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六章 家族のひととき

 

 日が昇るか否かの時刻。着替えを済ませた納雪は、斜め掛けにした鞄の中身を確認した。

 ……カメラよし。スケッチブックよし。筆記用〜具〜……も、よし。虫眼鏡も。うん!

 忘れ物がないよう就寝前には荷物を確認して机の上に置いているので、長女音羅のようなあり得ない寝相をしていても紛失しない。最終チェックとともにカメラを首に下げ、スケッチブック・鉛筆一本・消しゴム一つを右手に握って、熟睡している四女鈴音を起こさないよう、そうっと歩く。謐納の布団が既に畳まれており、納雪と鈴音の寝床のあいだに空きがあった。

 ……謐納おねぇさんは今日も早いな。

 一時同棲していたときも早かった。住む土地を変えても生活習慣を変えない。

 三階北東の部屋は踊り場に直結する扉があるので、納雪はそちらから出て、音を立てないように扉をゆっくり閉めた。床、それから階段を軋ませないよう、爪先からつけて慎重に歩いた。揺れたカメラが壁や手摺にぶつかりそうになって慌てて両手で押さえると、ぎっ、と、木目が撓むような音が立ってしまって、

「はぅ、ん……!」

 漏れた吐息を無理やり吞んで、しばらく息を止めた。部屋の姉が起きた様子がなくてほっとした。一階の東廊下を進むと右手に壁。この壁一枚を隔てて台所と食堂が並び、障子が開いている居間に入ることができる。直進すると玄関のある三和土に下りることもできるが、ひとまず居間に──。

「あれ……」

 うと、うと、何やら疲れた様子の磋欄と霊欄が船を漕いでいる。囲炉裏には炭火が入っており、いつもより空気が暖かい。

 ……夜をここで過ごしたのかな。

 幽霊ことカナメダマやソソが出没したか。もうすぐ眠れるなら起こしてはかわいそうだ。油断していた爪先に神経を詰め込んだ納雪は畳の軋みに気をつけて居間を抜けて、食堂から台所に顔を出した。

 とんとんとん。

 ぐつぐつぐつ。

 かちゃかちゃ。

 朝の音は壁越しにも廊下からも聞こえていた。朝食の支度をしているのは二人の母だ。

「おはようございます、おかぁさん」

 と、納雪は二人を見てお辞儀した。

「『おはようございます』」

 と、笑顔で応えてくれた母達に、納雪はいつも通り出発の挨拶もする。

一時間(ちょっと)したら戻りますね」

「足下に気をつけていくのですよ」

「またあとで絵を観せてくださいね」

「はいっ、いってきます」

「『いってらっしゃい』」

 母達に見送られて納雪は恒例の霜の観察へ出向く。

 玄関の戸を引く。森を撫でた風と夜を残す緑の香りは起き抜けにも仄かに感じていた。野草と花花を詰め込んだ風船が弾けたような濃密な大気を体に行き渡らせるように息をする。ふう〜、と、長めの息を吐いて、もう一度吸いながら、香る湿潤を分け入るように歩き出す。

 魔物の巣窟フロートソアーから遠ざかる北の森へ向かうため、玄関扉を閉めて自宅の東の壁をなぞるように進み、立ち寄ったのは、通称「蜜柑の木」だ。父曰くこの木もヴァイアプトのような植物系の分祀精霊なのだそうで名を〈クエン〉という。

「クエンさん、おはようございます」

 挨拶をしても応答はない。これも父曰くであるが、声が聞こえるときと聞こえないときがあるそうで、納雪は声を聞いたことがない。分祀精霊であるというのは父お得意の噓ではないかと思ったこともあるが、クエンは確かに不思議だ。生っている果実が一種類ではなく、一目で大小まちまちなのが判り、緑のものから赤いものまで、ありとあらゆる柑橘類が生っているのだ。おまけにここは裏庭、日陰だ。複数種と思しき柑橘類が短い日照で鈴生りなのも分祀精霊なら納得だ。居間にある蜜柑山がクエンから補充されているのは言うまでもないとして、ほぼ毎朝一種類を納雪の気分で穫って食べているのに一度も同じものを食べた気にならないのも不思議である。さらに、それほどのペースで食べて早数箇月、鈴生り状態が維持されているのも不思議である。同じ柑橘類を探すのも大変なので、蜜柑山を補充している母の苦労は生半可ではないだろう。

「今日はどれにしようかな……」

 元気がほしいときは暖色を、眠気を覚ますなら寒色を選ぶ。お腹の空き具合や喉の渇き具合で大きさを選ぶと自ずと絞られ、

「今日もいただきます」

 と、一言断って一つの柑橘を穫る。手入れされて備え置かれた採果鋏(さいかばさみ)で木の表面から選んで採取した。本来なら味にムラが出る緑色から橙色のグラデーションが入った果実で手に収まるサイズ、名称は不明、味も不明だ。甘い蜜柑の見分け方なら父と母からこれでもかというほど教わってきたがその教えを守っても想定通りの甘みを得たことはほとんどない。ただしどれもおいしいと感ずるほどの旨みがあって、甘みや(さん)みのバランスが絶妙だ。要するにこの木の柑橘類にハズレはない。よって、味にムラがありそうなものも気分で選んで損はないのである。

「それじゃあクエンさん、また来ます。いってきます」

 柑橘ごと手を振ってクエンと別れると、歩きつつ服のお腹で少し磨いて鼻に当てる。こうすると油胞から溢れた香りを愉しめる。果皮を剝くときにより強く感ずる香り成分とともに油胞の中に含まれている成分がちょっとした掃除に使える。掃除以外にもいろんなことに活用できるため皮は母に回収してもらうのが竹神家の常である。

 剝いた皮を鞄の中に入れると、

 ……あ。

 房が九個だ。一〇個であることが多く、それ以上のこともある。

 ……欠けたケーキみたいだ。

 白い筋が薄いことを確認して、一房をぱくっと口に入れると歯で瓤囊膜(じょうのうまく)という薄皮を破って粒状の果肉をほぐしながら味わう。

 ……甘〜い!

 極早生(ごくわせ)から晩生(おくて)の色合を持っていた皮から想像もつかないほどムラなく甘い。納雪はその味に満足した。

 夜明けだ。木木の隙間から朝日が洩れる。真暗で何も見えなかった根元まで幾度となく反射した光で照らされてゆく。直射日光が足許に届く前に、観察対象を見つけ出したい。

(今日はその辺りなんかいいんじゃないか)

 と、アドバイスしてくれたのは、魔導カメラに内蔵されている結晶に宿る精霊だ。精霊の声は神界に移住してからたまに聞こえるようになった。最近では毎度だ。カメラとして捉えていたものから突然に声が聞こえてきて、しかもそれが自分にしか聞こえていないようだったから最初は耳鳴りや幻聴と思っていた。そのとき納雪は、たくさんの不思議な生き物と仲良くしている父に相談した。それで精霊の声と判った。

 ──結晶が壊れるとその精霊はこの世から消えてまうから、丁寧に扱いなさいね。

 そう言われた納雪は、それまで以上にカメラを丁寧に扱っている。以前から観察の相棒となっていたカメラが人格をも持つ相棒となった。頼もしいアドバイスもきちんと聞く。

(その辺りってどの辺りですか)

(ほら、お前の右手)

 精霊は納雪の居場所や向いている方向が判っているようで、指示が細かい。

(こっちですね)

(そう、そう、いーや行きすぎ、行きすぎ)

(えーっと、このくらいですか)

(そう、そう、そこ、そこ、で、まっすぐ行ったとこな)

(あ、……いい結晶ですね)

 遠くの葉っぱにつぶつぶの霜の結晶があった。

 ダゼダダでは見たことのない不思議な形や色の植物は奇怪とも表せられようものであるが視界を埋め尽くすほどあれば自然のものとして受け入れやすく、竹神邸に住まう幽霊な分祀精霊と違って驚かしたりしてこない分、恐ろしくない。溢れ返っていて雑草のように見える植物でもこの村にしか自生していない大量の固有種を踏み荒らさないよう言われており、森の奥へは入れない。その分、気持は前のめりだ。

(う〜ん……ピントが合わない……)

(オレのせいじゃないぞ。機械が悪い。あと、もっと近づけ)

(ごめんなさい、これ以上は入れないです)

(トロいやつだな、そのくらいぴょんっと跳んでけばいいもんを)

 跳ぶことはできても勢いで着地後に植物を踏んでしまいそうだ。少し奥まったところにある葉に降りた霜には、目一杯に身を乗り出してもピントが合わない。レンズを覗きながら撮影するのは無理そうだ。腕を伸ばして、感覚で撮影するしかないか。

 喬木のてっぺんを照らす陽光を捉えて霜が明るむ。間もなく豊かに微笑むだろう。その瞬間を捉えたいので早くピントを合わせたいが、

(──おい、ちょっと下がれ)

(え、でもそれだとピントがもっと──)

(いいから早く!)

