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八章 幼少の記憶(一)

 

 父が母を防衛の要として配置したことは家族なら誰でも判ることだ。そんな母が家を出ようとしていたので、謐納は母の目的地を聞き、代りに向かうことにした。

 目的地はモカ村を囲む森の一角だ。母によれば、森に住む動物や入り込んだ魔物とは異なる動きでそこの魔力環境を変化させた者がいるという。また、その者の魔力を惑星アースで何度か探知したことがあるとも。魔団に利用された傀儡である可能性を視野に警戒を強めるように、謐納は指示を受けた。

 注意深くそれでいて迅速に行動した謐納は、目的地方向の森から村に入ってきた父の姿を認めた。

「父上、もしや──」

「ああ、対処なら終わったよ。羅欄納には今から報告する」

 あっけらかんとした足取りの父について、謐納は家に蜻蛉返りすることとなった。いつでも刀を抜けるよう構えた体は力を向ける場所がなくなって、日常に戻ろうにも亢進してしまっている。父が母と合流するのを見送ると、

「素振りをして参りまする」

 と、再び外へ出た。

 

 

「──。お疲れさまです」

 オトから報告を聞いて、ララナは嘆息を禁じ得なかった。桜神甚に続いてエント゠ウヴ゠エリーやゾーティカ゠イルが傀儡化していたことに驚かされたのである。その昔に亡くなっていたゾーティカ゠イルは失った体を再構築させられた挙句、葛神思のように操られていたのだというから惨い。

 ララナが惑星アースで感じ取っていた魔力はエント゠ウヴ゠エリーのものだった。生者である彼はオトが解放して魔法薬を渡してレフュラル表大国に帰せたそうだが、また操られないわけではない。ゾーティカ゠イルについてもそうだ。

「念のために書いとこうかね」

 と、二者の情報を掲示板に記しながら、「可能性を突きつめて最悪のケースを想定しよう」と、オトが予期せぬことを口にし始めた。

「最悪のケースとはどんな状況ですか」

 と、尋ねたメリアが例を挙げる。「音さんと関わりのあるひとがこれまでに多く操られていることを考慮すると、わたしや羅欄納さんが危険、と、いうことでしょうか」

 エント゠ウヴ゠エリーやゾーティカ゠イルとオトの関係は公には対立的であった。友好的な付合いがあったとは聞いていないララナとしても同じ認識である。その認識が確かなら元国王の二者が傀儡に選出されたのはおかしい。早い話、親しくないからだ。家族の付合いであるララナやメリアと同等または友人関係でもなければ魔団に目をつけられるようなことはないはず、と、いうことである。

「家族に傀儡化が及んだら大変やな。俺自身が操られる可能性もあるかね」

 特殊空間以外では紙耐久のメリアを止めるのは、自滅の可能性もあるので容易だが、仮にオトが操られた場合は危険極まりない。

「話を少し戻します。オト様と二人の元国王の関係について伺ってもよろしいですか」

「大層なもんやないよ。小さいときに会って、ちょっとばかり同じ夢を見ただけ」

「同じ夢、ですか」

「大層なもんじゃないとは重ねて言うよ。男同士、個人的ロマンを語り合ったってだけ。宇宙とか甘いものとか可愛いものとかね」

「宇宙はなんとなく理解できますが、後半は男性同士のロマンなのでしょうか」

「ドSこそ甘いもの好きやし、可愛いものは道具や動物に限らん。早い話、好きなタイプの女性の話やよ」

 なるほど。

 ……私には少少難しい話ですね。

 と、ララナは理解し、オトの話を聞く。

「二人が狙われたのは、わずかながらも個人的な付合いがあって立場もある相手なら俺が反抗しづらいと踏んだんやない。今回のことでそんな策が通じんことは判ったやろうけど」

 オトと元国王の背景や魔団の目的が解ったので、話を進められる。操られたら最も危険であろうオトの対策についてだ。

「オト様が操られてしまった場合、神具であるマモリイチカなども使えるのでしょうか」

「それはないな。俺以外にあれを取り出すことはできんし扱うこともできん。万一に備えて魔法的な施錠もしてある」

 強力な武器であるから厳重な封印が施される仕組になっているそうだ。魔団が悪意でもって神具を使えないのは大きな安心材料であるが、オトの基本能力が創造神アースの半分に匹敵することを考えれば危険であることに変りはない。

 オトが新たな問題を取り上げる。

「先までの傀儡化ならどうとでもなるけど、そろそろ向こうも別の術式に変えてくるやろう」

「術式違いの魔法には、新たな対策を講ずる必要がございますね」

 魔法を魔法として成り立たせている構造を術式という。それを破壊・破綻・分解などして無力化することで傀儡化に限らず魔法を解くことができる。代表的な例でいうなら、魔法陣の一部を書き換えたり、破壊したり、と、いった具合である。これまでのケースを参考にして傀儡化への具体的な対処方法を再確認してみよう。傀儡化の魔法の魔法陣を発見できたことはなく術者が近くにいたこともないことから魔法発動の妨害や術式破壊などの根本的対処方法は考えにくい。現状は傀儡に魔法薬や鎮静魔法で対処するほかない。ここで問題なのは、こちらが傀儡に対応できたことを魔団が察しているだろうこと。魔法発動に直接対処されないことをいいことにこちらの魔法薬や鎮静魔法が通じない別の術式に変更し、攪乱してくる危険性がある。また、傀儡化魔法ばかり使ってくるとも限らない。

「ひとを操る魔法なら精神魔法もございます」

「大きく分けて精神支配型と感情操作型の二種類がある。魔団の暗躍性に適っとるのは精神支配型。これを掛けられた状態を特に精神支配状態と言い、ほとんどの場合は記憶が残らんから術者が被術者に気取られんことが利点だ」

 オトが記す掲示板によればエント゠ウヴ゠エリーは術者の気配を察知できていなかった。記憶が残る傀儡化の魔法でもそうなのだ。術者は慎重だ。

 傀儡で成果が挙がっていない魔団は強引・慎重・強力に他者を操る手段として、精神支配を選択肢に入れるだろう。

 ……精神支配──。

 オトがそれと見せかけた酒気の魔法を用いたことをララナは記憶している。

「魔団がどのような精神支配を用いるか、オト様のご推察を伺いたいです」

「広すぎて推察もなんもない。ただ、死者を傀儡とすることに次いで死者の蘇生にまで及んだ相手やからね。精神魔法でも最も卑劣な部類を用いることがあるかもな」

「……記憶の書換え(かきか  )ですね」

 精神魔法でも高度なのが感情操作型だ。中でも重度のものが記憶の書換えを成す。

「一方、感情操作型は強引に目的を達成するのが難しく、記憶が残るのもネックではあるが、記憶が残っとったところで気配を感じ取られてなかったなら問題ないし、」

 と、エント゠ウヴ゠エリーの項目を示してオトが説明を続ける。「魔団に取っての利点を挙げるなら感情を操った相手がばれにくいってことやろう。ちょっと情緒不安定なのかな、って、周囲に思わせられるから、その間に必要な情報のヒントを得るくらいはできるやろう」

 傀儡を差し向けられるのとほとんど同じ構図ではあるが、実態と対処方法が異なる。魔団の目的が例えば竹神家の誰かを殺害することで、こちらが感情操作を受けた者を見抜けなかった場合、被術者の記憶が残っているという点でも取返しのつかない状況に陥るのである。

「じつをいえば、甚さんについては傀儡化じゃなく感情操作型の精神魔法を受けとった可能性もある」

「そうなのですか」

「術者の意図とかを捉えるのに注視したのと、術式の分析をする前に魔法薬をぶん投げたのが災いした。特に傀儡化魔法に対処した鎮静薬ではあったけど、多少の感情操作型や精神支配を無力化できるくらいには強力だ。見た目が同じような魔法やと見分けがつかん」

 ララナが時遡空間投影を使えば桜神甚の鎮静前の状況を映し出せる。が、振り返れるのは映像のみで観察は上辺に限られる。術式分析できるような情報が詰まった投影はできない。

