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HEINE  作者: ふみづくえ
第四章
23/34

エマソン


 まるで熱に浮かされるように、ざわつく心と、気怠い体をベットに横たえ、何もせずに何時間も私室で過ごした。

 昨夜の反動なのか、あれほど鋭敏だった感覚の全ては沈み込んでいくように重く、何かを見るのも億劫で、眼鏡をかけてまま目蓋を閉じていた。

 もしかしたら何も聞こえなくなってしまったのかもしれないと、耳が何も聞き取らない静寂の中をただよっていたとき、店長が部屋まで呼びに来た。

 「…彼女が、下に来てる」

 その一言を、たぶん自分は待っていたのだろう。

 やけに冷静な気持ちでベットから起き上がり、店長に付き添われながら一階へと下りた。

 作業場を抜けて店内に入り、カウンターから少し距離を置いたところに彼女はいた。

 ハイネは、まるで寒さに震えるように、しかと両手を握りしめいた。

 体のあちこちに及ぶ擦り傷や、痛々しい包帯の巻かれた頭はうなだれ、泣き出しそうな怯えた目が、何度も上と下を行き来していた。

 「……すまぬ。今朝は取り乱した」

 今にも消え去りそうな、震える声。

 良心が痛まないわけではない。

 でも、彼女を見るだけで胸の奥から込み上げてくる熱が、それを許さなかった。

 また感情的になってしまうかもしれない。だから、何かあれば店長にも聞こえるよう、作業場で話すことにした。

 カウンターからハイネを招き入れようとして、すると、涼やかな金属音が響く。

 店の扉が開き、全身を覆うような黒い外套にフードを被った小柄な客が来店した。

 店長が応対しようとしたが、それを拒むように黒フードの客が口を開く。

 「ハイネ・ガラドリエル」

 突然の名指しに、店にいる全員の視線が注がれた。

 小柄な客の視線は、真っ直ぐハイネを捉えていた。

 被った黒フードで、ずいぶんと印象は変わるが、銀糸に縁取られた黒い外套は、いつか教会で見た教徒の装束と酷似していた。

 十四、五歳くらいだろうか、少女…声変わりしていない少年かもしれない。

 ばっさりと短い銀色の髪は、けれど、磨き抜かれ銀製品のようにどこか危ない色をして、性別を判然としない顔立ちは、無表情に冷たかった。

 「…誰だ?」

 「今世では、はじめてお会いしますね。お久しぶりです。エマソン・ガーライルです」

 名乗られた名に、ハイネの反応は過剰だった。さっきまで怯えていた人とは思えないほど素早く取って返し、それ以上入るなと言わんばかりにエマソンの前へ出た。

 「何用だ」

 「ご挨拶ですね。貴方が戒杖トルトゥーガの死を触れ回っているという、ふざけた報告を受けたので、参上いたしたしだいです」

 「報告などしておらぬ」

 「監視の目が、常に付けられていることをお忘れのようで……ああ、いえ、監視者を見付けるのは、トルトゥーガの役目でしたね。どうりで、こんなにも簡単に背後を取らせてくれたわけですか……トルトゥーガが死んだ。あながちデマでもないようで」

 エマソンは表情を一つも変えることなく皮肉めかした。

 ハイネは何も言わずエマソンを睨み、彼の目的が何なのか見定めているようだった。

 「それと、本日こちらへうかがったのはお詫びもかねてです。先日、私の手の者が貴方に大変なご迷惑をかけてしまったようで」

 意味ありげに、その視線がハイネの包帯に移る。

 「どうやら人選を間違えたようですね。ですが、彼も腕の骨を砕かれたのですから、まあ、それでおあいことして下さい」

 思わずカウンターから身を乗り出した。

 動くな、とハイネに視線で制されていなかったら、きっとハイネの腕を引いていた。

 エマソンに対して過剰に反応した理由が分かった気がした。

 不意に、前に立つハイネの背が、公園での姿と重なった。いま気が付いた。あの時もこうして自分は守られていたのだ。

 胸が軋んだ。自分自身が分からなくなった。恨んでいると言いながら、一方では助けようとしている。現に、こうして今も、ハイネをエソンから引き離したくてたまらなかった。

 「今さらでしょうが、戒杖をお渡し下さい。私どもとしては、トルトゥーガが死んだかどうかは、こちらで確認させていだきたい」

 「断る」

 「…何故です?戒杖が死んだというなら、最早ただの亡骸に過ぎないでしょう」

 「帰れ」

 にべもないハイネに、機嫌を損ねたのか、エマソンはをじっとハイネを見据えた。

 「……いいえ、まだ帰るわけにはまいりません。実は、貴方を襲った男から中々興味深い報告を受けました。何でも、一度は戒杖を手に入れたそうなのですが、奪い返されたそうです。眼鏡をかけた、赤毛の青年に」