(は、はいっ)

 ときどき口の悪い精霊だが急かすことは希しい。納雪は返事とともに乗り出した上体をもとに戻した。その瞬間、

(え──)

(もっとだ下がれ!早くっ!)

(っ!)

 目の前に誰かが現れて、伸ばされた手が納雪の首を掠めていた。

(何してる!早く逃げろ!)

(で、でも──!)

 驚いて尻餅をついたものの納雪は無事だ。が、首の後ろから後頭部までが少し痛かった。下げ紐がこすれたからだった。その紐は、首に下げたカメラとともに遠退いている。奪われたのだ。

(精れ──!)

(いいから早く!なんかお前が狙われてるっぽい──)

(っ──!)

 固有の植物群に落としたカメラを謎の人物が踏みつけた。たった一回の踏みつけで、原形をとどめないほどカメラが壊されて、弾けるようにして足下の植物も失われてしまった。

(精霊さん!……っ精霊さん!)

 返事がない。壊れたカメラの破片の中に、きらきらと輝く透明の石のようなものがある。きっとそれが、精霊が宿っていた結晶だった。

 ……そんな……精霊さん──!

 返事を聞けないまま、納雪は謎の人物の手に襟首を摑まれ、強引に立ち上がらされると、突如として何かに視覚を塞がれ、何も見えなくなった──。

 

 

 家族内陣容とともに簡単な魔団対策を家族全体が共有している。まずは、鎮静魔法を試して傀儡の魔法を打ち消すこと。それができなければすぐに攻撃部隊である父に連絡すること。しかし、対策を理解していても実行できないときもあるだろう。そんなときは、近くにいる家族が助けに入る。最初の対策が通じない場合、ほとんどが不意を衝く状況であろうことから固定の対策はあえて用意しなかった。対策の内容に縛られて却って不利を招かないためだ。だから心構えが大事になる。

 ……守るためには、とかく、ともに行動するのがよかろう。

 ほかの姉妹や両親、メリアはまた別の考え方をしているだろうが、謐納はそう考えて、誰より早く起き、誰より遅く寝ることにしていた。家の中を父に守らせるための約束もそこには含まれていた。父が唯一の攻撃部隊になってその約束も柔軟性に欠けた対策であり不利を招きかねないと考えた上で、謐納はやはり家の中を父に守ってもらいたかった。従って、朝早くに観察に出掛ける納雪のことはいつものように近くで見守っていた。

 

 納雪の目の前に突如現れた影は、どこか気品のある出立ちの女性であった。が、その動きは暴力的だ。カメラを踏みつけて破壊し、納雪を強引に連れ去ろうとした。

 ……させぬ!

 竹神邸屋上から納雪の足許に降り立つや謐納は納雪の視界を厚手の布で塞いで右手の刀の鐺で女性の腹を突き、手が緩んだことを認めて柄で腕を突き上げ、その隙に納雪を抱えて一〇メートルほど退避。それから間を置かず、布を外した納雪に指示を出す。

「納雪、無事ですね」

「お、おねぇさん!……あのひとはいったい、誰ですか」

「存じませぬが父上を狙う魔団の一員と捉えて損はないでしょう。背中のほうが家です。急いで入ってください」

「呼んできます、おとぉさん!」

「ええ、お願いしまする」

 手も脚も震えている納雪だが、なんとか家へと駆け出した。謐納の助けがもう少し遅ければ恐怖心で退避もできなくなっていたかも知れない。

「拐かしなど卑劣な手段しか講ぜられぬ者にわたしが屈することはありませぬ」

「……」

 ……やはり返事をせぬか。

 傀儡に違いない。情報通り目が虚ろだ。

 生きている人間か、亡くなっている人間かは、謐納には判らない。死者ならともかく生者の首を落としては謐納が殺人犯になってしまうので攻撃の選択肢は採れない。よって、深追いができない。とはいえ仕掛けず逃がすことも避けたい。

 真空斬など、離れた相手を狙える剣技がある。謐納は刀を抜いた。

「此の距離でも無力化はできまする」

「……」

 ……前にも後ろにも動かぬか。

 謐納は攻撃できなくても構わない。もとより膠着を狙った虚仮威しだ。攻め入ってくるなら取り押さえて父の到着を待てばよい。後退するなら牽制の一撃を叩き込める。

 ……む。

 着物の帯に挿していた扇子で口許を隠す女性。その口が、確かに開かれていた。風に揺れた木の葉に隠された言葉を聞き取ることは難しかったが、謐納は足下の魔力環境の変化を感じ取って数メートル後退した。

 ゴゴゴゴゴッ!

 と、植物の根が渦巻き、先程まで謐納がいた空間を埋め尽くすまで物の数秒だった。爪先を絡め取られていたらそのまま全身を覆われて身動きできなくなっていただろう。何も捉えなかった植物の根が間もなく消えて、判然とした。

 ……魔法。

 魔法で形成したもののほとんどは時が経つと消える。植物の根があの女性の魔法なのは疑いようがない。

「姉様、苦戦してるのかしら」

 と、隣に並び立ったのは夜月である。

「父上は」

「ワタシは騒がしさにつられて来ただけ。そろそろ来るんじゃないかしら。まあ、ワタシが来たからには必要ないですわね」

 森の入口に立つ女性を睨むようにして、夜月が掌を翳した。鎮静魔法を掛け、傀儡化の魔法を解くのだ。

 それを察知したか、女性がすっと闇に消えた。

「逃げたのかしら。空間転移にしては魔力を感じなかったわ。今の何。特異転移」

 創造神アースの魂に由来するという特異転移は父母だから使える。

「物理移動でしょう」

「姉様がやってる無音歩行ってこと」

「同じか近いものでしょう。傀儡とはいえ侮れませぬ。魔力反応を覚えましたか」

「当然ね」

 謐納と夜月は謎の女性の個体魔力を覚えた。周囲にその魔力を感じないので、完全に退避したと捉えていいだろう。

「周囲に気を配らないとゆけないわけね。父様も気配を覚えたかしら」

「恐らくは。……」

 謐納は、念のための警戒心を保って、森の入口で魔導カメラの残骸を拾い集める。

「そんなものどうするつもり。直せないわよ」

「手許に置きたいものはありましょう。わたしなら、納雪の料理を取り戻したい」

「いつの」

「誕生日を祝う品でした。失敗作と聞き、棄てました」

「食べられないなら仕方ないわね」

「ですが取り戻したい。そういうものです」

「……先に戻りますわ」

「敵性撤退の報告を父上へ」

「解ってますわ」

 夜月を見送った謐納は、残骸を可能な限り拾い集めて、精霊結晶とカメラ本体を判る範囲で分けて左右の袖に入れ、家に戻った。

 玄関に父がいた。その背中には納雪がくっついている。謐納は夜月の報告に加えて、謎の女性が木属性魔法を使ったことや納雪に手を伸ばしたことを父に伝えた。魔導カメラの残骸を納雪の前で出すのは躊躇われたので、ひとまず父の応答を聞く。

「謐納がきちんと対応して、夜月も機敏に応援に駆けつけることができたって意味で、対策は今のままでいいね。女性の情報はまたあとでみんなに共有するが──」

「其なのですが父上、魔団が襲うたび皆を集めておっては情報共有が滞りまする。情報伝達の媒体を用意してはいかがでしょう」

「例えば」

「父上が納雪に貸し出しておるパソコンを除き村にその手の端末はないとのこと。電子的情報伝達はできませぬが、アナログでも類した手段はありましょう」

「情報を一目で確認できるようにしておいて、各自がそこを見ればいい。思いつくのは、」

 父が納雪を抱っこして、その手に握られたスケッチブックを示した。「こういうのやな。時間に縛られずに確認できるし重要なことは赤字にでもすれば目立つ」

「こ、これ使いますか」

 と、スケッチブックをおどおどと差し出した納雪を隣に下ろして、父が首を振った。

「使えんことはないが、みんなが見ることを想定してもっと大きいもんを用意したいね」

「いいかも知れませんね、学園にある黒板とか」

「ん、あれか、大きさは十分やけど、半分ほどのサイズがいいかも知れん」

 窓や通路があるので学園サイズの黒板を置くような横幅は確保できない。小さくするなら移動式のものも視野に入るか。

「掲示板などいかがでしょう」

 とは、台所のほうからやってきていたメリアの意見だ。父の斜め後ろ、居間の隅に膝をつくと、「ただいま」の挨拶をしながら跳びついた納雪を抱きとめてメリアが続きを話した。

