思っているだけじゃ伝わらない──だから人は、言葉を使うのだ。
※自殺描写あり。注意してください
「アレクシアお姉様には内緒ですわ」
自分の名前が聞こえたからって、立ち止まるんじゃなかった。
聞き慣れた声が空き教室から聞こえる。まるで私が通るのを知っていたかのようなタイミングに笑いそうになった。
放課後のひと気のない教室に二人きり。しかも婚約者のいる令息と。不貞を疑われてもおかしくないのに。どうにも彼らには伝わらないらしい。
私の名前を呼んだのは、妹のスザンヌ。
話をしているのは…リオネル・ゼニスブルー。私の婚約者だった。
「スザンヌ嬢は隠し事が下手だからなぁ。心配だよ」
「リオネル様の方こそ、嘘がお下手なようですわ。私の方がいつもひやひやとさせられていますのよ」
恋人のように肩を近づけて話す二人。関係を知らない人が見れば二人を婚約者だと誤解するだろう。そんな距離で話す意味をまるで分かっていない。…私が固いだけなのだろうか。
私に全く気付かない二人。
彼らは同じ学院内に婚約者がいることを忘れているのだろうか。それとも、わざと見せつけているのか。
「かわいそうな伯爵令嬢」
私がそう呼ばれているのを、彼らは知らない。
思えば昔から、愛されていなかった。
長女として婿をとる立場の私に、両親はとても厳しかった。五歳から始まった当主教育は、同年代の子供に比べて遥かにレベルが高かった。初等部の頃から一番を望まれていた。
一番でない試験結果は目もくれなかった。一番をとっても褒めてくれない。出来て当たり前。出来なければ叱責の毎日。
課題はこなせばこなすほど、次から次へと与えられた。
「長女だから」「跡取りだから」
そんな言葉で与えられた課題を、私は全てこなしてきた。
対して妹のスザンヌは嫁にいく身だからか。病弱な体質だったことも相まって、両親からとにかく甘やかされていた。
スザンヌの教育は淑女教育…その中でも花嫁修行の意味合いが強かった。そのせいかスザンヌは同年代よりも貴族として、淑女としての意識が薄い。
だからか。
婚約者でもない男性との距離が分からないのは。
花嫁修行では教えてくれないらしい。
「…なんて。いくら花嫁修行でもそれくらい教わっているはず。それなのに出来ないなんて…そんな常識も忘れてしまうほど、想い合っているということかしら」
リオネルと想い合っていたのは私だったのに。当主教育に時間を使っている間に、リオネルの心は離れてしまったらしい。
私とリオネルの婚約が決まったのは、十歳の頃。
ブルーポルスレーヌ伯爵家と、ゼニスブルー伯爵家は、父同士が学院時代の友人だったことから、家族ぐるみの付き合いがあった。
だから物心ついた頃には隣にリオネルがいて。いつからか私はリオネルに恋をしていた。
好きで、好きで、どうしようもなくて。だから十歳の誕生日にこう言った。
「ドレスもアクセサリーも何もいらない。その代わりリオネルとずっと一緒にいたい」
欲しいものを聞かれても何もなかった。リオネル以外、いらなかった。
今思えば両親に初恋の人の名前を教えるなど、恥ずかしくてたまらない。けれど十歳の私はそれよりもリオネルとの未来が欲しかった。
両親はすぐに叶えてくれた。
リオネルも同じことを思っていたから。
家を継ぐならもっと家格の良い人や、家に利益のある人を選ぶべき。それでも両親は私の望む人を婚約者にしてくれた。
もっとも、両親が私の願いを叶えたのはこの一回きりだけど…。
そんな経緯で婚約をした私たちだけど、今や妹と逢瀬する有様だ。
学院に入った頃からリオネルはそっけなくなった。そしてスザンヌが入学してからは、彼女とばかり会っている。私たちの婚約を知らない者は、彼らが婚約していると思っている。
私は一体、なんなのだろう。
家に帰れば自室には両親からの課題や経営学の本の山がある。
勉強は好きではない。学院からの課題もある中で、家からの課題をこなすのは正直しんどい。それくらいしなければ伯爵家は継げないのだろう。分かっているけれど…。
妹は今日も熱を出した。
最近はまた調子が優れないらしい。学院から帰ると熱を出すことが増えた。
あんな薄暗い教室で、異性と逢瀬しているからじゃないの。
両親は仕事を放ってスザンヌの看病をする。
どうしてその仕事を私がするの?