「オト様はヨコシマを操作できますか」

「できんわけじゃないがしたくないね。それに、それでは術式や魔法の割出しができんのは魔法学的に理解できるやろ」

「そうですね……」

 術式は魔法の設計図といっていい。術式が判らないなら魔法は再現できない。そもそも術式分析していないので再現できるわけもなく、当然、割出しは不可能だ。

「全く余裕がないわけでもなかったし、速やかな解放を前提に動いたのは越度やったな」

「いいえ、観察に徹して逃走を許したおそれもございます。桜神甚さんが新たにひとを傷つける前に止められたことこそ幸いでしたのでオト様に越度はござりません」

 傷つけられた相手がおり双方の精神状態に懸念があったので桜神甚に掛けられた魔法の術式分析は行えなかった。よって、オトが再現できるのは傀儡化魔法のみ。その傀儡化を再現をしたところで、桜神甚が精神魔法を受けたか感情操作型か割り出すヒントにはならない。

「操られとるあいだにひとを傷つけたことを甚さんは憶えとった。寛容な相手で許してもらえたからよかったが、それで記憶が消えるでもない。実感は罪悪感の苗床になる。これら事実と今後の魔団の動きで、術式や意図を分析してこう」

 桜神甚が傀儡化魔法を掛けられていなかったのなら、魔団には感情操作型精神魔法を用いる術者がいることになる。それが判る頃には、オトが精神魔法の分析も終えているだろう。

「感情操作型は概ね、怒りや悲しみといった感情自体を増幅させることを主体とする術式やけど、精神支配型による記憶の書換えの術式はそうじゃない」

「感情の起点となっている主観的情報群を誇張するなど、事実をねじ曲げるのです」

「感情自体の増幅より根深い感情操作を行うから、被術者の後遺症が重度になりやすい──」

 本当なら巻き込まなくて済んだひとを傷つけ得る。これが、桜神甚の件ではっきりした。襲われる側でも自分の蒔いた種という意識があるオトとしては複雑な心境だろう。

 ……こういったとき、オト様は必ずこう考えるのです──。

 罪は全て俺にある。

 魔団の発生がオトの存在を起因としているのならその理屈が成立し得る。が、そういった考え方を続けた果てにオトが自死のみに目を向けていたことは、恋人(たちばな)鈴音(すずね)の死の原因から推察できることだ。大切なひとの死に纏わる考え方は、深く、つらく、彼の心に根づいている。それを簡単に変えられないことはとうに理解しているが諦めてはならないこともララナ達は理解している。

「オト様に責任はござりません」

 と、ララナは一つ明確にしておく。「魔法は道具に等しいのです。道具を使う者に犯意があるとき、道具を作った者に罪がないのと同じです」

「喩えがずれとる。魔団の感情の起点、犯意を煽っとるのが俺の存在やから道具は関係ない」

「(やはり左様にお考えでしたね。)私が言いたいのはその少し先です」

 誰しも他者に負の感情を持つ。が、存在しているだけで負の感情を煽ってしまった者がいたとして、それを理由にその者が罰せられる世界なら、ほとんど全てのひとが罰を免れないだろう。負の感情を煽る意図がないのに罰せられるということは、例えば、耳障りという理由で泣く子を罰することさえ認めるということだ。そんなことは絶対にあってはならない。

「存在することで犯意を煽ってしまうとしてもそれが意図したものでもないのなら罪ではございません。犯意をいだいた者が自身で感情を処理すべきです。ひとに求められる理知とは、そういうものです」

「その通りです」

 メリアがララナの意見を支持した。「悪い気持をいだいても、自分の中で消化していけるのがひとです。自分一人でそれができなくても、支えを得てそれをできるようにしていくのもひとの強さです。その強さを手放してしまったひとの罪まで背負う必要は誰にもないのです」

「ふむ……」

 オトが悩むのも当然だろう。物事の起点を探り、その起点を発生させた者が責任を背負うべきと彼は考えている。それは概ね間違っていない。ひとを傷つけるような出来事があった場合に起点を無視してひとを裁くことはできない。不平等だからだ。が、起点そのものには罪がないこともある。そして、彼は背負いすぎるきらいがある。自分が背負わなくてもいい起点を背負おうとすることがある。全く理に適っていないのにさも当然のように背負おうとするのだ。そんなとき妻であるララナ達がなんの指摘もしないわけにはゆかない。潰れてゆく彼をララナもメリアも看過できない。看過する自分を、許せない。

「オト様。物事を正しく見つめましょう」

「本当に音さんに責任があることなら、そのときはともに背負います」

「ん……。お節介が二人もおると、間違いが本当に間違いか、確認できるね」

 オトが鼻を鳴らして、「ありがとさん、俺の悪癖で無駄話をさせた。起点論争はもう少し様子見だ。なんせ、魔団の正体もまだよく判ってないわけやし」

「はい。しっかり見定めて参りましょう」

 どこに罪があるのか。何を、誰を、罰するべきか。見定めるのはもっと先のことだ。

 ……オト様に罪があるとは、最初から存じませんが。

 オトを逆怨みしているようなひとが無数にいたからだ。ララナはそうとは伝えないでおく。好意的見解だ、と、一蹴されるのが落ちであるし、そう言われ続けてもこう考えているのがララナである。オト曰く無駄話。長引かせる必要もない。

 掲示板の内容を確認して今後の防衛作戦を立てると、すっかりおやつどきになっており、朝に作っておいた和菓子や洋菓子を家族みんなでいただいた。

 

 

 家族内陣容が整った時点で覚悟しておくべきことではあるのだが、鈴音や夜月など、外へ行く予定があった家族もしばらくは家で待機する向きとなっている。外に出て魔団に狙われでもしたら危険で、傀儡にされても大変である。操られた者の犯した罪は操った者が背負うべきだがそれは法的道理であって操られた者としてはそう思いきれない部分が必ず出てくる。そういったどうしようもない部分を回避するため両親が守る家にいることを選択した鈴音と夜月のみならず魔物討伐の仕事をしている姉妹も行動範囲を狭め、触れ合う時間が増えて、問題が増えることとなった。

 たった数日で問題は一〇件を超えた。その中心にいたのは大半が夜月で、心を抉る言葉が原因の喧嘩であった。次に多くの問題を起こしたのは安定のトラブルメーカたる刻音だ。暴力に近い言葉を放つ夜月と異なり過度の愛情表現によるものであった。どちらも音羅や子欄、それから意外なことに年少組の納雪が仲裁に入ることで解決できた。音羅や子欄でもときに抑えがたい夜月の毒や刻音の愛情表現を納雪がうまく対処してくれたお蔭であった。

 魔物討伐の仕事を縮小した音羅達は体をなまらせず実戦感覚を研ぎ澄ませられるよう、父が作った特殊空間での運動会を継続した。それぞれ予定があるので毎回全員参加とはゆかないものの、必ずしも戦闘訓練ではないこともあって年少組も参加できた。外では被害を抑えようのない強力な魔法や大怪我をしそうな運動も父の障壁のお蔭で傷一つ負わないため、試したいことを遠慮なくできる機会が多いという点で魔物との実戦よりハードルが低く、安全に多くの経験を得られた。夜月や刻音の起こす問題を解決する立場にある音羅としては、母やメリアがアドバイスをくれる環境は非常に修業効率がよく、可能なら魔団の一件が解決したあとも特殊空間での修業を続けたく思うほどである。

「──しかしなんだかなぁ」

「音羅お姉さんが悩み事なんて希しいね」

 納雪、磋欄、霊欄の魔法の基本練習を眺めていた音羅は、鈴音の言葉に応じて心境を語る。

「最初の運動会ではパパもいたよね。チャンバラなんかはすごくはらはらしたけれど、すごく愉しかったなぁ、って思う」

「お父さんがあれだけ機敏に動けるとは思わなかったから、わたしもびっくりした」

「それ以上に驚いたのは、すーちゃんもそうだと思うんだけれど、振り返ってみたら、パパとああやって遊んだのがじつは初めてだったかも知れない」

「……そうかも」

 言われるまで気づいていなかったらしい鈴音が、父を慮るように微笑した。「腰痛や節節の痛みを訴えたりして、パパもそこそこの年を重ねたおじいさんってことかもな。それで、子どもと遊びたいって思うような、ある種の丸さを獲得したとか」