「主神や宮殿の活動内容を民に伝えるため、宮殿前に掲示板を置いている神界は多かったと思います。伝心では伝えにくい図形なども伝えやすいので便利ですよ」

「視覚に訴える人相書きなども掲示できましょう。皆が通る動線となれば三和土(こちら)や北部踊り場に置けまするが、父上いかに」

「それでいこう。ただし、物理的な掲示板では情報更新がメンドーやな」

「おとぉさん、しっかりやりましょう、手伝います、書くのなら練習してますから」

「いや、俺がいうと疑わしいのは解るが手を抜くための意見やないよ」

 手伝いを申し出た納雪の筆記速度は姉妹で随一というほどに速いが、父の意見は手間を省きたいがためのものではない。

「メンドーなことはいい加減になって、それが何度も重なると情報の正確性、確からしさがなくなってまうからやよ」

「そうなんですね。でもそれならどうしたら。掲示板じゃダメですか」

「う〜ん、」

 頰杖をつくように拳を頰に当てて父が笑った。「考えとく」

「お早めにご決断を」

「解っとるよ」

 催促にそう応じた父が、家族の命に関わることをなおざりにすることはないと信じて、謐納はうなづいた。

 家の中にまで日の光が入ってきて、洗濯物を始めるというメリアに納雪がついてゆくと、謐納は袖のものを父に渡した。

「壊されたか」

「申し訳ありませぬ。もう少し早く割り込んでいれば、斯様な事態にはなりませんでした」

 先程納雪が父の背中にくっついていたことが謐納は気になった。謐納も幼い頃、そうしたことがあった。口で伝えたことはなかったと思うが寂しかったり甘えたかったりしたときにだ。先程納雪がそうしていたのは、きっと恐かったからだ。

 あの女性が現れた瞬間に割り込もうと思えばできた。が、納雪に手を伸ばすまでは魔団の一員と断ぜられなかった。

「構わんよ。壊れたもんは仕方がない。生きとれば、恐い思いをすることもある。そういう経験は、心が壊れるほどでもなければ体験すべきことやよ」

「……父上は、そういった体験は」

「嫌なほどあるね。かれこれ何十年も前やけど」

 残骸を包んだ二つの布を持って、父が居間に入ると、三和土で立ち話だった謐納も居間に上がった。

 やがてぽつぽつと集まった家族と分祀精霊。朝食を摂った面面に父が精霊とカメラの供養を告げ、魔法の炎で焼却した。その際、両手を合わせた父を観て、皆も両手を合わせ、一つの命と壊れた物に心を手向けた。

 瞼を閉じると、愉しそうな納雪の表情と一緒に手入れされたカメラが思い起こされる。納雪の好奇心を育て声に優る主張を生んでくれたのが、そのカメラだった。

 ……此度まで納雪のともをしてくれたこと、感謝申し上げまする。

 謐納はそう伝えて、父が声を発するまで頭を下げていた。

 供養を終えた父が告げたのは、謐納の提案で三和土に掲示板を設置する予定と改めて警戒心を持つことだった。想定内の襲撃でも年少の納雪が狙われたことを聞いてもっと年下の磋欄や霊欄が動揺するのも無理はなかった。場の空気は重くなる一方で、仕事をする予定のある年長者は勿論、出掛ける予定がある鈴音や夜月もなかなか立ち上がれそうになかった。

 こういったとき、真先に口を開くのは長女の音羅である。実際、「よし」と、気合を入れた表情を謐納は認めた。

 だが、今日は音羅より先に口を開いた者がいた。

「さて、みんなで運動会をするぞっ」

 それは、意外な声だった。おまけに、言葉の意味も謎だった。

「お、お父さん、どうしたのいきなり」

 と、鈴音が尋ねた。それは自ら貶したくなるほど間抜けな声だったことだろう。ただし、その場の全員が同じ問をしたかったに違いない。立ち上がって力瘤を作った父の姿は似合わないのである。

「ぱ、パパ、悪いものでも食べたの」

「ポーズが似合わなすぎて笑えまっひひひ!」

「腰痛が悪化しますよ」

 とは、鈴音より上の三姉妹の文句である。納月以外は労りもあってのことだが、父を知っているからこその毒もある。

「父上、ご説明を」

 と、謐納が促すと、父が話してくれた。

「このままやとみんな動けそうにないし、ちょっとした訓練もかねとるんよ」

 刻音が反応する。

「訓練。魔物退治みたいなの?」

「いや、運動会やからそれっぽい競技での訓練だ」

「いいね、やってみたい!子ども達に聞いたことがあるんだ」

 と、運動好きの音羅が競技を列挙する。「玉入れ、リレ、綱引きなんかが定番なんだよ」

 竹神姉妹の多くは初めて通った学園が高等部で、運動会に類する催し物に多少の偏りがあった。その点を捉えた夜月が父を見やる。

「玉入れなんて高等部ではやらなかったわね。父様などは首と腰を同時に痛めそうね」

「とうにおじいさんやからね」

 と、父が腰を摩った。「ちなみに、音羅が言った定番競技以外にドッジボールやチャンバラなんてのもやってみようと思う」

「訓練をかねるなら自然だね」

 と、鈴音が実戦経験から述べる。「ドッジボールみたいな飛距離のある魔法なんていくらでもあるし、木や石や地面、自然のものを利用する魔物の中・遠距離攻撃も侮れない。人間相手なら武器の装備も当り前だろうからチャンバラも訓練に向いてる。(どう)と違って形式張った試合じゃないから愉しみつつ体が馴染むはず」

「リンお姉さん、質問いいか」

 と、挙手したのは霊欄だ。

「もしかして、ドッジボールとかチャンバラを知らなかった」

「ああ、聞いたことがない。サラも同じだよな」

「うん。あまり痛いのは嫌だけどレイがやるならやる」

 積極性を見せた霊欄と消極性を覗かせた磋欄に鈴音がまずドッジボールの基本的なルールを説明した。二チームに分れて内野の人数を削りきれば勝利、と、いうものだ。それを聞いて霊欄が愉しげにうなづいた。

「ボールのぶつけ合いか。簡単だけど外野からの復活もできるなら粘り強くも戦えるな。チャンバラはどんなのなんだ」

「そっちは個人戦もできるし団体戦もできる。お父さんはどんな形式を求めてるの」

 と、鈴音が窺うと、父が応える。その応答が竹神家としては異例中の異例だったので、またも皆が、さらに、驚くこととなる。

「ドッジボールやチャンバラ、ほかの競技も基本は団体戦やチーム戦にしよう。それから、これが最も重要なルールになるが、」

 と、父が間を溜めて告げたのである。「魔法の使用を解禁する」

「『!』」

 姉妹は勿論、母やメリア、それから分祀精霊の面面も驚きを隠せなかった。

「ちょっと特殊な空間での訓練を予定しとるから、精神力の枯渇を気にせず挑んでいいぞ。それと、磋欄みたいに痛いのが嫌っていう子もおるやろうから、俺がじきじきに衝撃緩和の障壁を施すことにする。間違っても死ぬようなことはないから、()()で挑んでもらいたい」

「『……』」

 驚きに次ぐ驚きだった。人間離れした出自と能力ゆえ力を制限して生活していた竹神姉妹に取って、全力の魔法を使う場面などそうそうなかった。運動にしたってそうだ。有魔力個体として優秀だと単純な運動能力も向上するので、端的にいえばドン引きされないよう力をセーブしてきたのである。年長ほどその年月は長く、全力の出し方を忘れかけているほどだろう。訓練で全力を出せ。そう言われて驚かないはずがなかった。

「これは俺の気持だが、」

 と、座り直した父が囲炉裏に木炭を足して話した。「メリアの一件を経て、お前さん達の力がどれほどのもんなのか、この機に親としてしっかり観ておきたく思った。魔団に対抗するなら強いほうがいいのは確かやけど、まあ、訓練やし、弱かろうが強かろうがどっちでもいい。期せずして全員が揃っとるから、姉妹間で磨き合うきっかけになってくれたらいいとも思う。……」

 次は長めの間があった。木炭に火が移り、ぱちぱちと火の粉が立ち昇った。

「ララナとメリアも加えた家族全体と、俺とで、勝負をしよう」

「『……』」

 どれほど驚かせば気が済むのか。父との付合いが長い者ほどその驚きは大きかった。放っておいたら百年単位でグータラしてしまいそうな惰弱の引籠り、席から立つ姿や歩く姿を見ることも少なく、ましてや運動する様子など皆無、それが父だったからだ。勿論、裏で何やら動いていた気配はあるのだが、だからこそ、

 ……父上と、勝負──。

 謐納は、途轍もなく気を引かれた。それは、ほかの姉妹も同じようだ。父の実力の片鱗を垣間見たことがあるという年長三姉妹や先駆けてハンタ資格を取得していたことを知る刻音は、特にその色が濃い。

 父が補足説明を行う。

「対人、あるいは魔物なんかとの実戦を見据えた訓練やから、競技ごとの基本的なルール以外に魔法を制限するルールはない。『これやべぇ』って魔法があれば俺の障壁が防ぐからルール違反っぽいものも試してくれて構わん、安心して使え」

