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三章 傷つく覚悟

 

 ララナは台所へ直行した。そこではメリアが食器洗いの最中だった。夕食を済ませた娘の食器で流しが埋め尽くされている。食品を洗うスペースが足りないので、待時間を有効活用する。

「オト様の仰る通り、いささか妙な状況になりました」

「音さんの先見はもはや予知の域ですね。話を聞きます」

 朝、馬車で海へ出掛けた娘三人と村の子三人を見送ってすぐ、馬車を追跡する気配をオトが感じ取り、危険がないか見守るためオト、ララナ、謐納がこうして日没まで外出していた。子どもを危険から守るため大人が見守ることは外遊びやお使いでもよくあるが、ララナは今回の出来事にいくつかの違和感と敵意を感じている。洗い物を続けるメリアに、同じ妻・母親としてララナはしっかり伝えておきたい。

「まず、違和感がございます。オト様が察知された気配は葛神思さんという惑星アース出身の人間でした」

「人間が神界に」

「ええ、それだけでも驚くべきことですが、葛神思さんは既に亡くなっており、傀儡にされていました」

「ひどい……。誰がそんなことを」

「不明です。オト様が仰るにはオト様を狙っている人間であろうと。して、それは一人ではない可能性が高いとも」

 オトが話してくれた敵性勢力。ボス不明・規模不明ながら、死者への冒涜も辞さない倫理観を無視した寄せ集めの集団であることが推察できている。また、葛神思を観察して得た敵性勢力内の稀有な不知得性魔法についても伝えた上で、ララナは話を進めた。

「磋欄ちゃん達が海へ行くことになったのはつい昨夜のこと。敵性勢力は、いったいどこから情報を仕入れたのでしょう」

「それが違和感、ですね」

 モカ村は排他的で他民の進入を避けている。入り込んだ他民の情報は村民に瞬く間に伝わる。数少ない村民のうち一人にでも異常があればそれもすぐに伝わる。日常のことでいえば寝坊の事実や怪我の原因、朝食の献立に冗談の内容、そういった些細なことが簡単に全員に広まる、良くも悪くも距離感が障子紙な小規模コミュニティなのである。敵性勢力の偵察や危害があれば村民が気づいてララナ達に情報が回ってきたことだろう。ララナ達もおかしなことがあれば村民に伝える。今回のことも村長や長老に伝える予定がある。

「村民が他民の影を見ていません。私も常日頃魔力探知で周囲を警戒していますがその網に怪しい存在は掛かっていません。相当の手練れです」

「……それが敵意ですね」

「隠れ遂せ、私達の情報を仕入れ、実際に動きを見せました」

「違和感も敵意も、魔力を探知できない不知得性魔法、原始魔法でしょうね」

 理解したメリアは話が早い。ララナの考えに適切に応えた。

「不知得性魔力である星の魔力はジーンさんとアデルさん、それからここにいるわたしの三人しか持っていないとわたしは記憶しています」

 ジーンは亡くなっているので容疑者に挙げようもない。

「羅欄納さんが知りたいのはほかの不知得性魔力が存在するか・しないか。『確実に存在します』が詳細は判りません。ただ、世界が知得性魔力である〈二〇(にじゅう)属性(ぞくせい)〉のみで構築されていると捉えるのは乱暴です。そう認識してしまうのは間違いなく創造神アースの設計です」

 創造神アースが世界創造の際あらゆるものにつけた標準動作(デフォルト)が〈設計〉と捉えると早い。多くの存在はそれに気づけず、仮に気づけそうな出来事や現象に触れても気づけない。例えば、新たに創造された星があって、同じくそこに創造された成人男性が一人だけいたとしよう。その成人男性が「父や母や兄弟姉妹とともに成長して今がある」と設計されていた場合、仮に最初から父や母や兄弟姉妹がいなくても父や母や兄弟姉妹がいたと思い込み続ける。生活する中で父や母や兄弟姉妹が一緒にいないことを知覚しても違和感をいだかない。さらには、自分以外の人間が誰一人いないとしても違和感を持たず思考を深めることもしない。そうして、創造神アースの設計はひとの一生をも左右し得る。世界に存在する魔力のうち二〇属性しか認識できないのも設計が生きているからである。二〇属性しか認識できない設計に縛られた身では、その認識を超えて不知得性魔力を認識できない。不知得性魔力はまさしく不知得性魔力(知り得ない魔力)なのである。

 ちなみに、知得性魔力である二〇属性は、下位の(ほのお)(こおり)(かみなり)(いわ)(みず)(かぜ)、中位の(ひかり)(やみ)(せい)()()(きん)、上位の(きざみ)(とき)()(つき)()(かみ)、最上位の()(いき)で構成されている。属性によって強弱や同調といった関係があり、使用した属性魔力が魔法効果に影響することが判っている。属性間の関係とは別にある程度の上下関係があり、下位ほど使える者が多く上位ほど使える者が少ないという傾向もある。個別の性質が不明瞭なものもあり、二〇もあって複雑であるが、魔法を使う者や対人戦を行う戦時でもなければ生死に関わらないため一般の者が特別意識することでもないとはいえるだろう。

 二〇属性の関係を粗方理解しているララナとしては、不知得性魔力に混乱させてられている部分がある。

「傀儡化の魔法に用いられたのがいったいなんの不知得性魔力なのか。オト様のお話を紐解くと月属性魔力で用いる鎮静魔法が有効であり、属性相関図と照らすなら月属性魔力を吸収する岩・月・生、無効化する聖、以上四属性の性質とは遠いものと考えられますが、不知得性魔力と知得性魔力とではそもそもの設計が異なる可能性を考慮すると全く同じ性質でありながら既存の属性相関図で推し量れない可能性も──」

「これもそもそもですが音さんは傀儡化の魔法の属性を仰っていないのですか」

「ええ」

「訊けば早いのでは。斯様なときにいつぞやの話にあったような試験はなさらないでしょう」

「……それもそうですね」

 オトは家族に対して事あるごとに試験と称した無理難題を、そうとは言わずに出すことがあった。多くは家族の将来を思ってのことだったと体感しているララナであるから、危険に曝されかねない今このとき、はっきりと尋ねに行くか・行かないかが試験であるのかも知れない。行動は早いほうがいい。正解は考えるまでもない。

 台所をメリアに任せて、ララナは早速居間のオトを訪ねた。メリアとの会話中「おかえりなさい」と挨拶を送っておいた納雪、磋欄、霊欄は仲良く入浴中で、家じゅうの掃除を終えて蜜柑山で寛いでいる毛玉な糸主とオトの膝でごろごろしている小人のクムが同席している。

「一緒に入浴するほど納雪ちゃん達の仲が深まったのですね。感心です」

「精神年齢の近さでそのうち刻音も和に入れるやろう。傀儡化の魔法についてやな」

「話が早いです」

 家の中どころか村の中にまで耳が働くオトが食堂を挟んで隣の台所の会話を聞き漏らすことはなかった──。ララナは質問を変える。

「オト様は敵性勢力の偵察にお気づきでしたね」

 質問というより確信に近い確認になる。「不知得性魔力による傀儡化の魔法を察知されたなら、それ以前、納雪ちゃん達が海へ出掛けることとなった情報を仕入れた敵性の動きも察知してしかるべきです」

