世界を救った勇者が貴族社会に放り込まれたら
「はぁっ……はぁっ……!これで、終わりだッ!!」
鼓膜を劈くような断末魔の叫びと共に、魔王の巨大な体が光の粒子となって崩れ去っていく。
俺――勇者ユーリルは、刃の欠けた剣を杖代わりに突き立て、その場にどさりと座り込んだ。
(終わった……。本当に、全部終わったんだ……)
泥水を啜り、何度も死にかけながら続けた長くて過酷な旅。
俺の最後の一撃が、ついに世界を脅かす圧倒的な闇を打ち払ったのだ。
振り返れば、共に死線を潜り抜けた盾役のレオンと、賢者のセリアが、泥だらけの顔でへたり込みながら笑い合っている。
(これでようやく、ただの平民に戻れる。恩賞で辺境に小さな家でも買って、誰にも縛られずにのんびりと畑でも耕しながら生きていくんだ。……それくらいの我儘は、許されるよな)
そんな、ささやかで平和な未来を思い描きながら、俺は深い安堵の息を吐き、静かに目を閉じた。
――だが、この時の俺はまだ知らなかった。
平和になったはずの世界で、魔王軍よりも遥かに理不尽で恐ろしい『もう一つの戦い』が待っていることなど、これっぽっちも予想していなかったのだ。
―・―・―
魔王を討伐し、世界に平和を取り戻してから数週間後。
王城の壮麗な玉座の間には、赤い絨毯が敷かれ、両脇には国の重鎮たる貴族たちがズラリと並んでいた。
「――見事だ、勇者ユーリル!そして共に魔王を打ち倒した英雄たちよ!」
玉座に座る国王陛下の、威厳に満ちた声が響き渡る。
(やっと終わった……。これでようやく、恩賞で小さな家でも買って、静かに暮らせる……)
俺は仲間たちと共に頭を下げながら、心の中でひっそりと安堵の息を吐いていた。
平民の村から魔王討伐の旅に出発して数年。泥水も啜ったし、死にかけたことも何度もある。もう戦いはこりごりだ。これからは、誰にも縛られずのんびり生きたい。
「そなたらの功績は計り知れん!よって、強固な盾となり仲間を守ったレオンには『近衛騎士団長』の地位を!癒やしの要であったセリアには、国中の信仰を束ねる『大聖女』の座を与えよう!」
「はっ!ありがたき幸せに存じます」
「光栄ですわ、陛下」
真面目なレオンと、見目麗しいセリアが恭しく拝命する。
二人とも、それぞれの実力と適性に見合った素晴らしい恩賞だ。人をまとめる器量があるレオンと、誰よりも慈愛に満ちたセリアにはぴったりの役職だろう。俺も心から拍手を送りたい。
だが、問題は剣を振ることしか取り柄のない俺だ。
「そして、我が国を救った最大の功労者、勇者ユーリルよ!」
「は、はいっ」
「そなたには、王族に次ぐ最上位の階級……異例ではあるが『特別名誉公爵』の地位を与え、広大な領地と共に、我が国の貴族として迎え入れることとする!!」
……ん?
俺は思わず、顔を上げてしまった。
「あ、あの……陛下?恐れながら、俺はただの平民上がりの冒険者です。公爵だなんて、そんな身に余る地位は……。それに、そんな急進的な抜擢をすれば、他の貴族の方々が納得しないのでは」
「謙遜するな!世界を救った大英雄をただの平民として野に放てば、他国から我が国の見識が疑われる。それに……」
陛下はそこで言葉を区切り、意味深な視線を両脇に並み居る古参貴族たちへと向けた。
「今の我が国には、凝り固まった古い権力を打ち砕く『新しい風』が必要なのだ。魔王を退けたそなたの圧倒的な力と名声は、悪しき風習に染まった者たちを牽制するための最強の盾となる」
(……つまり、俺を今いる貴族たちに対する『牽制用の手駒』にする気満々じゃないか!)
