの場で捨て去ると約束するなら。どうやら貴方は、自分の足下にある足枷をお忘れのようですね。この町の健全な生活をこの先も保証したいなら、大人しく私の命令に従いなさい」

 ついに形振りかまわない手段を持ち出したエマソン。

 忘れてなどいない。最大のネックは終始そこにあった。

 エマソンの言うとおり、ここで大人しく従ったところで、この先、何かある度に町の人たちを盾に取られてはたまらない。二度と手を出さないと確約させるためにも、ヘルゲンバーカーのもとに行かねばならないのだ―――だからこそ、ここは何としてでも押し通す。

 やおら足を進めた。エマソンに向かって。

 二歩もすると、エマソンは身の危険を察してか、懐を探るような仕草をしたが、その動作はすぐに止まる。その理由は分かっていた。

 手が出せないのだ。俺の力を恐れているからではなく、エマソンにとってこの身は他に並ぶもののない貴重な逸材で、だから安易な行動は取るに取れない。

 その一瞬の迷いは、エマソンに逃げることもままならない距離を詰めさせる。

 おもむろに手を伸ばした。抵抗できる速度で首に触れるが、エマソンは無抵抗だった。

 「私を、殺すつもりですか」

 「――いいえ。俺にそんな度胸はありません。出来るとしたら貴方と同じ方法を取ることぐらいです」

 「……私を人質に取ると?そんな価値が私にあると思うのですか?」

 「はい。少なくとも、ヘルゲンバーカーはそう思うはずです」

 「…………」

 「そして、貴方は自ら死を選ぶようなことはしない。そんなことをしたら、貴方が侮蔑した人間たちと同類になってしまいますから……貴方が何が何でも生き抜くことを選ぶだろうと知っている俺にとって、貴方は充分に人質としての価値がある」

 言って、エマソンから離れた。

 あえて距離を取り、エマソンに逃げられる機会すら与えた。

 「今のは単なる脅しです。次は本気でします。何なら、ここにいる全員をけしかけてくれてかまいません。俺は必ずハイネとエマソン(あなた)を連れてこの場から逃げ出しますから」

 「…………」

 「どうしますか?俺たちを、大人しくヘルゲンバーカーのもとへ連れて行くか、勝ち目のない勝負に人員浪費するか……俺としては、誰も傷つかない方法をおすすめします」

 「いいや、それはちょっと手遅れだと思うぜ?」

 横手から投げられた突然の声。

 驚き、振り向けば、朝もやの中に人影が一つ。

 よく見れば見知った顔だった。細面だが年相応に貫禄のある、雑貨店のご店主。

 「お前……」

 同じように驚き、目を丸くする店長をよそに、雑貨店の店主は盛大に笑うが、その目はどこかぎらついていて、何より、微妙にぼろぼろだった。

 「ちょっとな、手間取った。ま、間に合ったから良しとしようや」

 言ってることが分からず、呆然と立ち尽くしている合間にも、店主の背後から近づいてくる人影が…どやどやと大人数に上った。

 食料品店の親父さんや、理髪店の三兄弟。白ひげの療医、仕立屋の女将さん。宿屋のご店主まで……どれもこれも見慣れた顔が二十人近く、どこか意気揚々としながら現れた。

 そして、白ひげの療医に伴われて二台の台車が運ばれてくる。台車には、ロープで縛られ、ぴくりとも動かない四人の旅人らしき男らが、二人ずつ乗せられていた。

 「お前ら…何やって……」

 「何って、見たまんまだよ」

 「わかんねぇよ」

 「うんじゃ、そこの銀髪に聞けよ。こいつらの顔に見覚えあるんじゃねぇか?」

 意地の悪い顔でガゴをしゃくり、指されたエマソンは、ぐったりとする四人を凝視したまま固まっていた。

 「安心しな。全員、薬で眠らせただけだ。とはいえ、内の一人はどっかの馬鹿かが拳でボコってくれたけど。まあ、それも大事ない」

 白ひげの療医が、雑貨店の店主をぎろりと睨んだ。しかし、療医の叱責などどこ吹く風で、彼はわざとらしく話をそらした。

 「とにかくだ。人様を脅しの道具に使うとはいい度胸だ。言っとくが、この町の連中は、檻に入れられるほど甘くないんでね。いいか。また同じ事をくれたら、これぐらいじゃ済まないと思え。こっちは何十年、お行儀の悪い旅人を相手にしてるか教えてやる」