「葛神思さんやよ」

「偵察者が」

「ん」

 ゆっくりできる今、手短な応答には説明が加えられた。「さっきも話したようにボスも構成員も不明やし、操ったもんについても同じなんやけどね」

「不知得性魔力を探知できるのは、同じく不知得性魔力である、と、捉えてよいのですよね」

「ん。アデルの過去を聞いたときにお前さんも一緒に聞いたね」

 星の魔力を星の魔力で探知した。アデルからそう聞いて、不知得性魔力ならば不知得性魔力を探知できるということが判っていた。

「娘では唯一、音羅が魔物を察知できる。理屈はアデルと同じような感じやよ」

「魔物が持つ不知得性魔力〈穢れ(けが  )〉。それを熱源の魔力で探知しているのですね。メリアさんも星の魔力で同じことができます」

「羅欄納が知りたいのは最も効率がいい術者捜索方法やろう。傀儡化の魔法を手繰って術者に辿りつけんか、と」

「魔法を掛けたからには痕跡が残る。継続する魔法であれば常に魔力の流れが発生します」

「残念なことに今回の傀儡化は一定の指示を与える単発の、つまりは掛けきりの魔法で、俺でも魔力の流れを感ぜられんかった。ほかに辿る術がなかったわけでもないが」

「本ケースでは〈因果(いんが)(いと)〉ですね──」

 生きている人間は関わった人間や関わりたい人間とのあいだに因果の糸を繫ぐ。一種の設計であるそれは無自覚に繫がるので、結界魔法などで切らないと繫がったままであり、切ったとしても関係が深ければ再び繫がる。それらは傀儡化の魔法に掛けられていたとしても同じだ。

「血縁以外とまともに接してこんかった様子の葛神思さんやから因果の糸も少なかったやろうけど、その分、太く強く繫がっとったやろう。生きとれば」

「……、傀儡化の魔法を掛けた術者は、本当に、惨いですね」

 生者と死者の世界が分断されていることは往き来できないことでもって誰もが理解できるだろう。繫がりを示す因果の糸も、生者の世界と死者の世界のあいだで分断され、繫がることがない。葛神思は死者となり、現世にいながら死者の世界にいた。繫がっていた因果の糸は全て切れてしまった。傀儡化の魔法を掛けた術者を辿ることはできない。オトがその存在を知っていなければ、葛神の血筋を辿ることもきっとできなかった。

「惨いことに目が行くが、お前さんが知りたいのは不知得性魔力に知得性魔力で対抗可能かどうかやろ」

「はい」

 その昔からララナが無自覚に使っていた特異転移は不知得性魔力を用いていると先頃オトが話してくれた。が、その不知得性魔力をララナは未だ探知できず、認識できず、意図的な操作など全くできていない。従ってララナは知得性魔力しか扱えない。メリアのような星の魔力での探知など、不知得性魔力に対抗する手段が今のところないように思える。

 が、知得性魔力が不知得性魔力に無抵抗かどうかは誰も言及していない。不知得性魔力を探知できないという大問題が横たわって、知得性魔力との関係など知り得なかったからである。

「探知、知覚できん時点で対抗できる目はほぼ潰れとるわけやけど、その話をする前に、一つ話題が漏れとることに気づいとるかな」

「……」

 不知得性魔力を用いる敵性勢力にどのように対抗すべきか、それを早く議論すべきであるから話を先に進めたいが、オトが話の腰を折ってまで留意すべき点を示教したとしたら。

「そのお話とはなんでしょう。申し訳ございません、気が急いて……」

「いいよ、試験じゃないし謝らんで」

 クムを蜜柑山の糸主に預けて、脚を組み替えたオトが話す。ララナは彼の隣で中腰だったが鍋座に座り直し、落ちついた。

「改めて、お話を伺えますか」

「葛神思さんは誰とも因果の糸が繫がっていなかった。これへの観察に漏れがあるんよ」

「左様ですか。死者の葛神思さんと繫がる因果の糸が存在するはずがないのです。そこに特別な観察漏れがあるとは考えられません」

「じゃあ、こういったらどうかな。因果の糸は死者同士でも繫がる」

「っ」

「もう解ったね」

「なるほど……」

 因果の糸はひととひとの現世での関係を示すもの。だから、死者と繫がる因果の糸はない。ララナはそのように捉えてきた。が、オトがいうにはじつはそうではない。生者と死者とのあいだで繫がらないだけ。逆をいえば、生者同士は勿論、死者同士でも繫がるということなのだ。死者同士でのそれに観察が及ばなかったのは、死者同士との繫がりなど通常ではあり得ない。しかしながら、今回のケースではその常識的かつ蓋然的状況が傀儡化の魔法によって覆る可能性があった。生前の意志とは関係なく、傀儡と化した死者と死者が関係を持つことで因果の糸が繫がり得たのである。

「葛神思さんに因果の糸が繫がっていない。これは、術者や敵性勢力に死者がいない、と、いう事実を示しているのですね」

「さらに細かく表すなら、葛神思さんが傀儡と化したときや操作されたあと、死者との接触がなかったということでもある。今現在、新たに死霊使いもどきが傀儡の死者に鞭打っとる可能性もゼロではない。まあ、少なくとも今はフリアーテノア内にはおらん」

 ララナ達の走力があれば太陽や月に逆らって時を遡るように走ることも可能なほど、フリアーテノアは小さな星だ。宇宙の果てまで魔力探知できるオトならフリアーテノアじゅうの魔力を探り、不自然な・怪しげな魔力反応を探し出せる。

「通念的に敵性勢力には魔物や悪魔なんかも入ってまうから、想定される寄せ集め集団を便宜上〈魔団(まがたまり)〉とでも呼ぼう。死者をも操る『魔の集団』って意味で」

「魔団──」

 魔が固まっているとか禍禍しいものが溜まっているとか、言葉を置き換えて奥行を感ずると何か嫌なことが起きそうな意味にも解せられて警戒心を保てそうだ。

「いかに魔の集団といっても、葛神思さんの一件でさすがに慎重になるんやないかな」

「なんの奇襲にもならずオト様に退けられたためですね」

「加えて、不知得性魔力が俺に気取られる理由に理屈を立てられるから、ってのが正答やな。補助効果のみを用いる魔法、魔力反応を発しん魔法、奇跡の少年なんて持ち上げられた俺のそれらについては調べるまでもなくあっちは知っとるやろう。何せやり口が慎重そうに見えて動機は滲み出てまっとるから」

「オト様への妬み・嫉みですね」

 魔団まで辿らせない慎重さはオトの力を熟知し反撃を恐れている。一方で、関係者とその近辺への攻撃によりオトに気取られる懸念が高まる。慎重さと大胆さ、オト本人ではなくオトの大切なものを狙う陰湿さ、それらから導き出されるのが嫉妬だ。魔団のボスと、ボスと同一人物かは不明だが傀儡化の魔法を用いた者もしくは参謀役なども含め、少なくとも構成員の一人以上はオトへの嫉妬を抱えていると考えるのが妥当。構成員が葛神思のような死者でないなら全員がオトへのなんらかの感情を抱えていることも想定される。

「慎重に慎重を期して時間を掛けて嫌らしく次の襲撃に備えとるやろう。こちらとしてはこれまで明確に決めてなかった家の防衛部隊を決めるいい機会やけど、その前に、羅欄納もできる不知得性魔力の対策の話に移ろうか」