 まさかの無法化宣言だ。父は説明がメンドーになったのではないかと皆が思っただろう。

「さて、じゃあ早速始めようか」

「その前に着替えましょうか」

 と、母が初めて口を開いた。「体操着など、運動に適した服装に着替えて居間に集まってください」

「せっかくやから」

 と、父が目配せすると、その意図を母が酌んだ。

「では、これも競争に致しましょう。よーい、どんっ」

 いつもの微笑みでまったりと告げられた競技開始に、戸惑ったのは一瞬で、ほとんどの姉妹が一斉に駆け出した。

「景品があるわけでもないのに、なんでみんなあんなに必死なの」

 と、不動の磋欄を左手にして、謐納も動かなかった。

「父上、魔法はわたしの死属性魔法も使ってよいのですか」

「構わんよ。マジでヤバイのは俺が防ぐから、って、さっき説明したわな」

「景品は年少の子らには感ぜられぬものでしょう」

「鋭いね。ちなみになんやと思う」

「魔法の使用でしょう」

「正解」

「魔法を使うことが景品。意味が解らない」

 と、磋欄が言うのも無理はない。一歳に満たない彼女は制限への認識が薄く、制限されていることもあまり感じていない。磋欄の姉納雪や異母妹の霊欄が意気揚揚で参加しているのは消極的な磋欄に愉しんでもらうためであろう。

「あんま理解できてないかも知れんが、お前さんもそれなりに強い魔力を持っとるから、人間相手に使えば相応に脅威なんよ。普通の生活を送っとれば、全力で使う機会なんてまずないくらいにはね」

「使わなくてもいいものは使わない。それでいいと思うけど」

「その考えは俺と同じだ」

「そうなの」

「ああ。けど、磋欄だって霊欄をびっくりさせるために魔法を使ったりしたやろ」

「あ……」

 海で悪戯をしたときのことらしい。

「加減を間違えたら霊欄の脚が折れとったぞ」

「っ、そんな危ない考えはなかったわよ」

「そのつもりはなくても、怪我をさせることはある。やから、力を制御できたほうがいい」

「そのための訓練ってこと」

「ああ。痛いのは嫌やし、痛くさせたいわけもないやろ」

「……うん」

「じゃあ、参加して。何度も言うようやけど、危ないのは俺が防いだるからね」

「解ったわ、やる……、怪我させないように、練習するわ」

 磋欄が一気にやる気になった。「今からでも競争していい」

「いいよ。いってらっしゃい」

「うん……!」

 磋欄が踊り場の幽霊体験を忘れて駆け出すと、母が口を開いた。

「特別な空間。それはいったいどのような場所ですか」

「細かい説明は省くけど、到着したら判るよ」

 母が知っている場所なのだろうが、どこだろう。謐納が正座で考え込んだ横で、メリアが父に質問する。

「あの、わたしも参加する流れになっていたのが気になります。わたしが使う魔法はかなり危険ですよ」

「構わんよ」

 説明もせず全く動じない父にはよほどの策があるのだろう。「羅欄納やメリアにも障壁を施すから遠慮なく立ち回ってね」

「運動会ではわたしも紙耐久ではなくなるということですね」

「そう。当面の敵性たる魔団役として、俺は弱い者イジメに向かうから、羅欄納、メリア」

 妻を一瞥して、父が会釈した。「死力を尽くして、みんなを守ってね」

「『……はい!』」

 ……そうか、()は──。

 突然の運動会に謐納は違和感を覚えていた。今、理由が解った。建前としては敵性分子との実戦を見越した訓練だが、そのじつは絶対防衛ラインである母やメリアの訓練なのだ。

 ……父上は攻撃部隊。その技術や戦術を母上やメリア殿に確認してもらう意図もあろう。

 つまるところ、謐納達は最初から戦うことを想定されていない。

 ……しかし、其では枷になることもあろう。

 言われた通り全力で向かわなければ、あっという間に脱落させられる。それすなわち、母達の荷が増えることに相違ない──。

 

 

 ──ゆえに、遊び半分ではなりませぬ。

 と、謐納の考えを諸諸聞いて音羅はそれなりに身構えたのだが、一部姉妹の考えを打ち砕くように運動会の様相は、まさしく運動会となった。

 

 父が家族全員を連れてゆいたのは特殊な空間であった。景色をいかようにも変化させられるというそこは、最初は空の上のようだった。落下はしないが足下を雲が吹き抜けてゆく絶景であった。父が歩くと足跡から波紋が広がり、景色が塗り変わった。校舎とグラウンド、別館や講堂、音羅が見憶えのある学園の景色の中に、競技に必要な小道具が揃えられていた。

 感嘆を漏らす一同を前に、運動会の開始を告げた父が、玉入れや大玉送りといった団体競技を発表し、一二対一こと〈家族チーム〉対〈父チーム〉の勝負が始まったかに思えた。しかしそこは噓つきの父であった。よくよく考えれば当然のことであるのだが、大玉送りなどを一人でやっては逆に有利なので、父チームには分祀精霊の面面が加わった。糸主、クム、織師、結師、刃羽薪など見慣れた顔ぶれに、いてもいなくても勝敗に影響しなさそうなノクシィや、どちらかといえば家族チームにいそうプウまで父チームだった。父チームに分祀精霊が加わったことより予想外だったのは競技の白星のつき方であった。玉入れを例にすると、手に取った玉を一〇〇%入れてゆく父とは対照的にクムのように背が小さく腕力もない分祀精霊は玉を投げるにも至らず完全に役立たずだった。大玉送りでも足を引っ張ったクムに続いてノクシィもかなりの曲者だった。大玉の風圧でどこへともなく吹っ飛んでしまって、捜索のため競技を一時中断することになったのである。リレでは第一走者の刃羽薪が第二走者の織師にバトンを渡す前に家族チームが全員走り終えてしまうという結果になり、競技の大半を終えた時点で父チームの敗北は決定的となってしまった。

「こんなに差がつくとは思わんかったな」

 と、微苦笑の父に、分祀精霊の中でも特に足手纏いのクムが申し訳なさそうに頭を下げる様子は不憫であった。

 ……みんなの個性に合わせて役割分担しろっていう遠回しの指導かも知れないけれど。

 残す競技は、運動会とはほとんど関係がないドッジボールと、魔法解禁をフル活用できる今回最大の目玉たるチャンバラのみとなった。

 内野のコートに収まった面面が対峙し、しぶとくボールを拾っていた刃羽薪が母の渾身の一撃に吹っ飛ばされると、残りは父のみのとなっていた。

「ママ頑張れーーっ!」

 と、外野から音羅は声を送った。同じように外野から声を送るメリアと妹に、優雅に右手を振る母である。

 ……思えば、ママが戦っているところって見たことがなかったな。

 と、振り返って、音羅は父にも声を送る。

「パパ、ママが相手だからって手加減したらいけないからね!」

「もとより手加減できる相手じゃないって」

 と、父が左手で腰を摩りつつ、右手でボールをバウンドさせている。刃羽薪が外野に送られたことでボールは父チームに渡っている。

 背景はいつしか荒廃した大地となっており、学園の面影はコートのみである。音羅が炎の魔法を纏わせたボールで焦土と化し、納月が水を纏わせたボールで大洪水が起き、外野の磋欄が容赦なく放った岩石化したボールで一回はコートが潰れかけた。もはやボールの原型すら認められなかった攻撃を全て受けきってコートに立つ父も、生半可ではなかった。

「さて、行くぞ」

 と、軽い調子で投げたボールは、外見こそ至って普通のボールであるのだが、

 ……まただ、とんでもない回転!

 父が投げた瞬間、腕の振りとは真逆の方向へ飛んだボールがブーメランのように回転して少しずつ母へ向かってゆく。外野にも飛び出していくボールであるが、それを取ろうとしても、

 ……だ、速いっ!

 円軌道で躱されるだけでなく単純に速度が速くて目では追えないのである。それを鈴音が冷静に観察していた。

「魔力を感じないし、ちょっと考えにくいけど、あれは凄まじい回転を掛けたカーブボールと考えざるを得ないな……」

 と、いうのも、今回は分祀精霊が盾になって父を守り、攻撃は父が一手に担ってきた。メリアと姉妹合わせて一〇人全員が肌を刮ぎ取るような摩擦とともに外野へ送られた。つまり、鈴音が観察した通り父のボールは回転を掛けただけのボールで魔法を使っていない。

 一方、そんな超絶カーブボールをぽんっと軽く受け取った母が、

「そろそろ決めたいですね……」

 と、左手に魔力を込め、超光速度のボールを放った。全力で腕や脚を振り下ろすような投げ方でなく、父と同じで一切の無駄がないコンパクトな投法だ。そうして放たれる父のカーブボールを残像と表現するなら、母のボールはまさに光線だ。耳を劈くような高音と身を煽る圧力で外野まで消し炭になる。父のカーブボールと同じくらいに強烈な威力を発揮したそのボールが最終防壁の刃羽薪を外野に送り込んだ決め手であった。

 それだというのに、

 ……な、なんでなんだろう。

 音羅は首を傾げるほかなかった。もはやコートの線も消えているのに、そのコートの真ん中から一歩も動いていない父の手にはボールがあるのだ。

「パパ、卑怯だよ、何をしたの!」

「卑怯も何も。ただボールを取っただけやよ」

 絶対ウソだ。と、刃羽薪も思ったことだろう。

「キャッチボールじゃないし、次で決めようか」

 と、父が言い、

 ……ん!

