告白
教会の門前にずいぶんと大きな馬車が横付けられた。
それを合図に黒い外套にフードを被った人影が教会から姿を現す。
一瞬エマソンかと思ったが、体格が明らかに違うえ人影は一人ではなく数人にのぼり、黒い馬車の回りを固めるように取り囲んだ。
物々しい警戒の中、教会の奥から、エマソンに連行される人物が一人。ハイネ、その人。
彼女もまた同じような黒い外套を着ていた。ハイネと分かったのはフードを被っておらず、あのひだまり色の髪が、清明な空の下で輝いていた。
彼女の光に吸い寄せられるように、店長のことも忘れて歩き出していた。
「ハイネ……」
呼び声はハイネだけではなく、その他大勢をも振り向かせたが、気に止めなかった。
濃い緑の瞳がこちらを見た。それだけで、胸が締め付けられる。
「――っ、何をっ、どうしのだ。こんなところに来るなど」
「ハイネ……」
混乱したように動揺するハイネにかまわず、歩き続けた。
黒フードの一人がハイネの前に出ようとたが、エマソンがそれを制し、ハイネがこちらに駆けてくるのを許した。
「オギ、来てはいかん。何もしてはならぬと言うたであろう」
「ハイネ……」
そして、ハイネの前にひざまずく。
「ハイネ、どうか許して欲しい。私の間違いだった。私は貴方を恨んでいなかった。曖昧な記憶で決め付けてしまった。トルトゥーガは貴方を恨んでなどいなかった」
「オギ…?」
ハイネを仰ぎ見た。一心に見つめ、彼女から許しの言葉を待った。
ハイネは、幻でも見るような目で、おそるおそる手を伸ばす。
小さく暖かな指先が頬に触れ、その愛撫を受け取るように手の平を重ねた。
彼女の瞳がにわかに潤んだ。しかし、負けじと眉を精一杯に吊り上げる。
「待ちかねたぞ」
その一言で充分だった。胸に広がる喜びに心が満たされる。
「本当にすまなかった。私の不在で多くの苦しみに遭わせてしまった。それでも、どうしても人になりたかった。ただ側に在るのではなく、人として共に生きたかった」
胸がいっぱいで、苦しいくらいにいっぱいで、どうしてこんな状態でつらつらと喋っていられるのか、自分でも信じられなかった。
「どうか知って欲しい。置き去られる悠久の孤独は、貴方がなさる、どれほど酷薄な仕打ちか……どうか、知って欲しい。人でない…この身を……どれほど、呪ったか」
胸の苦しみは、やがて痛みを伴って、呼吸すらままならないほど。
「私が、どれほど、貴方を、愛―――」
ぷつりと、ついに何かが限界に達した。
反動がおしよせる。酸素を求める肺が朝の冷たい空気を胸いっぱいに流し込んだ。
冷水のようなそれは、沸騰した頭にどっと冷たい理性を送り込む。
「…………」
……………………………なっ、な、何なんだっ、なんなんだっ!!
いったい、何を口走っていたっ!!
「どうした?どうしたのだ。オギ」
ハイネの声が頭上から降ってくる。顔を押さえてうずくまっていれば当然かもしれない。しかし、とうてい合わせられる顔がなかった。今なら顔面火傷で死ねる気がした。
「だ、大丈夫です。ただ、ちょっと、その、色々と都合が、悪くて……」
店長どころか、エマソンやその他諸々の目前で、熱に浮かされ、信じられない痴態を晒してしまった事実に、何もかもが直視できない状態に陥った。
そこに追い打ちをかけるように、人を小馬鹿にした笑い声が静かに響く。
「とんだ余興でしたね。なに、恥じることはありません。愛情と憎悪の判断がつかなかったのも、前世の記憶に分別を失ったのも、元戒杖ならば致し方ないかと」
言いながら歩みを進めるエマソンに、ハイネが庇うようにして間に立ちはだかる。
それは、三度も見た後ろ姿。その姿に、恥も外聞も掻き消えた。
「オギ。その背中から出なかったら、それこそ一生の恥だろ」
「――分かってますっ」
背後から投けられた店長の挑発が、かえって切っかけを作って、半ばやけ気味ではあるが、ムリヤリ立ち直る。ハイネの背中から抜け出すように、彼女の横に並んだ。
心配顔のハイネに一度微笑んでから、エマソンへと挑むように対峙する。
「貴方に話があって来ました」
「でしょうね」
「待て。待つのだ、オギ」
