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五章 幽明の出あい

 

 断っておく。これよりしばしホラーの展開である。心臓に毛が生えていないどころか生まれたばかりでいろいろと経験不足な二姉妹が怯えきってしまうような出来事である。

 断じて虐待などではないとも断った上でそれが竹神家の日常である。日常であるから普通のことである。が、一つの家の普通がほかの家では怪奇すなわちホラーであることもたまにはあるだろう。竹神家の日常はまさしくホラーなのである。何せ多くの生き物が蠢き、その多くが分祀精霊、通称ギフトと呼ばれる人間ならざる者だからである。

「──ひっ」

「サラ、そろそろ慣れような」

 中でも人外的な動きを見せる分祀精霊の一人が糸主だ。一人、と、数えたが見た目は毛玉である。繊維質な体を活かして木製の板と板の隙間から、もふっ、と、這い出てくることはしょっちゅうで、それが爪先の下であったり目の前の壁であったりすると磋欄は心臓が止まりそうになる。

「おはようさんじゃぞ、磋欄、霊欄」

「おはようイトさん」

「……おはよう」

 磋欄と霊欄の自室も毎日のように掃除してくれるのが糸主である。もふもふ、もふもふ、手の届かないところまで──、遠くから見ていれば電池か何かでマスコットが動いているように思えるが、

「サラ」

「なっ、何」

「呼びかけただけでびっくりしないでくれ」

「だって……びっくりしたんだもん」

「昨日はみんなとあんなにはしゃいでたのに、すっかりもとのサラだ。臆病っぽいぞ」

「がさつなレイと一緒にしないで」

「がさっ、マジか、わたしってその括りか」

「うん。ワタシより起きるの早いし布団から飛び起きるし服の着替えも早い」

「機敏って言ってもらえると嬉しいんだが」

「がさつ」

「理不尽だ」

 霊欄には文句を愛嬌と受け取ってもらえるので、磋欄は気が楽だ。

「……」

「さては、ほかのひとだとこうはいかない、って、考えてるな」

「……昨日も、ちょっと、不快そうにされたことがあったわ」

「ああ、シンが怒ってたときのことか」

 村の子は同年代のように見えてじつはずっと年上の、神の子だ。外見年齢よりずっと長く生きていて、経験が多くて、話し上手な子が多い。対して、距離感を摑むのが苦手な磋欄は適切な言葉や態度を選べていないことがある。

 ──ふふっ、お粗末ボウズね。

 ──だ、誰がボウズだ、このヤローッ!

 距離を詰めようとして放った一言で拳を振り上げられた。殴られる──。磋欄はびくっとして、怯えた目を村の少年シンに向けてしまった。

 ──手を上げたら駄目だ。

 と、もう一人の少年エイジが手首を摑んで拳を止めた。シンは、不服そうだった。

 ──あっちが最初に……。

 ──手を上げたらどっちでも一緒だ。

 正論だからだけでなく、シンもきっと悪いことだと理解していたからばつが悪かったのだろう。場の空気が一気に壊れて、それまで仲良く話していた納雪や霊欄までしばらく口を開けなかった。息苦しさに俯くと、霊欄の荷物から覗く海の宝石が綺麗で、余計に、苦しくなった。

「別に選ばなくていいだろ、言葉や態度なんて」

「……レイは平気そうにしてるけど……駄目だと思うわ、それじゃ」

 実体験が尻込みさせる。「うじうじするの嫌なのに、メンドーね」

 ひとに関わるとそう思えてしまう。そう思っている自分のヘドロのような思考を洗い流そうとするが粘着質で取れやしない。

「サラの性格理解してるつもりだからさ、多少の棘は平気だぞ。いつかみんなもそうなるさ」

「楽観的。がさつ」

「今のはちょっと傷ついた」

「っ」

「機微に鈍感でもないと思うんだけれどな……」

「…………ごめん」

「いいよ、別に。サラおねーちゃんっ」

「……キモい」

「たまには妹ぶらせてくれよっ」

「……ごめん、いいよ、うん。来て」

「やった」

 霊欄にぎゅっとされて、頭を撫でられて、磋欄は、突き飛ばした。

「どこが妹ぶってるのよ、姉ぶってる!」

「ええっ、可愛いから撫でたのに!」

「可愛くない」

「そういうところが可愛いんだ」

「真顔でそう言うの、女タラシっていうのよ」

「せめて人誑し(ひとたら  )で。これでも一応女子だぞ」

「ふん、男女」

「サラはたまに男だな」

 違う。

 ……ガキンチョなだけ。せめて、レイみたいに恰好よかったら……。

「あ、ちょっ、サラ!」

 霊欄を突き放したまま磋欄は自室を飛び出した。長女らの部屋が向いにある。南北に伸びた廊下に木洩れ日の明るさ。なんとなくその明るさからは遠退きたくて、北へ足を向けた。上下階への階段がある踊り場に駆け込むと仄暗くて、

 ……なんか、あの日を思い出すわね。

 あまり思い出したくない、嫌な日のこと。メリアから海のことを聞いて、すぐ出掛ける準備を密かに始めた五月五日のことだ。水着のデザインに関して霊欄と喧嘩をしてしまった磋欄は、今日のように部屋を飛び出して踊り場に駆け込んだのだ。

 

 人間の成長に照らせば五年から一〇年ほどを短縮したかのように赤ちゃんから一気に大きくなった磋欄であったが、人間と同じく経験を積まなければ中身が成長しない。苦手な暗がりだって何度も体験しなければ克服できない。そこはかとなく感ずる恐怖が全くの疑心暗鬼であることを学べない。

 家の至るところに燈を届けてくれるヴァイアプトが日光の届きにくい踊り場にもいる。

「ヴァイさん、起きて。燈、つけて、お願い」

 ヴァイアプトが照らしてくれるのは主に夜間。植物の分祀精霊なので言葉は発しない。起きていれば燈の明滅で応答してくれるが、日中はほとんど眠っているのだろう。今回も、

「ダメか……」

 騒がしくしたりしつこくするのは磋欄も好きではないから、一度反応がなければ諦める。

「うぅ、暗い……」

 自分から飛び込んでおいて踊り場を後退りしてしまう。が、部屋には戻れない。霊欄が追いかけてくるならまだしも自分からは戻りにくい。

 ……素直じゃないな。

 そんな自分を克服したいがなかなかできない。うまくゆかないことが多すぎて、もやもやして、いらいらする。気持が上向きにならなければ何もうまくゆきそうにないが上向きどころか前向きにもなりにくい。そんな自分はどうすればいいのか──、磋欄はもやもやといらいらが募って仕方がなかった。

 そんなとき、

 ……な、何──。

 何かが聞こえた。声か。

(──ねー──)

 ……う、だ、誰よ……。

 空間に響いている感じではない。まるで体の中に声の主がいるような、頭の中、あるいは喉の奥から体じゅうを伝って鼓膜を揺らすような声だ。ぞわぞわした。そして体の芯、全身の骨から伝うようにして、暗さで過敏になった神経や肌が再び震わされてゆく。

(──る──ねーか──)

「だ、誰って言ってるでしょっ!」

(悪い子はいねーかー)

「ひっ──!」

 背後に気配(!)目は向けないように腕を大振りすると、手応えを感ぜず勢い余って尻餅をついた。

「うぅ、な、なんな──」

「ぎゅむぅ!」

「ひぃっ!」

 立ち上がろうと床に手をつくと何かを潰したような感覚がして、磋欄は体ごと跳び上がって手を退けた。何か大きなものに掌が触れた気がして、得体の知れない床のモノより先に掌を確認する。

 ……な、何もついてなー……くない!

 何かがついている。粉のような、何かだ。……ヤダ、ヤダヤダヤダなんか潰したっぽいぃ!

 叫び出しそうなのに声が出ない。霊欄がいないとまともに喋られない。

 ……こんなときに限ってレイぃ!

 恐い。一人は、恐い。

 気づけば、何かを押し潰した手とは反対側の足下に、ふーー……っと、目玉。

 ……目玉あぁぁぁああぁっ!

 糸主のように突然何かが現れる家だ。何がいるか判らない。そう思っていてもさすがに目玉が転がってくるとは思ってもみなくて、磋欄はとっさに目を瞑った。

 ……ワ、ワタシの目玉が取れた、んじゃないわよね……。違うわよね……!

 閉じるまでちゃんと視覚が働いていたから、転がってきた目玉をはっきり捉えてしまったのだ。だから自分の目玉でないことは確かだが、だとすると転がってきた目玉はいったい誰の目玉なのか、いったいなんなのか。大いなる疑問を解消せねば恐怖は拭えそうもなく、でも、解消できなかったら体の震えは一層大きくなりそうで、現実から目を背けたい心境であった。

 ……ば、罰なの。これはレイと喧嘩した罰なの。

 震え上がったことで許してもらえないものだろうか。誰に許しを乞うていいのか判らないが磋欄は心の中でいずこかへ謝った。

 目を瞑っていてはまともに歩けない。かと言って瞼を開いたら目の前に目玉が現れそうで、ありもしないことなのに自分の目玉も転げ落ちしまいそうな気がして、瞼を閉じたままでいた。震える手で木製の手摺を探り当てて、磋欄は一階へ降りた。と、いっても階段を踏み外したので、どどどっとお尻で滑り落ちていた。

「いっっっいっだぁいっ!」

 落ちた瞬間は声が出たが、すぐに痛みで声が出なくなった。おまけに今度はお尻が痛くて動けない。お尻をつかないように四つん這いになって呻くのが精一杯である。

 ……お願ぁい、誰か来てえ……!