「うん、それはあるかな。モカ村に移ってからパパが優しくなった、って、よく感じる」

 別人とまではゆかないのは、以前から覗いていた部分もある。ただ、優しさを向けてくれる頻度が高まった。音羅はそう感じている。

「わたしは結構早くに旅に出たよね」

 と、鈴音が振り返った。

「パパと一緒にいられない、って、思ったからかな」

「まあ、大体そんな感じ。それで、ほとんど旅に出ててお父さんと触れ合う機会が少なかったのに、音羅お姉さんと同じように、丸くなってる、って、感じてる」

 その感覚は、移住以前に生まれたほぼ全ての姉妹が感じていることだろう。逆を言えば、モカ村で生まれた磋欄と霊欄は、惨さすらあった厳しい父を知らない。

「どうせだから、ここにも参加してくれたらいいのにね。厳しく接する噓をつけるなら、いっそ厳しい修業をつけてくれたほうが身のためな気がする」

「格闘科出身らしい意見」

「体を動かしたら元気になるのは確かだよ。書類を片づけてくれる仕事仲間を運動に誘ったらそう言ってくれたから」

「上司に誘われたらおべっか使うって。まあ、適度な運動がストレス解消にいいのはわたしも実感してるけど、でもお父さんの場合、きっと修業までは付き合わないな」

 鈴音が考えたのは音羅の精神についてである。「今のお父さんと触れ合って育っていたなら音羅お姉さんは妹に甘いひとになっていたんじゃない。刻音みたいに」

「刻ちゃんみたいに。……」

 納雪、磋欄、霊欄に魔法の使い方を直接教えているのは刻音である。学園時代からいろいろあった刻音だが成績が悪かったわけではない。旅の経験もあり魔法の使い方が上手で、教え方も上手だ。ただし、べたべたして甘やかしぎみだ。魔力を集中させるための両手の構え方を教えるのはいい。が、背中にぴったりくっついて腕を絡めるように手に手を添えてやる必要は、まあ、ほぼないだろう。

「そう、そう、両手を構えて……そう」

「ひゃっ!あ、あれ、失敗しました……」

「爆発しちゃったね。でも大丈夫、納雪ちゃんは可愛いから許しちゃうっ。次はもっとこう、ぎゅ〜っと掌に力を集める感じにして──」

 ……うん、確かに甘いな。

 先輩にも後輩にもほどほどに厳しく接せられていた音羅から観れば、手取り足取り言葉を添えてゆっくり教えられる環境は物足りなさを覚えそうだ。

 ……でも。

 体を動かしながら教わっているので座学よりずっと体に落とし込みやすそうだとも思う。納雪達は戦った経験がほとんどない。ハードな指導をして拒否感を覚えさせてしまうと、実戦の厳しさを知らないために指導を不要なものと切り捨ててしまうこともあるだろう。基本的な知識が間違っておらず前向きな姿勢で教えられるなら、先生役として適任だろう。

「必要以上にくっついちゃっているのは動きにくそうだからやめさせたほうがいいけれど、雪ちゃん達には優しめがいいんじゃないかな。実戦感覚を養うとはいっても実戦とは違う。パパの障壁のお蔭で痛みもほとんどないから、危険を感じてもいない」

 先程納雪が魔法を暴発させてしまったが、それだって規模によっては死者が出る危険なものだ。その危険に無頓着でも怪我一つ負わないのは、学園での稽古で打身や擦り傷を作りまくっていた音羅としては羨ましいほどだ。

「痛みに無頓着でいたらいざ大怪我をしたとき大変だと思うけどな」

「すーちゃんも優しいよ」

「これはそういうのじゃなくて心構えの問題を説いてるわけで」

「同じだよ。深く傷つかないようにしたい。その気持は一緒だからね」

「それは否定しないけど。話を戻せば、お父さんの厳しさがあって甘やかさないやり方も視野に入る分、お姉さんやわたし達のほうが指導には向いてる」

「それが必要とされないのが望ましいと思うのも、指導に向いてる証かな」

「うん」

 今は厳しい指導をしなくてもいい。魔団の出現で焦りを感ずる部分があるのも確かで、事実として納雪が襲われたことを考えると悠長には構えていられないとも思うが、焦る気持のまま指導しては不必要な厳しさで納雪達を困惑させてしまう。父の惨さの理由を知らなかった音羅達と同じように。

 ……困惑しても理解できたのがわたし達なんだよな……。

 とも、音羅は思う。

 ──子どもってのは、結構なんでもできちまうもんだぜ。

 ……花が、よくそう言っていたな。

 保育園たるたんぽぽ(えん)を営んでいた親友野原花。

 仕事帰りに花の顔を見るついでによく立ち寄ったたんぽぽ園で、音羅は園児の話をよく聞いた。

 

「──なんでもできるぜ〜、なんて、大層なこと言いやがるガキが一人いたから、試しに見せてやったわけだ。したら、あんのヤロー、やれやがった」

 たんぽぽ園では花が学んだ格闘技術を教えていた。体作りの一環として準備運動や柔軟体操の仕方を教えるのだが、その枠を跳び越えたことを花が披露することもあった。頭から落ちても平気なよう広げたマットの上ではあるが、本格的な体操もその一つだ。バック転からの後方伸身宙返り二回捻り。保育園児に実践させるようなことでは無論ないが、何度か観察させたあとやらせてみたら、数回の練習を経てできてしまったのだという。

「すごいな。そんなの、わたしでもできるか判らないや」

「ま、一回成功したら集中切れてできなくなってたけどな。型の流れと同じでコツがあるから体で覚えりゃなんてこたぁねえ技だぜ」

「あいや、そんな簡単でもないよね」

「やってみなけりゃ解んねえことは多いだろ」

「それは同感だ」

 

 教え方はいろいろある。優しい指導と厳しい指導は時と場合によって効率が変わる。一回できたことで園児の自信を養いモチベーションを高める要素になっただけでいい。その自信に合わせて厳しい指導を続けることはしない。幅広い基本練習と体作りを終えていない段階ではムラが増えて成功したことのある体操に体が偏ってしまう。結果、あらゆる体操や、そもそも格闘技術の洗練から遠退いてしまう。とは、花が話していたことである。

「うん、今は見守ろう」

「え。いま何に納得したの」

「花とのことを思い出していてね」

「親友の──」

 鈴音がやや俯いたのは、花が亡くなったことを知っている。亡くなったひとの話を広げていいものか、と、いう心配りを受け取って、音羅は鈴音の頭を撫でた。

「しんみりするところじゃないよ」

 たんぽぽ園と、その志を遺した彼女から、音羅はたくさんのものをもらった。「花の心は多くのひとに根づいて生きているから、少し寂しいけれど悲しむことはないんだ」

「そうだね、きっと、って──」

 話していると、ぼわっ!と、冷気が押し寄せた。納雪の魔法がまた暴発したのか。冷たい靄を炎の熱で払うと、納雪の周囲に吹雪が渦巻いている。

「きちんとした魔法だね。障壁かな」

「攻撃性能もありそうだな」

 鈴音が小石を投げ込んでみると、氷漬けになって地面に弾き返された。吹雪は空の彼方まで続いていて、近くにいる刻音達を守るようにして音羅と鈴音の前まで迫ってくる。

「すごいね。これ、触れたらただじゃ済まないんじゃないかな」

「なんて言って、悠長に構えている場合じゃないな」

 鈴音が右手で黒い魔法弾を作り、吹雪の上方を狙い撃った。魔法弾が突き抜けた部分から吹雪がほどけて薄まりやがて治まった。

「雪ちゃん、今の魔法すごいね」

 と、音羅は声を掛けた。「まだ不安定みたいだけれど、上達したら村ごと守れそうなくらいだよ」

 駆け寄ってきた納雪がぽふっと抱きついてきたので、音羅はしっかり抱きとめた。

「お姉さん、甘やかしたら駄目」

「今は甘やかしタイムってことでいいんじゃないかな」

「森の生態系を考えよう、って意味」

「すーちゃん視野が広くてすごいね」

「わたしまで甘やかさくていいって」

「ふふっ、みんな可愛い妹だもの」

 父に引き摺られているのでもなく、本気でそう思い甘やかしたくなる音羅である。

「前言撤回だな。お姉さんにも厳しい指導はできそうにない」

「そちらはすーちゃんに任せるよ」

「憎まれ役だなあ。気にしないから任されるけどね」

 納雪に続いて抱きついてきた磋欄や刻音も抱きとめた音羅は、かつての花のように、先達としての技術を披露することとなった。大空を焼き尽くしそうな巨大な炎を作り出したり、学園で学んだ徒手格闘の型を見せたり、母が用意してくれたムラサキイモを落ち葉で焼いたり。