陛下の有無を言わさぬ眼差しと、早くも周囲の貴族たちから向けられる疎ましそうな視線に、辺境の村で静かに暮らそうという俺のささやかな夢は、音を立てて崩れ去った。
「案ずるな。領地の運営や面倒な手続きは優秀な文官をつけてやる。そなたは堂々と、我が国の貴族として夜会に顔を出し、人脈を広げてくれればよい」
「夜会、ですか……」
一番苦手な言葉に、俺は思わず顔を引きつらせた。
隣を見ると、レオンが「まあ、諦めろ」と同情するように肩を叩いてくるし、セリアに至っては「ふふっ、これからはユーリル公爵様って呼んであげようか?」と少し面白そうに笑っていた。
(魔王の城より、よっぽど厄介な場所に行かされる気がするぞ……)
こうして俺の、貴族社会という息苦しく理不尽な場所での新たな戦いが始まってしまったのだ。
―・―・―
それから数ヶ月後。
俺は王城で開催された大規模な夜会に、首が締まりそうなほど窮屈な礼服を着せられて放り込まれていた。
(息苦しい……。この服、絶対に剣は振れないな)
煌びやかなシャンデリアの下、着飾った貴族たちがグラスを片手に優雅に談笑している。
だが、少し耳をすませば聞こえてくるのは、「あの領地の税を上げて新しいドレスを……」だの「あの家の没落は……」だの、腹の探り合いと嫌味の応酬ばかりだ。
それに、俺が『王家の手駒として引き上げられた平民』だと察している連中からの、冷たく値踏みするような視線も痛いほど突き刺さってくる。
(空気の重さが尋常じゃない。魔王軍の幹部と睨み合ってた時の方が、まだ気が楽だったぜ……)
壁際でこっそりため息をついていると、ふわりと上品な香水の匂いが漂ってきた。
「初めまして、特別名誉公爵様。わたくしは中立派の伯爵が娘、クレアと申しますわ」
振り返ると、派手なドレスに身を包んだ美しい令嬢が、扇で口元を隠して立っていた。
「あ、どうも。ユーリルです」
「ユーリル様は平民から公爵に成り上がられたとか。さぞ、このような華やかな場には慣れておられないでしょう?ちなみに、わたくしのこのドレスは隣国から特別に取り寄せた、最高級の絹でしてよ」
クレア嬢は、値踏みするような視線と自慢げな言葉を投げかけてくる。
これが文官から教わった、貴族特有の『私の実力と財力を見なさい』という牽制なのだろう。
「へえ。すごく綺麗で、よく似合ってますよ」
俺が素直に答えると、彼女は少しだけ得意げに微笑んだ。
だが、俺の目はドレスの生地よりも、扇を握る彼女の『手』に向いていた。
「でも、俺はドレスよりも……あんたのその手に驚きました」
「え……?」
クレア嬢がポカンと口を開ける。
「親指の付け根と手のひらに、しっかりとした剣ダコがある。かなり素振りをやり込んでいる手ですね」
「あっ……!」
クレア嬢はハッとして、慌てて自分の手をドレスの陰に隠した。その顔には、明らかな恥じらいと焦りがあった。
「お、お恥ずかしい……。これは、その……護身のためにと、兄の真似事をして剣を振っていた名残でして。令嬢のくせに手がゴツゴツしていると、いつも父や周囲の皆様から呆れられて……っ」
彼女はうつむき、ギュッと自分の手を握りしめる。
きっと、ずっとコンプレックスだったのだろう。だが、俺にはなぜ彼女がそこまで恥じるのかわからなかった。
「なんで隠すんですか?恥じることなんて何もないのに」
「え……?」
「魔王軍と戦う時、俺たちの背中を守ってくれた騎士たちと同じ手ですよ。見えないところで、誰にも負けないくらい必死に努力した証だ」
俺は彼女の隠した手を見つめ、真っ直ぐに微笑んだ。
「着飾ったドレスなんかより、ずっとあんたを美しく見せてる。もしその努力を笑う奴がいるなら、俺が代わりに怒ってやりますよ。とても立派で、綺麗な手だ」