「お呼びかしらぁ」

「ぅぅ、(た、たす、けて、居間まで、母さんがいるとこまででいいから連れてって)」

「いいわよぉ、ちゃあんと顔を見てお願いできたらねぇ」

 ……そ、そんなことでいいならいくらでも……、はっ……。

 気づいた。声に出せていない声に誰かが応えたことに。だが、その気づきは遅すぎた。救いを求めた反射的な顔の動きは、気づきに応じて下がったりはしなかった。

 磋欄は息が止まった。目の前にあるのは、女性の顔だ。血色のない、青白い顔だ。それに、

 ……な、なんで、このひとの顔、上下が反対に──。

 よく観ると、顔の下は背中──、首がねじれて、背中側に顔が垂れているのである。

「ッー!」

「あらまあ、ひとの顔を見て言葉を失うなんて失礼な子。お仕置きが必要かしらね。ねぇ」

 ……う、噓──。

 首のねじれた女性とは別に、背後に気配を感じた。

 ガシャン……ガシャン……。何かが軋むような音だ。服より硬い材質の、何かがこすれるような音だ。それが少しずつ近づいてくる。

 ……階段……さっきわたしが滑り落ちた、階段……!

 そこを、歩いてきているようだ。ガシャン……ガシャン……。同じ間隔で鳴る音。その音が大きくなってゆく。発信源が、一歩、また一歩、と、近づいてきている。

 ……や、ヤダヤダヤダあっ!

 力いっぱい両腕を動かして、痛いお尻も庇えず這って、燈のある南へ進む。

 ……滑る、滑るーっ!

 母達がいつも掃除し、糸主が這ってハウスダストの類も一掃されているのだろう、人類の持つ指紋という滑り止めを鼻で笑うような床だ。

 踊り場からなんとか滑り込んだ廊下は、それはそれは長い道程に感じた。がむしゃらゆえに爪を立てることを忘れて滑りやすさが増していたことはあとになって気づいたことである。

 そんなこんなで、全身汗塗れで息を切らして居間に這って入った磋欄を、

「いっ……誰かと思ったら磋欄かい」

 と、まるでおばけでも見るようにして父が驚いたので、

「心外だわ!傷ついたわ!」

「元気で何より」

「どこが!なんかいる!この家なんかいるわっ!」

「分祀精霊のみんなやろ」

「粉つけるのとか!目玉とか!首のねじれたひととか!がしゃんがしゃんとか!」

「それは知らんな」

 ……終わった!あれは、やっぱり幽霊だった、んだわ……。

「あ、ぶっ倒れた。衛生兵、衛生兵はおらんかー」

 ……お、おらんわよ……。

 気が遠退く中でツッコんだ磋欄は、目が覚めたあと水着のデザインについて父に相談し、霊欄と仲直りできた。

 水着の相談に乗った父とは、雑談ついでに霊欄との喧嘩についても話した。

 ──喧嘩の原因は。

 ──可愛い、可愛い、煩いんだもん。レイのほうがずっと可愛いのに……。

 霊欄にこそ可愛い水着が似合うと思って、事前にデザインがダブらないように調査していた磋欄は、霊欄との意見が見事に嚙み合わず喧嘩してしまったのだった。

 ──レイに可愛いの作ってあげて。

 ──二人とも傾向違いで可愛くするから安心しぃよ。

 ──わたしのはいいのに。

 ──露骨やと霊欄が納得せんやん。

 父の言うことはご尤もだった。磋欄や霊欄の服に限らずほとんどの家族の服を手作りしている父のセンスは各人の趣味趣向に合わせつつ客観的にも似合うものに調整されている。さらに、ダブりがないことを、磋欄は知っている。

 ……服作りの仕事をすればいいのに。

 と、磋欄は割と本気で思うが、労働となった途端に冷めるらしい父の意欲を仕事に活かすことはできないのだろう。

 ……ある意味、だからこそ信頼できるのよね。

 家族のことが大好きだから労働意欲がなくても服を作る。父は、そういうひとなのだ。

 などと考えていた磋欄はしかし、相談を終えて仲直りした霊欄と部屋に戻る時間になって、初めて迫る危機に気づいた。

 ……また踊り場に行くんだわ。

 粉をつける何かや目玉や首のねじれな女性や謎の音を鳴らす気配のほかにも何か現れやしないか。磋欄は、居間の席から立ち上がれなかった。

「磋欄ちゃん、そろそろ横になる時間です」

 と、促してくる微笑みの母が今ばかりは悪魔に見えた。

「ね、ねえレイ」

 と、磋欄は霊欄に取り縋った。「今日は母さん達と一緒に寝ない」

「構わないけど、お父さんやお母さんとも寝ることになって狭いんじゃないか」

「あ……」

 言われるまで気づかなかった。両親の寝室はそれなりの広さがあるが、布団が磋欄と霊欄を追い出すだろう。

「もしかして、幽霊のこと気にしてるのか。っははは、可愛いな、もう」

「う、可愛い反応したいわけじゃない、本当に恐かったのよ」

「幽霊なんていない。わたしは見てないし」

「いきなり出るからそのときには遅いのよ。ねえ、父さんは本当に知らないの」

「知らんよ。ここにおる誰かやないの」

 と、父が脇と天井を指す。父の右脇には山積みの蜜柑、通称蜜柑山があり、そこには糸主やクムに加えて、朝に髪を梳いてくれる結師が集まっている。みんなのおやつにもなる蜜柑が彼女達の寝床であり、遊び場でもあるらしい。大体はそこに集っているので何度も見たことがある。見間違うわけもない。

「……そういえばクーさん少し窶れてない」

 磋欄はクムの花が萎れているのが目に留まった。

「ああ、忘れとった。お前さんの手についとった粉はたぶんクムの花粉やよ」

「えっ──」

 ──ぎゅむぅ!

 ……あ、あれはクムさんの唸り声だったのか。

 掌で思いきり潰してしまった感触を思い出して、磋欄は蜜柑山に顔を寄せた。

「ご、ごめんなさい、今まで気づかなくて。クーさん、大丈夫……」

「……」

 力なさげにこくりと。

「父さん、クーさんのこと魔法で治してあげて」

「えー、嫌だメンドー」

「ワタシか!」

「そうやね、磋欄みたいやね」

「っ」

「自覚あるのはすごいよ。次の行動に移れるからね。で、どうする」

「……どうしたらいいの」

「自分で考えなさい」

 父が席を立ち、「それと、自分の部屋で寝なさいね」

「それは難しいかも知れないけど……」

 無慈悲な無表情で立ち去る父を見送って、居間は磋欄と霊欄、それから蜜柑山の面子のみとなって、上階の賑わいと炭の彩る静寂が混在した。

 霊欄が言葉なく隣に寄り、目配せ。磋欄は、その目に促されるようにたどたどしい手を伸ばした。蜜柑に俯せになったクムの、花と同じように萎れたふうの髪を、震える指の腹でそっと、そうっと、撫でた。

「……ご、ごめんなさい、本当に……痛かったわよね……、本当に……どう言ったらいいか、解んないけど……」

 糸主の綺麗なお目目と、結師のとろんとした目と、磋欄は目が合った。顔の見えないクムには声しか送れないから、磋欄は弱った彼女の耳に障らないような小声で、もう一度謝る。

「ごめんなさい……。責めないでいてくれて、ありがとう……」

 ぐったりするほど痛かっただろうに、父の口振りからして告げ口した様子はない。体が小さなクムの大きな心に包まれていたから、

「今日も、愉しかったわ、クーさんのお蔭よ」

「……磋欄様──」

「──」

 萎れていた花や髪が、少しずつ潤いを帯びて、くたっと、クムが仰向けになった。それから、髪を撫でていた磋欄の指先を両手でそっと触れて、ぱあっと微笑んだ。

「よかったですわ、磋欄様が笑ってくれて」

「……うん」

 クムの花や髪、体がなぜ元気になってゆいたのか磋欄はよく判らなかったが、父が投げやりなように寄越した問題の答が解った気がした。

 ……魔法じゃなくても、たぶん、癒やせるんだな。

 後に磋欄も知ることになったが、それが分祀精霊の性質であった。ひとの想いを受け取り、自分の力にすることができるのだ。その力で、想いをくれたひとにまた尽くしてゆく。それがクム達(ギフト)、優しさを巡らせている生き物。

 と、いうことを知らないそのときの磋欄は、クムが眠りについてみんなと目を交わすと現実に引き摺り戻された。

 ……部屋に行かないと。

 両親の布団より狭い蜜柑山でクム達と一緒に眠れるわけもない。自室のある二階へ戻るには嫌でも踊り場を通らなければならない。

 ……恐い……。また誰かを潰してしまうのも……。

 クムの優しさを無駄にするように誰かを傷つけてしまうのが嫌で、磋欄は余計にまごついてしまった。

「仕方ない。先に行って安全確認するからさ、ちょっと待っててくれ」

 と、言った頼もしい笑顔の霊欄を送り出した。

 これで大丈夫。幽霊を見たことがなかったのは、霊欄自身が持前の明るさで魔除けにでもなっていたのかも知れない。

「近くにいたクーさんも幽霊を見てたのかしら……」

 幽霊がクム達の仲間であることを証明できれば恐れることなどなくなる。「あ、ヌシさんやカミスキーさんでも、って、もう寝てるわね……」

 結師は先程すでに眠そうだった。糸主も毛玉な体にお目目が隠れていて反応もないので眠っている。何にせよ、明日にでも確認ができるだろう。

 そう思った磋欄は、突然の大絶叫に飛び上がることとなった。

「うおおおーーあーあおおおぉあぁっ!」

 ……この声って、レイ……!

