デートではない
翌朝、定時に目覚めると、身支度もそこそこに、ただの習慣になっている朝の支度に取りかかる。けれど、途中で店長に呼ばれた。
言われるまま店に顔せば、まだ開店前だというのにハイネがカウンターの前で待っていた。顔を出すなり、ハイネは飛びかからんばかりに身を乗り出した。
ほとんどカウンターの上に座ってしまっている彼女は、この町に始めてきた時のようにタイトな格好で、これから旅立つと言われてもおかしくない姿だった。
「すまぬ。気がはやって来てしまった。ここで待っておるゆえ、お構いなきよう」
―――待つって、カウンターの上で招き猫よろしく待っているつもりなのか。
「…あの、もし朝食がまだなら一緒にどうですか?」
「呼ばれようっ」
ぱあっと顔を輝かせるハイネに手を貸して、カウンターから降りるのを手伝うと、彼女を二階にあるキッチンへと招き入れた。
片隅に備えられたテーブルにハイネを着かせてから、エプロンを着て流し台の前に立つ。
今日の朝食は簡単なもので済ませるつもりだったが、ハイネを食事の席に招いたからには、何故か無性にちゃんとしたものを作らねばと駆り立てられた。
タイミングのいいことに、昨日店長が買い出しに行ってくれていたようで食材は色々と揃っていた。できれば野菜と野菜と野菜を食べさせたかったが、それはそれで栄養が偏るため、タマゴやハム、エビ、アボカドを使った野菜のサンドイッチで手を打った。
デザートにバナナとヨーグルトの砂糖がけも用意するが、それは、市販の野菜ジュースを完食させるための、文字通り『餌』だった。
あからさまな野菜責めの朝食だったが、ハイネは一つとして文句を言わなかった。
それどころか借りてきた猫のように大人しく、彼女の様子に訝しむが、場を見計らったよう店長が現れ、うやむやのまま朝食は始まった。
始まったはいいが、そこは店長の独壇場だった。ぺらぺらとオギ(ヒト)のことを捲し立てる。
オギがちゃんとした料理を作ったのを久々に見ただとか。いちおう料理は出来るが、時々恐ろしく履き違えた味を発明するだとか。しかも、自分ではそれを平然と食べているとか。それをからかい過ぎたせいで、へそを曲げて料理をしなくなったとか。
本当にどうでもいいことを喋る店長に、しかし、ハイネが異常な関心を持って聞くので店長も口がなめらかに滑り続けた。
自分が味オンチだという自覚はもちろんある。
だが、味オンチだからといって、料理が作れないわけではない。調理や調味料の分量が分かれば、だいたいのものは作れる。ただ時々は、やはり失敗もする。けれど、そのとき自分で失敗していることに気付けないから厄介だった。
未だ飛び交うくだらない話に辟易したが、ハイネがきちんと野菜ジュースを飲み干したのを見付けると、それも不思議と気にならなくなった。
食事を終え、簡単な片付けをする頃になると、話も尽きたか、店長とハイネの話題は朝刊新聞に掲載されている連載小説へと移る。
何でも、ひいきの著者が生まれ変わって、休載していた小説が近頃ようやく連載を再開したそうだ。今世中には完結を向かえると公言されているらしいが、店長は渋い顔をする。前世でもそんなことを言っていたらしい。もう意地でも読み終えてやると息巻く彼のような支持者もあって、今やかなり有名な著者だとか。
ハイネにも、ひいきの著者は数多くいて、でも、生まれ変わると執筆を止めてしまう人がいるのが残念だと言う。それでも、また書き始めたりするのもザラで、それが物書きだと笑っていた。
そうなのだ。生き続けるのは、なにも人だけではない。
本に限らず、絵画や建造物など自分が作った作品と生き続けるのは、どういう気持ちのするものか。そんな埒もあかないこと考えながら片付けを終えた。
それから事前にもらっておいた休みを改めて店長に確認する。
その間、何やらニヤニヤ顔で見られたが、その顔がたいへん苛ついたので、完全無視に徹することにした。
そして、ハイネとオギが店を出た頃には、町はすっかり朝の賑わいに満ちていた。
昨日より空は良く晴れて、雲一つない晴天とまだ低い太陽が目には眩しかった。
町の案内も兼ねるため、どこへ行きたいかを問うと、ハイネは少し考えて、一昨日はその前を通り過ぎるだけだった旅の必需品を売る雑貨店を指定した。
旅路の補給品を見繕っておきたいとのご要望だった。
「…ところで、オギよ」
途中、おずおずとハイネが切り出した。
「今日の服はどうかの?わしらしいものを選んでみたのだが……」
どうかと聞かれても、と言葉に困る。さっき見た時と同様、旅人らしい格好だとしか言えなかったが、旅人の祖でもあるハイネなら、確かにハイネらしかった。
「えと…よく、似合っていると思います」
どう答えれば良いかわからず取って付けたような台詞を返すが、ハイネはそれでも満足そうに笑い、足取りも軽やかに歩みを進めた。
旅人の合間を縫いながら、数分も要さずに行き着いのは雑貨店『旅のなにがし』
細々(こまごま)とした装備品の並ぶ陳列棚を見ながら店内へと足を運ぶと、方位磁石や小型ランプ、地図、保存瓶などの旅路を補助する雑貨が、そこかしこに立ち居並んでいた。
ハイネはその小柄な身体を有効に使い、狭い通路をものともせず動き回った。
一方、身動きのままならないこっちは、ひとまずカウンターに避難するが、カウンターにはすでに人が居た。細面だが年相応に貫禄のある男、この店の店主ゲインだった。
「おーオギ。どうした?あのヒゲじじいのお使いか?」
「いえ、今日はあちらのお客さんの付き添いで――」
「ああ、聞いてる聞いてる。なんでも今日はデートなんだってな」
「――!」
「おお。よく知っておるな」
耳聡く、近くの棚から顔を出したハイネが勝手に肯定する。
「この町の狭さを甘く見ちゃいかんよ。なんでも、そこのお嬢ちゃんに大声でデートの申し込みをされたってもっぱらの噂だぜ?」
ニヤリと冷やかすように笑う顔が、先刻の店長の顔と重なった。
―――あのヒゲエプロン、知ってて黙っていたのかっ
かっと頭に血が上るあまり、語気を荒げていた。
「違いますっ。ただの町案内ですっ。誰ですか、そんな無責任な噂ながしたの」
「うんなテレるなよ。これも経験だぞ」
「そうだぞ。わしは今からでもデートに変更してくれて構わんぞ」
この場に乗じて妄言をのたまうハイネに、怒りは沸点を超える。
怒気は臨界を超えると顔に出なかった。
「――そうですか。じゃあ、町案内自体をやめます」
「間違えたっ!わしには町の案内が必要だっ。隅から隅まで余すことのない案内がっ」
がっちりと腕に巻き付き、自らの失言を詫びるので、ひとまず許すことにしたが、見れば側にいたゲインがウチの店長にも勝るニヤケ顔を浮かべており、オギはたまらずハイネの手を引き逃げるようにして店を出る。
ともかく、ムリヤリだろうと気を取り直すため、すぐさま隣の仕立屋に駆け込んだ。
「あら、おはようオギくん。今日はデートなんでしょ。いいわね」
出会い頭に放たれた女将さん一言に、膝はがくりと折れたのだった。