 ……ああ、愉しいな。

 家族との時間は何をしていても愉しい。笑い合える時間は、もっと愉しい。特殊空間では魔法に使用制限がないから、一層笑う機会が増えたようでもあった。

 ……ずっと、こうして笑って過ごせたらいいな。

 そう思える時間がとても貴重であることは何度も体感したことであったから、その時間から少し間を置いてやってきた静寂に、ふと思うのである。

 ……ずっとは、続かないんだろうな。

 どんなに願っても、どんなに祈っても、つらいことがこの世からなくなることはない。愉しいこともきっと残り続けるが、時折訪れる悲しみや苦しみからは、逃れる術がない。それもまた、何度も体感したことであったから確信している。

 大事なのは、そうしてやってくる逃れがたい苦痛から家族を奮い立たせること。そして特に妹に対してそれができるのは、長女である自分なのだと音羅は思うのである。

 妹が特殊空間から出ると、ずっと動かずにいたプウを呼び寄せて母が見守る中で音羅は訓練の本番を開始した。実戦を模した訓練、ヘビであるプウとの対戦だ。プウも木彫りのような体から炎を吐き出して戦えるから、音羅も本気の炎で立ち向かう。

「やあーーーーッ!」

「ゴァーーーーッ!」

 音羅が放った炎とプウが吐いた炎は余波だけでも互いの身を焼くほどに熱く、妹がいてはここまでの訓練はできない。

 ……わたしが守るんだ!

 守れなかったものを取り戻せるわけではないから、守れるものを守りきれるように、全力で訓練して、いざというとき押し負けることのないようにしておきたい。

「プゥッ!」

「うわっ!」

 爆炎に巻かれて跳び退いていた音羅をプウが尻尾で地面に叩き落とした。

「いつの間に……!」

「ピゥ!」

「っく!」

 どれだけ訓練したのだろうか。プウの動きは惑星アースの頃とは比べ物にならない。だから音羅も容赦なく本気で立ち向えるというのはあるのだが、音もなく背後に回られ、尻尾で一撃を入れられるたびに受身も取れず転がされては父の障壁もさすがに持たないのではないか。

「ピィッ!」

「何度もさせない!」

「ピぃっ……!」

 背後に回られることを前提に背へ回した手でプウの尻尾を受け止め、握り、空へ投げた。音羅は間を置かず、転がっていた石に炎を灯してプウを狙う。

「やあッ!」

 火球のような輝きが空を突き抜けた。プウを空の彼方まで突き飛ばすイメージを描いたが、

「プゥッ!」

 ……避けられていた!

 炎の石をすんでのところで躱したプウが投石の直後に音羅に迫っていた。空中で加速するような炎を放った気配がなかったので、恐らく音羅が放った石を足場にしたのだろう。

「すごい見切りだね……!」

「ガァゥゥゥ!ンぁッ!」

 全身を使って巻きつき、音羅を締め上げたプウ。迫ったその口に音羅は手を突っ込んで、嚙みつけないよう掌を開いた。口が駄目なら全身で、と、プウが力を増して締め上げる。

「んぁぁああアッ!」

「動きが捉えられないくらい速いのは認める、力もすごく強くなったよ。けど、」

 プウの口に突っ込んだ手に炎を灯す。「これで終りだ!」

「あぅ!」

 全力で巻きつけた体をほどくには時間が掛かる。音羅はプウにその時間を与えない。空いた手でプウの体をしっかり捕まえてもいる。口に突っ込んだほうの手で魔力を束ねて──。

「そこまで」

 炎を放とうとした音羅の腕に手を置いて、母が止めた。プウの動きも摑みきれない音羅であるが、母の動きはもっと摑めない。それはプウも同じで、対戦の終りを告げられて力を緩めるより母の出現にびっくりして体を一瞬固めるほうが先だ。母の合図を理解して、互いに力を緩めるのは同時である。

 母の評価を聞きつつ、音羅の手を伝うヨダレ(?)をプウが舐めて拭ってゆいた。

「二人とも、障壁がない外での動きも想定した素晴らしい動きでした」

「まだまだプウちゃんの動きを摑みきれないでいるんだけれど、大丈夫かな」

「ピゥ」

 と、自信満満な様子で寄りかかるプウの頭を母が撫でた。

「プウちゃんの動きはヘビというよりどこか竜のようですね」

「竜。それって、テラスさんが戦ったっていう」

「そちらは魔竜、つまり魔物です」

 父の第二夫人でモカ村の有力者といえるテラスは、元主神としてこの神界の脅威であった魔竜と対立したことがあったそうである。

「魔竜と竜は何が違うの」

「魔竜が魔物の一形態であるのに対して、竜は本物の竜族。魔竜は竜を模した魔物であるともいえますね」

「じゃあ、動きも近いんじゃ」

「竜と魔竜では雲泥の差がございます。魔竜が魔物としての能力を持つ一方で竜たる者の能力はほぼない。すなわち、通称ドラゴンブレスといわれる咆哮による攻撃も真似事に過ぎず、竜のものと比べるとおままごともいいところです」

 見てきたかのような言い方なのは今はあえてツッコまないが、

「要するに、プウちゃんの吐く炎がそのドラゴンブレスに似ているってことかな」

「そちらではなく身のこなしです。音羅ちゃんの投石を足場にした跳躍は総じて能力の高い竜そのもののようでした」

「そうなんだ。と、いうか、やっぱりあれはわたしの投げた石を足場にしていたんだね」

 母に甘えるように目を細めているプウは甘えん坊のそれでいかめしさが全くないが、音羅を遥かに超えた動体視力や運動神経を備えているのだろう。

「あれを避けるのもすごいけれど、足場にできたのはもっとすごいよね。ママから観たら、竜だとしたら納得の動きってことだ」

「ええ。およそ普通のヘビではできないことですから」

 分祀精霊であるから普通のヘビではない、と、文句を言ったのでもないだろうが、

「ピゥ」

 と、プウが少し不満そうに横目を寄越した。

「そういえば、眼。プウちゃんの眼って竜っぽいのかな」

「眼ですか」

「ほら、見てみて。瞼っぽいのがあるよね」

「なるほど、ヘビは鱗が変化したもので眼球が覆われているため瞼に当たる器官が存在しません。プウちゃんは瞼らしきものが確かにございますから──」

「竜っぽいんだね」

「ええ、竜に似ているかと」

「わはっすごいっ」

 音羅は思わずプウを抱き上げて、「ひょっとして翼が生えたりするのかな!」

「ピィっ、プゥプゥううぅ!」

「えっ、なんだか嫌そうだ……」

 首(?)を全力でぶんぶん振っているプウを、母がそっと撫でて宥めた。

「もしそうだとすると戸惑ってしまうでしょう。今の姿から大きく変わるのです」

「う〜ん、ちょっと想像してみよう……」

 今までの体にないものがいきなり増える。翼が生えるのだとしたら移動能力が高まるのだろう。音羅に置き換えて考えるなら、例えば、いきなり脚が何本か増えるのか(!)