 美男子のような容姿に性格も相俟って悲鳴を上げるタイプには捉えていなかったので、霊欄の声と判断するのに少し時間を要した。磋欄は物音がする廊下に思わず顔を出して、いささか体験的な姿勢でやってくる霊欄を居間に引き込んだ。

「どうしたの。(って、訊くまでもなかったか)」

「で、ででで出た出た!出たっ!」

 ……うん、出たのね、はは……。

「あぁいたた背中()ったあ!」

「背中っ!そんなとこ攣るの……」

 結論、背中を攣るほど慌てふためいた霊欄は魔除けではなかった。思えば、霊を引き寄せそうなのは名前にその字が入っている霊欄のほうであった。根拠のないこじつけで名前を責めたりはしないが、磋欄はそうして眠れぬ夜を霊欄と一緒に居間で過ごした。

 蓋に二筋の竹が描かれた砂箱に入れられて寝るときには消されている炭火が今日は置かれたままで、居間が暖かかった。ひょっとするとひょっとするかも知れない、と、炭を置いておいてくれた父や母の優しさと寄り添ってくれる霊欄、それからクム達の息遣いに包まれて、磋欄は凍えることがなかった。少し眠くなってきたときには朝の日差を感じて、

「こ、恐かったけど、愉しかったわね」

「幽霊はごめんだけれどな」

 磋欄と霊欄は苦笑を合わせ、すっと眠りに落ちた。

 

 ……あのときは大変だったな。

 寝て覚めたらクム達に質問することを忘れていて、幽霊の正体を探るのも忘れてしまっていた。幸運なことにあれから幽霊を見ることはなかったので記憶からすっかり抜け落ちていたのだが、仄暗い踊り場に差しかかって唐突に想起してしまった。

 ……分祀精霊なら、クーさん達の仲間なんだし、恐がらなくてもいいわよね。うん。

 見た目はどうであれ、あのクムの仲間なのだから。

 ……うん。

 先日、父は母達に幽霊の正体を話し、それが姉妹全員の耳にも届いて、分祀精霊であることが判明したのである。そう、恐れることはない。分祀精霊はみんな優しいのだから。

 ……優しかったら驚かさないような気もするけど。

 温厚な糸主が板と板のあいだから現れるのも恐い。

 ……いや、でも、あれはワタシが勝手に驚いてるだけか。心臓に悪いけど。

 体が小さいおじいちゃんのような糸主が階段を一段一段もふもふ移動していては時間も体力も無駄にしてしまうだろう。生き方や暮し方に合わせた移動方法を選んでいる。そう、偏見なく冷静に接すれば恐い分祀精霊はいないのだ。そう、冷静に接すれば。

 …………いや、いや、首がねじれてたらそれは、ね、例外じゃないかしら。

「そうね、首がねじれてるのは幽霊よねぇ」

「そうよ、ヨウカイとかアヤカシとか、よく判らない生き物も世の中にはいるって鈴音姉さんが言ってたし」

轆轤首(ろくろくび)なんてねじれ放題よ」

「……え」

「首がいくつも生えてる生き物もいるっていうし」

「──」

「一つねじれてるくらいは、ねぇ」

「ひっ──」

 振り返ると、窓の薄い光を遮るねじれ首が磋欄を見つめていた。

 ……終わった。ユウレイだわ──。

「あら、倒れた〜、可愛いわねぇ」

 ……どうなっちゃうんだ、ワタシ。食べられるのか。

 幽霊は死んでいるのだから魂を食べたりするのだろうか、と、遠退く意識で考えを巡らせた。意識を失うのに時間は掛からなかった。恐怖に軋んで疲れきった神経が安らぎを求めて、磋欄は目の前が真暗になった。

 ……はっ!

 目が覚めると一瞬目が眩んだ。ヴァイアプトの燈が照らす自室だ。磋欄は霊欄と一緒にベッドに横になっており、

 ……誰もいないわよね。

 ヴァイアプト以外は分祀精霊もいない。……ああ、確信犯だわ、絶対そう。

 幽霊ではないと判明しているのに幽霊な振舞いをするソソ。長年の付合いという父と少し似ていて摑みどころがなく、出現が稀なので警戒のしようもない。油断したところで現れる辺りに要らぬ意欲を感ずる。

 ……こうなったら、何がなんでも慣れてやるんだから!

 遭遇するたび気を失っていては身が持たない。

 そう考えるのは非常に簡単だったが、磋欄と霊欄はソソを始めカナメダマやフタツハテといった幽霊的分祀精霊にたびたび驚かされることとなり、たびたび響き渡る悲鳴は竹神家の日常の一部となった。

 

 

「──って、ことがあってね、磋欄(さっ)ちゃんと霊欄()ちゃんの悲鳴がたまに聞こえるんだ」

 と、音羅が話をした相手は夜月である。久方ぶりに二人部屋。布団に横になった音羅はつい話が弾んで、家族内陣容を立てるなど不穏な動きはありつつも幽霊騒ぎを除けば平穏な一週間余りが過ぎたことをぽんぽん話して、エアベッドの夜月に呆れられた。

「夜月ちゃん、ここ二箇月はほとんど帰宅してなかったからね、ほかにもいろいろあったよ」

「割愛して」

「じゃあ一つだけ。パパが雪ちゃん達に何かを読み聞かせてたみたいだね。面白かったって霊ちゃんが報告してくれた」

「また絵本。あんな不完全なもの、読むに値しないわよ」

「そういえば夜月ちゃんは絵本を読まないよね」

「内容を全部知ってるから評価は勝手でしょ。ワタシは不要と断言するわ」

「感じ方はそれぞれだね。ただ、読み聞かせてたのは絵本じゃなかったみたいだ」

 それには夜月が反応した。

「何。まさか父様の作品とか」

「気になる」

「別に。年じゅう引き籠もってる人種が書いた作品なんて視点も知識も知恵も偏ってるに決まってる。読むまでもなく、つまらないと断じていいわ」

「感想はさっき伝えた通りだよ」

 霊欄と一緒に聞いた納雪と磋欄も愉しめたようである。

「ワタシもさっき言った、感想は勝手よ、って。そんなことより話を戻すわ。きな臭い話が出てる上に就寝前に怪談を聞かされるとか。家族総出でどこを目指してるのか」

「幽霊屋敷なら愉しそうだね」

「妹の涙が日常になるわ。そうでなくても軍隊じゃないかしら」

「戦いは受身だよ」

「受身の争いは敗北必至。攻めなくてどうするのよ」

 それこそ軍隊のような思考に感ずるが。

「相手は魔物じゃなくて人間だってことだから、基本的にはパパが相手をするみたいだ」

「怨みを買った本人だからそっちは当然ね、ワタシ達はとばっちりよ」

 ここが神界だとしても、父なら惑星アースの法に則って理性的に対応するだろう。

「消去法的に幽霊屋敷を目指してることになるわね」

「賑やかで愉しそうだね」

「不意を衝く妹の悲鳴でお腹いっぱいよ」

 家族会議で鈴音と同じように外へ出掛ける考えを伝えた夜月は、この神界を巡って自分に合った仕事を探していたようだが今回は見つからなかったのか溜息をついた。

「落ちついて眠りたいのに変な情報を聞いたものだわ。これは少し、父様に文句を言ってやらないとゆけませんわね」

「ほどほどにね。話を弾ませちゃったのはわたしだから」

 ソソ達の被害者は磋欄や霊欄にとどまらない。一番幼く反応が新鮮なので磋欄や霊欄は狙われやすいのだろうが年長の音羅達もちょくちょく驚かされている。一方、両親やメリア、それから納雪の前にはめったに現れないらしい。両親やメリアは恐がらず、納雪は驚いてはくれるがなにぶん声が小さく驚いた直後に気を失ってしまうため物足りなさを感じたとのこと。ソソ曰く、

 ──アンタ達の前に現れたほうが愉しいのよねぇ。

 と、いうことらしい。恐がられたり驚かれたりすることを前提にしていても、ちょうどいい反応がないとモチベーションを保つのが難しいのか。顔を合わせて話を重ねているのに何度も驚かされてしまう音羅などは恰好の的だろう。

「ソソさん達への想いは、クムさん達とは少し違うのかな」

「違うって例えばなんですの」

「ギフトはみんな、クムさん達みたいに慕う気持や愛情を力に換えているんだと思っていたんだけれど、ソソさん達の場合は驚きとか、恐がられることなのかな、って」

「クム達への想いもそれとは限らないでしょ」

「どういうこと」

「分祀精霊はそれぞれ司ってるものが違うんですわよ。クムは草花や子孫繁栄や商売繁盛」

「クムさんが子孫繁栄に商売繁盛。それは知らなかった」

「草花ってそこらじゅうに生えているから、栄えることと紐づけて祀られたんじゃない」

「なるほど」

「続きだけど、糸主は掃除、結師は髪や髪に関する道具を司ってるはずだわ」

「夜月ちゃん、ギフトのみんなに詳しいんだね」

「得体の知れないのと一緒に暮らすなんて嫌だからいろいろ調べたのよ」

「そ、そっか、なんか夜月ちゃんらしいね」

「というか姉様もみんなも緩いのよ。存在基底に無頓着すぎる」

「存在キテイってなんだろう」

「いいえ、姉様は難しいことを考えなくていい。あのひと達を受け入れられてるならそのままがいいわ」

「そうなの」

「そうよ。頭で考えないと受け入れられないワタシみたいなのは、どちらかというとあのひと達への想い、姉様のいう慕う気持や愛情が欠けてるのよ」

 そうだろうか。夜月にも両親や姉妹を想う気持があって、同じように分祀精霊に歩み寄ろうとする気持があるように音羅は感じている。

「そんなことよりクム達と幽霊一行とが違うということには同意を示すわ」

「やっぱり違うんだね。ソソさん達は何を司ってるんだろう。せっかくだから、元気でいられるように栄養になる気持をあげたいよね」

「その気持だけで充分そうではあるけど、そうね──」

 横になった夜月がヴァイアプトの一株を見つめて、「今まで通りでいいんじゃないかしら」

「素直に驚けばいいってことだね」

「ワタシは何度もやられたら慣れそうだけど」

 夜月なら宣言通り慣れてしまいそうだ。

 音羅は布団から少し乗り出して夜月を窺う。

「夜月ちゃんはソソさん達と会ったことある」

「ないわ。合流して何箇月か経つけど滞在自体が短いでしょ。遭遇率が低いのよ」

「会えたら挨拶しておこうね」

「曰く幽霊にしか思えない分祀精霊と挨拶、ね。怪談な日常はお断りしたいわ……」

 そういった夜月がソソ達と遭遇したのは翌日のことである。遭遇場所は動線となっている一階の踊り場で、奇しくも磋欄や霊欄が腰を抜かしたのと同じ場所であった。驚かされた家族の多くは一人のときが多かったのだが、そのときは音羅が隣にいて、突如、ドッ!と目の前に現れたソソに、