 オトが灰ならしで囲炉裏を彩る。「葛神思さんを傀儡化した魔法、それに用いられた不知得性魔力はヨコシマ」

「ヨコシマ──、どのような字を充てるのでしょう」

「性質が変わるでもなし充てる字にさほど意味があるとは思わんが、そうやな、解りやすい字を充ててみようか。邪悪の邪でも間違いではないが、俺からいわせれば、あれは……」

「あれは──」

「フセイと書いて不正(ただしからず)、これをヨコシマと読むべきやろうと思うね」

「死者を傀儡とする冒涜、邪悪な行為、まさしく、不正(よこしま)ということですね」

 不正。言葉にすると、同じ土台では戦えそうもない魔力だ。何度もいうようだが、死者を傀儡に仕立てる冒涜行為を働ける魔力だ。不知得性であることに加えて、その性質自体がひとびとの正しさから逸している。

「ヨコシマに月属性魔力が有効とは帰りにも伝えたっけ。魔法っぽいけど魔力を感ぜられん現象はひとまず鎮静を試みることを勧める」

「ヨコシマに限らず、不知得性魔力は全て鎮静できるのですか」

「いや。魔物が持ち、不知得性ながら認知度の高い穢れなんかがそうであるように、碌に鎮静できんもんもあるよ。魔力の性質の強弱以前に対応に当たる術者と現象の魔力量の差もある。性質で優位でも魔力量で押し負けることがあるからね」

 解りやすいところで説明すれば、炎属性魔力と氷属性魔力は対立している。その性質により炎魔法と氷魔法は互いに弱くなる。現象として観察すれば、炎の熱で氷が溶け、氷の冷気で炎の熱が奪われて、互いに威力を発揮しなくなる。そのように、魔法に使われた魔力量が同等なら相殺されて双方が消える。魔法の効果範囲や見た目は魔力量に比例することがほとんどなので、炎と氷であれば勝敗が一目瞭然だ。家一軒を焼くほどの炎でも、町一つを押し潰すほどの氷なら圧倒できる。一方、氷魔法に強い耐性がある水魔法ならどうか。これもじつはそう変わらない。水魔法が家一軒を吞み込むような水の塊を作り出しても、町を覆うほどの氷魔法には押し潰されて消える。そのように、魔力量が多ければ強弱関係を覆すこともある。鎮静魔法も同じだ。本来なら鎮静できる魔法現象でも、その現象に用いられた魔力量が大量であれば鎮静しきれない。鎮静しきれなかった魔法の分だけ鎮静魔法が敗北しているということになる。要は、性質の強弱関係と同時に用いる魔力の多さが大切であるということだ。

「繰返しになるが、不知得性魔力が絡んどると思しき現象にはとりあえず鎮静を試みることをお勧めする。で、それが効かんなら糸主かクムかノクシィを呼んで力を借りるといい」

「糸主さんかクムさんか、ノクシィさんですか」

 糸主とクムはオトと仲良くしている姿をよく目にするので頼りにしている相手ということくらいは知っているが、ノクシィは──。ララナは上を見る。囲炉裏の熱で起こった空気の流れに従ってふわふわ漂い、糸主の操った繊維で梁に腰を繫ぎ止められている人影、それがノクシィだ。そのノクシィとオトは会話している様子がないとララナは捉えていた。それに、仲良しかどうかはさておき、掃除が得意な糸主や料理の手伝いがメインワークのクム、それから自発的な行動が一切見られないノクシィ、この三者にどんな力を借りればいいのか。

「糸主さんやクムさんを侮っているのではございませんが、申し訳ございません、命に関わるような戦闘で頼るべきことがあるとは考えたことがございませんでした」

「まあ、そうやろうね。簡単に説明はするよ。まずは糸主、おいで」

「ほい、ほい」

 蜜柑山からもふもふと這い出てきた毛玉には綺麗なお目目が二つ。手の届きにくい場所に入り込み絡め取った塵を主食としているエコまっしぐらな毛玉、それが糸主である。オトの掌に載った繊維質の体は、

「ちょっと大きくなって」

 と、いうオトの指示で瞬く間に膨らみ、炭から空気を奪わないように囲炉裏を避けつつもララナやオトを覆うようにしてドームを作った。

「はい、OK。小さくなって」

「うむ」

 もふっ、と、オトの掌に治まった毛玉。

「今のは……」

「ずっとこの毛玉の恰好でおったから知らんやろうね。糸主の体はいくらでも大きくなるし小さくもなる。さっきみたいにみんなを守る盾であったり、場合によっては魔団への視覚妨害なんかもできるかも知れん」

「それらは経験的に理解できます」

 四方八方からの攻撃への防御策として、ドーム状の障壁を展開することがある。それを模した動きを糸主はしたのだろう。

「ですが、不知得性魔力に対して有効なのでしょうか」

「差し向けられた不知得性魔力がなんなのかは糸主に観てもらう。その上で、糸主の指定する自然魔力を与えて」

「自然魔力を与える、ですか」

「羅欄納がそれをできることは五〇年前に知っとるよ」

 オトと出逢った当時だ。ダゼダダ警備国家の広域警察本部署に押し入ろうとしたテラノア兵団を気絶させるため、オトが示した魔法技術をララナは用いた。そのときは自然界に漂う魔力〈自然魔力〉をテラノア兵団に無理やり与えた。ひとは一定量の自然魔力を体表面から常に吸収して〈個体魔力〉に変換して自分で扱えるようにしているが、「一定量」を超過した自然魔力を吸収しようとすると体が耐えられず一時的な意識喪失など変調を来す。それを利用して、ララナはテラノア兵団の動きの大半を制した。

「あのときのように、自然魔力を糸主さんに渡せばよろしいのですか」

「手渡しするみたいに穏便によろしく。そうすれば不知得性魔力を使った攻撃に対応して糸主が体を構築し直すからドームを崩されん。で、一回受けた攻撃なら糸主は自分で防御性能を強化してくから、同じ自然魔力を二度も与える必要はない」

「効率的ですね」

 しかしツッコまねばなるまい。「知得性魔力で不知得性魔力に対抗できるか、それが私に可能なのかお答をいただいていないと考えます」

「鎮静だけと答えたつもりやった」

「……不甲斐なく存じます」

 ララナにできることは少ない。

「できることからこなせ。お前さん自身で気づけんなら、お前さんはその力を扱うべきじゃないし扱えん」

 ……いつか伺ったようなお言葉です。そう、確かあれは──。

 魂器過負荷症の寛解手段について話していたとき、寛解手段を持ち得る存在にララナが気づけないなら力を借りることはできないとオトが言っていた。あのときの言葉に今の言葉が少し似ていた。

 ……常に、気づきが大切。今回はそのような意味ですね。

 学習効率化の観点でひとから教わったことも大切だが、自らの頭と心で気づき学んだことは馴染みやすい。ひとから教わることだって、自分で嚙み砕いて消化するまではまともに活かせない。吞みくだして排泄してしまうことのほうがいっそ多く、そういったことは「耳から抜けている」などとも表せられるだろう。