「う……か、かなり嫌かも知れない……!」

「プウちゃんも同じです」

「そ、そうだね、きっと。ごめんね、プウちゃん、変な期待しちゃって」

「ピゥ……」

 安心とともに、不満そうな目差だ。

「今の姿でも、もっとすごいことができる、って、言ったのかな」

「プゥ」

「そっか。それもまた次に試してみよう。相手になるよ」

「ピィッ!」

 気合十分。連戦もできそうだが夕食どきである。特殊空間に入るたび景色が元通りになっているが、音羅達が出るとき一面が焦土と化している。それくらいまで対戦を続けないと音羅もプウも納得できない。本日もその域まで立ち回って、そこかしこが土や煤や炭で汚れている。

「今日もしっかり食べて明日また頑張ろうね」

「プゥぅ」

 出端を挫かれたよう気分か、物足りなそうだが仕方がない。

「ほら、いじけていないでみんなと一緒に食べよう。今日もきっとおいしいよ」

「先に戻りますね」

 と、母が姿を消すと、なでなでにつられて母に引っついていたプウが自然と地面にぺたんと倒れた。父がいないときも自由に出入りできるようになった特殊空間であるが、ほとんどなんでもありな空間であるから家族や分祀精霊以外は入れないよう制限を掛けているらしい。

 ……そういう意味でも文也さんを助けることはできなかったってことだな。

 過去を変えることはできないから、……文也さんのことも糧にしなくちゃいけない。

 悔しさや悲しさを自分のみならず家族全員が味わわなくて済むように、できる限りの備えをしておかなくては。そのためにも、

「ほら、プウちゃん動いてっ」

「ピゥ……」

「さっきまでのやる気はどこだろう」

 抱えたプウの体が微動だにしない。「新手の筋トレかな」

「……ピゥ」

「『じゃあそれで』かな。プウちゃんはでっぷりになりそうだね」

「ピゥ!」

 全身をくねらせたあと音羅の頭の上で反り上がるプウ。

「急にやる気が戻ったっ。太りたくはないんだね」

「ピゥぅぅぅ」

「あぁ、解った、解ったから甘嚙みしないで」

 牙があるから小さな穴は空くのである。嚙み癖がつくと障壁がない外で大変だ。昔から時折教えていたことだが、音羅はプウに改めて教えておく。

「みんなに嚙みついたらダメ、解っているよね」

「ピぅ〜」

 そんなことしません〜、と、言っているのかも知れない。音羅以外には甘嚙みもしたことがないので、そっぽを向いて不機嫌そうだ。

「約束だからね、ちゃんと守るんだよ」

「ピィ」

「よしっ、じゃあ戻って食べよう!」

「ピゥっ!」

 音羅と同じように食べることが大好きなので、食事に前向きなプウである。

 家に戻ろうと思えば、その瞬間には特殊空間を出て、竹神邸一階西廊下の扉の前である。位置的には浴室に続く脱衣室の扉の北隣、踊り場からだと廊下に入ってすぐの扉であるが、つい先日までなんの部屋があるのかは知らなかった。まさか家の中に謎の空間が広がっているとは思いもしなかったから、驚いたのは音羅だけではなかった。

「世の中は不思議なことでいっぱいだなぁ」

「ぴぃ〜」

 踝を尻尾でつつかれた音羅は居間へ向かう。

「プウちゃんもそう思う」

「ピぴぅ。プゥ」

「考えても仕方ない、か。プウちゃんもヘビみたいでヘビじゃないっぽいものね。不思議なことなんていくらでも転がっているってことなのかも」

「プゥ」

 うなづいたらしいプウと居間に入ってしばらくすると家族全員が揃って夕食となった。

 

 

 微笑み合う妻や娘を眺めていると、オトは遠い日のことを思い出し、ふと、笑った。自分でも不思議なほどあっさりと無表情が崩れたから、普段から見慣れない破顔に妻が気づかないはずもなく、寝室で横になったとき質問された。

「誰と話すこともなく微笑まれるのは、とても希しいことです。あのとき、何かを思い出していらっしゃったのですか」

「ああ、まあ、大したことじゃないんやけどね」

 ぽつり、ぽつり、オトは昔話を始めた。「なんと呼ばれとったか思い出せんが、──」

 

 屈託なく微笑みかけてくる金髪碧眼の少女は無防備で、将来が心配になるほど無警戒だ。

「**さん、**さぁん」

 名前を呼んで密着してくる。「考えごとぉですぅか?」

 間延びした独特の口調は表向き、少女がレフュラル出身者であることを示している。

 抱擁してくる少女の頭を撫でて、頰を緩めるのが常だ。つい、つられて笑ってしまう。彼女の微笑みには、ひとの心をほぐす愛嬌があった。

 

 

「──山田リュートさん、元恋人でしたね」

 とは、メリアが言った。「ダゼダダのひとではなかったのですね」

「損得勘定が強い国にリュートみたいなタイプは住みづらかったやろうな、移住者やよ」

 山田リュートが微笑みかけてきたときのことを思い出したタイミングであろうか、たびたび微笑んでいるオトだが、無表情の時間が長いことに変りはない。

 山田リュートとはララナも会ったことがあり、オトが微笑む気持が理解できる。

「気持のいい笑顔でした。オト様がつられて笑ってしまうのもうなづけます」

 毒気がない。一言にいえばそういうことだ。

 

「ハグぅ」

「ふぇ──」

 三〇二三年一一月二七日。オトの話を聞くため山田リュートの家を訪ねたララナは、玄関扉を開けるなり言葉通り抱きついてきた少女に面食らった。

「あ、あの、あなたが山田リュートさんですか」

 と、尋ねたのは、山田リュートが一方的に何分か話したあとのこと。彼女の話の内容はこちらから促す予定にあった話であった。友人にララナが訪ねることを伝えていた堤端(つつみばた)(そう)が、ララナが聞きたい話を粗方伝えていたらしく、山田リュートは先回りで話してくれたのである。

 

「──山田さんのお話は印象的でした」

 およそ三〇分、日没近くまで話してくれた山田リュートは終始笑顔だった。「知的発達が遅れていた山田さんは勉強が苦手で、オト様が勉強を教えてくれたのだという話でした」

 周囲に不気味がられるような奇行をすることも少なくなかったという山田リュート。隔てなく接したオトが勉強を教えた。

「テスト結果が少しずつよくなり、両親以外では初めてオト様に頭を撫でてもらえたのだと、山田さんは嬉しそうに話していました。夕方、日没目前まで淀みなく話す彼女につられて私も笑いました」

 前半に聞いた学園支配のことなどは忘れてしまえるほど内容が厚かった。困っているひとを助けて歩くオトを、山田リュートはよく視ていた。迷子の手を引き、年輩を尋ね人のもとへ導き、怪我を負ったひとを治し、作り出した花畑で喧嘩する者を和ませ、行く当てのない動物の飼主を見つけ、よく解らない大人からの頼みも残らず聞いて、果ては見えないもの──精霊の類であろう──にも手を差し伸べていた。それは、何も山田リュートのみが視ていたのではなく、総など元友人のほとんどが目撃していることであったのだという。して、それに近いことをララナも何百件と目撃した。オトを知るため、彼が出演していたテレビ番組を隈なく視聴したからである。山田リュートがいう「よく解らない大人の頼み」には番組での出来事が多く含まれていたことだろう、厄介な問題の数数を幼少期に魔法も使わず解決する場面がいくつもあった。同じものがない心や社会背景が複雑に絡み合った問題で、幼子一人が介入して解決できないようなものも中にはあった。大人でも手を拱いてしまう問題に、幼さゆえだろう、と、表せられそうな凄まじい勢いで踏み込んで解決に導いていたのがオトであった。記憶の砂漠を有さなかったはずの頃に、既に独特の憶測力を発揮し、問題を抱えるひとびとをその憶測へ引き込むかのようにして、事実として問題解決してしまっていたのは番組の演出ではないかという見方もあるようだが、ララナはそれだけとは思わなかった。と、いうのも、オトのその姿勢を真似てララナはオトの問題を解決しようとしたことがあり功を奏した場面が幾度もあった。