 これまでない圧力を、音羅だけでなく場の全員が感じた。……魔力だ……パパが、魔法を使おうとしている!

 父の魔力を感じたのはいつぶりだろう。障壁に守られている体さえ吹き飛んでしまいそうな魔力の波が発生している。父の姿を陽炎のように薄ぼんやりと歪ませるほどとなった魔力はボールに集中し、

「さ、これで終りやね」

 ぶんっ!

 無表情の父が母とは真逆の方向へ投げたボールは、視野に雷光のような線を残して消えた。母を振り返る父が右手を前に出して、数秒──、はっとしたように背後を振り返った母がそれとほぼ同時、

「っ!」

 小さな呻きとともにコートから弾き出された。その身を抱きとめたのは自コートで不動の父であった。女神の微笑みを絶やさない母がそのときばかりは、

「ふぇっ!」

 と、慌てた。どこから来たかも判らないボールが母の手からぽ〜んっと零れたのは誰の目にも明らかだった。父の手を取った赤面の母がくたっと背中を預けては宙を舞ったボールを取る者がおらず、ぽ〜んっぽんっぽんぽぽん……ボールが到頭落下した。

 ……もしかして、ボールが空間を一周してきたのか。よく反応できたね、ママ……。

 音羅だったら背中を撃たれて顔面から地面に激突していたことだろう。ボールの軌道を察知して反応できた母はすごかったが、父に頭を撫でられて頰を一層染めて愛らしい。

「はい、お前さん達の負けね」

 仮にボールを落としていなくても自コート外ではアウト。その点でも父の勝利は明白だ。

 荒廃した景色は、父の歩みとともに再びもとの学園の景色に戻った。皆の消耗はその場その場で回復しているので、ドッジボールの熱狂をそのままに最後の競技へ移れる。

「さて、最終競技のチャンバラといこう」

 と、父が押し出した箱には、刃の部分がスポンジ材になった武器が入っている。

 そこから剣型のものを取り出して、音羅は気づいた。

「あ、剣以外もあるんだね。弓や槍、それから……」

「飛道具や紐のついた鉄球みたいなもんもあるし、防御用の盾も用意しといた」

「団体競技らしく役割分担ができそうだね」

「そう、武器と盾は同時に装備できんやろうけどね」

「そういうルールなの」

「物理的に可能ならいいけど、武器とは別に、片手にこれも持っておくのがルールやから」

 と、父が指差すのは箱の隅。鷲摑みにはできない絶妙な大きさのボールが並んでいる。

「これはなんなの」

「イノチだ」

「あ、これを落としたらアウトってことか!」

「そういうこと。みんな、イノチを一つと、好きな武器を選んで取ってね」

「わっ、可愛いのもあるね」

「そっちは分祀精霊用ね。まあ、お前さん達が使えるなら使ってもいいよ。飛道具ありやから投げて使ってくれてもいいし、武器の箱はこのまま置いとくから補充してもいいよ」

「自由度が高いね」

「いうまでもなく、本家チャンバラとはルールが違うね。飽くまで竹神家専用ルールやから混同せんように頼むわ」

 剣型の武器とイノチを手に取った父が早早に一歩下がり、みんなが箱の周りに集まった。分祀精霊も含めた家族全員が好みの武器を選び取って、利き手に武器が、空いた手にイノチが行き渡った。

「基本はイノチを落としたら負けだ。が、魔法も使う今回のルールではイノチだけを狙う必要はない。イノチを落とさせるための対人攻撃もありだ」

「つまり、ほぼなんでもありだね」

「最終競技に相応しいやろ」

 攻撃も妨害も、し放題。守りを捨てて武器を投げつけることも可能なら、盾以外のものを守備に使うこともできる。戦術の幅は広がるが纏まりづらいか。

「じゃ、ひとまず作戦会議といこう」

 と、言った父が、いつの間にか現れた半透明の部屋の中へ分祀精霊とともに入り、「そっちの部屋が家族チームのね」と、言って扉を閉めた。

 二つ用意された半透明の部屋はどうやら防音室だ。耳がいい一同に作戦が漏れないようにするための作戦会議室といったところだろう。

 納月が溜息をついた。

「この空間や景色、カーブボールに半透明の部屋、いちいちツッコんだら切りがないですけどどういう仕組してんですかねぇ……」

「昔を振り返るなら因果の糸を辿るような魔法などもわたし達は使えません」

 納月と子欄の話に、音羅は入ってゆけなかった。

 ……因果の糸って、文也さんのときの魔法だな……。

 父をひどく憎むきっかけとなった出来事。その中で使われた魔法がひととひとの繫がり、因果の糸を辿る魔法だった。それと同じように、どうすれば使えるのか判らない魔法を父は今回いくつも使っている。

「お父様の魔法はこれでもほんの一部でしょう。使いたければ教えてもらうことも考えますがわたし達には必要ありませんね」

「それはそうなんですけどね、なんか無性に悔しい感じが」

 父の魔法が自分には不要とした子欄に、向上心か負けん気か納月が憮然と眉を寄せている。できることからやればいい。その考えに当て嵌めるなら、

「なっちゃんは、今回のパパの魔法でどれが一番使いたいの」

「断然これです」

 半透明の部屋。「防音室を作れるなら、たぶん無菌室や陰圧室なんかも作れますよね。村の診療所はそういう点で緩いんで、ちょっと衛生的じゃないんですよ」

 医療の話が音羅は解らないが、納月が必要とする魔法に近いのが半透明の部屋を作った魔法なのだろう。

「それじゃあ、あとで教えてもらえるように頼んでみよう。今は作戦会議しないとね」

「そうでした。チャンバラとかあんまり得意じゃないんですけどねぇ」

 家族チームが部屋に入って待機している。音羅が促して納月と子欄が部屋に入ると、音羅も入って扉を閉めた。

 ……文也さん──。

 彼のことを思い出すと、運動会を行っている空間の性質に目を向けざるを得ない。魔法をいくら使っても疲れない、精神力消耗がすぐに回復するその特殊性だ。避けられない精神力欠乏は、佐崎文也、彼には避けられない苦しみだった。その苦しみが彼の命を奪ったともいえる結末を音羅は未だ忘れることができない。救う手立てがなかった、とは、当時父から聞いたがこの空間ならば──。半透明の壁を二つ隔てて向こうにいる父の背を音羅は振り返った。

 ……この空間は、文也さんのことがあったあと。それとも、その前にはあったのかな──。

 そう考えずにはいられなかった。

 訊いたら教えてもらえるかも知れないが、この勝負で勝ったほうが聞き出しやすいような気がして、音羅は作戦会議に集中した。

 ……パパに、一度くらいは勝ってみたいしな。

 幸いにして、音羅には新たな力がある。無意識に使っていたものだが、いつからか意識的に使えるようになった、凍てつく炎だ。刻音の時を止める魔法と組み合わせて父の動きを止めれば勝機はある。子欄の闇の煙幕や納月の水弾による乱れ撃ちなども、それぞれの武器を介して放つならルール違反にならないだろうことから攻めの手はいくらでもある──。

 そのように細かな打合せも重ねて音羅達は半透明の部屋を出た。ほぼ同時に出てきて対峙した父がメンバである分祀精霊を一瞥して追加のルールを説明した。

「行動範囲は景色が続く限り全域としよう。どんなに逃げてもいいし、一人に対して何人で攻めてもいい。基本はなんでもありだ。武器を介した魔法に加えて、相手の視野を奪う霧や闇を使うような魔法もOKにしよう。戦術の幅が広いほうが実戦的やしな」

「つまり、武器こそスポンジだけれど、攻撃、防御、補助なんかも魔法でやっていいんだね」

「ああ。まあ、音羅みたいに体術を使えるならそれを使ってもいいぞ。クム達にも障壁を張ってあるから、イノチさえ落とせばなんでもありってことで」

「総力戦だね」

「条件はこちらも同じやから、お前さん達ばかりが有利でもないよ」

 ……プウちゃんもそうだけれど、クムさん達みたいに小さな体だと捉えにくいものね。

 その点は作戦会議でも話した。父の障壁が攻撃魔法に対する防御性を有していることは確かだが、動きを止める魔法を無効化する性質は持っていないことがこれまでの競技で判明している。

「絶対勝つよ!」

「その意気。ガンバ〜」

 怠惰な父が、剣型の武器を軽く上げて、「じゃあ、これよりチャンバラを開始する。よーいどん」

 母とは異なる、気の抜けるような開始の合図だったが、今度は皆、やる気を蓄えてここにいる。油断もなく、間も与えず、父チームを攻めに向かう。

「やあーーーー!」

 と、初っ端から全力で父達に静止を掛けたのは刻音にほかならない。対象型暗点固定、正式には狭所(きょうしょ)時空固定(じくうこてい)という(きざみ)属性魔法だ。刻音が狙った相手の動きを瞬時に止める魔法だが、

 ……パパ達がいない!