 ……先のお言葉から察するに、私も対抗手段を持ち得ます。

 気づきさえすれば。頭で理解できてもそんな力が自分にあるのかララナは判らない。唯一それらしい力があるとすれば、余剰の魂を破壊して魔法的効果を発揮する〈魂鼎(みこと)(ちから)〉。創造神アースが持っていた力の一つで、魂を破壊するという行為が死者を冒涜する魔団と似たようなものであるからこれでの対抗は避けたいところである。また、余剰の魂が存在しない今は使おうにも使えないという問題もある。そのほかに特殊な力を持たないララナは、オトが明示したように鎮静魔法のみが対抗手段となる。それが有効でなければ糸主達に頼らざるを得ない。

 嚙み砕いて消化しなければ、と、いう話に通ずるが、頼る相手の力を知らなければ状況に適した頼り方ができず、却って危険を招くこともあるだろう。できることをする。それもオトの明示したララナの持つ対抗手段だ。

「糸主さんが防御面ということは、クムさんやノクシィさんは攻撃や補助の面でしょうか」

「補足になるな、糸主には攻撃の能力もある。それは防御と併行した反撃やから追加で魔力を与えたりする必要はない」

「左様でしたか」

「クムの話に移ろう。糸主ありちょま」

「お安いご用じゃて」

「ついでにクムをこちらへ」

「うむ」

 オトの掌からぽんっと飛び出して蜜柑山に戻った糸主が繊維で抱っこしたクムをオトの掌に載せた。

「いらっしゃい、クム」

「はい、オト様。ララナ様、改めまして草花の分祀精霊クムです。よろしくお願いします」

「ご丁寧に。私は竹神羅欄納と申します。いつもオト様がお世話になっております」

 丁寧な挨拶に丁寧に返して、ララナはオトを向き直る。「料理の香りづけや気温調整は以前伺いましたね。それらのほかにクムさんはどのような魔法的能力を持っているのでしょう」

「役回りでいうなら攪乱と補助かな。クム、とりあえず観せたげて」

「はい」

 うなづいた花咲きの小人が両手を広げると高いところから部屋を照らすヴァイアプトの燈が霞んだ。実際は、渦を巻くように現れた無数の綿毛にヴァイアプトの発する光が遮られていた。この綿毛に、ララナは見憶えがある。

「もしや、そちらは〈ワタボウ〉さんですか」

 長女音羅の親友野原花が連れていた綿毛のような姿をした分祀精霊、愛称ワタボウ。クムが出現させている綿毛は、あのワタボウの姿にそっくりだ。

「これも愛称になるかな、俺はこれら綿毛をフラフと呼んどる」

「文字通り綿毛を意味した愛称ですね」

「植物図鑑を観ながら小さいときにつけたから安直やな。ちなみにクムはタラクサクムの略」

「たんぽぽの学名ですね。想像はしておりました」

 何せ、舌状花冠が特徴のタンポポに似た花を頭に咲かせているのがクムである。「綿毛はクムさんのなんなのでしょう」

「初期段階やよ。この綿毛は飽くまで視覚妨害用の擬似フラフであって本物じゃないが、これらと同じ見た目のフラフ型から成長すると見知ったクムになる。頭の花なんかにちょっと個体差があるけど」

「と、いうことは、」

 彼女の花がわずかに位置を変えていることがあるとララナは気づいていた。髪飾りと違って着脱不能のようなのに花がどう移動しているのか不思議だったが、やっと理解できた。

「クムさんは私の知らないあいだに何度も綿毛になっていたのですか」

「はい。すぐにこの姿に生長しますが、竹神家に訪れてからかれこれ一〇〇回近く生まれ変わっています」

「全く知りませんでした……」

「余談はそこまで。クム、そろそろ擬似フラフはいいよ」

「はい」

 クムがふわっと手を下ろすと、擬似フラフが渦状の動きを止めながらゆっくり下降、畳に降りた瞬間、

「ん──」

 ぽぽんっぽぽぽぽぽんっ──、無数の花が咲き乱れた。タンポポのみではない。色も数えきれない。ただの居間がものの数秒で花畑へと変貌した。

「よい香りに包まれております……」

 リラクゼーション効果があることを体感するも、

「特に魔法的効果はない」

 と、オトが言うので、ララナはクムにも尋ねる。

「ないのですか」

「ないんですわ」

 笑顔だ。「クムの力は基本的に戦闘には向いていません。擬似フラフも、クムの仲間、いいえ、クム自身であるフラフ達を安全に旅立たせるためのもの。視覚妨害とともに魔力探知妨害ができることは強みだと思いますわ」

「魔団の用いる不知得性魔力にも一定の妨害効果を発揮できますか」

「知得性魔力は不知得性魔力を探知できませんが、不知得性魔力は知得性魔力を探知できますから、却って精度が落ちることがあるんです。また、知得性も不知得性も魔力探知の原理は同じ。込み合ったお祭の会場ではぐれた知人を捜し出すのが難しいように、知得性・不知得性いずれも、込み合った場所で特定のひとの魔力を捜し出すのは難しいです」

「なるほど、種の存続のため身につけた視覚妨害・魔力探知妨害の能力を応用したのが先程のフラフダンスなのですね」

「いいですね、フラフダンス!特に名前がついていませんでしたからその名前をもらいます」

「いい名前をもらえてよかったね、クム」

「はいっ。毎日でもダンスさせたくなってしまいますわ!」

「埋もれた誰かさんが転んで怪我したらいかんし、ほどほどにね」

「く、クムは平気です、転びませんわ」

「自覚はあるようやね」

「大丈夫っですわ、ね、糸主様」

「完全にワシ頼みじゃのう」

 話しているうちに花弁を舞い上げて花畑が消えてゆく。葉や茎や根まで消えているようだが畳に穴が空いた様子はない。最後の一輪まで消えるとオトが瞼を伏せて話を再開した。

「冗談は置いといて、クムにはもう一つ役割があるね」

「先程の妨害を攪乱と捉えますと残りは補助ですね。どのようなものでしょう」

「不知得性魔力である〈不屈〉をクムに預けてある。これがクムの二つ目の役割に関わる」

「不屈、とは、どのような不知得性魔力でしょうか。言葉通りに、負けまいとする心の作用に関わりそうですね」

「そんな感じ。比較的多くのひとが持っとるんやないかな、そういう心は」

「困難や脅威に立ち向かう強い気持……、誰もが窮地で持たねばなりませんが、手放してしまうこともあるものですね」

「その気持を支える魔力といえば解りやすい。その不屈の魔力でクムがやるのは、鎮静魔法の強化ね」

「最初にお勧めなさった鎮静魔法に多少なりの効果が見出せた場合に、クムさんの力を借りれば鎮静しきることができるということですね」

「ん」

 オトがうなづき、クムを蜜柑山に戻した。「要するにクム自身に不知得性魔力への絶対的対抗術があるわけじゃない。が、妨害による時間稼ぎや原始魔法の術者への精神的攪乱、鎮静魔法強化による原始魔法への全体的対抗力の底上げに貢献できる」

「理解致しました。糸主さんとクムさんが揃えば、防御・反撃・妨害そして補助が揃い、かなり多くの状況をカバーできると考えられます」

 魔団が奇襲してきても状況へのカバーが可能なら立て直しが可能になる。糸主の反撃に乗じて攻勢に転ずれば追い返すこともできるだろう。それまで防御や妨害に用いる糸主のドーム状障壁やクムのフラフダンスは魔団の逃げ道を塞いだり思わぬ反撃の芽を摘むことにも役立てられる。