 それが好意的な見方を半ば押しつけて問題に雁字搦めとなった相手の姿勢を崩して自分のペースに巻き込んで正常化へ傾ける、と、いうものだ。無論、当時のララナとしては過去の未来のオトへの好感もあって見方が偏っていたことで結果として幼少期のオトの姿勢を素で実践できたというのが大きかったのだが、それゆえにオトから拒絶されたこともあった。幼少期のオトはララナの不完全な実践と一線を画していた。相手が全く否定できない材料を集めてから問題に挑んでいたのである。社会ではその場で解決できなければ問題を保留したり凍結したりすることが当り前にあるが、オトは保留や凍結を選ばず持前の明るさと利発さと何にも囚われない幼さでもって柵を破壊し尽くして問題を解決、否、解消したのだ。

 〈奇跡の少年〉

 彼がそう呼ばれたのは、彼がかつて述べたように新聞記事が基となっている部分はあっただろうが、実際は、あとから見定められた実態だ。大人では解消できないことを子だから解消できた、と。大人の社会ではいっそ通らない話であるから呼称自体に揶揄や妬みを孕んでいる。それでいて目を背けられず崇めてしまうような存在感があり、ひとの手ではなかなか引き起こせない現象を冠した異名が定着した。学園での事件後〈悪童〉が固有名詞化されたのは、揶揄や妬みに傾倒した見方が増えて以前からもあった〈神童〉と対比的に扱ったからに相違ない。

 そういった出来事の流れを観察しつつ、ララナはオトが光のもとへ、ひとに理解される形で活躍できると確信したが、両親の離婚や橘鈴音の死を経てオトは真に悪童と化していたともいえて、一筋縄ではゆかなくなっていた。そのなごりは今もあるわけだが、

「山田さんが話してくれたオト様に、今のオト様はとても近いように感じます」

「ん、そうかね」

 ほとんど無自覚だろうか。

「たくさんの子ができて、自然と、柵を解消できたのかも知れませんね」

「子どもに影響されたっていう意味なら、間違いなくそうやと思うよ」

 ララナの意見を認めて、オトが微笑む。「そうやって、お前さんが好意的に観続けてくれたことも、きっと影響しとるよ」

「オト様──」

「おかしなもんやよな、ひとに合わせるのを嫌に思ったのに、ひとの言葉に引き摺られるように変わってくことを受け入れられる部分がある。心理的作用の延長線上なのか、年齢相応に角を削ぎ落としたのか、原点回帰したがっとるのか」

 ひとの問題をいくらでも解消してきた彼だからこそだろう。自分自身のことはほとんど理解できていない。メリアと目配せして微笑み合って、ララナはオトの目を見つめて告げる。

「きっと全てです。オト様は、ひとの心をお持ちで、年を重ねて許容に深みが増し、童心に還ることでよりご自分らしいご自分を磨こうとなさっている。私はそう存じます」

 二人の妻のように、オトも微笑んだ。

「っふふ、好意的に観すぎやよ」

「はい、それが私です」

 変わらない。彼を微笑ませられたことがララナの揺るぎない自信だ。

 

 

 翌朝、森の外から平穏が崩された。

 村内がにわかに騒がしくなり、ちょうど畑仕事をしていたメリアは村民から事情を聞くことができた。外層で仕事をしていた村民が、北に広がるナゴエド平野から得体の知れない植物と炎の渦が接近してきているのを確認したというのである。村内の主戦力である男性陣は夜の立ち番を終えて眠っているので、今は女子どもが対処せねばならない。が、森に火が移ろうものなら大惨事であるから男性陣からも応援を呼ぶ必要があるとのこと。

 過去に焼失を経験したモカ村は炎への警戒心が強い。普段穏やかな村民がこれまでになくぴりぴりして、それでいて声を小さくして、冷静に動いていた。直接目にしたことのない脅威をメリアは漠然とながら察してただちに帰宅、玄関を入ってすぐの三和土から声を張り上げた。

「大変です、森が燃えそうです!」

 居間のオトが姿を消したので、台所から出てきたララナにメリアは状況を説明した。すると居間にいた娘のうち、音羅が駆け寄ってきた。

「植物と炎の渦ですか」

「何か、気になることがありますか」

「いいえ……あ、でも、少し気になります」

 音羅にしては歯切れが悪い。

「時間がありませんが音さんが向かってくれたので恐らくなんとかなるでしょう。一応話してみてください」

「……じゃあ、確認から」

 と、音羅がうなづいた。「パパを狙っている魔団は、ひとを蘇らせていたんですよね」

「ええ、生前の意志がなく言葉を発することもなかったそうですが、ゾーティカ゠イルという元王様がそれに当たると掲示板にも記されていますね」

「植物と炎の渦……ママや、なっちゃんやしーちゃんには話したことがあったかな、ひょっとすると──」

 

 

 基本、外層までしか村民は出られない。つまり、森の外、ナゴエド平野には踏み出せない。警戒して外層のぎりぎりまで出てきていた最初の目撃者たるミサト・カオルは、移住者である竹神音が森の外へ出ることを看過した。

「音さん、あれをどうするんだね」

「止めるほかないね」

「……できるのか、あれは──、ひとだよ」

「巻き込んで悪いね。移住前の俺の責任やからカオルさん達が気負う必要はないよ」

「あなたを狙ってきてるってことか」

「ああ。大丈夫、すぐに終わらせる」

 植物と炎の中心にいる人影は、人間なのだろう。が、長年魔物とも戦ってきた神であるミサト・カオルでも異常性に肌が引き攣るようだった。空を焼くような火炎とペンシイェロの大樹に優る蔓状の植物が体を煽る熱と風を送り込んでくるのに、

 ……気配を感じない。おかしい。

 魔力を感じないのは突撃した竹神音と共通する部分だ。元主神テラスリプルの夫でモカ村の味方と明らかになっていなければ、竹神音を脅威にしか思えなかったことだろう。立ちはだかる炎と向かい来る蔓を余さず消し去って人影に竹神音が突撃した瞬間、視界いっぱいに火炎が膨らみ、地面もろとも森が吹き飛ぶかと思われた。ミサト・カオルが手をついたペンシイェロの木はもちろん森全体を守るように透明の壁があって、炎も風も及ぶことはなかった。

 萎んだ火炎の中心部、眩んだ眼に景色を馴染ませると、人影を抱えた竹神音が佇んでいた。

 責任。彼は、そう言った。その起因たる出来事がなんなのか、ミサト・カオルは知らないが、息をしていない人影をそっと横たえ、炎で包む彼の無表情に釘づけになった。数百メートルという距離をたった数センチメートルに近づけるような、途方もない悲しみと怒りを感じたのである。

 

 

「──文也さん、だと思う」

 と、音羅が言った。それは、今にも泣き出しそうな声だった。「なんとなく、そう思う」

 在学時代、音羅が助けられなかった後輩。同時に、オトが助けることができなかった子であることも、メリアは聞いている。五〇年ほど前の出来事になるが、魔団はそれを把握していたということになる。

「なんで佐崎さんが」

 と、首を傾げたのは、音羅と同時期に学園に通い佐崎文也を知っていた納月である。「こういってはアレですし、わたしに他意はないってことは断っときますけど、お姉様にぶつけるのが適切な相手なんじゃ」

 ほとんど当事者である納月ならではの意見だが「あいや……」と訂正する。「そういえば、佐崎さんのことを独自に治療してたんでしたっけ。運動会のあとくらいに、お姉様からそんなこと聞きましたけど……」

「うん。だから、パパに対しても文也さんの出現はきついと思う」

 助けようとして助けられなかった命がある。その重さを、魔法医療に携わっている納月が実感していないはずがない。

「魔団は、かなり昔のことまで調べ尽くして、お父様の傷を抉るためならどんな手も使うわけですよね……。だとしたら、──」

 納月が言おうとしたことを、オトの過去を知っているララナや娘は察せられるだろう。

 ……橘鈴音さん──。

 悪童たるオトへの怨嗟で傷つけられた恋人。オトが決して手放したくなかった恋人。苦しみから解放するためオトがその手に掛けた恋人。それが橘鈴音だ。魔団がオトを苦しめるなら、かの恋人を蘇らせてくるに違いない。