 逃げ遅れて動きを止めているのは足の遅い刃羽薪一人だ。ノクシィにまで逃げられることは想定していなかったが、一部なら想定内。慌てず作戦通りに動く。

「なっちゃん!」

「合点!」

 納月が手裏剣型のスポンジに水を纏わせて放つ。水飛沫を上げてイノチが弾き落とされたのを確認して刻音が魔法を解くと、動けるようになった刃羽薪が地団駄を踏んだ。

「だ、もうやられたのかよ!っつーかプウ!オレを乗せろっつったろうが!」

 どうやら置いてきぼりを食って敗北したようだ。

「クムさん達がいないのはプウちゃんが乗せていったからかな」

 と、音羅は推測した。刃羽薪ほどではないもののクムや織師も機敏ではない。刻音の魔法を逃れられるほど速くは移動できないはずだ。

「特異転移かもね」

 と、隣の鈴音が冷静に分析した。「お母さんが使える手段をお父さんだけ使わないとは考えにくい」

「それじゃあ刃羽薪さんはなんで取り残されたんだろう──」

「囮じゃよ」

「『!』」

 糸主の声。

 ……足下だ!

 それに気づいたとき、音羅達はすぐ近くに空間転移しており、つい今までいた足場からざっくりと突き出した剣山を観ることとなった。

「あ、あれは、糸主さんの魔法かな」

「なんとか回避できましたね」

 と、母が言いつつ、弓型武器を引いていた。放たれた矢は剣山の根本を正確に狙い撃ち、

「のおぅっ!」

 と、地面から飛び出した糸主から、ころんっ、と、イノチが転げ落ちた。「実戦経験のある者は機敏じゃのう、地中を正確に狙うとは」

「糸主さんも素晴らしい攻撃でした」

 と、母が褒めつつ次の矢を放った。どこを狙ったのか音羅には判らなかったが、

「くっ!」

 と、どこからともなく織師が落ちてきて、イノチも一つ落ちた。

「織師さん!ど、どこにいたの」

「空ですよ」

 と、母がさらに矢を放つ──。

「空って。あ……」

 織師の手には分祀精霊用の小型武器とともに空と同じ色の布があった。まるで忍者のように空に溶け込んで姿を消していたのである。

「すごいな、織師さんにこんなことができたなんて」

 織師が苦笑で母を見やる。

「見破られるとは思わなかったが。どうして気づいたんだい」

「納月ちゃんの手裏剣の音が妙なところで反射していたのです」

「キミは本当に耳が利くね」

「織師さんも見事です。防水・撥水性の高い布で水飛沫を吸い上げることなく背景を濁しませんでした」

「そこまで見抜いてるとは。感服だ」

 脱落した織師と刃羽薪を糸主が連れてせっせと脇へ退避すると、

「オト様には逃げられたようですね」

 と、母が先程放った矢を見送った。

「おとぉさんがあっちにいたんですか」

 と、納雪が母にくっついた。「判らなかったです、全然」

「移動の風切り音を感じたのですが囮だった可能性もございます」

 音羅は両親譲りで耳が利くが、

 ……その移動の音もわたしは感じなかったな。

 実戦経験の差だろうか。周囲に気を配っても、父チームが動いていることを感じ取ることはできないのである。が、音を頼りに索敵することは父チームも同じで、ばれている手段だ。家族チームの索敵手段は音のみではない。

 霊欄が反応する。

「──来た!ララお母さんの後方!」

 それぞれの死角を補うように円を描いて構えていた家族チームである。周囲に敷いたわずかな電流を通り抜けた人物がいたら霊欄が伝えることになっており、敵が現れた方向に位置するひとが対応する。

「メリアさん!」

「任せてください!」

 メリアが手を振り上げると、魔力反応のない星の魔力を用いた石柱が地面から突き出た。隙を衝くその一撃を躱して、細長い影が現れた。

「ピゥ──!」

 ……プウちゃん!

 プウは手がないので口にイノチを銜えている。この場合、どうすれば脱落扱いになるかは判らないが、地を這って迫ったプウを、

「わあっこっち来ないでよ!」

 と、磋欄が拒否する。その際に地面から突き出させた岩石でプウが打ち上げられて無防備になった。透かさず音羅は声を張る。

「チャンスだ、雪ちゃん!」

「はいっ!」

 メリアのほうへ放物線を描くプウを、納雪が放った粉雪のような微弱な魔法が絡め取る。全力でやれとは言われていても優しい納雪なので手加減していたのだろう、威力はさほどでもない。尻尾のみが凍ったプウは地面に落ちるなりなめらかな動きができず、その隙に、

「おイノチ頂戴」

 と、謐納がイノチを掠め取った。

「プゥ〜……」

 戦意喪失のプウがへたっと伏せた。口から小さな火の粉を散らしてとても不機嫌そうだ。納雪が屈んで氷を消し、

「ご、ごめんなさいプウさん、痛くなかったですか」

 と、プウの尻尾をそっと撫でる。すると不機嫌はどこへやら、納雪を気遣うように頰ずりしてうなづいた。「よかったぁ」と安心して笑う納雪に「気にするな」と言うようにプウが澄まし顔だ。そのやり取りを音羅は微笑ましく眺めた。

「プウちゃん、動きが素早くなったね。あの石柱を避けられるなんてすごいよ」

「ピゥ」

 褒められて少し嬉しかったのだろう、一瞥とともに一つ鳴いたプウが、糸主達がいる場所にそそくさと退避した。その移動も目に留まらぬ速さで、動きを鈍らせなければ捕捉困難だったことが窺えた。惑星アースにいた頃にあんな動きは見たことがない。

 ……すごく特訓したんだろうな。わたしも頑張らないとな。

 開始から間もないが、今のところは家族チームがノーダメージを保っている。残る相手は父とクム、それから結師とノクシィである。

「ノクシィさんがいないのが引っかかるな」

 と、鈴音が意見した。「お父さんが逃げて様子を観察してることは想像がつくんだけど、ノクシィさんの役割はいまいち解らない」

 それに応えたのはメリアだ。

「音さん曰く、ノクシィさんの力は無害化。敵意などを打ち消したり、危険な攻撃を無力化したりする、どちらかといえば補助的な効果が目立ちます」

「敵意を打ち消す、か。わたし達の場合、今はそんなものを持って戦っていないから、気持的な部分でノクシィさんの力の影響を受けることはなさそうだな……」

「攻撃魔法に対する無力化ということなら、ワタシの鎮静に近い結果を出すのよ」

 と、夜月が辺りを警戒して言った。「ともあれ、あのノクシィが自ら攻撃してくることは考えにくい。引っかかるのはユイシのほうよ」

「結師さんが攻撃してくる感じも想像できないものね」

 いつも持っている櫛で殴ったりするのだろうか。「って、ギフト用の武器を持っていっているからそちらを使うのが普通なのかな」

「魔法を使っていいなら武器は使わない可能性が高いんじゃないですかねぇ」

 とは、納月の意見である。「あの小ささで殴ったところでイノチを落とせないでしょうし、実際、今までの敵さんの動きは隙を衝くようなもんばかりでした」

 力で敵わない可能性が高いから隙を衝いてイノチを落とす作戦だ。

「パパ達はとにかく隙を衝こうとしているわけだね」

「ええ。唯一パワーファイタな刃羽薪さんを最初に脱落させられたので、かなり作戦が絞られてるはず。となれば、隙を衝いて動いてきそうなのは比較的素早い結師さん──」

 光を膨らませて出没する、神出鬼没な結師である。糸主や織師のように地面や空に隠れなくても、姿を消したり現れたりする手段があるので厄介だ。

「ママはパパ達の動きが判るかな」

「概ね鈴音ちゃんの言う通りでしょう。ですが、よくよく考えるとクムさんの──、噂をすれば来ましたね」

「こ、これは……!」

 どこからか綿毛が大量に流れ込んできて、すぐ隣にいたはずの母の姿も見えなくなってしまった。

「ま、ママ!みんな!」

 呼びかけると、母ではなく次次妹の声がした。

「う、わぁっ、ちょっと待ぁっっっ!」

「あれっ、と、取れない!」

「手が滑って……!」

 絶え間なく流れ込んでくる綿毛で状況が摑めない。

 ……いったい何が起きているんだ!

