オギの兆し
何故デートなのか。
「おぬしのことをもっと深く、事細かに知りたいのだ」
そう言ってハイネは譲らなかった。
聖人ハイネが言うからには、有り体な意味で言ってるわけではあるまい。教会があてならなくなってしまったから、何か別の方法を取るのかもしれない。何より、彼女を信じると言っておいて、あそこで引いては今度こそ本当に泣き出されかねなかった。
ただ、『デート』という響きは、どうにもきまりが悪い。だから、デートではなく、まだ約束を果たしていない町の案内をすることで話を落ち着けた。
だが、ハイネ自身は全く落ち着かず、明日の準備を調えると言い出したかと思えば、弾かれるように一人宿に帰ってしまった。
残された自分は見事に間を抜かされて、色々起こったはずなのに、何の感慨もわかぬまま靴屋への帰路に就くこととなった。
いつものように、店長のおふさげを軽くかわして、やりかけの仕事に戻る。
ハイネの靴を新調するため、木型の製作をしなければならなかった。
ふと思う。ハイネに相談に乗ってもらうのはいいが、長引けばそれだけ靴の仕上げも遅くなってしまわないかと。その辺も彼女と相談しなければと心にとめておく。
こうやってラスト製作(他事)をしていると、かえって頭が働いた。
遅れてやってきた実感を確かめるように、昼の出来事を振り返った。
一喜一憂はあったけれど、自分にとって大きな変化を遂げた日だった。
ハイネと会ってからというもの、どんどん目の前が開けていっていることに気付かないわけにはいかなかった。
だから、この勢いだと明日もまた何か起こる気がして不安になる。
体のこと。魂のこと。この目に見えるモノのこと。何一つ答えは出ていないのに、これ以上おかしな部分が見つかるのは正直怖かった。
しかも、ハイネは言っていた、オギのことを事細かに知りたいと。
それはつまり、事細かに観察されると言うことではないのか。だとしたら、やはり気分のいいものではない―――いや、そう考えるからいけないのだ。
例えばそう、診療所で医者に診てもらうと考えれば、ずっと―――
木型を削る手が止まった。そして、思わず笑ってしまう。
どうにもハイネの肩を持ってしまう自分がいて、苦笑がもれた。
人懐っこくて、お節介で、あの聖人ハイネ・ガラドリエルという、誰しもが一歩引いてしまいそうな畏怖を、全く感じさせない少女。
よく笑う顔は、いとけない子供のようにころころ変わり、時には大人びた顔すら見せるのに、意外と涙もろい面がある。
そんなに彼女に、猜疑心を抱けという方が難しいのかもしれない。
でなければ、一介の靴屋に絶対的な信頼を置いてくれる旅人ために、靴を作っているという敬意が、そのまま心境に刷り込まれてしまったのか……ともかく、もう約束してしまったのだから、今さら悩んでも仕方がない。明日のことは明日考える。そう割り切ることが出来たのは、ひとえに手元の作業に集中したい気持ちが勝ったからだった。
それから何時間没頭していたか、木型は日付の変わらぬ内に完成していた。
もう一度サイズの確認をしてたら、今日はここまでにしようと作業台から立ち上がる。その時、背後の棚に用意した覚えのない夕食が置いてあることに気付いた。
自分に覚えがないのなら、用意したのは一人しかいない。
そういえば、ここにも筋金入りのお節介やきがいたと、オギは憎まれ口をたたきながら、残すのももったいないので、仕方なく食べてから寝ることにした。