「わあっーー!」

 と、音羅は絶叫して尻餅をついた。

 宙ぶらりんで血塗れのソソは顔こそ正位置のようだが首がねじれている。白目の多い表情は驚かす意欲満満だ。そんな青白い顔と一〇センチメートルほどの距離で対峙した夜月が、微動だにしない。

「……」

「や、夜月ちゃん……」

 ソソと遭遇できたので挨拶しなければ、と、音羅は立ち上がって夜月の顔を覗き込んだ。すると、無表情の夜月だがわずかに涙ぐんでいる。

「や、夜月ちゃん、恐いときは、素直に声を出そう」

「……恐くないわ、こんなもん」

「声が上擦っているよ」

「恐くない、って、っ」

 眼だけ動かして音羅を睨むようにした夜月だが、息を詰まらせた。「ね、姉様、か、姉様のか、か、かか肩、肩に……」

「わたしの。んにゅっ!」

 いつの間に現れたのか、カナメダマと目が合った。くらっとした音羅が膝をつくと、

「ぐ……!」

 夜月が唸った。音羅の肩から落ちたカナメダマが転がってゆいて、今度は夜月と目が合ったのである。夜月の爪先を掠めるか否か、カナメダマの停止位置が絶妙だった。

「ふ、ふふ、こ、恐くないわよ、恐くないわよ、恐くないわよ、恐く──」

 小声で繰り返している。

「(暗示みたいだな。)声を出し──」

「何よ!」

「えっ、なんで怒られたのっ」

「っ怒ってないわよ!」

「鬼の形相で言われても!」

「鬼なんかいないわよ!誰が鬼よ!」

 ……お、おお、怒っている。初めて観るくらい、夜月ちゃんが怒っている。

 音羅は思わず気圧されてしまった。夜月が怒りを顕にする場面には何度か遭遇してきたが、恐怖が綯い交ぜになっているせいか激しかった。

 その怒気は言葉に治らない。

「こんな目玉や首吊り女がなんだってのよ!」

「首は吊っていないよ」

「ツッコミ不要よ!ふんっ!」

「えっ!」

 音羅は驚いた。夜月がカナメダマを蹴っ飛ばし、ソソを拳でぶん殴ったのである。

「肉体で触れられるということは肉体を持っているすなわち生きているイコール幽霊ではなく従って恐くないわよ!」

「なんか途中から言葉がおかしかったよ。それと──」

「っ!」

 蹴られたカナメダマが縦横無尽に撥ね回り、殴られたソソが天井を軸にして踊り場一帯を振り子現象で行ったり来たりしているために、音羅達は動きづらい状況に追い込まれていた。この動きは物理法則的におかしくないか(?)と小難しい指摘はできない音羅だが腕をがっしり摑んできた妹が解りやすく可愛い姿を曝してしまっていることだけは解った。

「ね、っ姉様、姉様、姉様……」

「な、何かな」

「姉様、姉様っ……」

「何かな」

「な、なんとかして」

 ……してあげたいけれど、どうすればいいんだろう。

 動揺しきった涙目の夜月など音羅は初めて見た。幽霊より驚かされるその表情に、冷静さが吹っ飛んでしまって、カナメダマやソソに対する暴行も挨拶云云も忘れてしまったほどだ。

 カナメダマやソソの動きを止めようにも、縋りついた夜月の目の前でキャッチしては余計に怯えさせてしまいそうだ。

「と、とにかく、歩こうか」

「う、うん……」

「(素直な夜月ちゃん可愛い、すごく可愛い!口にしたらきっと()られるから言わないけれど可愛い!と、ここにいたら腰が抜けちゃいそうだな。)少しずつ行こうね」

「……」

 「どこへ行くのぉ」と、いう、おどろおどろしいソソの声が響いている。音羅に合わせて歩いた夜月はもはや声も出せず小刻みにうなづくのみであった。

「姉様って、やっぱりすごかったのね──」

 瞼を閉じて神妙に呟く夜月をそっと抱き締めて、音羅は居間までしっかり付き添った。

 ソソ達と面した夜月は、それは、それは、見たことのないへっぴり腰だった。辿りついた居間で無理やり姿勢を正そうと障子にへばりついた姿は痛痛しくもあった。

「姉様……」

「何かな」

 何度目かになる応答に、夜月が一つ求めたのは、

「沽券に関わるから、刻音に知られたら首括るから、ここまでのことは、見なかったことにしてちょうだい、いいわね」

 脅しの睨み方だ。が、脅されるまでもない。

「そうするよ。(イメージ、傷つけたくないよね)」

 自信に満ちていてモデル業もこなす姉妹一のデキる美少女。誰かがそういったのでもないが姉妹間での夜月のイメージはまさしくそんな感じだ。そのイメージは当然、夜月が積み上げてきた努力の成果でもある。あまりに妹然とした可愛い姿は本人に取って恐らくは一生ないはずの醜態だったのだ。延延いじられたらプライドがずたずたになる。そうなりたくてなったのでもないのだから、責められるような状況にはしないであげたい。

「じゃあ夜月ちゃん、ひとまず、口封じしようか」

「……そうね」

 居間には、既に父がいたのであった。ことさら娘を傷つけることはないと信じたいところだが、カナメダマやソソやフタツハテといった幽霊な面面を分祀精霊として紹介していなかった父には、カナメダマ達が驚かすことを看過していた節があったため、夜月の醜態を暴露しないよう、音羅と夜月はきちんと説得したのである。時間にして三分に満たない説得も「仕方ないねぇ」という言葉を聞くまで永遠のような長さに感じた。

「とはいえ、次に驚かされたらどうすんの」

 その問を受けた夜月が猛禽類の如く父に顔を寄せて静かに言い放つ。

「次やったら、姉妹全員集めて父様を無制限でくすぐらせるから覚悟しなさい」

「OK、伝達しとくわ」

「噓ついたら世界の毒虫を余さず這わすわよ」

「OK、OK、毒虫も住み慣れた場所を離れたくないやろうから確実に伝えるよ」

 ……夜月ちゃん、強いな。悲鳴もほとんど上げなかったし。毒虫は平気なのかな。

 自分を貫くために努力し父の弱いところを容赦なく衝くこともする夜月に、音羅は素直に感心した。音羅も努力はしているが父の弱みはなかなか衝けない。

 居間に集まった家族と朝食を摂ったあと刻音と一緒に魔物退治の仕事に出掛けた音羅はいつもと同じくらい日が傾いたときに帰宅でき、ちょうどできあがっていた夕食をいただいたのだった。そこでの父と夜月は、磋欄や霊欄が生まれてから換えた囲炉裏のように丸い雰囲気で、ほっと胸を撫で下ろしたのだが──。

 食後のデザートを食べて和気藹藹とするのも竹神家の日常。盛り上がった今夜は少しばかり就寝時間に割り込んだ。

「そろそろ床につきましょう」

 と、母が手を合わせると、食器の片づけなどを手伝う子欄や刻音以外ほとんどの妹が自室へ戻り、居間は閑散。

「夜月ちゃん、わたし達も戻ろう。明日も頑張らなきゃだし、また家を空けるんだよね」

「ええ、すぐに休む。でも、先に行ってて。もうちょっと新しい囲炉裏を眺めますわ」

「そっか、夜月ちゃんはあまり観ていないものね」

 四角形から正円形に取り換える直前に夜月は外回りを始めたため音羅達ほど見慣れていないだろう。空模様のような灰模様は四角形のときと雰囲気が異なるので、じっくり鑑賞すれば心の糧になる。