俺の言葉に、クレア嬢は小さく息を呑んだ。
伏せられていた彼女の瞳がゆっくりと上がり、俺をまっすぐに見つめ返す。その頬は、恥ずかしさではなく、どこか心底救われたような温かな熱でほんのりと赤く染まっていた。
「……綺麗な手、ですか。わたくしの、このゴツゴツした手が」
「ええ。誇っていいと思いますよ」
「……ふふっ」
クレア嬢は扇を閉じると、隠していたその手をそっと胸の前に当て、とても自然で、柔らかな笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます、ユーリル様。……わたくし、殿方からそのような温かいお言葉をいただいたのは初めてですわ」
「事実を言っただけですから」
「よろしければ、後日わたくしのお茶会にいらしていただけませんか?……今度は、ドレスの話ではなく、剣術のお話をさせてくださいな」
深く、優雅なカーテシー(お辞儀)をして、クレア嬢は静かに去っていった。
最初に見せた牽制のような態度はなく、その背中はどこか晴れやかだった。
(よかった。少しは上手く話せたかな)
胸を撫で下ろしていると、周囲で様子を窺っていた他の令嬢たちが、感嘆の息を漏らしながらこちらを見つめていることに気づいた。
「……相変わらず、無自覚にタラシね。ユーリル」
「うおっ」
背後から唐突に声をかけられ、俺はビクッと肩を揺らした。
振り返ると、純白の豪奢な法衣を身に纏い大聖女になったセリアが、腕を組んで立っていた。
「セリア。お前も来てたのか」
「一応ね。大聖女なんて立場になっちゃったから、こういう場での顔つなぎも仕事なのよ」
セリアは呆れたように息を吐きながら、チラリと去っていったクレア嬢の方へ視線をやった。
「それにしても、立派な公爵様になっても中身は全然変わってないわね。女の子のコンプレックスをあんな風に真っ直ぐ肯定するなんて、普通の貴族は絶対にしないわよ」
「そうなのか?俺には、腹の探り合いとか遠回しな嫌味より、あっちの方がよっぽど自然に思えたけどな」
「……はぁ。そういう裏表のないところが、この息苦しい社交界じゃ『新鮮で魅力的』に見えちゃうのよね」
セリアはツンとそっぽを向くと、少しだけ不満げに目を細めた。
「さっきの令嬢、貴方にすっかり心を奪われていたわよ。……私が目を離している隙に、他の女の子ばかり褒めて。少しは鼻の下を伸ばしてるんじゃないの?」
「伸ばしてねえよ!俺はただ、努力してる奴は報われるべきだと思っただけだ!」
俺が慌てて否定すると、セリアは「ふふっ」と少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「まあ、貴方はそれでいいんじゃない?変に貴族かぶれになって、私にまで取り繕うような貴方なんて見たくないし」
「そりゃどうも。……はぁ、それにしても疲れた。早く帰りたいぜ」
俺たちがそんな気の置けない会話を交わし、少しだけ肩の力を抜いた、その時だった。
「おい!!どこに目をつけているんだ、この愚図が!!」
突突、フロアの中心から、空気を切り裂くような男の冷酷な怒声が響き渡った。
声の主は、丸々と太った中年の大貴族――バルド侯爵だった。
彼の足元には、まだ十代半ばほどの若く小柄なメイドが、真っ青な顔をしてへたり込んでいる。彼女の足元には割れたグラスと、侯爵の靴に跳ねた数滴の赤ワインが散らばっていた。
「も、申し訳ございませんっ!すぐに拭き取りますので……っ!」
「触るな!平民の薄汚い手で私の靴に触れる気か!この靴はお前の一生分の給金より価値があるのだぞ!!」
バルド侯爵は激昂し、振り上げた太い腕で、メイドの頬を力任せに打とうとした。
(――マズい!)