私が熱を出したって、仕事は放り出さないのに。
こんな醜いことを考える自分が嫌いだ。
そんな私にさらなる追い討ちがかかる。
メイドから渡された小包。差出人はリオネル。添えられたメッセージカードには「誕生日おめでとう」の文字。
それを見て初めて、自分が誕生日だったことを思い出した。中身は学院の令嬢に人気のブランドのネックレス。宝石の色が緑でなければ許せただろうか。
緑はスザンヌの瞳の色だ。
私の瞳は深い青の色。
課題を与えるだけの両親。
私の婚約者と逢瀬する妹。
その妹の瞳の色を贈る婚約者。
誕生日だというのに会いもせず人づてにプレゼントを渡すなんて…。
「ふざけるのも、大概にしてよ…」
自分の口から聞いたこともない声が出る。
そうだ、私は怒っている。
どうして私だけこんな思いをしなくちゃならないの?
伯爵家の長女に生まれたってだけで。私は何にも悪いことしてないのに。
目が覚めたら平民になっていたらいいのに。貧しくても、勉強なんてできなくても、家族の仲がいい、愛される家の子になりたい。
それを叶えるには───。
やり方は知っている。
そういう小説を読んだから。
最近流行りなのだ。
好きな人のために。身を引くために。自らの命を絶って、それを叶える小説が。
物語では悲劇とされ、純愛のようにはやしたてられるけど…現実は、どうなるのかしら。
「ただの愚か者かしらね。自ら痛い思いをするんだもの」
だけど、愚か者になりたい。この苦しみから解放されるなら。
意外と簡単なのだ。
シーツ一枚で、女の体は吊れる。
朝、長女つきの侍女が静かに手を合わせた。
目の前には息をしていない主人──アレクシア。
侍女はいつか来るこの日を想定していた。テーブルの上には大量の課題。当主の残した仕事。そして…スザンヌの瞳の色のネックレス。
昔から愛されていないと感じている方だったから。これだけ揃えば十分だ。
「…誰か旦那様を呼んでください」
ブルーポルスレーヌ伯爵は絶句した。
長女つきの侍女に呼ばれて訪室したところ、首にシーツを巻きつけた娘がいたのだから。伯爵夫人が悲鳴を上げ、シーツをほどこうとするも…全ては遅い。
支えのなくなったアレクシアの体は、重力に抗うことなく床に落ちた。その音は生きている者から出る音ではなかった。
「…これは、どういうことかね」
長女つきの侍女…リラは、伯爵に睨みつけられながらも表情を変えなかった。アレクシアが一日の最後に顔を合わせるのはリラである。当然、疑われるのはリラだ。
「申し訳ありませんが、私は何も存じ上げません。昨日はいつものように寝台の準備をした後、下がりました」
「ではなぜアレクシアの首にシーツがまきついている?!アレクシアが自分でやったというのか?!」
「私にはそのように見えます」
淡々と説明するリラに怒りを隠せない伯爵。婦人はすすり泣き、スザンヌは声も出せずにいた。
その光景に酷く腹が立つ。“これ”を口にしたらアレクシアは怒るだろうか。
なんて思って、数秒後に失笑した。
怒るアレクシアはもういないのだ。
「…お言葉ですが皆様。この中に一人でもアレクシア様を大事に思っていた方はいらっしゃいますでしょうか」
「は?大事にしていたに決まっているだろう!?」
「では、どうして昨日のアレクシア様のお誕生日を、誰も祝わなかったのでしょうか」
「毎日課題だけは送られていましたが、それが旦那様のおっしゃる“大事”でしょうか。私にはまだ勉強が足りないという、叱責に見えましたが」
「スザンヌ様に買い与えたドレスの枚数は?それに対して最後にアレクシア様にドレスを買ったのはいつでしょうか」
「アレクシア様が熱を出した時の旦那様方は、お見舞いなどしたことがありません」
「スザンヌ様がリオネル様と毎日のように学院で逢瀬を交わしているのはご存知ですか」
「それに加えてこのプレゼント。これで大事にされているなど…到底思えません」
スザンヌの瞳の色をしたネックレスを見て、旦那様はようやく自分の非に気付いたらしい。それでも夫人とスザンヌは違った。
「違うわ!!あの子は優秀だから、もっと学んでほしかっただけよ!それがあの子のためになると…!」
「私はリオネル様とは何の関係もありません!リオネル様はお姉様の婚約者…お義兄様ですわ!」
貴族らしからぬ声で必死に否定をする二人。だがそれに何の意味もなかった。