「じゃあ、先に行くね」

「姉様、おやすみ」

「音羅、おやすみ」

「うん、お先に。おやすみなさい」

 夜月と父に見送られて、音羅は居間を去った。廊下から踊り場まで十数メートル。ここを歩くと夜月のへっぴり腰をつい思い出してしまう。笑いそうな口許に平静を心掛ける。

 ……誰にだって苦手はあるんだから笑っちゃ駄目だな。うん、笑っちゃ駄目。

「ばあっ」

「わあっ!っははは、あ」

 角から突然顔を出した鈴音に驚きつつも、音羅は笑ってしまった。

「あれ。驚いたかと思ったら笑ってキョトンとするなんてお姉さんは器用だな」

「あ、思い出し笑いを怺えていたから驚いた拍子につい出ちゃって、また我慢したんだ」

「ははっ、経緯を詳らかにしてくれてありがとう」

「最近のすーちゃんはにこやかだね」

「自分でも不思議なことだよ。納雪と触れ合っていたらなんだか毒気を抜かれて純粋さが溶け込んできたって感じる」

 末っ子三人の中でも特別毒気がないのが納雪だ。永遠にもそうであってほしい純粋さは、先の惑星アースの旅で疲弊した鈴音をすっかり癒やしたようである。

「すーちゃんが元気になれたならよかった。それにしても、わたしを驚かせてくるなんて希しいね。小さな頃を思い出したよ」

「毒気がひとへの配慮の土台になっていて自分を冒してもいるんだろうな。要するに、童心に還ったんだ」

 生まれた頃の鈴音は声も掛けずにぴょんっと背中に飛びついてきたり、先程のように死角から突然現れたり、寝起きの納月の耳許で風船を割ったり、と、やんちゃで悪戯っ子だった。品行方正になったのは学園に通い始めたことがきっかけだろう。子欄や謐納に似てひとに悪戯を仕掛けるようなことがなくなって、落ちついた印象である。

「疲れたときの自分の癒やし方を納雪に教えられたよ」

「雪ちゃんはたぶんそんなに自覚がないんだろうけれど、すごく賢いよね。自分の時間やペースを守ることの大切さを体現しているんだ」

「ひとへの配慮や思いやりも大事だけど、それに偏ると報いがないときや無理解に遭遇したときに憤りや不満が溜まるもんね」

 自分の時間やペースを取り戻すことができれば、状況に流されず自分の心を保ち、癒やすことができる。

「ところでどうしたの。悪戯のためだけにここで待ち構えていたの」

 鈴音がいたのは踊り場前である。ひょっとしたら、驚かすつもりがソソ達に驚かされる側になっていたかも知れない場所である。

「じつは、そろそろ惑星アースにまた出発しようかと思ってね。音羅お姉さんには最初に伝えておきたかったんだ」

「長女だからかな」

「お父さんはアレだし、お母さん達はなんだかんだ親として甘いから、同じ娘の立場として姉妹を纏められるお姉さんに面倒を押しつける形になる」

「押しつけられたなんて思わないよ」

「だろうね。けど、わたしってそういうの伝えないと気が済まない人間だから」

 鈴音が微笑む。「留守のあいだ、またお願いします。で、帰ってきたらまたいつも通り迎えてくれると嬉しい」

「当然だよ。出発のときしっかり見送るけれど、気をつけていってらっしゃい」

「うん、ありがとう」

 手を振り階段を駆け上がってゆく鈴音を見送ると、

「アンタがもうちょっと遅く来てくれればあの子を驚かせたのにねぇ」

 と、背後の壁から顔だけ出したソソに音羅は度肝を抜かれた。過日に夜月がぶん殴れたから肉体があると思っていたが壁を抜けられるということは実体がなく、じつは本当に幽霊なのではないのだろうか、などと考えつつ息を整えて、遅蒔きながら夜月の無礼を謝っておいた。

 ソソと別れて自室に向かおうと階段を上がり、二階の踊り場に差しかかったとき音羅は脚を止めた。誰かの声が聞こえた気がした。驚かし欲を満たせなかったソソが追撃に来たのだろうか。仮に幽霊でなくても、おどろおどろしい声が少しずつ迫ってくるあのぞわぞわ感は慣れないのである。とはいえ素直に驚かされるばかりではついさっき妹に頼られた長女として情けないので少し冷静な対応でもしてみようか、と、構えていると、

「見棄ててるのは誰よ!」

 ほとんど聞こえないほどの静かな怒声を、音羅ははっきり捉えた。ソソの声ではない。

 ……夜月ちゃんだ。

 どこからだろう。部屋からにしては、近いようで、遠い気がした。……窓。外からかな。

 竹神邸の窓はほとんどが獣除けの竹格子を取りつけた吹抜けである。音羅の最寄にある踊り場の窓からは家の北側、裏庭を見下ろせる。移住時に両親が植えたという一株の蜜柑の木がそこにあるのだが、夜暗に沈んだ風景に父と夜月の影があった。何をしているのだろうか。蜜柑の枝葉で胸許から下がほとんど見えない。背を向けている二人の表情を窺えず、先の言葉からしても覗き見や盗み聞きをしていい雰囲気ではなく、音羅は声を掛けづらかった。

 ……大事な話をしているのかも知れない。

 だが、声を挟まないとならない気がした。ここにいることを二人から悟られないよう黙っているのは、まるで積極的に盗み聞きしているかのようで後ろめたい。

 よし、と、両拳を握った音羅は、窓から可能な限り顔を出して、

「二人ともこんな時間に摘まみ食いなんてずるいよ」

 と、声を張った。

 普段から冷静な二人が驚いた様子もなく振り返り、音羅を見上げた。

「お前さんもしたいんなら降りてきぃ」

 わずか怪訝な顔をした夜月に対して、皮が剝かれた蜜柑を父が掲げて見せた。

 ……思い過しかな。

 悠長に蜜柑を食べながら深刻な話を聞くことなんてないだろう。先に家に入った父が階段を全て飛ばして二階の踊り場に現れ、

「ほれ」

 と、蜜柑を一つ手渡した。「俺もすぐ寝るしお前さんも早く寝なさいね」

「うん。と、いうか、パパ、運動神経いいね」

「何をいまさら」

「あいや、なんかこの目で観ることがめったにないせいか慣れていないみたいだ」

「慣れん、か。慣れるような機会を作ったほうがいいかね。家族で運動会でもするか」

「今ならみんな集まっているしタイミングはいいかも知れないけれど、すーちゃんや夜月ちゃんは出掛ける予定があるから疲れ果てるようなのはまずいかな」

「そうやな。検討してみよう」

 ……パパが、なんだか前向きだな。

 父にしては極めて希しい姿勢だ。消極姿勢に転ずることもあるのであえてツッコまず、音羅は話を換えることにした。

「ところで夜月ちゃんと何を話していたの」

「盗み聞きじゃないなら聞いてもいいと思っとらん」

「訊いちゃいけないことだったかな」

「自然と話せることやけど、今はそのタイミングじゃないんよ」

「そうなんだ。じゃあ、いつか話してくれる」

「それ食べたらおやすみ」

「うん、歯磨きしたから今日は食べないよ」

「ノリの悪いヤツめ。日焼けしたいなら蜜柑食べたほうがいいぞ」

「脈絡のない日焼けネタはどこから湧いたのかな」

「単なる豆知識のぶっ込みやよ」

「そっか。(蜜柑のことはずっと前向きだな)」

 頭を撫でて去った父の手には、食べかけの蜜柑があった。

 ……パパ、あんまり食べないのに、蜜柑は寝る前まで食べるんだ。

 と、心の中でツッコみつつ、じきにやってきた夜月と部屋に戻り横になった。

 ……見棄ててるのは誰、か。

 ヴァイアプトに燈を治めてもらって夜の森から零れたかすかな光を横目に、音羅は少し考えた。夜月に言葉の意味を問いたかったのではなく自分の中のもやもやに手を入れたのである。

 ……、……わたしは、見棄てたことになるのかも知れない。

 最後まで見送れなかったひとがいる。仕方のない状況だった。自分をそう納得させたつもりでも本心は全く逆だ。一人のひとを見棄てたも同然の自分を擁護するような姿勢を省みて改めて自分らしさを見つめ直すなら、

 ……誰も見棄てない。そんなわたしでいたい。

 それが不可能であることは全ての出来事に対応できないことでもって証明されてしまっているが、可能な限り、とは、やはり思っている。魔物退治は気持を体現するための修業の一環である。父を狙っているという魔団に対抗できるかどうかは対面してもいないので不透明だが、

 ……どんな相手が来ても尻込みしないようにしておかないとな。

 いざというときに心を乱して妹に何かあったら鈴音のお願いを果たせない。父や母やメリアが心を痛めるようなことも避けたい。

 ……基本はパパやママが戦うって話だから、──わたしは妹を守る。これ一つでいい。

 目的を絞れば迷いが減って隙も減る。手脚を動かす目的は一つで十分であり最善なのだ。そう考えた瞬間、ボゥッと火の粉を散らしてプウが現れた。周囲に気を遣ったサイズではなく、

「プゥ」

 と、挨拶するように塒を巻いて瞼を閉じた。

 ……今日はここで寝てくれるのかな。

 それなら布団の中で一緒に、とも思ったが、床で寝転がる気持よさもあるのだろう。

 ……そういえば、ヘビって瞼がないって聞いたことがあるな。

 通常のヘビは眼球が透明の鱗に覆われており相応の保護力もある。

 下側から開閉する瞼らしきものがプウにはある。かなり希しいヘビなのか、それとも、砂の多いダゼダダ生まれだから特有の進化を遂げた個体なのだろうか。

 ……存在キテイ、だっけ。

 夜月が言っていた難しい話。簡単に説明するなら、そのモノをソレと決定づけている何か、と、いうことだろうか。一緒に育ってきたこともあってプウのそれに無頓着だった音羅であるが、夜月がいうように深く考えないほうがいいこともあるか。

「(一緒にいる。それでお互いが幸せなら、それがいいよね。)プウちゃん」

「……」

 音羅は、プウの瞼を見つめた。

「明日も魔物退治に行くんだ」

「……」

 プウが瞼を開けて、見つめ返してきた。

「プウちゃんも刃羽薪さんと一緒に修業していたんだよね。別別でも力はつくと思うんだけれど、どうせだから、学園の頃みたいに一緒にどうかな」

「……」

「魔物が相手だから油断は禁物だ」

 悔しい思いが、恐らくは同じだからこそ。「一緒ならもっと頑張れると思うんだ」

「……」

 時が止まっているかのように微動だにしない塒である。聞いていないことはないと見つめ合った眼を信じて、音羅は笑った。

「おやすみ、プウちゃん」

「……プゥ」

 床を尻尾でぺとんと叩いてプウが瞼を閉じた。

 ……大きくなっても可愛いな。

 何気ない仕種に心が奮い立つ。プウがついてくるかは明日になってからのお愉しみということにして、音羅は気合を入れて仰向けになった。

 ……よ〜しっ、明日も張りきって修業だ!