俺が反射的に床を蹴り、侯爵とメイドの間に割って入ろうとした、その瞬間だった。
「おやめください、バルド侯爵。これ以上の暴力は、高貴な夜会の空気を汚すことになります」
侯爵の腕を言葉で制止したのは、銀髪を隙なく撫でつけた、俺と同年代くらいの若い貴族の男だった。
「ジュリアン……クライス侯爵家の倅か」
「はい。メイドの不始末は後ほど罰するとして、今はどうかお怒りをお納めください」
涼やかな顔で告げる男――ジュリアンの言葉に、バルド侯爵は「ふんっ」と鼻を鳴らして腕を下ろした。
事なきを得たかと思ったが、俺はジュリアンがメイドに向けた冷たい一言を聞き逃さなかった。
「粗相をした愚図な平民は、さっさと裏へ下がりなさい。鞭打ちの罰が待っているだろうが、身分を弁えぬ者の当然の報いだ」
「え……ひぐっ、はい……っ」
「……ちょっと待てよ」
震えながら立ち上がろうとするメイドを庇うように、俺は二人の前に歩み出た。
「たかが数滴ワインが跳ねただけで、鞭打ちだの愚図だの、あんまりじゃないか?わざとやったわけでもないのに」
「……あなたは?ああ、先日叙爵されたという、平民上がりのユーリル『特別名誉公爵』殿ですね」
ジュリアンは俺を見ると、露骨に侮蔑の色を浮かべて鼻で笑った。
「名誉とはいえ公爵の地位にある者が、平民を庇うなど滑稽です。貴族には貴族の『秩序』というものがあります。下の者が粗相をすれば厳しく罰する。それが身分というものであり、この国の常識です」
「秩序?立場が上の奴が、抵抗できない弱い者を一方的に痛めつけるのがか?」
「ええ。そうやって恐怖と権威で縛らねば、平民などすぐに付け上がるからです。……これだから、平民上がりの成り上がり者は困る。いくら元勇者とはいえ貴族の矜持も常識も理解していない」
周囲の貴族たちも、ジュリアンの言葉に「その通りだ」、「やはり平民上がりにはこの場はふさわしくない」とヒソヒソと同調し始める。
完全に四面楚歌の空気だ。
少し離れた場所では、近衛騎士団長となったレオンが心配そうに腰の剣に手をかけていた。
だが、その隣にいるセリアが「いいから見てなさい」とばかりにレオンを制止しているのが見えた。
「……なるほどな。あんたらの言う『常識』はよくわかったよ」
「ご理解いただけましたか。では、そこをどいていただこう」
ジュリアンが勝ち誇ったように顎を上げる。
だが、俺は一歩も退かずに、真っ直ぐにジュリアンとバルド侯爵を見据えた。
「つまり、偉い奴の言うことは絶対で、弱い奴はそれに従うのが『常識』なんだろ?」
「ええ、いかにも!」
「だったら――特別名誉公爵である俺の命令を聞け」
俺は声を一段低くし、静かに、だが明確な覇気を込めて言い放った。
「俺は王族に次ぐ地位をもらっている。侯爵のあんたたちより、俺の方が『身分が上』なはずだよな?」
「なっ……!?」
ジュリアンとバルド侯爵の顔が、同時に引きつった。
「俺の命令だ。そのメイドを無罪放免にして、今すぐここから下がらせろ。そして二度と、弱い者に理不尽な暴力を振るうな」
「き、貴様ぁっ!!名ばかりの公爵が、代々続く大貴族である私に命令する気か!!」
自らの論理を逆手に取られ、バルド侯爵は顔を真っ赤にして激昂した。
「お前たち!この無礼な成り上がり者を捕らえろ!夜会の秩序を乱した罪で、地下牢にぶち込んでやる!!」
侯爵が叫ぶと、会場の壁際に控えていた彼の私兵たちが一斉に剣を抜き、俺に向かって殺到してきた。
「なっ……バルド侯爵!王城の夜会で私兵に剣を抜かせるなど、いくらなんでもやりすぎです!正気の沙汰ではない!」
ジュリアンが慌てて制止しようとするが、怒りで我を忘れた侯爵は聞く耳を持たない。
「うるさい若造め!邪魔をするなら貴様も斬り捨てるぞ!」
「くっ……!」
私兵の一人が、制止に入ったジュリアンに向かって容赦なく剣を振り下ろした。
今まで普通の貴族として戦場に出たことのないであろうジュリアンは、動けずに強く目を瞑る。
「――だから、弱い者いじめはやめろって言ってるだろ」
ガィィィンッ!!!