「私に言ってどうなるのですか。アレクシア様はもういないのに」
リラの言葉を最後に、夫人とスザンヌは床に座り込んだ。カーペットにシミをつくるほど泣き出す二人にリラは冷たい視線を送る。
泣いたところでアレクシアは戻らないのだから。
ブルーポルスレーヌ家には貴族院の者が事情聴取に入った。
リラはアレクシア付きの侍女として、長い間取り調べを受けた。短くない期間でとにかくアレクシアのこれまでを語った。
ずっとアレクシアを守りたかった。せめて自分だけでもアレクシアを大事に思っていて、ずっと仕えていたいと思っていること、日々言葉にしていたのに…リラの言葉ではアレクシアを救えなかった。だからこれはせめてもの贖罪である。
<ブルーポルスレーヌ伯爵の証言>
「アレクシアのことは愛していた。優秀な子だったから私の全てを教えようと…学院を卒業すると同時に当主の座を譲ろうと思っていたんだ。そうすればリオネルと早く結婚できる。彼を好いていたのは知っているから…一日でも早く彼と二人の生活をさせてあげたくて…。そのために厳しくしていた…。アレクシアは分かっていると思っていた。あの子は聡明だったから、分かっていると…。
だが私は間違えたのだろう…アレクシアに必要だったのは…」
<ブルーポルスレーヌ伯爵夫人の証言>
「アレクシアを愛していないわけないじゃないっ。スザンヌの身体が弱くて付きっきりになりがちだったけど…だからってアレクシアを愛していないわけじゃないのに…。賢い子だもの、分かっていると思っていたのよ…」
<ブルーポルスレーヌ伯爵令嬢・スザンヌの証言>
「リオネル様と不貞なんて…ありえません。リオネル様はお姉様を想っていらっしゃった。お姉様だって…。そんな二人を引き裂くわけありません…ただ、お姉様へのプロポーズの相談に乗っていただけですわ…。卒業パーティーでサプライズをしたかったから…。
…え?きっかけになったのは私の瞳の色のネックレス…?それって…」
<ゼニスブルー伯爵令息・リオネルの証言>
「どうして…死んでしまったら何もできないじゃないか…説明もできない…。
スザンヌ嬢と不貞なんてしていない!!
……学院に入る頃にはアレクシアが立派な淑女になっていて…綺麗すぎて、話しかけるのに勇気がいって……。それで…。スザンヌ嬢は幼少の頃から知っている上に、将来の義妹だ。あまり気を負わずに話せるというか…。
それだけで、本当に不貞なんてしていないんだ…。
…証拠…?スザンヌ嬢の瞳の色の…?
それは、アレクシアの誕生日プレゼントに、姉妹でお揃いのネックレスを…。彼女には深い青のネックレスを贈ったはずだ。そしてメッセージカードにもお揃いの旨を…。
え?…彼女の部屋の机には緑のネックレス…?お、俺は…大切な彼女の誕生日の包みを間違えて…!俺が…彼女を…死なせてしまったのか…」
この事件を経て、けじめとしてブルーポルスレーヌ家は爵位を返上し、平民となった。
スザンヌには一切の当主教育をしておらず、当主にはなり得ない。支えられる婿をとるにしても、このような醜聞をもった家に婿入りしたい貴族はいない。そうするしかなかった。
また、ゼニスブルー家も爵位を返上。ゼニスブルー家元当主は、領地で当主補佐として従事。リオネルもまた、領地の発展に尽力した。
リオネルは生涯、独身を貫くだろう。自身の罪を抱え、アレクシアを想い続けて生きていく。
ブルーポルスレーヌ家、そしてゼニスブルー家の使用人たちは、紹介状をもらい退職するか、家に残り、新たな当主に仕えるか。どちらかを選ぶことになった。
リラは迷わず退職を選んだ。アレクシアなきブルーポルスレーヌ家に仕える気はなかったから。
リラはアレクシアを大事に思っていたこともあり、その忠誠心を評価され、公爵家侍女の紹介状をもらった。
公爵家ではまた、次期当主となる令嬢に仕えることになったのだ。誰に仕えようとリラはアレクシアを忘れていない。ふとした時に思い出すのだ。
「言わなくても伝わる、なんてことはないのに。だから人は言葉を使うのでしょう」
少なくとも、アレクシアお嬢様には伝わらない。彼女は一度たりとも言葉を貰えなかった人だから。
つぶやいたリラの声は、誰の耳にも届かなかった。
誕生日の包みを直接渡さなかったのも勇気の無さからです