 

 

 攻撃部隊と防衛部隊が決まるまではオトが横になると左脇にララナ、右脇にメリアが寄り添って眠っていた。いつ現れるか知れない魔団に警戒して布団を別にしてからしばらく経った。サポートに回るメリアを守る役割でララナは彼女と毎夜添寝している。一夫多妻の村でもこういった添寝はなかなかないのだろうが、生まれたときから一緒にいたともいえるメリアと同じ布団で眠ることには全く抵抗がない。それゆえということでもないが、警戒心は持ちつつもなんとなく心地よくなって眠りに落ちることが多くなっていた。

 ので、寝室の大窓がノックされてさすがにびくっとした。来客は玄関に来る。跳び起きて警戒の糸を張ったララナより静かに早く行動していた隣の布団のオトが、無警戒のように大窓を開けた。ふっと夜風にカーテンが揺れる。大窓を閉めてオトが横に退くと、招き入れられた人影は白いカーテンに浮き立つようだった。

 ……セラちゃん──。

 いつか会いに行こうと思っていた師匠ラセラユナだ。避けていたのではない。逃げていたつもりもなかった。が、

「ララナ」

 呼びかけられると畳についた手を無意識にぐっと固めていた。それで、ララナは自覚した。

 ……知りたくても、恐くて、訊きに行けなかったのです。

 実父母と師匠ラセラユナに何かの関係があると確定している。真実を聞けば後戻りはできない。偶然のようだった彼女との出逢いは、じつは彼女に仕組まれたものだったのではないか。創造神アースやメリアの転生先を知っていて黙っていた兄たるアデルもそこに関与していたのではないか。心から信じたひとびとを疑ってしまいそうで、真実を聞くのが恐かった。

 一方、ララナとは別にラセラユナに反応した人物がこの寝室にもう一人いた。

「ラセラユナさん、お久しぶりです」

「ここにいることは聞いていた」

「アデルさんからですね」

「声を交わすのは第四創造期以来になるか、久しいな、メリア」

「ご無沙汰しています……」

 ララナはラセラユナからメリアの真実を聞いたことがない。ラセラユナも創造神アースによって認識固定された者の一人であり、メリアの死に関して正しい歴史を把握してはいないといえるだろう。それでも、主神としての責務やジーン討伐を背負っていたラセラユナとしては蘇ったも同然のメリアが辺境の村で胡座を搔いていると見做す可能性があった。そう考えたララナはメリアを庇うように立って、ラセラユナを見つめた。

「セラちゃん、メリアさんをどうするつもりですか」

「話を掏り替えようとしていると取れるな」

「私の、実父母との関係についてなら聞きます、きちんと。ですから一つ約束してください。メリアさんは私達の大切な家族です。メリアさんの意志に反して連れていくようなことは、断じて看過できません」

「羅欄納さん──」

「メリアさん、大丈夫です。ここは私に任せてください」

 師匠を侮るつもりはない。メリアをメークランへ連れ戻すような動きを見せたなら全力で退ける。そのつもりで隣空間から槍を取り出して構えたララナだが、正座していたオトがラセラユナを見上げて、

「拍車掛けんといて」

 と、気の抜けた声。「この子が思い込みひどいことくらい、師匠なら判っとるやろ。掏り替え云云で話をややこしくすんな」

「身に憶えがないな。少なくとも此奴は自覚があって槍を取り出した」

「素直に用件を言えば無駄な争いを避けられるのに、どうしてこう俺んちに攻撃的な意識を持ち込もうとするかね」

「血が騒いでな。性分だ、許せ」

「思いっきり眉間に皺寄せて許しを乞うひとなんておるん」

「ここにいる。貴様の価値観で決めるな」

「四歩譲って吞み込んだ家長として言わせてもらう。まず座りなさい」

「よかろう。家に踏み込んだ者として礼節を尽くそう」

 片膝を崩すようにすっと座ったラセラユナ。「長居する気はないがな」

 その目線はララナに向けられている。オトの言葉といい、ラセラユナの姿勢といい、メリアが連れてゆかれる気配ではない。

 ……もしや、私の勘違いですか。

「羅欄納も座りぃ。何かされたら俺がどうにかするから、武器をしまって話を聞こうね」

「……はい」

 警戒心を解ききれないララナに「では話す」と向き合ったラセラユナが語ったのは、まず、メリアを連れ戻すために来たのではないこと。メリアも気を緩めることができたその事実はララナの勘違いを正すための断りであった。

 本題はここからである。

「しばらく周囲を観察していたが動きがなかったのでな、この分身ではそろそろ限界だった」

「観察……いったいなんの話でしょう」

「判っている範囲で神界三〇拠点及び辺境神界の一部で総力減退の事態に陥った。これについて、アデルを中心とした方針として密かに此奴、」

 ラセラユナがオトを親指で指して、「もとい、創造神アースの創造の力を始めとした強大な力を持つ者の画策と推察した」

「被害状況は」

「伝達義務がない」

「……」

「画策やその手引をしたのではないなら、探るような真似はよせ」

 厳しい口調だが立場を慮った言葉であることを察して、ララナは会釈した。

「では、なぜこちらに報告を」

 その質問に応えたのは後ろに控えていたメリアだった。

「ラセラユナさんは音さんを疑いつつ、音さんか周囲のひとがその脅威と接触・接敵などするのではないかと考えて観ていた。そうですよね」

 ラセラユナはうんともすんとも言わない。

 オトの会釈に応じてメリアが言葉を継ぐ。

「音さんが話してくれた魔団がそれに当たります」

「マガタマリ、か」

 ラセラユナが短く息をつき、オトを見遣る。「そういうことか」

「そういうことやよ」

 二人で納得しているようだが置いてきぼりでは困る。ララナは手を挙げ、説明を求めた。先に応じたのはオトである。

「先日からラセラユナの分身の気配があった。俺の動きと周囲を窺っとるふうやったから、なるべく分身が長持するようその体を保護しつつ様子を観させてもらった。俺としては、魔団に対する第三者の眼として機能させたつもりやけど空振りやった」

 ……だからでしたか。

 オトの原始魔法で保護されているためか、ララナはラセラユナの気配を感ぜられない。

「して、この分身に与えた精神力が切れそうでな」

 と、ラセラユナが事情を口にした。「分身消失が近いので、警戒を促して去るのみとする」

「手を貸してくれるわけではないのですね」

 とは、メリアが尋ねた。「なぜです。ラセラユナさんほどの実力者なら羅欄納さんを守ることも──」

「此奴には筒抜けのようだが、」

 と、先程と同じようにオトを指したラセラユナが今度は睨んで言った。「総力減退はわたし自身にも起こっている。連携神界でもないこの神界に戦力を派遣することはおろか余力もないのが実状だ。手は貸せぬ」

「そう、でしたか……」

「理由は知らぬが、どうやら貴様も弱ったようだな」

 メリアがオトとララナをそれぞれ瞥て、応えた。

「訳あって魔法を使えません。お二人がいなければ、ここにいることも許されかった身です。可能なら、ラセラユナさん……お姉さんの力を貸してほしかったです」

「諦めろ。守りたいものがあるなら己の力を磨け」

「そう言うと思いました。ラセラユナさんは、変らず厳しく、変らず優しいですね」

 鼻を鳴らすにとどめて応答を避けたラセラユナが、ララナを向き直る。

「先程いった通り時間がない。訊きたいことがあるなら早めに済ませろ」

 魔団への警戒もある。ここで済ませるべきことか。私事でしかないのに。

 視野狭窄の癖を悪用したように竹神家のことのみに気持を傾けてララナは満足していた。心のどこかでは疑って、もやもやして、消化不良のままだった。このままでは大切にしたい竹神家に皺寄せが来てしまう。質問の機会がこのタイミングになったのがいい証拠だ。

「羅欄納」

「羅欄納さん」

 呼ばれて、オトとメリアをそっと振り向いた。その目差は、どこも心配そうではなかった。ただただ、気持に正直であってほしい、と、背中を支えて肩を撫でてくれるような、優しいものだった。

 ……そう──、皺寄せだなんて、お二人とも思っていないのです。

 二人のことで何かをしているときのララナがそうであるように。皺寄せがあったと思っているなら、これ以上後回しにするのは間違いだろう。

 二人の気持に応えるためにも、自分のためにも、深呼吸。ララナは意を決した。

「セラちゃん、聞かせてくれませんか、私の実父母とのことを」

「……よかろう」

 わずか目を伏せてから、ラセラユナが目を合わせてうなづいた。「お前の、その意を決したような表情に釣り合うことを伝えられるかは判らぬ。語るべきことは多くないのだ」

「そうなのですか」

 思っていたような仕組まれたものではなく、ララナ達を預かった当時たまたま出会った程度の関係だったのか。と、ララナは少し思ったが、真相は異なった。

「お前の両親、いや、正確には、母親と、何度か話す機会があった。レフュラル裏国……滅亡し遺跡と化す前のあの国に、わたしは、お前の母親の手で召喚されたのだ」

「お母様の手で、セラちゃんが召喚──」

 無論、ララナは初耳だった。

 さらなる未知の出来事をラセラユナが詳らかにしてゆく。

「その少し前、お前も知っての通りわたしはジーンの襲撃により半霊体と化していた。精神力の回復に滞りを覚え、活動を控えざるを得なかったことも伝えたな。身を隠すため、また、活動を控えるため、アデルの庇護下にあるトリュアティアに身を隠した。そんなあるとき、お前の母親に召喚された。聞けば、求めていたのは最強の戦神とのことだった」

