太陽に愛された少女
そこはカウンター席へと繋がる出入り口。
正面には飾り棚の商品がよく見えるよう一面ガラス張りにされ、来客を知らせるベルの備わった扉も同様の造り。照明の大部分はそこからの光に頼っていた。
カウンター席から見て、右手にも飾り棚が置かれ、デザイン性の少ない靴が等間隔に置かれている。左手には姿見の鏡が二つ置かれ、手前には木製のの長椅子。簡単な調節はここで出来るよう、工具の入ったホルダーラックは死角の壁に掛けられていた。
ただ、肝心のお客さんらしき姿がない。
まさか例のバニラ臭撃事件に耐えかねて帰ってしまったのだろうか。いや、作業場の窓を壊してまで換気したおかげか、店内の空気に甘い匂いはほとんど混じっていなかった。
ひとまず、表の様子をのぞいてみるかと、カウンターを迂回した。
しかし、店内を横切る前に、小さな人影が足下からひょっこり現れた。
それは襟足が見えるほど髪の短い女の子。
「これはすまぬ。驚かせてしまったか?」
危うくぶつかりかけたこと詫びる少女は、にこやかに微笑む。
見るからに暖かそうな、ひだまり色の髪が、子供特有のなだらかな輪郭にさらりと流れた。一言で言うなら“愛らしい”という表現がやたらと似合う少女だった。
ただ、どう見ても十か十二そこそこなのに、少女はやけに古くさい口調を使った。
「コレを落としてしまってな、探すのにも手間取っておったのだ」
そう指先で掲げて見せたのは、チョコレートの包み菓子。うっ、と怯むが、ここはどうにかとどまった。
見上げる少女の目が、ある一点にとまった。
「おおっ、おぬしの髪とても良い色だの。赤毛とは珍しい」
「それは…どうも」
散々言われてきたことなので、今さら気にするまでもない。
「それで先程の店主はどうしたのだ。おぬしはここのご子息か?」
喋りながら包みを開け、言い終わるとチョコを笑顔でパクつく。
この店内で、チョコが食べれるとは、店長に並ぶ強者である。
「どうしたのだ?」
「あ、いや…旅人のお客さんって君……あなたですか?」
思わず尋ねてしまったが、これまでも十代の旅人は何人も見ており、条件さえ満たせば公にも許されたことだった。
「うむ、その通りだ。しかし、間が悪いのであれば改めさせてもらうが?」
「……いえ、店長から言付かっています。急ぎの用事ではないと言うことで、今日はそちらのブーツを一日預からさて頂きますが、よろしいですか?もちろん代わりの履き物はこちらで用意させてもらいます」
「そうか、かまわぬ」
少女はいちいち笑顔で受け応えた。
手振りで勧めた長椅子へと座る彼女は、振る舞いこそ幼い。
けれど、その衣服はタイトながらも、要所の保護はきちんとおさえた軽装。
やや薄着な印象もあるが、ベルトのサイドバッグ以外、手ぶらなところを見ると、旅荷は宿泊先なのだろう。
聞いた話では、幼くして旅に出ることを許されるのは、その人物がただ者ではないからだと言う。真偽は定かではないが、靴屋で培った旅人を見る目に、少女は素人として映らなかった。
「しかし、ちゃんとした店があって安心したぞ」
ブーツの靴紐を解きながら、嬉しそうに喋り続ける。
彼女にチョコの匂いがして嫌だとは、間違っても言えない。バニラよりはずっとマシだと、自分を納得させながら、足の計器と己の腰掛けを手に、少女の足下へ腰を下ろした。
厚手のブーツから現れた足は、ほとんど手のひらに収まってしまうほど幼い足だった。
「実はな、つい先刻この地の土を踏んだばかりなのだ。それで、ここから斜向かいに宿を取ったのだが、そこの宿屋は靴屋も商っておってな、一度はそこへ足を運んだのだ」
心当たりのある話だった。
この時点で内容は大体把握できていたが、口には出さずに足の計測を進める。
年齢と不釣り合いに踏みならした足が、靴下越に指先へ伝わった。
彼女はまた、サイドバックからチョコの包みを取り出していた。
「わしは靴の整備を頼みたいと申したのだが、あちらの店主はどうもそれを理解してくれぬでな。修理するより新しく買い換えた方が安上がりだと、親切心で言ってくれたのだろうが……」
話はそこで止まる。言葉を濁したのか、単にチョコを食べたかったのかはわからないが、彼女が語るように、ここから斜向かいの宿屋は、つい先日に靴の商いを始めていた。
当然うちの店長が黙ってられるはずがない。しかも宿屋の主人と店長は旧知の仲。ただ、俺の知る限りあそこのご主人にそんな大層なマネが出来るとは思えず、事実、店を開いたのは息子さんで、それも女将さんの入れ知恵あってのコトらしい。
「あれにはなかなか驚かされた。酔狂な宿屋もあるものだの。宿屋なら飲食や酒場などを兼ねるのが殆どだろうに靴屋とは」