 竹神姉妹は橘鈴音の名を知らない。四女鈴音の名の由来を伏せたおくための情報統制だ。一方、現在の竹神家が成立するきっかけとなったオトとララナとの交流を語る上で欠かせないこととして「恋人」の死の経緯は知らせているので、それを踏まえて話すことはできる。橘鈴音の名のみ伏せて、メリアは家族での方針を提案する。

「音さんには二度と同じ苦しみを味わわせたくない。ですから、もし音さんの恋人が現れたときはわたし達で対処したいです。みんなは、どう思いますか」

 自分達が傷つくと彼が傷つく。彼の恋人を傷つけたら皆が心を痛めることを避けられない。だから、傷つく以上に守る悦びを得られることを、メリアは確かめておきたかった。

「わたしは賛成です」

 と、音羅が真先に応じた。「きっと、文也さんのことも、そうやって父が対処してくれている……傷つきながら、守ってくれていると思うから、わたしも同じように父を守りたいです」

「音羅ちゃん、立派ですね。私も同じ意見です」

 と、ララナが継いだ。「ゾーティカ゠イルさんの一件で懸念が高まっています。魔団の卑劣さから私達はその戦いを避けられないでしょう。この機に覚悟を決めましょう」

 大人数で、幼い子もいる。反対意見が生ずるのは自然である。

「ワタシは無理……」

 と、磋欄が真先に反対意見を上した。「亡くなってるひとが襲ってくるだけで恐いのに、父さんの、大切にしてたひとを──」

 一度亡くなっているのだから二度も同じ。そんなふうに考えられることではない。死者にも尊厳がある。生者の身勝手で傷つけていいものであっていいわけがない。

「同調じゃないが、わたしもできないな」

 と、末妹霊欄が反対意見に回った。「カナメダマさんやソソさん達みたいに、幽霊みたいでも生きているひとがいる。意志だってあるはずだ。傷つけられて心から悦ぶひとがいるとは思えない」

 反対意見の淘汰が生ずるのも自然である。霊欄の意見に異議を唱えたのは納月だ。

「それはどうでしょうかね。そもそも恋人はお父様に殺してほしいって求めたんじゃなかったですっけ」

 目線にララナがうなづくと納月が続けた。「頑張ったって必ず報われるわけでもないですし、望まぬ傷を背負ったら案外脆いのが人間です。お父様の恋人はそういう脆さがあって、苦しんでまで生きようとしてなかったってことですよ。お父様を苦しめる輩の身勝手な策謀で蘇らされて再会なんて、対峙したお父様を苦しることも必至でさらにはトラウマを残すことを思えば三重苦でしょうね」

 オトと恋人の結末を知っているからこその意見に、霊欄が口を閉じた。

「それでも、父様には躊躇もあるんじゃなくて」

 と、反対意見に加わったのは夜月だ。「〔元恋人〕じゃなく〔恋人〕──、父様はまだ気がある。どんな形であれ、そのひとを傷つけることを望まないんじゃないかしら。それがワタシ達の手によるものならなおさら」

 夜月の意見を聞いて、謐納が肯定的な反対意見を述べる。

「テラノア元王の一件から父上がこの状況を予測せぬとは考えにくい。夜月がいうように家族の傷を避け、かつ、自らの手で片づけるべきことと心構えをしておられよう。父上に委ねられぬとの考えは家族側の甘え、父上の意志の軽視ではござりませぬか」

 ……確かに──。

 意見を異にしているメリアの胸に謐納の言葉が刺さった。生前の意志がないとしても恋人と対峙するのは容易ではないはずだ。それに、紛い物のような生命でも奪うとなれば覚悟が必要だ。それが一度手に掛けた恋人の生命となればなおさら、過去に優る覚悟が必要なのではないか。メリアに置き換えるなら、アデルに強いた行為をオトやララナに再現させるに等しい。

 ……あんなことは、音さん達にはさせたくありません。

 メリアに至っては決まりそうもない覚悟を、オトは攻撃部隊として強固に持っている。その意志をメリアも軽視したくはない。

 多くの娘の心が反対意見へ向かう流れを変えたのは、ララナである。

「ご不在中につき深く語りませんが、オト様は恋人との別れを後悔していらっしゃる」

「それは、どういうふうにですの」

 と、夜月が促したとき、

「頼られんかった不甲斐なさを払拭できんかったことやよ」

 と、いつの間にか横座にいたオトが言った。

「──パパ」

 と、音羅が振り返るとオトが一言、「お前さんの予想通りやよ」と、応えて恋人の話を短く纏めた。

「あの子が現れるなら俺が決着をつける。無論、魔法薬や鎮静が通じるならその点は任せてもいいが、制圧するほかないなら俺以外にはやらせたくない」

「頼られなかった不甲斐なさ、それを払拭できなかったって、どういう意味」

 夜月の問に、オトが明答する。

「俺への怨嗟に巻き込まれて死を望むほかなかったあの子が、もし俺との生に希望を持ってくれたなら、この手に掛ける必要がなかった。そういう意味やよ」

 橘鈴音は、オトとの生に希望を持てなかった。絶望を拭いきれず苦しみを予感した。だからオトの手に掛かることを望んだ。そういうことだ。が、

「そんなこと、言いきれないじゃない」

 と、夜月が拳を握り合せて強く否定した。「希望はあったわよ、きっと。ただ、……近くにいることで苦しめたくなかっただけよ」

「……」

 夜月の意見にオトが応えないのは、思うところがあったからだろうか。

 夜月の言う通りだとしたら、オトの推測が外れていることになる。橘鈴音はオトとの生に希望を見出していた。怨嗟の責任を感じているオトが女としての苦しみを抱えて生きてゆかざるを得ない自分を隣に置くことでどれほど苦しむか、きっと永遠で底知れない苦しみだ、そう考えて、苦しみが永遠に続かぬよう願って橘鈴音は死を望んだ。その可能性が大いにある。

 ……夜月さんが言いたいのは、そういうことでしょう。

 橘鈴音を悪者に仕立てるならほかにも推測は成り立つ。例えば、オトへの怨嗟に巻き込まれたことを強く主張し全ての責任を突きつけるために手に掛けさせたとか、未来に目を向けられないほど動転し苦しみに苛まれて未来を悲観することしかできなくなって恋仲のオトに最悪の頼み事をしたとか。死の間際のことだ。実際の橘鈴音の思考には正否も善悪もない。単純に、傷が痛んで、苦しくて、早く楽にしてほしかったという可能性だってある。真実は亡き橘鈴音のみが知っている。

 橘鈴音の死については誰よりも考えてきただろうオトが、夜月の意見に理解を示して、方針を決めた。

「みんなの意見はそれぞれ間違いでもないし、正解は知りようもない。が、だからこそ、俺が制圧する。もとより、ほかの死者の火葬なんかもお前さん達にしてもらうつもりはないしな」

 オトは先程、傀儡となって現れた佐崎文也の火葬を行ったそうである。

「わたしも立ち会えたらよかったな……」

 呟くような音羅の言葉に、オトが応える。

「蘇生、いや、いまさらやけど再生というべきか。ともかく、掲示板にも書いといた通り死者の傀儡に意志はない」

「……文也さんも」

「ん。やから、気にすることはないよ」

「そっか。それなら、よかった……」

 魂のない虚ろな存在に気持は届かない。故人を想うなら、心の中で常に思いを手向け続けるほうが健全で、前向きだ。

 

 

 父の決断は、覚悟は、苦渋の選択でもあるだろう。亡くなっても大切なひとであることに変りはない。音羅だって、同じように花を想っている。

 ……わたしは、パパみたいに決断できないかも知れないな。

 布団に横になって、音羅はそう思った。

 魔団に狙われているのは父。致命的な精神的ダメージを負わされるとしたら父以外になく、父と深い関わりのない人物が蘇ってくることは考えられない。が、もしも大切なひとが蘇って目の前に現れたら──。音羅は、そう思わずにはいられず、