「それはもしかしなくてもアデルさんのことでは」

 と、メリアが尋ねると、ラセラユナが神妙な顔でうなづいた。

「神界トリュアティア。そこにいるべき戦神はアデルのみだ。が、そこに想定外の戦神、つまりわたしがいた。厄介事に巻き込まれる可能性もありすぐにもトリュアティアに戻るため、誤って召喚されたと術者に伝えた」

「交流が続いたのですね」

「戻る考えがあったことは確かだが思わぬ利益があった。当時のわたしは、今のメリアと同じような状態だったと推測する」

「わたしと」

 と、メリアが首を傾げる。

「メリアは仮の肉体を得ているのだろう。精神力も正常に回復する」

 ラセラユナの目線にオトがうなづき、当時のラセラユナの状況を推察した。

「難しい説明は省略するがメリアは俺と羅欄納の魔法で仮の肉体を得とる。お前さんの場合は召喚を介して仮の肉体を得たんやろうね、で、精神力回復が正常に戻った。召喚は予期せぬことやったけど、ジーンの追撃なんかに備えて回復に重点を置いたってところか」

「思いがけぬ出来事だったが、表立った外交がないあの国は身を隠すにも適していた」

 そうしてラセラユナと召喚術者ことララナの実母との短い交流が始まった。

「誤った召喚対象ゆえ滞在期間は短かった」

「アデルお兄様が求められていたのでしたね」

「引けを取るつもりもないが、事実として神界最強の戦神は奴だ。お前の母親は、その力を欲していた」

「当時のレフュラル裏国は戦争をしていたのですか」

「きな臭さを感じなかった。力を欲した理由も詳しくは聞いていない。が、こんなことを言っていた。『幻を断つ絶対的な光が必要』と」

「幻を断つ絶対的な光……」

「『これだけでは足りない可能性がある』ともな」

「時期から察するに、ジーンさんへの対抗手段のことでしょうか」

「神との交流は初めてのようだった。ジーンの脅威を捉えていたとは考えられなかったが、一つ確かなのは、数年後、あの国、レフュラル裏国は滅びた」

 ジーンの命を受けた悪魔の襲撃が起きたために。

 神との交流をララナの母以外も行っていたならジーンの脅威をレフュラル裏国全体で予感できたのかも知れない。

 ジーンの実力は底知れないものだった。それこそ最強の戦神の力でも借りなければ太刀打ちできないほどだったと、対峙したことのあるララナだから断言できる。

「よもやジーンが関係するとは思ってもみなかった土地だが、当時のわたしも、目的のため手段を選ばず生きていた。なりふり構わぬ術者の姿勢に共感し、また、回復の礼として、魔法の知識を与えて去った」

 ラセラユナが、物思いに耽るようにララナを見つめた。「その後、あの国へ再び赴いたのはアデルの指示だった」

「お兄様の──。何か用があったのですか」

 ラセラユナがメリアを一瞥し、瞼を閉じ、間もなくララナを向き直った。

「わたしに対しては人間との希しい関係を大事にしてはどうかと促していた。遊びほうける暇はなかったが、差し迫った脅威もあり、あとのことが気になった。それがわたしの動機だ。そのときはまだ想像もしなかった。よもや滅亡させられるとは──」

 ラセラユナを行かせた真意は、アデル本人から聞いた。狂気のメリアを危険視し、転生体であるララナを警戒・監視した、と。まさかラセラユナの手で悪魔の襲撃から救い出されるとは考えていなかっただろうが。

「セラちゃんは、わたしが何者なのか知らず助けてくれたのですね」

 その確信を得て尋ねたララナは、ラセラユナの思わぬ複雑な表情を観た。苦しげに、何かを手放したかのような表情だ。

「半信半疑だったのだがな……」

 と、いう、ラセラユナの言葉を聞いて、アデルから聞いたのだろうと直感したララナだが経緯は不思議なものだった。

「最後に術者、ソキヌと名乗ったお前の母から、お前が創造神アースの転生体だと聞いた」

「!」

 母がそんなことを知る術がどこにあったというのか。ラセラユナもそれを考えたようだ。

「確証はなかった。わたしには魂を視る能力がない。ソキヌも同じようだった。片手にも収まる小さな赤子、お前が、創造神アースの転生体だなどと信じられるはずもなかった。死に際に、なんとしても生き残らせてやりたいという親心か、そうでなければ妄言であろう、と、受け取った。が、後に、お前が創造神アースの手記を見つけ、妹レイスの魂を取り込んだことで、ソキヌの言葉に確証を得た。無論、言葉にしたことゆえ言い当てたなどとは考えていない。世界創造の神のように強く存れば決して命を落とすことはない。死を覚悟した親がそう思い込むための、生まれたばかりの娘を手放すための言葉だった可能性が、ずっと高いだろう」

 きっとラセラユナが言うように母はララナ達の生存を願ってそのような言葉を遺した。レフュラル裏国遺跡の地下に眠っていた両親の手記からも、故郷のない身にしてしまうことの詫びと愛をララナは感じたのだ。

「なるほど」

 と、オトが、納得の声。「ずっと引っかかっとったんやけどようやく繫がった」

「オト様、どうかされましたか」

「ラセラユナの話を聞いて祖絹の能力が摑めた気がしてね。召喚、一種の降霊をし、羅欄納が創造神アースの魂を持っとることを知り得た能力者。ダゼダダ的にいえばそれは巫女であり、時間を超えた遠見(とおみ)、いわゆる未来視や予知能力を用いたと考えられる」

「お母様が巫女で、予知能力を──」

 にわかに捉えられ始めた母の実像を、接触したラセラユナが認めた。

「恐らく此奴の見立ては正しい。魂を認識できる者は神とて少ない。一人間ならば、なおさらだ。魂を認識するのとは別の方法で事実のみを拾い上げたと捉えるほうが納得できる」

「して、その予知により一種の予言を受けた」

 と、オトがラセラユナを見やった。

 オトの目線に応えず、ラセラユナが瞼を閉じた。

「……オト様、なんのことでしょう」

「この考えの起点は、長剣を向けられた日なんよ」

 ラセラユナが初めてオトと面した約五〇年前のこと。「羅欄納は絶賛視野狭窄中やったし、俺にいろいろ圧し折られとった頃やから見逃してまったのも仕方がないが、俺は気になったんよ。時遡介入、未来の俺による過去への関与についてあの時点じゃ俺や羅欄納しか知らんかったはずなのに、ラセラユナが知っとったことがね」

 オトには希しく抜けた意見のように聞こえて、ララナは注釈を入れる。

「戦争末期、オト様に皆さんが助けられたことは私が伝えましたから、セラちゃんも知っています。そうですよね」

「存在については聞いたな。しかし此奴の言う通りだ」

 ラセラユナの言葉に、ララナは首を傾げるほかなかった。

 ララナの横に並んだメリアがオトに尋ねる。

「ラセラユナさんは戦争末期の音さんがその当時の音さんだと思っていたはず。年齢は加算で羅欄納さんより年上とも考えられたでしょう。音さんが示したのはつまるところ、祖絹さんが未来の音さんによる過去改変を予言してラセラユナさんに伝えた、と、いうことですよね」

「予知した頃は未来の出来事として伝えたやろうけど、そういうこと。羅欄納からラセラユナへの伝播について掘り下げるなら、『オトの関与』を伝えたのであって『未来のオトの関与』とは言ってないはず。なぜなら、過去を変えるような真似を嫌うラセラユナが過去改変によって救われることを弟子であるお前さんが伝えられるはずがない」

「ん──」

 オトに指摘されてようやく、そうだったことをララナは思い出した。抜けていたのはララナのほうだ。その点をオトがさらに掘り下げる。

「滅亡国からの脱出、仲間との旅、大罪を犯した戦争末期、放浪に等しいボランティア、一つ、一つ、無駄なことなんてなかったと思うけど、羅欄納の中では記憶から消えとることや消したかったこと、空覚えになっとること、いろいろな記憶があるやろう。特に、贖罪に意識が傾いた戦後のやり取りは細かく憶えとらんのやないかな」

 オトに問われて、情けなくもララナはうなづいた。言葉どころか自分からやっていたことすら曖昧な期間がある。だから、はっきりと指摘されるまで振り返ろうともせず、思い出すこともできなかった。思い出そうにも思い出せないことだってあるだろう。

「羅欄納が過去改変に積極的なことをラセラユナに伝えたのも俺が長剣を向けられた日、ラセラユナが羅欄納を追及したからやよね」

「その通りだ」

 オトの目線を受けてラセラユナがうなづき、語った。

「ララナが創造神アースの転生体であることのみならず、『オトが英雄一行を救う』こともソキヌは予言した。その出来事がよもやあの戦のこととは考えていなかったのでな、お前から此奴の名を聞いたときは誤って召喚されたことよりも内心驚かされていた」