「……まあ、宿屋と靴屋はつぶれない。なんて諺もあるくらいですから」
「おお、確かにその二つがそろえば安泰だのう。だが、考えは良いが、一見したところ、あれに並んだ靴は旅人には向いてはおらんかったな。おなごが好みそうな靴ではあったが」
その通り。そもそもあちらの店は、問屋場に出入りしている行商人にから靴の既製品を仕入れて売っているだけの小売り業。
若い女性には、この革と工具が放つ独特の匂いにまみれた店の靴より、ライトで綺麗に飾られた色鮮やかな靴の方がウケがいいのだろう。
けれど、履き靴のろくな知識もない店主では製作はもちろん修理もままならず、足が基本の旅人には用無しである。
そもそもあの諺は、履き靴が馬車に勝ったことから由来する。
旅人が旅路を行くには、大きく分けて二つある。一つは自身の脚。そしてもう一つは馬の脚が引く車だ。普通に考えれば、旅路をはるかに容易くしてくれる馬車旅が好まれるものだが、旅人はすべからく馬車旅を嫌った。
それは、自分の足をないがしろして旅路を行けば、世界をその足一つで歩いたという、聖人ハイネの加護を失うと信じている人が多いためだった。
つまり、歩くことは一種の祈りであり、旅の成果を願うもの。だからこそ、旅人にとっての靴は、馬車にも勝る必需品となる。
あの諺もそうした旅人あってこそ生まれたのだと、そう説得することで、暴れかねなかった店長もどうにか収まった。
それからも、何かとしゃべり続ける少女をよそに、黙々と作業を続けていたが、ふと少女が静かになった。気になって見上げてみれば、少女の顔が間近にあった。
太陽の愛を独り占めしたような、常緑の双葉がそこにはあった。
その瑞々しくも濃密な緑に、少女の瞳だということも忘れて見入ってしまう。
「なんだ…髪と瞳が一揃いではないか。眼鏡でよう見えなんだ」
近距離のまま少女は臆面もなく言う。それどころか、そのまま頭を撫でだした。
「いや、髪の方が少し色合いが深いな。しかし、手放せぬのなら仕方がないが、眼鏡をかけぬ方がいっそう男前になると思うぞ」
大きなお世話である。
しかし、ここは接客業。客に対しては寛大さが肝要で、愛想笑いでやり過ごすしかない。
さっさと両足のサイズを計り出し、少女に見合った靴を奥の棚に探しに離れた。
いくつか持って戻りはしたが、思った通り、どれも少女の足には大きすぎた。
この店にはこれ以上小さな靴が無いと、少女も察したのだろう。
「かまわぬ。仮靴だからな、大体で良い」
「…すみません」
言って、一番小さな靴を少女の足に宛がった。それでも、彼女にはぶかぶかで、手を貸し歩いてもらうが、その度にかぽかぽ鳴った。
少女は、鳴る靴をいたく気に入ったようで、笑い声を上げた。
「これも一興。この靴と数日を共にするのも悪くない」
「いえ、明日にでも合う物を用意します。いくら何でも危ないですから」
「おぬしは、カタブツだのう。それではつまらぬ」
つまらないカタブツで何が悪い。と、心の中で言い返す。
踊るように靴を鳴らす少女に扱いを困ってしまうが、彼女ははたと足を止めた。
「そうだ。出来ればこの町の案内を頼みたいのだが、誰かよい相手を知らぬか?」
「いえ、その靴で歩き回るのは、あまり進められません」
つまらぬ。と少女は再び口をとがらせた。
こちらとしては、店から出した靴で怪我でもされては、たまったものではない。
たとえ少女が不機嫌な顔で見据えようとも、こちらは商売なのだから仕方がない。
少女は何を思ったか、ぽんっと手を打った。かぽかぽと駆け寄り、俺の腕を取る。
「こうすれば良いではないか。この靴と共におぬしを借りることにしよう」
「…………」
「お、何だ。お前にもとうとう春が来たか」
少女のズレた発言に固まっていれば、ずば抜けて面倒くさい発言が耳に飛んでくる。
見ればヒゲエプロンが、実にうっとうしいニヤけ顔で立っていた。
「どうしました?やけに早いじゃないですか。それとも、ついに靴までマジパンに見えてきましたか?診療所いきますか?」
人が投げ返した皮肉を、店長は聞き流した。
「それがよ。ケーキの王道デコレーションさんのデコが決まらなくてよ、今ブレイクハートなんだよ。デコさんもオレも」
「店長、こちらのお客様がこの町の案内をして欲しいそうです。俺は店番してるんで、彼女に付き添ってあげてください」
「おおっ、スルーをスルーで返されたっ」
「何を言う。それはいかんぞ。わしは面食いなのだ。こっちの若くていい男に頼みたい」
「おおっ、思わぬ角度からブレイクハートに追い打ちがっ」
「…店長。うるさいんで、やっぱキッチンに帰ってください」