 どこかで聞いたような台詞に、店長が大いにウケた。

 体当たりをかまし、ほとんど殴り合いながら子供のようにじゃれ合うが、こっちは、とても笑う気になれなかった。

 何て危ないことを―――下手をしたら報復だってされかねない。ここは怒るべきか、それとも説明して引き下がってもらうべきか……けれど、励ますように肩を叩かれたり、声をかけたりするうちに、じんわりと温かいもが手や足の先まで広がった。

 まだ、大丈夫だと、改めて思い知る。

 あの時、迷子のハイネを掴まえることが出来たのは店長のおかげだけれど、今の店長があるのは、この町のおかげで……この町の人たちのおかげだ。

 人で町が変わるなら、人が人を変えられないはずがない。

 「でも、お前らどうやって?よく分かったな。ネズミがいるって」

 「それがよ。俺はてっきり、お前の指示だと思ってたんだがな」

 「なわけないだろ」

 ふとすると、店長たちが雁首そろえて論じ合っていた。

 「実はな、昨日の夕方頃に投書があってよ。お前らのこととか、監視されてるとか、怪しい奴の人相とか色々と書かれてあって、仕舞いには俺たちがどうするべきかまで事細かく指示されてあったんだよ。ご親切なことに」

 「あ。俺さ、前世で国おかかえの兵士やってたんだけど、指示書の取っ付き方からして、多分そういう関係者だぞ」

 「っていうか、お前らそんな怪文書あっさり信じたのかよ」

 「いやさ、オギ達のこと良く知ってるみたいだったから、ついつい……何か、オギの前世が科学者で、人間兵器を作り出したせいで追われてるって書いてあったし」

 「え、俺のは前世が魔術師で自分の強すぎる魔力が狙われて、どうにか弱めようとハイネに魂を二分割してもらってたとか何とか」

 「なんだその風説の流布は」

 収拾のつかない方へ転がりだした話はともかくとして、確かに疑問ではあった。

 店長ではないなら、いったい誰が……前世が戒杖だったと知っている白ひげの療医は、こういうことを仕掛ける人ではないし、そもそもエマソンとの一件は知り得ない。

 ―――あれ?

 何か忘れている気がして、あの日の記憶を遡っていた時だった。

 エマソンが、ゆっくりと手を巡らして頭のフードを取った。

 「……私の、負けです」

 神妙にかしこまり、かすかにだが、頭も下げていた。

 「このまま引き下ります。もちろん、この町にも二度と手を出さないと誓います。ですので、私の部下を返していただけますか」

 その変貌ぶりに面食らうが、エマソンは真剣だった。

 「……本当に、手を引くつもりですか?」

 「はい。どうやら頭に血が上って冷静な判断を欠いていたようです。冷静に考えれば、人質の枠に収まらない人質を無理に取っても仕方ありませんし、ひとまずトルトゥーガの能力が現世にも引き継がれた。それを確かめられただけでも成果は充分です」

 負け惜しみと言うべきか……転んでもただでは起きないところは、いかにもエマソンらしかった。

 ただ、このまま帰していいものか。色々と話を付けにヘルゲンバーカーのもとへ行くつもりだったが、どうやら、エマソンにはそのつもりもないらしい。

 ハイネの意見も交えようと、周囲に彼女の姿をさがした。

 「…………」

 ハイネの姿が見当たらない。

 「店長…ハイネは?」

 「え…?」

 返ってきたのは、虚をつかれた顔。言いしれぬ不安が、ずしりと腹に落ちてくる。

 「ハイネっ」

 人垣を割るように名を呼ぶが、返事はない。

 まさかと思いエマソンを見向くも、エマソンは所在なさげに佇んでいるだけだった。

 その瞬間、ぞっと寒気が走る。

 不可解なことに、ある特定の方向から感じるそれは、いつか感じた不吉な気配。

 気配のもとを見付けるが早いか、黒い影が動くのが早いか、それがエマソンを襲った。

 聞くに耐えない音を立て、エマソンが前のめりに倒れる。

 「まだ負けてないよ。エマソン」


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