 その、底冷えするような青い目が、こちらを向いた。

 「あの男は、ずいぶん恐ろしい目にあったようです。言うことが実に支離滅裂で、まるで、戒杖を奪い返しに来た者が人間じゃないような言い様をしまして……他にも、貴方を監視している者からも奇妙な報告が―――」

 「何が言いたい」

 かすかに語気を荒げたハイネに、エマソンの口角が上がった。

 「貴方は、そこに居る赤毛の青年をトルトゥーガの生まれ変わりだとお考えのようで」

 「…………」

 「荒唐無稽な話です。戒杖が人になるなど」

 「なら――」

 「ですが、もし、万が一にも貴方の言うとおりなら、こちらとしては確認をざるおえない。結論から申しましょう。要点はただ一つ、彼に魂の識別が可能か否か」

 はっと息を呑んだ。ハイネに向けられたはずの言葉が、心臓を鷲づかむ。

 「もし仮に、彼がトルトゥーガの生まれ変わりだとしても、ただの人間に用はありません。戒杖トルトゥーガの能力を受け継いでいないのなら、用などない」

 エマソンは続けざまに言いさした。

 「では、ここは本人にお伺いいたしましょう。いかがです?貴方のその赤眼には、人と違うモノが…魂が実像が見えていますか?」

 エマソンに集まっていた視線が、こちらに注がれた。

 けれど、質問に答えることが出来ず、場に長い沈黙を落としてしまう。

 青い瞳から逃れるように、緑の瞳を見た。

 ハイネの瞳は強く語りかけてきた。喋るな、と。

 「――…いいえ」

 ただ、そう答えるまでに、かなりの時間を要してしまっていた。

 エマソンは凝視した。その瞳の青が、ひたひたと冷気を注ぎ込んでくるようだった。

 「……まあ、いいでしょう。無理強いしたところで、こちらには嘘を見抜く術がありませんから。今日のところは、この辺で引き下がりましょう」

 納得など、まるでしていない口振りだった。

 「ただし、これだけは言っておきます。もし本当にトルトゥーガが死んだのであれば、その死は、この世界にとって多大な損失だと。魂が見える(・・・・・)と言うことが、この生まれ変わりの世界においてどれほどの価値を持つか、よくよく考えてごらんなさい」

 尊大に言い捨てたかと思えば、外套をひるがえし、すぐさま店の扉を押し開いた。

 涼やかな鐘の音を残して、その黒い後ろ姿は、瞬く間に街路へと消えいった。

 訪れも突然だったが、去り方も突然だった。

 そして、店内に残された三人は、互いに黙り込んでいた。

 ハイネと店長の胸中はうかがい知れない。たが、自分自身の胸中が、誰よりも穏やかじゃないことは確かだった。

 話してしまったのだ、ハイネに。この肉眼で見えるモノのことを。目が悪いわけではないのに、眼鏡が手放せないのは、人の姿に重なって変なモノが見えるからだと。

 それがエマソンの言う、魂の実像だと思いもしなかった。

 魂の識別――そんなことすら忘れていた。

 「……あやつのことだ。これで済むはずがない」

 ぽつりと言ったハイネに、どきりとする。

 ハイネは振り向きざま、決然とした瞳で貫いた。

 「良いか。そなたは何も語ってはならぬ。何もしてはならぬ。案ずるな、必ずわしが収めてみせよう。しかし、警戒だけは怠るな」

 後を追う気なのか、言って扉を見向いた。

 「ま、待って下さい。今の人は…?」

 「――エマソンを、覚えていないのか?」

 足を止めたハイネに眉をひそめられ、思わず絶句した。

 「……エマソンは、ヘルゲンバーカーの腹心だ。そして、ヘルゲンバーカーはわしの戒杖を欲しておった。分かるな?くれぐれも用心せよ」

 記憶の欠陥を、ハイネは言及しなかった。

 その代わり、端的な説明だけを残して、走るように出て行ってしまった。

 このまま行かせるのは危険だった。エマソンは、ハイネの戒杖を奪うためとして、彼女を階段から突き落すような男を使う奴なのだ。一人で行かせていいはずがない。

 けれど、この足は動かなかった。

 ハイネを追いかけられるほど、心の整理がついていなかった。


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