「──、と、なると、ノクシィさんの役割は──」

 実戦経験からララナが導き出せる答は一つ。「積極的攻撃」

 反撃と似ているようで全く異なる役割。防御や補助を主体とした糸主やクムと反対の役割がそれだ。

 攻撃することは簡単だ。原始的な戦争を例に挙げれば、石を投げればその時点で積極的に参加できた。現代でも石を投げることは無論可能だがそれに加えて一極集中・広範囲・波状あらゆる攻撃が魔法で可能だ。逆に防衛となると簡単ではない。設備や装備を整えるのに時間が掛かるし、防衛に必要な人員は攻撃してくる敵性勢力の三倍以上はほしい。それで打ち勝ったとしても被害がないわけがなく、敵性勢力の規模によっては継戦が必要になる。煎じつめると、守り主体の防衛部隊に加えて攻め主体の攻撃部隊が必要だ。これを用意すれば防衛部隊が攻勢に転じきれなくても敵性勢力を切り崩せて、ジリ貧の籠城戦を回避できる。

 竹神一家に置き換えると、防衛部隊は糸主とクム、それから竹神一家の一部だ。ならば、攻撃部隊は誰か。第一候補はノクシィである、と、オトが示しているのではないか。

「ノクシィさんは攻撃部隊と成り得ますか」

 と、わざわざ訊かなければならなかったのは、今も梁を漂うノクシィを見ているからだ。

「とても役に立ちそうにない」

「そう捉えるほかないほどに、ノクシィさんが自ら動く姿を観たことがございません」

「そうやろうね。あの子は真白やよ」

 服を除いた外見がという意味ではない。「特に何も考えてない。記憶を持たへんからね」

「記憶を、持たない……」

 それは初耳だった。持っていた記憶を一時的・長期的・恒久的に失う記憶喪失や記憶退行に陥っているのではなく、最初から記憶を持たない性質の精霊がノクシィであるらしい。

「羅欄納が心配するように、積極的行動どころか自発的行動は一切せんよ。そういう精霊やからね」

「オト様よりオト様ですね」

「それは真に迫った表現やね」

 揶揄と捉えないのが半世紀連れ立った夫婦である。「あの子は俺に近い受身だ」

「命ずると動くということですか」

「単純に性質的にそうなる、と、いうほうが正しい」

「……どのような意味でしょう」

 オトの説明は要領を得ていない。と、捉えていたのは一瞬のこと、オトが突如動いた。悍ましいほどの殺気で掌から魔法弾を放ったのである(!)

「オトさ──、っ!」

 今の今まで梁を漂っていたノクシィが、糸主の繊維を軸に反転して下降、魔法弾を指先で貫いていた。

 ……衝撃をも緩和して──。

 家が吹き飛ぶほどの威力を有する魔法弾だった。ノクシィは屋内に衝撃波を起こすこともなく魔法弾を無力化するやオトの胸に顔面から突撃、オトの殺気が治まると自身が落下時に起こした空気の流れで東の廊下へ流れ込み、屋内の廊下を一周したのだろう、微風に乗って西の廊下からゆっくり居間に戻り、今度は囲炉裏の起こす熱気に煽られて再び梁のほうを漂い、糸主が新たに伸ばした繊維で腰を括りつけられて、一分前と同じ姿になった。

「……凄まじい動きでした。今のはいったい」

「端的にいうなら、無害化。それが、あの子の力やよ」

「無害化──、オト様の魔法弾を」

「殺気もね」

 ララナはぞっとしたものだった。なぜなら、魔法弾も殺気もララナに向けられたものだったのだ。突如のことゆえ魔法弾や殺気がオトの演技であることを直感して昔ほど驚くことはなかったとはいえ、ララナでも息が詰まるほどの圧力を感ずることに変りはない。おまけに魔法弾は被弾すれば命の保証ができない強力さだ。それらに反応して無害化することを、精霊の性質としてノクシィが単純に発揮しているということなのだろう。

「ノクシィさんから特別に強力な魔力を感じません。むしろ無魔力個体のように感ずるのですが……、ん」

「理解したね」

「お手間を取らせました」

 ララナがもっと早くに気づいていれば魔法弾も殺気も不要だった。「魔力を感じない上で無魔力個体ではないと捉えるなら、不知得性魔力を持つ有魔力個体ということですね」

「正式には〈無毒(むどく)精霊(せいれい)〉だ」

「ノクシィは愛称……、無毒すなわちnon(ノン)-toxicus(トクシクス)に由来したものですね」

 まるで毒気がない精霊。それがノクシィ。毒とは、劇物など毒性のある物質のこともいうだろうが、ひとの形を取っている精霊ならひとの心のことも司っているに違いない。オトの殺気を打ち消したことからもそれは明白だ。して、オト曰く記憶を持たない。それは経験を積まず自他の痛みや苦しみに無頓着であり本来持ち得るひととしての毒をも持たない、と、いうことである。人間性が毒性のみで形作られるはずもないが、毒性のないひとからは人間性が失われることを、梁を漂うノクシィが証明しているようであった。

「ですが、ノクシィさんは魔法弾や殺気に機敏でしたね。それらを無害化する精霊としての性質に、ある種の使命のようなものを持っているのでしょうか」

「多くの精霊は空気や水、石や大地、あらゆる自然物になって存在しとる。自然物になっとる状態を〈同化状態〉といい、ほとんどの場合この状態にあると対話できんし姿も自然のそれで精霊とは認識できん。とは、お前さんには説明する必要もないことかな」

 精霊についての基本的な知識の一部であり、学園で学ぶことだ。

「で、同化状態と対義になるのが自然の姿から概ね人型に変わる〈具現(ぐげん)状態(じょうたい)〉やな。その多くは存在する階層が異なることから発生する〈存在(そんざい)視差(しさ)〉によってやはり姿が見えんままやけど自律移動したり対話できたりする」

 存在視差は、特に具現状態の精霊と人間のあいだで発生する「見える・見えない」の差を示す経験的観念論、要するに推測である。精霊からは人間がよく見えるが、逆に人間からは精霊が見えない、と、いう現象がよく報告されており、その原因を「存在している階層が違うがゆえ」としているのが存在視差である。もう少し具体的に表現すると、ひとはそれぞれ存在している階層が違っており、近い階層の者は見えるが遠い階層の者は見えないということだ。この考え方において、人間同士は極めて近い階層に纏まって存在しているため誰でも目視できるが精霊はかなり遠い階層に存在しているために目視できない、と、考える。また、遠い階層で姿が見えないとしても響いてくる音は聞こえるため、姿が見えないのに声は聞けるというケースを説明することも可能な考え方である。姿が見えないが声は聞こえる幽霊、などというケースもそれに近いだろう。

 と、飽くまで推測だが、多くの有魔力個体が精霊とのコミュニケーションを魔法界で蓄積し纏めた考え方であることからかなりの信頼を得ている。そしてその考え方は、ララナの体験にも適っている。身近なところでいうなら、モカ村に住む〈森の声〉という精霊の姿が見える・見えない、声を聞ける・聞けないの差を説明できる。それがじつは、オトの男性蔑視傾向を強めている一要因ともいえるだろう。早い話、女性が高階層にいる。そのため、森の声の言葉を聞けるのはモカ村でも女性のみだった。ララナの経験でも精霊を見られるのは自分を含めて女性がほとんどだった。そういう意味では、男性でありながらララナにも見えない精霊の姿を捉えているオトはかなりの高階層にいることになる。ここで、オトとララナのあいだで存在視差が発生していない理由を考える必要に迫られるだろう。