「クムさんの出す綿毛による攪乱、その名もフラフダンスです」

「目が回りそうだからフラフラダンスなんだね!」

「いいえ、フラフダンスです」

「細かいことはいいからママ、なんとかして!」

 炎で焼き払えそうだが実戦ならみんなを巻添えにしてしまうので燃やせない。

「はっ!」

 と、謐納の声。武器を振るったのだろう、一瞬は綿毛に隙間ができたが、すぐに塞がってしまって身動きもできなかった。綿毛からか、それとも風からか、

 ……クムさんのいい香りがする。

 リラックスしてしまいそうだ。気持を引き締めて念のため両手でイノチを握り締めていると、綿毛が音もなく流れ去り、一分ほど続いた視覚妨害が治まった。が、そのときには、地面にいくつものイノチが落ちていた。

「一、二、三……九個!誰が生き残っているの!」

 音羅がみんなの手許を確認しつつ尋ねると、母が応えた。

「私とメリアさんと音羅ちゃんのみのようですね」

「そんな、どうして」

「手が滑ったんですよぉ」

 と、納月が困り顔だ。

「イノチが手を擦り抜けた感じでしたね」

 と、子欄が補足して、鈴音が苦笑した。

「フラフダンスの効果なのか、それとも別のか。謐納はなんか気づいたことない」

「イノチを落とす直前、綿毛のほかに何かが手許を通り抜けた気が致しまする」

 謐納の話を聞いて夜月が一人文句を垂れる。

「何かってなんですの。まさか例の幽霊じゃないでしょうね」

「ソソ殿やフタツハテ殿が参加しているとは聞いておりませぬ。さすがに途中参加による不意打ちはルール違反になりましょう」

「じゃあ違うのね、紛らわしい。レイラン、敵性の接近を感じなかったのかしら」

「ヨルお姉さんすまん、感じなかった。綿毛がずっと通り抜けてたから、どうしたらいいんだか、って感じで」

 霊欄の敵性探知の魔法は網のようなものだという。広範囲に掛けて近づいてくる者を感じ取ることができるが通過された部分には穴ができてしまう。穴は補修できるが、綿毛の大行進が相手では補修箇所の絞り込みもできなかったようだ。

「フラダンスで攪乱してその隙にパパ達が何かして、イノチを落とさせたってことか」

「音羅ちゃん」

「何かな」

「フラダンスではなくフラフダンスです」

「ママ、細かいことはいいから早く対策を考えようっ」

 綿毛に目が回ったのは娘だけのようで、母もメリアも至って冷静であった。脱落が決まって糸主達のもとへ退避した妹を見送って、音羅は剣型の武器を改めて握った。

「あんなのがまた来たら、今度はわたし達もイノチを落としちゃうかも知れない。ママとメリアさんは、どうやって切り抜けたの。ちなみに、わたしは両手で持っていたんだけれど」

「私はイノチを障壁で保護しておりました」

「わたしも星の魔力で作った壁で保護していました」

 ……そうか、壁なんかを用意すればよかったのか。

 音羅なら炎でも纏わせていればよかったのかも知れない。両手で支えられないときはそうすることにして、音羅は周囲を見張る。一気に人数が減ったので、三人で三方向をカバーする。

「逆転されてしまいましたね」

 と、メリアが紐状のスポンジを撓らせながら言った。「みんなのイノチを落とした方法が判然としませんから、フラフダンスもそうですが接近する影に注意しなければ……」

「探知は私が行いましょう」

 と、母が片手を振るい、光の網を全方向へ広げた。空を覆うように展開したそれは視覚的に父チームの接近を捉えられる優れものだ。父チームからも目視できるため牽制にもなる。この時間を使って家族チームは態勢を整えられる。

「わたしは何をしたらいいかな」

「音羅ちゃんは攻撃に専念してください。誰かが近づいてきたら間髪を容れず攻撃です」

「解った。メリアさんは」

「補助に回りましょう。羅欄納さんや音羅さんがイノチを落とさないよう、また、音さん達の動きを妨害するように石柱を発生させることに専念します」

「解りました。ママ、それでいいかな」

「はい。私が皆さんに伝心を繫ぎますので、細かな連絡は頭の中で考えてください」

 

 

 脇に退避し成行きを見守っていた面面は大きく二つに分れている。父チームの分祀精霊と家族チームの竹神姉妹だ。二つはほとんど距離が離れていないが、その背に蠢く影があることに気づいたのは分祀精霊のみだ。織師がそれとなく糸主の意識を背へ向けさせて小声を掛けた。

「気づいたかい」

「うむ、ここにお出ましとは思わなんだがのぅ……」

 竹神姉妹が気づいたら大騒ぎだろう。目視できるかは判らないが、漂い始めた独特の甘い香りには気づくだろう。戦闘中でも耳が働きそうなララナ達の耳に入らないよう、織師や糸主に倣って刃羽薪も慣れない小声で話に入った。

「オトのヤツが希しいことしてるから〈アネゴ〉も気になられたんだろうな……」

「だろうね。ひょっとすると参加されたかったのかも」

「あのお姿ではさすがに無理じゃろうがのぉ」

 何せ巨大すぎる。背景に溶け込みすぎて、あるいは目の前にいても気づけない者もいるかも知れない。それ以前に、分祀精霊でなければ恐らく目視もできない。

「プゥ……」

 と、不思議そうな顔をしたプウが後ろを振り向いているが、その存在に気づかない。

「おぉプウ、除け者にされてる気分になったか」

「ピゥ」

「まあ気にすんな、オマエはまだまだガキなんだろうよ(ってことにしとくぜ)」

「ピゥゥゥゥ、あむっ!」

「だぁっ、嚙むヤツがあるかぁ!そこそこ丸吞じゃねっ!」

 頭からがぶっと。一応加減してくれたようだが歯型とよだれが残った。「勘弁しろおい」

 やり取りを眺めていた織師と糸主がくすくすと笑った。

「キミの口が悪いせいではないかい」

「そうじゃぞ、プウはいい子じゃし、れっきとした──」

「うっせえ。歯型はともかくよだれはちょっとヤだろぉ」

 歯型もヤだが。などと話しているあいだに、

 ……アネゴ、おられないな。

 

 

 朝の襲撃で少し震えていた納雪が、運動会のさなかもときどき周りを警戒して不安そうにしているのに刻音は気づいていた。密かに様子を見守って元気が出ないようなら声を掛けようと思っていた。が、少し調子が戻ってきたように見えたので、声を掛けないのももったいない、と、べたべたしがちな性格を隠さず声を掛けることにした。

「納雪ちゃん、どうしたのぉ?なんか面白いものでも見つけた?」

 一人で後ろを見つめていた納雪と刻音は顔を並べた。

「えっと、甘い香りがしていて、さっきから」

「そういえばそうだね。この、なんかおいしそうな香りは……音羅お姉ちゃんなら判るかな」

「それから、大きな影が見えて、いる気がして」

「(へ?大きな影?)へえ」

 納雪の視線に合わせて刻音は空を眺めてみた。流れる雲と時折虹のような美しい光──。特別な空間とは聞いたが、刻音には普通の景色が見えている。

 ……大きな影、か。

 自分に見えないからといって否定するのは難しい。少し前に魔物の毒の影響で音羅が幻覚を見たという話を聞いたからだ。納雪の場合は今朝のことが影響してあらぬものが見えている可能性がある。

 ……恐い思いをしたから。

 顔色がよくなって見た目にも納雪は落ちついてきたようだが、外には見えない不安を抱えているとしたら。

 ……安心させてあげたいな……。

 できる姉達のように言葉だけで励ましたりできればいいが、刻音はまだまだ新米な姉だ。おまけに妹との距離感の詰め方がきっと下手である。それでも受け入れてくれた家族に対して飾らない自分で接したいので、刻音は納雪の頰に頰を寄せて笑った。その瞬間、納雪の頰がぱっと緩んだのを感じて、刻音は自信をもらった。

「──何が来ても大丈夫!刻が、この頼れるお姉ちゃんが絶対守るから!」

「刻音おねぇさん……ありがとうございますっ」

「んふふ〜、任せて!」

 頼れるお姉ちゃん、は、ビッグマウスだったかも知れないが納雪の明るい笑顔を向けられるとどんなことにも立ち向える気がしたのは本当だ。

 ……ど、どうせならこのチャンバラごっこ中にカッコよく守れたらよかったな!