「…ハイネ、お願いします。俺のしたいようにさせて下さい」
腕にすがりついてまで止めようとするハイネに、手を重ね、なだめるように訴える。
ハイネは何か言いたそうにしたが、やがて、口を出さないと体現するように掴む腕に顔を埋めた。その行動には、少し頬の温度を上げさせられた。
「それで?私にどんな話しがあるというのです?」
退屈そうにエマソンは言った。
「…はい。他でもありません。ハイネと一緒に、俺も連れて行ってもらいたいんです」
腕を掴む手に力がこもった。けれど、彼女は何も言わなかった。
エマソンは探るような目つきで見、そして、かすかな笑みを含む。
「貴方がハイネを愛していることは知っていました。だから少しつつけば、こうしてのこのことやって来るだろうと、私には分かっていた。しかし、私は言いましたよね。ただの人間に用はないと」
「……分かっています」
店長がエマソンの思い通りだと言ったのは、こういう事だった。
魂の識別が出来るかどうか。エマソンは、その口を割らせるために、わざわざハイネの出立を告げに来たのではないかと店長は勘ぐった。
まさしくその通りだった。けれど、だからこそ、これが最善の方法でもあった。
「かつて戒杖がそうだったように、俺にも、人の姿に重なって見えるモノがあります。まだおぼろげですが、前世の記憶がない頃からそうでした。だから、きちんと識別できるようになる可能性は高いと思います。それでも、駄目ですか?」
「…いいえ。こちらとしては申し分ないかと。ただ、やけに物分かりが良くて、少々気持ち悪いのが不服ですかね」
鋭く核心をついてくるエマソンに、含みがあることを隠しはしなかった。
「……ただし、条件があります。ハイネに旅を続けさせてください。俺も一緒に」
これが一晩かけて決めた、最善の答え。しかし、エマソンにしてみれば、とうてい虫のいい話だということも分かりきっていた。
「そんな条件が、まかり通るとお思いですか」
「俺は、貴方に頼んでいるわけじゃない。エマソン・ガーライル。貴方には俺たちを連れて行ってもらいたいだけです。ヘルゲンバーカーの元に」
ぴくりとエマソンの眉が動く。
「ハイネを嫌っている貴方をいくら説得したところで無駄でしょう。その点、ヘルゲンバーカーは、ハイネ・ガラドリエルをきちんと理解している。ハイネの旅にはどんな意味があるのか、彼ならきちんと分かっている」
「まだそんな世迷い言を」
彼の名を持ち出したことが、エマソンの癇に障ったようだった。
ほとんど感情を出していなかった顔に、不快さをあらわにしていた。
「ハイネにはこの世界に負うべき責任があるのです。無責任にも垂れ流した前世への目覚め対して、果たさねばならない責任が」
「ハイネは無責任なんかじゃありません」
それが、エマソンの讒言だと、今の自分にははっきり言えた。
「そもそもハイネがヘルゲンバーカーと決別したのは、貴方たちの組織が大きくなりすぎたからでしょう。大きくなりすぎて大きな道しか示めせなくなった。貴方たちが見逃した小さな道を、一つ一つ歩いて来たのがハイネだった。一人一人の言葉を聞いて一人一人に光射す道を示してきたのはハイネだった」
「それが世迷い言だというのです。もう、そんな時代ではない。人々は生まれ変わることに慣れてしまった。そのために生じる弊害は、もやはハイネ一人では立ち行かないところまで来ている。もっと敢然と人々を戒める存在が必要なのです。そして、我々ならそれが出来る。何故なら、今までもそうしてきたからです。いいですか。ハイネ自身もそう考えたからこそ、こうして我々に伴い、与することを選んだのです」
聞き捨てならない台詞に、否定して欲しくてハイネを見た。
ハイネはうつむいていた。うつむいたまま、顔を上げようとはしなかった。
「ハイネが本当に貴方のためだけに、ヘルゲンバーカーのもとへ行こうとしたとお思いですか?今回のことは、ただの口実に過ぎないのですよ。自らの旅に終止符を打つ機会を決めかねていたハイネにとって、トルトゥーガの喪失はきっかけに過ぎない」
ハイネは沈黙し、ただエマソンの台詞を肯定するだけだった。