生まれた記憶
それからも、行く先々で不本意なデート(単語)を連呼され続けたが、ここで逃げては今後、ことあるごとにこのネタで遊ばれかねないと、一つ一つ意地でも否定しまくった。
やがて、それも不毛な戦いだと気付いたときには、午前中をまるまる浪費していた。
ぐったりと、倒れ込んだのは食堂のテーブルの上。少し遅い昼食に選んだのは、オリビアさんがいない方の食堂だった。町のアイドルさんがいない分、こちらの方が町の住人が少ない。念のため、席も出来るだけ目立たない隅の場所を選んだ。
注文を終え、料理が出てくるのを待っている間も、テーブルの上でうなだれていれば、ハイネがくすくす笑い出した。
「ずいぶん町の人に好かれておるようだな」
「……いや、というか店長の顔が広いだけで…俺は店長のおまけみたいなもんです」
ため息混じりの台詞に、そうか、とハイネは何か含むように目を細める。
「本当ですよ。この町で店を構えてるのは、ほとんどが店長の幼なじみなんです。っていうか悪友ですね。一度、店長に連れられて行った町の会合の時なんて、いつの間にか子供時代の暴露合戦に変わってて、乱闘騒ぎなってましたから」
その光景が容易に想像できたのか、ハイネは声に出して笑った。
「でも、不思議ですね。それぞれに、それぞれの前世があるでしょうに、ほとんどの人が旅に出ず、この町に残ってるなんて……それとも、みんなこの町にゆかりのある人なんでしょうか」
「ああ、それはな。確かに町に対して愛着のある者も多くいるだろうが、それ以上に、そうし向けられたのだ」
えっ、と聞き返すようにオギが見返せば、ハイネはグラスの水に視線を落とした。
「商家に生まれたのなら、なるべく家業を継ぐようにとヘルゲンバーカーが長年をかけて説いてきた成果だ。皆が皆、自分勝手に旅立ってしまっては、人々の生活は立ち行かなくなってしまうからな……」
非難しているわけではないのに、語るハイネはどこか物憂げに見えた。
「それはそうと、おぬしはどうなのだ?おぬしはなぜ靴屋で働いておる。あのご店主とは血縁ではないのであろう?」
「あー…いえ、特に理由はなくて……動機が無さすぎて店長に泣かれたくらいです」
とたん、ハイネが噴き出した。憂いなど見間違いだったように笑われた。
テーブルに運ばれた料理はサーモンのパイ包みとポテトサラダを二つづつ。何故か同じものをハイネは頼んだが、魚はあまり好みではないのか、それともオリビアさんの食堂に及ばないのか、何とも難しい顔で食べていた。
やがて食事を終え、ゆったりとした時間。
ハイネは食後の一服に、すすっていたミルクティーのカップをソーサーに置くと、静かに切り出した。
「ひとつ聞いてもよいかの」
「…何をです?」
「おぬしの出自について」
「…………」
そうだった。午前中の空騒ぎにかまけて、すっかり忘れていた。
今日の町案内は、自らの前世相談もかねていた。
「おぬしがどこで生まれ、どこで育ったのか。そして、あの靴屋で働くまで、おぬしが体験したであろう事の全てを出来るだけ知りたいのだが……良いかの」
虚飾のない真っ直ぐな眼差しを向けられ、それを正面から受け止めているのに、心中は波打つどころか、奇妙なほど穏やかだった。
考えれば、一昨日会ったばかりの人なのに、それこそ最初は苦手なタイプだと思っていたのに、今では、この人に誰よりも自分のことを知られてしまっている。
もう話せない理由の方が、無い気がした。
「……どこで生まれたかは…わかりません」
「それは…?」
「わからないんです。俺の中で一番古い記憶は、お爺さんと暮らしていたことです。それすら、ほとんどが断片的な記憶でしかありません。たぶん生きるために必要なことはその人から学んだんだと思います。でも、それ以降の記憶はありません」
「…………」
「その人と血縁があったのかも知りません。オギという名前も、その時にはすでにそう呼ばれていた気がします。ただ、この眼鏡はお爺さんからの贈り物だったことは覚えていて……でも、重い病で……亡くなるまでの間もはっきり覚えています。彼は、俺に人が居るところへ行くように言いました。子供でも働かせてもえる場所を探すように言いました。そして…この目で見えるモノをけして口外するなと言いました」
ハイネは何も言わず、その表情からも、何も伺えなかった。
「お爺さんを看取ったあと、その言葉を思い出して歩き出しました。何のあてもないのに歩いていました。森の中を何日も歩き続けて、この町にたどり着いたんです」
そして、たまたま目に付いた靴屋を選んだ。ろくに事情も説明しなかったのに、店長は何も聞かず俺をあの店に置いてくれた……
ハイネは未だ表情を変えず、じっとこちらを見ていた。
「……この町と出会えて、良かったか?」
そう問われ、よみがえるのは、さっきまで不毛な戦いを繰り広げた町人の顔と顔。
「…はい。そう思えます」
あんな馬鹿らしい言い合いが出来るということに、自然と笑みはこぼれた。
そして、それを喜ぶように、ハイネもまた笑顔を返してくれた。