「……え?」
ジュリアンが恐る恐る目を開けると、彼の鼻先数センチのところで、凶刃がピタリと止まっていた。
俺が、私兵の剣を『素手の指二本』で挟んで止めたからだ。
「ば、馬鹿な……!?鋼の剣を、指で……っ!?」
「あんたさ、メイドへの態度は最低だったし、あんたの言う『常識』には全く共感できねえけど……」
「ユーリル、殿……?な、なぜ私を庇うのです!私は先ほど、あなたを平民上がりと愚弄したのですよ!?」
ジュリアンが震える声で問う。
俺は飛んでくる別の私兵の剣を片手で軽く弾き飛ばしながら、肩越しに振り返った。
「関係ないさ。相手が格上の侯爵でも、やりすぎだと思ったら体を張って止めに入った。……その勇気だけは、素直に認めてやるよ」
「あ……っ」
ジュリアンの瞳が、大きく見開かれる。
(私を恨んでもおかしくないはずなのに……。この男は、私の過ちをはっきりと指摘しつつも、正しい行動は公平に評価するというのか……!)
ジュリアンは、厳格すぎる父から『貴族たる者、平民には絶対的な恐怖と秩序で接しろ』と教え込まれてきた。それに疑問を抱きつつも、逆らう勇気はなく、頭でっかちな理想の貴族像を演じるしかなかった。
だが、目の前にいるこの男は違う。身分や血筋という虚飾ではなく、ただ真っ直ぐに『人』の本質を見て、己の信念のままに弱者を守っているのだ。
俺は呆然とするジュリアンとメイドを背中にかばい、襲いかかってくる十数人の武装した私兵たちと対峙した。
「化け物め……!かまわん、一斉に囲んで殺せ!!」
バルド侯爵の命令で、私兵たちが四方から同時に斬りかかってくる。
「――ふぅっ」
俺は剣を抜かず、ただ一歩、力強く床を踏み込んだ。
それと同時に、魔王軍の幹部と対峙した時に使っていた『魔力による威圧』を、ほんの少しだけ解放する。
「「「――ッ!?」」」
ドォォォォンッ!!という空気の爆発音と共に、目に見えない圧力の壁が周囲に弾け飛んだ。
「がはっ……!?」
「な、なんだこの、圧倒的な、力は……っ!」
剣を振るうまでもない。
ただ俺が『魔力』を放っただけで、私兵たちは白目を剥き、バタバタと床に倒れ伏してしまった。
「ひっ……!ぁ、あ、あああ……っ!」
たった一人残されたバルド侯爵は、あまりの力の差に腰を抜かし、床に這いつくばってガタガタと震えている。
「な、なんて、圧倒的な力だ……」
背後にいたジュリアンが、俺の背中を見つめながら震える声で呟いた。
「圧倒的な力だけでなく、理不尽に屈しない精神と、誰に対しても本質を見る器の大きさ……。あれが、世界を救った勇者……いや、真の高貴なる者の姿……!」
ジュリアンの瞳には、先ほどまでの侮蔑の色は欠片もなく、己が探し求めていた理想を見つけたような、強烈な尊敬と憧れの光が宿っていた。
「――ふふっ。あらあら、また一人、無自覚に落としちゃったみたいね」
「まったくだ。ユーリルのあの真っ直ぐな眩しさは、令嬢だけでなく、頭でっかちな若手貴族にも劇毒だな」
少し離れた場所で、セリアとレオンが呆れたように肩をすくめて笑い合っていることなど、俺は全く気付いていなかった。
「そこまでだ、バルド侯爵」
重々しい足音と共に、武装した近衛騎士団がフロアになだれ込んできた。
先頭に立っているのは、近衛騎士団長となったかつての仲間、レオンだ。
「王城の夜会において私兵に剣を抜かせ、あろうことか特別名誉公爵殿に刃を向けた罪、決して軽くはないぞ。連行しろ!」
「ひぃぃっ!は、離せ!私は由緒正しき侯爵だぞ!!」
見苦しく喚きながら、バルド侯爵は騎士たちに両脇を抱えられ、無様に引きずり出されていった。
嵐が去った後のように、会場は静まり返っている。