 ヒントは分祀精霊である。分祀精霊の面面には具現化した精霊が多数存在している。その姿が誰にでも視認できるのは、ご神体が物的に存在する櫛や織物であったりするからだそうだ。肉体を持たない精霊が物体に宿る、俗にいう受肉(じゅにく)をすることで階層を人間に寄せて認識しやすくしているということである。同じように、結晶に宿っている精霊の声やその結晶自体を視認できるのは、結晶が肉体の役割を担っている。つまり、肉体を持つ者同士なら存在視差が発生しない。階層以前に人間同士にはその摂理が働いており、ララナとオトのあいだでも同じということである。

「言葉を知らんかったり知性に乏しくて会話にならんもんもおるけど、そういうもんを含めてしっかりと意志がある」

「ノクシィさんには、その意志がないのですよね」

「ん。具現化しとることはあの姿で判るね」

「無毒とは、毒がないという形容であり毒を持っていないことそのもので、同化状態では物として存在し得ない。従って、同化状態のノクシィさんはきっと姿が消えます」

 水や岩や木を司る精霊が同化状態になるとそれぞれが司るものになるのではっきりとした形がある。それら精霊達が具現状態になるとひとの姿を取ったり、見掛けが水や岩や木そのものでも普通にない動きができる。それらから考えられるのは、ノクシィが具現化しているということである。一方で、

「ノクシィさんはまるで同化状態かのように意志もなく精霊の性質を発現しているのですね」

「無毒の精霊ゆえやろうな。具現状態で促されやすい人格構築がされにくくて個性が乏しいから、摂理の一端を担う同化状態に近い働きでさっきみたいな機敏な動きをする」

 精霊が同化状態から具現状態に移行する理由は判明していない。ララナが通っていたレフュラル表大国の学園で精霊から聞取りを行った研究があるが、「いつの間にか」とか「さあ」とか、お茶を濁したような要領を得ない回答が多い。中には、「最初から具現化していた」というものや、「気づいたら結晶化して(こうなって)いた」というものもある。精霊結晶の発生プロセスもまた不透明であるから、ララナとしては創造神アースの記憶を有するオトから全体的な仕組のレクチャを受けたくなったことは一度や二度ではない。創造神アースの記憶に頼りきらないというのが彼の考えであり夫婦で共有したスタンスであるから要求はしないが、

「ノクシィさんのことだけでも、具現化の理由が判るといいですね」

 とは、思った。知識への欲求が皆無とはいわないがノクシィの今後を思うと意志なきノクシィの具現化には相応の意味があるのではないか、と、ララナは考えずにはいられなかったのである。その考えは、オトにもある。

「無毒の力を持つからって無理やり戦闘に引き摺り出すのも本当は避けたいしな」

「はい」

 ララナはオトと同じ気持だ。戦闘では傷が付き物。傷は後悔を生む。傷ついたことも、傷つけたことも、取返しがつかない枷となることがある。

 ……ノクシィさんの力は確かに私達の助けになりますが、彼女に傷を強いてはなりません。

 味方や仲間やあるいは立ち塞がった敵であっても、傷つけることは避けるべきなのだ。ひとを傷つけることを定常化して戦争を起こした結果、どのような最後を迎えるかララナは誰より知っている。

「なんも背負い込むことなく終わらせたいね」

「──はい」

 同じ気持を口にして、足並を揃えてくれるオトに、ララナは三つ指をついた。「ノクシィさんを頼るのは最終手段と致します。糸主さんとクムさん、それから私達一家が組む防衛部隊による迎撃型戦闘態勢を軸とします。攻撃部隊にはオト様が適任ですね」

「おや、謐納との約束もあるのに」

 その約束をララナは心得ている。

「オト様ならご存じですね、お兄様の力で私に掛けられた〈全耐(ぜんたい)障壁(しょうへき)〉は物理攻撃も魔法攻撃も全て撥ね退けます。また──」

「それは俺の創造神アースの魂を分けて誕生した娘全員にも展開できる。ただし、直接触れていることが条件やから、お前さんを中心に家族全員が家の中に閉じ籠もることになり必然的に謐納も家の中、攻撃部隊として俺が外に出たとて約束を破ることにはならん」

「いかがでしょう」

「上上。屁理屈な感じが俺好みだ」

「ご承諾ありがとうございます」

「その提案には、俺の求めに応じた部分もあるやろ」

 オトが常常妻に求めているのは家を守ること。家とは皆が帰る場所、竹神邸のことであり、竹神邸に住むみんなのことでもある。妻が家を守るという考え方は後進的とされそうなものであるが竹神家は異なる。女性が家に縛られて自由に動けないのは不平等・差別などの固定観念が絡み合って、実際に固定観念に縛られた者が女性軽視・蔑視や男性への外部労働を強いる傾向にあることなどなどが後進性に当たる。オトは娘が学園に通う・通わないに始まり、職に就く・就かない、家にいる・いないも自由にさせている。妻であるララナやメリアに対しても同じで、外に働きに出ることも新たな夫を作ることさえも許す姿勢である。オトの軽視・蔑視はむしろ同性に働いていて、女性ばかりの家族には働かない。それに、男性の中でも亡き相末(あいまつ)(まなぶ)などには公平な目を持っており、実際に軽視・蔑視するのは彼を棄てた父親であったり国を裏切った叔父言葉真国夫であったり極めて限られた相手のみである。そんな彼にララナ達も娘も縛られている実感はなく、自由すぎるほど自由である。

「私は私の望むまま考えて動いております。忖度はございません」

「俺へのお菓子作りも」

「夫婦の営みの一環と存じます。オト様も作ってくださると幸いと存じますが、」

「俺は食べたい側やから」

「私は作りたい側です。すごく(めたんこ)ぴったり(ぴったんこ)ですね」

 ララナはオトに多くを許されている。だからというのでもなく、ララナはオトの多くを受け入れている。互いに譲れないものもあるが、譲れないものも理解し合っているから、こうして夫婦でいる。

「部隊決めだが、糸主やクム、念のためのノクシィを家に置いとこう」

「攻撃部隊でなくてよろしいのですか」

「傷」

「畏まりました。防衛部隊の切札として出番が回らない状況を目指します」

「ノクシィがおらんでも、分祀精霊の一部が俺についてくるなら攻撃部隊として機能する」

 魔団は探知不能の原始魔法を使う。少なくともオト以外は視界の外で何が起きても認識できない。夫婦のみで話を進めているので娘から反発があるかも知れないがある程度の方針を固めておいたほうが守りやすい態勢が作れる。後程方針を共有して必要なら協議すればいい。

刃羽薪(はばまき)さんなどは力自慢の印象がございます。戦闘に役立てますか」

「俺の代りに武器を振るうのはあの子やな。音羅(おとら)からプウも借りれるとありがたい」

「プウちゃんもですか」

 長女音羅が生まれた頃からくっついていて、最近では刃羽薪と一緒に村周辺の魔物討伐や見回りに出ることが増えたヘビ、それがプウである。見回りに出ることをオトが認めているのでそれなりに戦闘能力があると窺えるが危険な魔団に対抗できるかどうか。

「プウちゃんはどのような役回りですか」

 と、ララナは尋ねておく。糸主やクムやノクシィ、直接力を借りる分祀精霊の能力を知るのは当然大事で、この際なので竹神家に住みついている分祀精霊の能力を知っておきたい、と、口にしていないのに心を読んだようにオトが話し出した。

