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HEINE  作者: ふみづくえ
第三章
20/34

露見と露呈


 どうやって戻ったのか覚えていなかった。

 時が経つほどに重くなる腕を引きずって、何も考ぬよう、何も感じぬよう、ひたすら歩き続けた。

 「…オギ?」

 店長の声で気が付いた。気付けば診療所の前にいた。

 「オギっ、お前どうしたっ、血がっ!」

 すっかり忘れていた。そういえば、腕を短剣で刺されていた。

 腕を流れていた血はもう乾きかけ、肌に黒ずんだ筋を残していた。

 「……俺は、平気です」

 けれど見え透いていた。全身を這い回る寒気は、冷や汗となって隠しようないほど額に滲み、からからに乾いた喉からは、かすれた声しか出ていない。

 「オギ――」

 「それより、ハイネにこれを……」

 汗ばんだ手にあったモノを、一切目に入れないようにして、店長に押しつける。

 紺色の布にくるまれた人の背丈ほどのソレを、店長は押しつけられるままに受け取った。

 「まさかこれ…何か盗られたって聞いたけど……何でお前が?」

 「……落ちていたのを拾ったんです」

 「なわけあるかっ」

 「……拾ったんです」

 「――お前っ」

 「とにかくよ。怪我、処置すんのが先だろ」

 白ひげの療医が間に立って、いきり立つ店長を諫めた。

 療医の言葉に店長は引き下がり、それに安堵を覚えながら、促された部屋の一角を占める処置室へと進み出る。その途中、閉められたカーテンを見つめた。

 「…ハイネは?」

 「寝てる。てか、今はお前の方が相当に顔色悪いがな」

 治療器具に囲まれた丸椅子に腰掛ける療医に続いて、もう一つの丸椅子に座る。

 療医は手際よく血のこびりついた裾口をはさみで切るが、傷口を見付けたとたん眉をしかめた。流れた血の跡と、傷の深さが明らかに合っていなかった。

 短剣に深々と突き刺されたはずが、すでに塞がりかけ、裂傷程度になっていた。

 とっさのことに頭が回らず、言葉を失うが、療医は何も言わなかった。そして、淡々と脱脂綿で傷口まわりの血を拭いていく。

 「お前が怪我すんのは久しぶりだな。ガキの頃は色々メンドーかけてくれたけど」

 「…………」

 いたたまれず、カーテンの向こう側を気にする振りして、視線を泳がした。

 そういえば、宿の店主がいない。帰ってしまったのだろうかと、さらに視線を流したとき、恐ろしい光景が目に入る。

 「何してるんですかっ!」

 思わず怒鳴っていた。椅子を蹴飛ばし立ち上がっていた。

 目の前で、あの不気味な正体を唯一隠していた布に、店長が手をかけていた。

 「いや…ほどけそうだから、巻き直そうと」

 「それに触らないで下さいっ」

 唖然とした店長など目に入らなかった。

 この世に二つとない危険な物が、店長の手にあることに気付いて、叩き落としていた。

 床に叩きつけられ、それは床を滑るように転がった。

 ほとんどはカーテンの向こう側に消え、けれど、ほんの少し、本当にほんの少しだけはだけた布から細く黒い柄がはみ出した。

 何の変哲もないだだの柄だった。そのはずなのに、視線は釘付けになった。いまにも襲いかかってくる気がして、視線を外す事が出来なかった。

 「どうしたんだ、オギ」

 言葉にできない恐怖だった。

 膝が抜けそうになり、とにかく寄りかかる物が欲しくて後ろ手に指先をさまよわせた。

 何かを掴んだ瞬間、手の中で何かが甲高い音と共にひしゃげた。よりによって金属で出来た台の支柱だった。

 その事態に自分で驚き、横へ飛び退くが、その拍子に壁面をたたき割っていた。

 ぱらぱらと表層が落ち、ひび割れが八方に広がっていく。

 「――っ」

 血の気が引いた。また力の加減が出来なくなっている。子供の時と同様、いや、もっと酷い。いまや触れるものを手当たり次第に破壊しかねなかった。

 人が見ているのに、店長が見ているのに、これではもう誤魔化しきれない。まかりまちがって、傷付けでもしたら―――

 不意によみがえった。耳をつんざく男の悲鳴が。あの男に加えた仕打ちが。

 自分のしでかした恐ろしい行為を、少しの呵責もなく加虐し続けた自分が。

 ―――駄目だ。やはり、俺はこの町に居てはいけないモノなのだ。

 これまで、かろうじて立っていた足下は、ついに瓦解した。

 危険なのは、カーテンの下に転がっているモノではない。

 一刻も早く、一里でも遠く、この異物をこの町から追い出さなければならない。何にも触れぬよう壁に沿い、すぐそこにある診療所の出口を目指して足を―――出し損ねた。

 「オギ、落ち着け。大丈夫だ、いいから」

 見れば、店長に腕を掴まれていた。

 動けなくなった。

 掴んだ手を振り払うことなど容易い。だが、無造作に振り払っては店長がどうなるか分からない。動こうにも動きようがなかった。

 白ひげの療医が盛大なため息をついた。

 「…あのな。本当に何もバレてないって思ってたんなら、お前も相当におめでたいんだよ。こっちは、これでも四世代は医者やってんでね。お前の体が普通じゃないことぐらい、診てたらわかる。言わなかったのは、お前の店長に頼まれたからだ」

 痺れを切らしたように療医は言った。それを肯定してか、店長の掴む腕に力が入る。

 頭が真っ白になった。

 足下をひっくり返された気分だった。

 瓦解したはずの足下にひっくり返り、はじめてその広さを知った衝撃は膝から全ての力を奪った。立っていられず、その場に崩れた。

 床を見つめ放心してしまい、しかし、それも束の間、心臓が跳ね上がった。

 カーテンの下に放置されていたモノが、勝手に動き出したのだ。

 起き上がるように浮き上がり、カーテンの向こう側にその身をくらます。

 店長に腕を拘束され、逃げることもままならず戦慄に身が震えた。

 「ごっ、ごめんなさい。私、聞くつもりじゃ……」

 意表を突かれた。女性の声だった。それも聞き覚えのある声。

 そっとカーテンを開き、ためらいがちに現れたのはウエイトレス姿のオリビアさん。

 なぜ彼女がカーテンの向こうに居るのか、そんなことは一瞬にしてかき消えた。

 オリビアが腕に抱えていたのは、紺色の布からとうとうその身を暴かれた一本の戒杖。

 すらりと伸びた等身に、赤い一条の入った黒い柄。

 その頂きには、冷たい光を走らせる赤い宝玉が座していた。

 赤い宝玉に、見られていた。

 いつも鏡の中に見る色と、寸分違わぬその色が、こちらを見返していた。

 おぞましい光景だった。

 自分で、自分の死体を見たのだ。


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