「……プゥ」

「……ん、なんだか、眠れないや」

 布団の脇ににょろっと顔を寄せたプウに、小声で問う。「プウちゃんだったら、どうする。自分の大切なひとを傷つけないと、いま生きているひとがひどく傷ついてしまうとしたら、どうする」

「……」

 鳴くこともなく、プウがそっと床を見つめた。

「難しいよね……。パパの恋人のことを担う、って、言えたのは、自分の大切なひとじゃないからだ。パパが深く傷つくくらいなら、あまり傷つかないで済むわたし達が担ったほうがずっといい。そう思えるからなんだ」

 自分が大切に想うひとを手に掛ける。そんなことができるとは音羅には思えない。苦しかった親友の死を自らの手で招くなど。

 ……花──。

 花を手に掛ける。それを迫られた状況でもしなかったから親友になれたとも、音羅は思っている。

「……」

「プゥ」

「ん、一緒に行こう」

 在学時代のような小型化プウを肩に載せて音羅は静かに部屋を出た。向かったのは裏庭の蜜柑の木、クエンのところだ。居間にも蜜柑があるが散歩がてらの摘まみ食いだ。

「クエンさん、いただきます」

「ピゥ」

 蜜柑の木こと分祀精霊クエンに一言伝えて採果鋏で柑橘を一つ穫り、プウと半分こした。

「っん、酸っぱあ〜、目が覚めた!」

「ぴぅぅぅ!」

 覚めたらゆけないのだが、

「まあ、いいや、徹夜しよう」

 眠たくなったら仮眠すればいい。適度な仮眠が業務能率を上げるとは会社勤めで学んだ。本職を縮小した分、皆が眠る家を守るのが副業と思えば自然とやる気にもなる。

「魔団にどんなひと達がいるのかは判らないけれど、それは試合も同じだものね」

「プゥ」

 ひとと戦うとき、相手の情報が全て揃っているわけではない。

「……パァスさんのときも、そうだったね」

「……」

 物凄い筋力と魔法的能力だった。いま思えばあの疑似流水は原始魔法だったのだろう。神界で魔物討伐の仕事を重ねてきた音羅だがあれほどの魔物とは遭遇していない。パァスは、群を抜いて強力な魔物だったのだ。だから守りきれなかった。と、言訳をしなくても済むように、今後の戦いではどんな敵をも圧倒できるようにしなければ。

「守るための力を磨かないとね」

「ピゥ」

 うなづくように鳴いて酸っぱい果実をついばむプウとともに、音羅も柑橘を頰張る。もとより散歩をかねていたから、

「今日もおいしかったです。ごちそうさまでした」

 と、クエンにお礼を言って歩き出す。家の周りを反時計回りに何周かすると、一陣の風に高木の葉がざわざわと波立った。竹神邸とテラス邸に挟まれた土曝しの道は馬車移動を可能にするためペンシイェロの森を貫いてナゴエド平野にまで続いている。馬車が乗り入れることがほとんどないため轍も残っていないが、明るい昼間は平野を覗ける一直線の道で、夜間でも雲のない日であればうっすらと景色が見える。

「今日は風が強いね」

 風が通りやすい森の道に音羅は目が誘われた。「森のいい香りが、っ──」

 クエンの近くまで歩いて左折しようとした脚が止まった。

 日中でも見ないような赤い、赤い光が、森の道の向こう側、平野に見えた。

 音羅は脚に炎を纏う。

「プウちゃん行くよ──」

「プゥ──」

 もとのサイズに戻って高速で地を這うプウとほぼ同速、炎の推進力で音羅は飛行した。超低空飛行で赤い光を放つ何かを視認し、突撃するや拳を振るった。炎の推進力を利用した一撃で転倒させたのは、人影──。

 立ち上がろうとする人影に脚の炎を差し向け、跳びかかったプウの尻尾で打撃を加えた隙に音羅は容器をぶん投げ、中身の虹色をぶちまけた。途端、人影が動かなくなり、音羅の炎に巻かれて焼け落ちてゆく。

「──文也さん……!」

 父が葬った。確かにそう聞いたのに、音羅の目の前で焼け落ちてゆく人影は忘れもしない後輩の姿だった。

 赤い光は魔力集束現象によるものだ。魔法が文也の掌を離れる前に止めたため事なきを得たが、襲撃にまたも彼が利用されたということに変りはない。

「どうして、こんなこと……!」

 一度も、二度も、同じということなのか。死者を蘇生、否、死者の体のみを再生し、利用することを厭わないのか。

「なんで、こんなひどいことができるんだ……」

「ソレはセンパイもオナジだろ」

「ッ!」

 魔法薬が熱波で吹き飛んだかと思うと、音羅の背後に赤い光(!)焼け落ちた文也が放っていた炎の光だ。

「ピゥッ!」

 プウが尻尾で炎を打ち払い、そのまま新たに現れていた文也の腹を打って押し退けた。

「プウちゃん、ありがとう……」

「ピゥ……」

 気にするな、それより気を抜くな。そう言われた気がした。目の前の、気配のない文也が口を開くのが、音羅は恐かった。

「オレをコロスのか、ミゴロシにしたクセに、またコロスのか……」

「文也さん……意識が、あるの」

「あるさ。センパイを、呪うイシキがさァ!」

「っ!」

 迫る文也の拳は生前よりも桁外れに速く、強かった。熱波で拡散した魔法薬は効果が薄れたのだろう、両手に炎を灯した文也の動きが止まる様子はない。

「こんな力を、どこで……」

「モラッタのさ、オレのイシキをヨミガエラセテくれたヒトからな」

 十中八九、魔団のことだ。

「それは、わたしの父を狙っているひとだよね」

「オレは、センパイをコロスだけだ。そのタメだけに、イキカエッタんだッ!」

「くっ!」

 凄まじい威力の正拳突きを掌底で突き落として外させたが、次いだ蹴りはプウがその体で絡め取っていなければ脇腹に食い込んだだろう。普段なら回避できたはずの攻撃に対応できなかった音羅は、自分の精神状態(メンタル)が芳しくないことを自覚した。

 ……お、落ちつけ。落ちつけないけれど、落ちつくんだ!

 事実を見つめる。

 文也は何人もいた。

 これが事実だ。

 父が火葬した文也以外に、音羅が焼き尽くした文也と、目の前の文也、ひょっとすると、ほかにもいるかも知れない。動揺するなといわれても動揺してしまうに決まっている。

 ……何人もいるなんて、話すなんて、意識があるなんて、どれも聞いていない!

 魔団は同じ人間を何人も再生させられ、再生した人間の意識を蘇らせることができ、それでもって自由に話させることもできるということだ。それはもはや再生ではなく蘇生に近いだろう。掲示板を用意して情報共有に積極的な父や母ですら話していなかったことだから、これらは想定外のことと考えるのが妥当だ。

 幸いにして、音羅とプウの二人で文也一人を抑えることができている。倒すこともできる。

 ……パパ達が想定外のことなら情報を引き出して──。

 そう考えたのも束の間、

「音羅さん、逃げてくれ──」

 肺が凍ったように、音羅は息を止めた。右手から声がした。憶えのある声だ。視界の端に、影が増えている。それもまた憶えのある影だ。影は、二つある。声を発した影ともう一つだ。

 ……ああ──、そんな、こんなことが──。

 輪郭も、顔つきも、忘れもしないものだ。ほくそ笑む文也を押さえ込んだ音羅のすぐ傍に、会いたくても会えないはずの二人がいた。

「なんで、二人までここに──!」

 心の底から溢れ出そうとしていたものを、平野に飛び出した瞬間から怺えていた。文也が現れたことだけで、堰を切りそうだったものを必死に怺えて、荒っぽく火葬した。動転して乱れた息に引っ張られるように込み上げるものを、拳に力を込めて、文也を押さえ込むのと一緒に全力で押さえ込んでいた。でも、

 ……もう、限界だ……!

 視界の隅に捉えた二つの影、親友とそのパートナを認めた瞬間に、音羅はぼろぼろと泣き出していた。

 

 

 

──八章 終──

 

 

 

 

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