「今のところプウ以外に力を借りる予定はないが、織師については説明してもいいかもね」

「織師さんも戦闘に参加できる能力を持っているのですね」

「ん。まずプウだが、あの子は自然魔力や他者の魔力と自分の魔力を体内で混ぜ合わせ、魔法にして吐き出すことができる。以前お前さんも垣間見たことがあるかな、空を裂くレーザービームっぽいもんも吐ける」

第三田創(だいさんたつくり)の一件ですね」

 当時、経過を逐一聞いていたことだ。ララナは音羅の先輩の家族を保護したダゼダダ中央県長良(ながら)(ちょう)の山の中腹からオトがいうレーザービーム然とした光を観た。登山ができる山道や鵜飼を行う清流、焼物や和紙といった特産品もあって観光資源に富んだ町であったがゆっくり見て回る状況になく、事態収束とともにオトのもとへ駆けつけて追加の情報や現場の様子を確認し、一悶着あった音羅と野原花の関係がどうなるか見守ったことが今も記憶に鮮明である。

「花さんは亡くなるまで音羅ちゃんと仲良くしてくれました。音羅ちゃんが掛け替えのない経験を得られたのは、プウちゃんが戦ってくれたお蔭ですね」

「ん。息絶え絶えやったから本当に助かった」

 謎の結界から脱出したばかりで疲弊しきっていたオトに分祀精霊が力を貸してなんとか治めた大事件。プウ一匹は小さな力でも、プウの特性を活かすことでオトが消耗を抑えて戦えた。結果、ダゼダダ警備国家は致命的なダメージを回避できた。

「と、いうことで、プウには戦闘補助についてもらおうか。長期戦に突入しても消耗を抑えれば有利やし、プウ本人も家で防戦するより積極的に戦いたいやろう」

「一人でいかな訓練をしても実戦経験に優るものはございません。刃羽薪さんと修業をしているのは実戦経験を積み、オト様とともに戦うことを望んでいたからなのですね」

「俺ではないね」

「……音羅ちゃんですか」

「ん」

 神界に移住してからのプウは音羅との別行動が目立っていた。プウの気持が離れているのではないかと音羅が心配したときもあったが、そんなことはなかったのだ。

「にょろにょろ這い回って音羅を驚かせたときからずっと、プウは音羅と一緒に育ってきた。米粒をぱくぱくしたり、音羅の友人に悪戯したり、一緒にお湯を浴びたり、つまらん喧嘩をしたり、ぶれる姿に苛立ったり、ときには呆れて見放して、それでもずっと離れず見守って窮地を一緒に戦って、……遭遇した未知の敵に敗北して、つらさをともにして、今は別のところで力を身につけとるけど、一緒にいたいことは変わらんよ」

「早く一緒にいられるよう、どうか、プウちゃんの研鑽にお力添えくださりませ」

「了解やよ。さて、話を戻そう」

 次は、織師の力について。「俺とは違うが織師はあまり外に出たがらんから戦闘も稀やけどいろいろできる。布を使った魔法への対抗、炎の助燃剤も担えるし、敵をぐるぐる巻きにして動きを封ずることも可能」

「布を使ってフラフダンスのような視覚妨害もできますね」

「聴覚の攪乱もできるぞ」

「と、仰ると」

「例えば、シーツを広げるとどうなる」

「ばふっと音が鳴ります」

「ん。擬似フラフは風の音に依存した音しか出んから静かなんやけど、布はそれ自体が風を起こすし音も出す。撓る音や擦れる音、通気性の低い布なら爆発的な音も鳴らせる。フラフダンスと組み合わせて足音を消したり、攻撃動作の音を隠したりできる。相手の聴覚に直接的に働きかけて一時的に無力化したりもできるな」

「かなり有用ですね。耳のいい私達も巻き込まれますが合図を作れば問題ございません」

 動けば音が立つのは当り前で、大掛りな反撃は気取られやすくなるもの。その隙を小さくできる布音は反撃の有効性を高め、円滑に攻勢へ移る手助けになる。織師は防戦向きの人材だ。

「場合によってはこちらでもいいが、織師はそちらについてもらいたいね」

 と、オトが防衛部隊に織師を推すと、ララナは攻撃部隊の薄さを感ずる。

「切込み要員を主とする少数精鋭でもオト様の負担がいささか重いように存じます。もう少し人員に厚みを持たせたほうがよいでしょう」

「自称軍師の経験則かね」

「通称軍師、実態は俄策士でした」

 と、ララナは正して話を戻す。「オト様には分祀精霊の皆さんがついていることでしょうけれど、陣容でもって私を安心させてくださりますか」

「緊急時、村では男も女も大差なく戦うがそれでいうならほぼ全員参加の総力戦。陣容なんて語るまでもないやろ」

 その発言は話し合いをパーにするものであるからララナは引き下がらない。

「防衛部隊の全責任を私が負います。攻撃部隊の責任を負うのはどちらさまでしょう」

「俺やな、了解。安心材料を配るとしよう。俺には神具がある」

「神具は自主的手段にとどまるため万一オト様の身に何かござった場合の保険となりません。不足です」

「侮るね」

「穴があっては防衛部隊にも皺寄せが来ます」

「それも了解。じゃあ次ね。反射発動型魔法がある」

 それはオトの得意な術式で、一定の動作・作用があった場合に自動で発動して状況を有利に運ぶ。謎の結界への第一の対策として用いられた魔法にも組み込まれた術式であり、その効果は確かに有効であるが、

「不足です」

「なんで」

「ありとあらゆる攻撃や妨害行為、小細工・大細工・直球・変化球・魔球の類に至る全てに対応する反射発動型魔法を精神力欠乏も気にせずセッティングしていらっしゃると。いいえ、非効率的なのでそうとは考えられません。オト様の推測力・憶測力でもってしても魔団の出現自体の推測・憶測ができていなかったことは傀儡たる葛神思さんの村への侵入を許した時点で明白、ゆえに魔団の方針やそれに従った行動・魔法あるいは魔導や物理攻撃手段の一切に予め対策を立てることは困難であり陣容がやはり希薄・手薄・ザルの如き穴塗れです」

「さらさら言いよった」

「安心材料の追加をどうぞ」

「仕方がない」

 徹底的な積極姿勢に弱いオトが溜息をつき、白状するように口を開いた。「この機会に紹介しよう」

 手をひらっと──、それからオトが腕を組んだ。そのときには、オトの背後に一つ、左手の脇にも一つ、そして、膝許にも一つ、影が増えていた。順に、

 ……首のない武者、首のねじれた女性、それから、目玉さん。

 皆、名前を知らない分祀精霊らしき存在である。姿を見かけたことは何度もあって、娘の一部からは幽霊と認識されていた。

「これで娘も安心しますね」

「竹神家の七不思議として永遠に幽霊で通そうかとも思ったんやけど、そうも言ってられん」

 と、オトが密かな画策を暴露して、紹介する。「まずは目玉さん、正しくは〈玉眼(かなめだま)〉という、観ての通り目しかないから喋れん。役割は言うまでもないかな」

「状況観察ですね。戦術を立てる上で要の役割です」

「では次。首のねじれた〈楚楚(ソソ)〉、挨拶してね」

 オトに促されて、ソソが背中を向けた。顔は上下反対でララナを向いている。

「っふふ、初めまして、でもないわねぇ、楚楚というわ、これからよろしく。なんていいながらたぶん会話することはないわね、なんせ、あたしは攻撃部隊の中核になるから」

「メインアタッカを担うのですか」

「おかしい」

「いいえ、推測の域です。──」

 首がねじれている点のみ挙げればソソはいわゆる妖怪のようだが、体のパーツや雰囲気はむしろ人間くさい。その辺りからの推測だが、八百万神社では人間が死後に祭られることもあるというのでソソは歴戦の勇士だったのではないかとララナは見立てた。血が変色することを考えると血ではないという結論になるが、和装なのか洋装なのか判断できない服が血塗れのように観える。おまけに首が一八〇度ねじれているのだから明らかに普通ではない。際立った武勲を立てながら非業の死を遂げ、後に祭られて分祀精霊になった、と、経緯を推測できるのである。して、分祀精霊の性質として信仰を集めるほどに力が増し、生前以上の実力を備えているのではないか、とも。