「お母様の予知はそれほどまでに正確だったのですね……」

「して、ここに至ればわたしがソキヌを侮っていたことも明白だ。戦神の件はジーンを討つためだったのだろうことも察せられ、未来予知は悪神討伐戦争の対抗手段となったのだ。無論、人間界の一国の対抗で済む規模の争いではなかったが、決して、無駄ではなかった」

「……」

 誤召喚されたラセラユナを師匠とした(ララナ)が祖絹の目的を果たした。

 ……因果ですね。

 最後までララナがそれを求めていたわけではないこともまた因果であった。

 ……それはそうと。

 巫女として、予知能力者として、母は高い能力を持ち、それを最大限に活用し、世界と子の未来を慮った。

 ……予言をもとに私達をなんとか生かそうと。お母様……。

 するりと畳を躙ってララナの頭をふわふわと撫でたオトが、ラセラユナを振り返って話を纏める。

「羅欄納から聞いた話から推察するにラセラユナが知り得ん情報として俺の年齢や外見があった。直前にララナが『オト』と呼んだのみの状況なのに、ほぼ出合頭に俺を〈現代のオト〉と捉えて『殺せば過去が変わる』云云とラセラユナは口にした。そんなことが言えるのは肝心の時遡介入が起こる〈悪神討伐戦争末期のオト〉がヒゲでも引籠りでもない一〇歳の美少年になってまうことを知り一目で過去への介入を起こす姿との比較を頭に入れて話せる者以外にあり得ん。ラセラユナは俺に初見の対応をしたから一〇歳の俺を知っとるはずがない。そして、老けた風貌の俺を侮っとるふうやったから老いの早い一人間が未来に時遡介入の張本人になるとは考えん思考回路の持主と判る。羅欄納が情報元じゃないなら──、まあ、ルートは巫女で未来予知者の祖絹が一番早かったはず、と、ラセラユナがした予言の件で合点がいったわけやよ」

「相変らず癪に障るほど勘がいい出不精だな」

「出不精やから憶測が愉しみなんよ。当たったならなおよし」

「いい性格をしている」

 そう口にしたラセラユナが、ふっと息をついて、瞼を閉じた。「ララナ、あとはお前にも想像がついているだろう。わたしは、お前とレイスを連れてレフュラル裏国を離れた。それぞれ、別の場所へ預けるようソキヌに託されたのだ」

 幼い頃の孤独は、謂わば母の選択によって起きた。悪魔に狙われた現実を直視して、娘を二箇所に分けてリスクを分散したとは考えられるが。

「黎水ちゃんと私を別のところへ預ける理由を、お母様は言っていましたか」

「落ちついて話せる場でもなかった。わたしとて、国外への浅い接点として頼られたに過ぎぬだろう。お前達を連れて国を出るよう促せたならよかったが、手遅れだった」

「……仮に間に合っていても、お母様は、それにお父様も、きっと離れなかったでしょう」

 記憶もないような幼い頃のことがララナの今に影響している。レフュラル裏国遺跡を訪ねたとき、オトがそのようなことを言ってくれた。ララナは、決めたことをやり通したい。それが誰の影響なのかといえば、聖家での立場を失わぬよう中途半端を避けていたことやラセラユナの厳しい指導が影響してのことと考えるのが普通だろう。が、ララナはそんな自分を、滅亡まで国に残った両親にも感ずるのだ。

「最後まで戦い抜くためでしょう。これが事実ではないとしても、真実とそれほどずれてはいないと私は思います」

「──そうかも知れぬ。怖じず目的に邁進する姿、お前はソキヌによく似ている」

「ありがとうございます、私の知らないお母様を教えてくれて」

 お辞儀したララナに、先程もちらと見せた複雑な表情を浮かべて、ラセラユナがふと口にする。

「ジンジ島にレイスを預けたのは、わたしの独断だった。指定があった魔地(まち)狭陸(きょうろく)の聖邸に近く、しかし多少海を隔てた場所でなければリスク分散にならぬと考えた」

 娘を別別にする。母の選択とラセラユナの行動で、実妹黎水との時間が大幅に失われ、ララナは孤独に苛まれた。けれども、悪魔に追われながら決断した母のお蔭で、その選択に従いつつ近くて遠い場所にラセラユナが分けてくれたお蔭で、ララナは黎水と再会し、短い時間でも一緒に過ごして、看取ることができた。

「黎水ちゃんや黎水ちゃんと語らったメリアさんが私を力強く止めて、重ね続けていた過ちに気づかせてくれたのです。お母様の遺志も、遺志を酌んでくれたセラちゃんにも、改めて、感謝します」

 ラセラユナが首を横に振った。

「わたしは何もしていない。それどころか全て……」

 長い、長い、二人旅の記憶のほとんどを碌に憶えてもいないがゆえに重い罪としているララナと違って明確に罪の意識とともに歩んでいた。そのことを、ラセラユナが吐露する。

「ジーンが創造神アースの魂の両断をしたのだと聞いて以来、思っていたことがあった。が、打ち明けることなくここまで来た。創造神アースの、わたし達の人生を弄んだ忌むべき存在の転生を知ってジーンがお前の出生地を襲った、その可能性が極めて高い。その側面が真相なのだと、思っていたかった。真相は違う可能性があった。その可能性とは、わたしが訪ねたことを理由として、レフュラル裏国が襲われた可能性だ……」

 なぜならラセラユナは過去二度もジーンに襲われている。しかも二度目は、レフュラル裏国滅亡のあとだ。都度、殺されそうになった。悪神討伐戦争末期には命を落とされもした。動機がなんであれジーンはラセラユナを殺そうとしていた。関わりがあった者・場所を狙わないとは限らなかった。

「お前との関係が心地よかった、一方的な再会を、甘受した。再会前後の関係を全て棄てても真実を語るべきだった。棄てる覚悟がなく咎めを恐れて語れなかった。その癖、師匠の立場をいいことに散散の扱いをし、笑って許すお前の心を踏み躙り続けた……。……」

 正座をしたラセラユナが、静かに深く頭を下げた。

「セラちゃん……」

 その罪の意識を看破する言葉をオトやメリアが伝えることは可能だろう。誰よりも近くでこれまでのララナを観てきた二人だから、ラセラユナがいたお蔭で今のララナがいることも、今の竹神家があることも、その竹神家がララナの居場所であり幸せであることも、明示できる。けれども、それをここで示せるのは、ラセラユナ唯一の弟子ララナだけなのだ。

「罪の意識がまっさらに消えることはきっとない。そのことを、オト様やメリアさんの人生と、私自身の人生から悟ってきました。セラちゃんのそれも同じです。言葉を尽くしても消すことはできません。ですが、その罪を抱えて苦しみ悩んだ心を持っていることに、その心を打ち明けてくれた優しさと強さに、共感や敬意を示すことは咎められることではございません」

「……」

「それに、セラちゃんの話を聞いて、ようやく解ったような気がします」

「……何をだ」

「セラちゃんとの出逢い、事実上の再会の日──」

 放っておけば死んでいたラセラユナをララナは保護した。それから始まった二人旅だった。

「あの日を境に始まった過ち、苦しみや悲しみや苦悩を抱えた旅は、セラちゃんとともに歩んだからこそ生き残れました。振り払って棄てることなど、もったいなくて、できません」

「──」

「なぜなら、あの旅も、セラちゃんとの再会も、死を覚悟したセラちゃんがお母様に託された私のことを一目見ようと聖本邸に訪れたからこそできた体験でしょう」

「ララナ──」

「私の見立ては何か違いましたか。あるなら、指摘を受けつけます」

「──。お前は、何も違わぬ」

 顔を上げたラセラユナが微苦笑で、しかしながら、夜闇に煌めく星のような表情だった。それを見られたから、ララナは彼女の手を両手で握った。

「心地よいと言ってくれた関係をわざわざ手放したりなんて、どうしてできますか。私には、到底できません。そして断言できます。自然に失われることも決してないと。なぜなら、私はセラちゃんの弟子なのですから、──」

 ラセラユナが意識していないことでも、彼女の厳しい修業があったからララナは学園を卒業でき、魔術師の資格も得ることができ、ヒモを自称するオトの代りに給金を得ることも、働く意欲を培うこともできた。

「──なぜなら、私に初めての自信をくれたのが師匠(セラちゃん)なのですから、何があっても失われません。私の胸に残り続けます」

「ああ──、それを聞けて、罪の意識とは別にいだき続けたものをわたしも思い出した」

 ラセラユナがララナの手に手を重ねて、ぎゅっと握った。「わたしも、お前に自信をもらったことを。わたしも、お前とだから死なかったことをな」

 謝罪はもう要らない。

 ただただ、感謝している。互いに握り込んだ手から、優しさと力強さ、寄り添って生きてきた過去を確かめて、流れ星が出逢ったように微笑みが弾けた。

 振り返った思い出と心を共有するようにしばらく瞼を閉じて、ふと、ラセラユナから薄闇色の余光が溢れた。

「分身の限界が来たようだ。敵性分子に向けて去り際の姿を見せてやるつもりだったがその時間も惜しいな」

 ラセラユナが告げる。「敵は得体が知れぬ。くれぐれも用心を怠るな、いいな」

「セラちゃん──、はい」

 オトを狙って神界の関係者にまで手を出し始めたというなら、多くの神を相手に渡り合い、打ち負かす総力が魔団にある可能性が示唆される。

 余光を散らせて消えたラセラユナの影。その注意喚起に応じて、ララナはうなづいた。

 ……たくさんのお礼を伝えていくためにも、魔団の脅威に必ず打ち勝ちます!

 

 

 

──五章 終──

 

 

 

 

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