 と、刻音は反省した。……音羅お姉ちゃんじゃないけど、本格的に修業してみようかな。

 などと考えるくらい気持が高まった刻音は、ひとまず、父を迎え撃つ構えの母達の戦いを観察することにした。

 

 

 ……この香りは黄昏色に染まる秋の山、そうでなければ、おやつだ。

 と、音羅は思った。なんとなくお腹が空いた気がするが、まさか誰かがお菓子やパンを作っていたりするはずもない。

 それ以外は何事もなくしばし時が流れて、母の張った光の網に変化があった。

「網が、吸い込まれて──」

 一の字に纏まるや音羅達の前に風のように流れてきて視界を妨げた。瞬時に母が手を振るったが、何も起こらない。

(鎮静が効きません。また、何かしらの魔法効果で私自らでも網の魔法を消すことができないようです)

 と、いうことらしい。(メリアさん、防壁を)

(解りました)

 網で索敵できない状況は危険だ。全方位を纏めて防御するためメリアがドーム状の壁を作り敵性の接近を物理的に防いだ。

(地中にも壁を作りました。足下からの攻撃も防げます)

(反撃もこの壁を用いることと致しましょう)

 父チームが接近してくるタイミングを計って、壁を打ち崩して隙を衝くのだ。と、考えていたのだが、そのとき、

「お疲れさまぁ〜」

「『!』」

 三者の後方、ひと一人が入れないほど狭い空間で光が弾けて、

 ……結師さん!

 彼女の出現を感じ取ったときには、……イノチが、滑って──!

 納月達が言っていたことが音羅にも起きた。できる限り指に力を入れて、指紋の摩擦できちんと滑らないようにしていたイノチが、するっ、と。

 警戒虚しく地面に落ちようイノチを待たず、背後の結師を石柱が突き放す。ドーム状の壁を打ち崩しつつ空高く突き出した石柱だが、突き放されたはずの結師が石柱の脇を浮遊して櫛を振るった。

「はい、もう一人ぃ」

「あっ……!」

 今度はメリアのイノチが手から滑り落ちる。

 ……これは結師さんの仕業か!

 理屈は判らないが、今まさに地面に落ちかけている音羅のイノチも、メリアのイノチも、結師が落としに掛かっているようだ。

「まだです!」

 メリアが器用に操った紐状の武器は、その先端で二つのイノチを弾き上げた。音羅は透かさず自分のイノチを取ると火炎放射で結師の手許を一点集中、そのイノチを地面に落とすことに成功した。

「あら残念、チームワークに負けたわねぇ」

 石柱を蹴って脱落組に合流する結師は飄飄と笑っている。と、いうのも、

「あ、あれあれっ!」

「メリアさん──!」

 両手で取ろうとしているのに、イノチが擦り抜けて、ついには、ぽとっと地面に落ちてしまった。

「あ、あぁ……なぜ!」

「結師さんの力なんでしょうね。どんな力なのか全然判りませんけれど……」

 戸惑うばかりのメリアを脱落組へ見送って、音羅は母と背中合せに立った。いつからか甘い香りが消えて緊張感が保ちやすくなったのはいいが、

(まずいね。形勢が変わらない……)

(落ちついて参りましょう。冷静に対応しなくては勝てるものも勝てません)

(そうだね)

 脱落したひとは手出しできない。よって、結師による謎の攻撃(?)はもう発生しない。

(あとはパパとクムさん、それからノクシィさんだ。クムさんの──)

(フラフダンスですよ)

(まだ言いきってないよっ)

(ふらふらフラダンスが厄介だ、と、言おうとしていたでしょう)

(鋭い……)

 言いたいことは間違っていない。フラフダンスの視覚妨害は結師の技も完全に覆い隠していたので、父やノクシィの動きも同様に隠せるだろう。綿毛を出したクム本人が攻めてくることもあり得る。

(……ん、クムさんの香りがする)

(風上からですね)

 最初、音羅達はこの空間へ空間転移のようにして瞬く間に訪れた。そして、この空間は、別の空間と隔絶されているらしい。つまり、自然風が発生しない。この風は誰かが起こしていることになる。

(ママ、風は誰が)

(私達ではないので、オト様達でしょう)

(どういうこと。居場所をばらしているってことなのかな……)

(攪乱です。クムさんの香りを料理やお菓子で嗅ぎ慣れているので私達は感じ取りやすい。あたかも風上にオト様達がいるかのように見せかける意図を感じます)

(なら、逆方向にいるんだね)

(そうとは限りません)

(なんで。背後を衝くのが正攻法だから逆方向から来そうなものだけれど)

(定石ゆえに読みやすい対策です。オト様ならその裏、さらに裏まで読まれるでしょう)

(裏の裏は表だよ)

 要するに、背中合せの警戒を続けてどこから現れるか判らない父チームを視認して対応しなければならないということだが、

 ゴッ!

(なっ……!)

 目の前に突然現れた炎の塊が爆ぜて、武器を握ったほうの腕で目を覆った隙にぴんっとイノチが弾かれた感触がした。弾かれたイノチは音羅の視野の外へ途轍もない速さで放物線を描いて、手が届きそうにない。しかし、ふっとイノチが消えて、次には音羅の手許に戻っており、それと同時に、爆ぜた炎から迫るスポンジの剣先を母の持った弓が退け、一瞬の間に放った矢が一つの影を後退させた。その影は右手に武器を持つ父。左肩にはクムの姿もある。

「羅欄納はやっぱ経験値がすごいね、これに反応できるなんて」

「それのみがオト様に優ります」

 余裕綽綽の語り口で幾度となく弓を引く母。いつか子欄が弓道の試合で放っていた矢とは異なり直線ではなく曲線を描き、無数に、父を狙う。それを舞うようにして躱してゆく影は、長年テーブルにくっついていたひとと同一人物とはとても思えない。

「さて、敵意のない攻撃にノクシィは手が出せんし、クムの香りも攪乱するには至らん。相手が少ないとフラフダンスも逆に邪魔になるし、直接勝負で終いとしよう」

 足裏でどんっと地面を突き、罅割れた地面から火炎を放つ父。雷鳴のような轟音が響いて、火炎に姿を消した父の足音は捉えられない。

「パパ、こんなことまでできたのか……!」

(音羅ちゃん、慌てず。攻めのチャンスを見つけてください)

(っ!うん、解った、頑張るよ!)

 物凄い熱と暴風に煽られてつい焦りが生じたが、母の言葉に平静を取り戻し、音羅は武器を構える。ところが、

「あ、あれ、視界が!」

 突然真暗になった。綿毛は発生していないし、上下に火炎がちらちら見える。

「音羅様、しばらくの我慢ですわ」

 ……っ、クムさん!

 熱と暴風で感覚が鈍って、眼許を覆うようにして張りついたクムに音羅は気づかなかった。その間に、

「ぐっ……!」

 手を引っ張られて空中へ投げ飛ばされた。途中で視覚が戻ったのは、クムの姿が消えたからだ。

(ママは……!)

 地上を見下ろすと、フラフダンスに巻かれて接近戦を強いられた母が父のスポンジ剣にイノチを狙われていた。

 ……加勢に──、いや、冷静になれ。

 父の左手に、イノチが見える。フラフダンスで覆われて父の姿も見えなくなるが、両親の衝突のたび爆発するようにして二人の影が顕になることがある。

 ……あの隙を衝くんだ!

 フラフダンスが邪魔で両親の気配を探知できない。逆を言えば、向こうからも音羅を探知できない。が、父は母に集中しているので音羅の姿を探す余裕はないはずだ。

 イノチを落とさないよう両手で握り、音羅は足に炎を灯して推進力とした。

 ……一瞬の隙を衝け……見逃すな!

 推進力を高めつつ落下し、両親の衝突の瞬間に合わせて限界まで加速、……そこだッ!

 全速力で落下しながらの踵落し。

 死角からのそれを、

 ……外した!

「速いね」

 と、回避した父。

 爆炎を巻き上げながら地面を揺らした踵落しから間もなく、音羅は超低姿勢からの足払いを仕掛けた。それをも跳んで躱した父の腕に、母が透かさず掛けた弓を角度を変えながら払い抜いて、弓弦でイノチを弾いた。

 ……やった!

 と、悦んだのも束の間。……空間転移されたら意味がない。持てないようにしないと!

 音羅はただちに父の脚に摑みかかって引き倒した。

「のおぅっ!」

 情けない悲鳴を上げた父を普段なら労わるが、訓練なので顧みない。

 父のイノチが落下する瞬間まで音羅は気を抜かず、焼き尽くす勢いでイノチを炎で包み空間転移での回収を阻止しきった。

 ぽとっとイノチが落下して、

「あぁあ、負けたか……」

 と、父が敗北宣言したのは、気が早いようでいてそうではなかった。父の肩に戻っていたクムは音羅の踵落しの勢いに煽られてイノチを落としており、少しして風に乗って現れたノクシィからイノチを回収するのはこれまでのどんな競技よりも簡単だったのである。

 全競技が終わった。

 皆を集めた父が、一言で締め括る。

「みんなで遊んだのは初めてやね。愉しかったわ、ありがとう」

 父は噓つきだ。訓練。運動会。それらが建前だったのだということに、その言葉を聞いて気づかない家族はいなかった。

 ……うん、愉しかったな。まだまだ遊び足りないくらい、愉しかった。

 半世紀に及ぶ人生で家族全員が集まって遊んだのがじつは初めてであることに音羅が気づいたのは少しあと、父の言葉に呆れながらもみんなと笑ったときだった。

 

 

 

──六章 終──

 

 

 

 

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