俺が威圧の闘気を解いてふうっと息を吐くと、背後にいたメイドのアンナが、ポロポロと涙をこぼしながら深々と頭を下げた。
「ユーリル様……!ありがとうございます、命を救っていただいて……!」
「気にするな。怪我がなくてよかったよ」
「……ユーリル殿」
続いて、ジュリアンが俺の前に進み出た。
彼は先ほどまでの傲慢な態度を完全に収め、乱れた襟元を正すと、貴族として最も敬意を表す優雅な礼をとった。
「先ほどの私の無礼、心より恥じ入るばかりです。恐怖で下の者を押さえつけることが秩序だという父の教えに、私はずっと縛られていました。しかし……あなたの行動こそが、私が心から求めていた『真の高貴なる者の振る舞い』でした」
「……わかってくれたなら、それでいいさ。あんたは根は真面目なんだから、きっといい領主になれるよ」
「もったいないお言葉です。……どうか後日、公爵邸を訪問する許可をいただけないでしょうか。私はあなたから、真の『貴族の在り方』を学ばせていただきたい」
ジュリアンの瞳には、己の未熟さを認め、より高みを目指そうとする気概が見える。
俺は「ああ、いつでも来いよ」と笑って頷いた。
そして、それを見ていた周囲の貴族たち、特に令嬢たちがハッと我に返り、一斉に俺の方へと押し寄せてきた。
「ユーリル様ぁぁっ!!」
「なんてお強く、そしてお優しい方……!肩書きしか見ない男たちとは大違いですわ!」
「ユーリル様!わたくしも先ほど突き飛ばされて怪我を……どうか介抱してくださいませ!」
「えっ?ちょ、ちょっと待ってくれ!押すな!近い近い!」
殺気立ってすらいる令嬢たちの甘い香りと熱気に、俺は完全に包囲されてしまった。
その集団の先頭から、先ほど言葉を交わしたクレア嬢が、頬を上気させて進み出てきた。
「ユーリル様!先ほどの御姿、本当に立派でしたわ……っ!弱きを助け、悪を挫く、まさに真の騎士。わたくし、ますますユーリル様の剣術のお話が聞きたくなりましたわ!」
「クレア嬢!いや、それは嬉しいんだけど、今はちょっと……っ」
魔王軍の幹部に囲まれた時よりも恐ろしいプレッシャーだ。剣も魔法も使えないこの状況、どうすれば……!
「はいはい、そこまでよ」
その時、凛とした声と共に、柔らかな腕が俺の右腕にギュッと絡みついてきた。
「大聖女、セリア…様……っ」
令嬢たちが息を呑んで道を空ける。
セリアは俺の腕にぴったりと身を寄せながら、牽制するようにクレア嬢をはじめとする令嬢たちへ微笑みを向けた。
「うちの勇者様は、今日のところはお疲れなの。これ以上のお誘いは、後見人である私が許しませんわ」
大聖女という圧倒的な権威と、彼女から放たれる「これ以上近づいたら容赦しない」という無言のオーラに、令嬢たちは渋々といった様子で引き下がっていく。
だが、クレア嬢だけは引き下がらなかった。彼女は背筋をピンと伸ばし、セリアに堂々と微笑み返した。
「ええ、大聖女様のおっしゃる通りですわね。ユーリル様、本日はお疲れでしょうから、わたくしたちはこれで失礼いたしますわ。……ですが」
クレア嬢は俺に向かって、深く優雅なカーテシーをした。
「後日のお茶会の約束、絶対に忘れないでくださいませね。わたくし、とっておきの茶葉と……こっそり、剣の素振りのご指導を仰ぐ準備もしてお待ちしておりますわ!」
「ああ。楽しみにしてるよ」
俺が笑って頷くと、クレア嬢は花が咲いたような満面の笑みを見せ、満足げに去っていった。
「……助かった、セリア。お前がいなかったら潰されてたよ」
「本当よ。生意気な若手貴族から、素振りをするおてんばな令嬢まで、すっかりオトしちゃうんだから」
「オトした覚えはねえよ。ただ、間違ってる奴に正論をぶつけて、努力してる奴を褒めただけだ」
俺が疲れたようにため息をつくと、セリアはクスッと笑い、絡めた腕をポンポンと優しく叩いた。
「でも、逃げずにちゃんと立ち向かったじゃない。理不尽なルールに縛られず、貴方らしいやり方でぶっ壊してくれたわ」
「……俺、やっぱり貴族には向いてないかもな。面倒事ばっかりだ」
「そう?私は、貴方がこの腐った社交界を変えていくのも悪くないと思うけど。……まあ、困った時は、昔みたいに私がしっかりサポートしてあげるから安心して」
セリアは少しだけ頬を染め、上目遣いで俺を見つめてきた。
そのいつもとは違う甘い表情に、俺は思わずドギマギしてしまう。
「お、おう。頼りにしてるよ」
俺が照れ隠しに頭を掻くと、セリアは満足そうに微笑んだ。
その後は何事もなく初陣となった夜会も無事に終わったのだが……。
数日後。
セリアと二人で王城の廊下にて世間話をしていると声をかけられた。
「ちょっといいかユーリル。少し厄介な報告がある」
事後処理を部下に任せたレオンが、難しい顔をして歩み寄ってくる。
「厄介な報告?」
「ああ。お前が先日、古参のバルド侯爵を公の場で完膚なきまでに叩き潰したことで、国内の腐敗貴族たちはしばらく大人しくなったのだが……その噂が、海を越えてしまったらしい」
「海を越えた?」
「隣国の『魔法大国』から、我が国を救った英雄であり公爵となったお前に会いたいと、特使が派遣されることになった。しかも、向こうの筆頭貴族が直々にだ」
レオンの言葉に、俺は嫌な予感がして眉をひそめた。
「建前は魔王討伐の祝賀と親善外交だ。だが、本音は『平民上がりの貴族』を値踏みし、外交の場で我が国より優位に立つための腹積もりだろう。……お前は陛下から、その特使の『応接役』に指名された」
「応接役!?俺が!?無理だろ、外交なんて!!」
思わず叫んだ俺に、レオンは同情するように目を逸らした。
隣国のエリート貴族が、国を背負って俺を品定めしにやってくる。言葉の裏の裏を読むような恐ろしい連中が相手だ。
「……ふふっ。どうやら次の相手は、国内の貴族よりもずっと手強いみたいね」
腕を組んだままのセリアが、面白そうに目を細める。
「笑い事じゃないぞセリア……」
「でも、逃げるわけにはいかないでしょ?大丈夫、礼儀作法は私がビシバシ叩き込んであげるから」
「うげっ……」
俺は思わず天を仰いだが、すぐに前を向いて、ニヤリと口角を上げた。
「……まあいいさ。相手がどこの国の偉い貴族だろうと、俺のやり方は変わらない」
もし向こうが理不尽なルールや悪意を押し付けてくるなら、この真っ直ぐな正論で、全部ぶっ壊してやるだけだ。
平民上がりの勇者が放り込まれた、社交界という名の理不尽な場所。
心強い仲間たちと、無数の熱視線に囲まれながら――俺の新たな戦いは、まだ幕を開けたばかりだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
勇者が魔王を倒したその後にもし貴族になっていたら?をテーマに作ってみました!!
本来、勇者である主人公は貴族達からみても尊敬すべき対象だと普通は思いますが、この世界の貴族は差別意識が強く、いくら魔王を倒した勇者といえども、戦うことしかできない者と侮っている背景があります。だからこそ、この物語でのユーリルに対する貴族達の扱いが酷いという設定です!
どうして、このような考えの貴族たちが多いのか、それはこの国の設立に関わってくるのですが…、この辺は今はまだ私の頭の中に留めておこうかなと思います(^^;;
(この辺も書き始めるととんでもない字数になりそうなので、、)
よろしければ評価してくださると嬉しいです!
よろしくお願いいたします。