「──。ちなみに、服の血が変色しないのは時間が止まっているからではないでしょうか。その点からは、亡くなってしばらくしてから祭られたことも推察できます」

「なかなかいい捉え方ねぁ、ほとんど外れてるけど」

「そうなのですか」

「戦い方もアンタの考えてるようなのとは違うかもね」

「魔法ですか」

「さあね」

 本人が濁すならオトに尋ねるのみである。

「オト様」

「観たほうが早いね。楚楚、よろしく」

「味方にやるのは気が引けるけど、アンタの指示なら仕方ないわね」

「糸主も協力よろしく」

「うむ」

 蜜柑山から這い出た糸主は阿吽の呼吸でオトの求めた行動をしたのだろう。勢いよく体から繊維を伸ばして五徳に載った鉄瓶を狙った。その動きがぴたっと止まってララナは気づいた。糸主がまるで金縛りに遭っているかのように動けなくなっている。が、それだけではない。

 ……オト様の殺気にも似た圧です。

 正座のまま動いていないソソが発生源で、影響を受けているのは糸主だ。観ているララナまで掌にじっとりと汗をかきそうな圧迫感で、いますぐどうこうなる状況ではないのに不安感を煽る重い空気を感ずる。

「はいおしまい」

 と、オトが言った瞬間、ララナは止めてしまっていた呼吸を再開して、糸主の体調を確認した。繊維を引っ込めることも、新たに伸ばすこともでき、異常はないようだ。

「今のが楚楚の力の一部ね。金縛りに加えて強烈な圧迫感で戦意を喪失させるが、今は金縛りと弱い圧迫にとどめた」

「なるほど、攻撃の手を止めさせる補助効果といったところですね」

「本領はその次やけどね」

 と、オトが首を横に振って、「楚楚が発するのは守一花のそれに程近い」

「マモリイチカに──」

 金縛りと圧迫感で完全停止させた相手を、物理的な攻撃で狙い撃ちにする。

「……戦争向きの力です」

「当然やな」

 歴戦の勇士ではないとソソが否定したようだったが、じつは的を射ていたのだろう。

 ……それにしても釈然としないことが一つ──。

「気になることがあるやろうけど、最後にしよう。羅欄納、ソソの評価はどう」

「攻撃手段を活かす補助能力、攻撃部隊の一員として不可欠です」

「駄目押しをしよう。〈両極(ふたつはて)〉、よろしく」

 首のない武者が左腰の打刀と右腰の太刀を反対側の手で抜いてオトの脇を切り抜いた。すると、台所で食器を洗っていたはずのメリアがふらっと現れた。

 ……こ、これは──。

 一種の精神支配だ。フタツハテには、それができる。オトがその力をララナに知らせずに済ませたかったのは、自身の信念に反しているからに相違なく、ララナがノクシィを切札としたのと同じようにフタツハテがオトの切札に等しかったからである。

 メリアがどうなっているか細かく描写しろと言われると困る状態だ。搔い摘まんで伝えるととても色っぽくなっているのである。夜の営みのさなかならうなづける積極的な目差と仕種が次次オトに迫ってゆくのだ。

 フタツハテが刀を治めるまで続いた行為をオトが全てうまく躱したので、メリアの被害はララナにその様子を見られていたことで、それは被害といえないほど互いに慣れている。その理由は一緒にオトに迫る夜がある──、と、これくらいにとどめよう。

 支配時の記憶はなくても、支配が解けた瞬間にオトと密着した状態なのだから、何があったかメリアも察した。カナメダマも、ソソも、フタツハテも姿を消していた居間は、メリアの姿を除いていつも通りである。

 ……ひとの欲求は、ときに理性を排除するのです。

 フタツハテの施す精神支配によって敵対者は冷静さを欠き、心が隙だらけになる。その上でソソの金縛りで身動きを封じて圧迫感で恐怖を植え込む。カナメダマの状況観察が敵の動きを見切って二者の連携を高め、付け入る隙を与えない。どんなに強靭な戦神でも、カナメダマ、フタツハテ、ソソが三位一体で無防備にさせる。さらにソソは限りなく回避不能に近いマモリイチカに似た攻撃手段でもって完膚なきまでに無防備を衝くのだ。

 フタツハテの力の説明とともにそのようにオトが説明したのは、見られていたことよりも明るいところでオトに迫っていた自身に羞恥しノクシィを嵐に吹かれたゴーヤのようにしてメリアが台所に引っ込んだあとである。陣容の詳細説明を避けたかった理由を察したから、メリアの羞恥も含めてララナは申し訳なくなってしまった。

「ご無理を強います」

「俺がやりたいからやる。優先順位はもはや語るまでもない」

 昔の彼と今の彼とで大きく変わったのは、そこであろう。全てのひとやものに優しかった彼は、ララナを始めとする今の家族を第一に考えるひとになった。必要とあらば外に出る、と、いうのは昔から変わらないようにも思えるが、その行動がより強固で絶対的なものへと変わっている。

「陣容確認はもういいよね。重重承知やろうけど、俺は噓つきやから、保身のために最大限の噓をつきたかった」

「私に知られたくなかったということではござりませんか」

「保身やよ。自分の信念を曲げてでも攻撃部隊になるんやから」

 殺したいわけではない。そう言ったかつての彼を、ララナは憶えている。変わらない気持を押し殺してでも、彼は戦おうとしている。

「自己犠牲です」

「それだけのためなら引き籠もるよ。俺は……許せん」

「魔団をですか」

「家族を狙う全てを」

 死者を操るとはいえ人間の集まりと推察できた魔団。これはいつかきっと退けられる。その上で、人間ではない個人や集団が立ち塞がったとしても、オトは退ける覚悟を決めたということだ。

「〈不老(ふろう)生者(しょうじゃ)〉、不老といえども不死でないからには、死ぬような目に遭うことも想定できる。精神的に年老いて二進も三進もいかんくなったときに死後のことを考えるのは億劫だ。死ぬ前提じゃなく、生きるために、終活は若いうちに済ませるべきやよ」

 オトがそう切り出したのは、夫婦の方針と覚悟である。「娘がそれぞれの目的を見つけて歩み出しとるように、俺達夫婦には夫婦の生きる目的がある」

 オトとの約束事なのでララナは口にしないが、夫婦がともにしている目標は、創造神アースの数数の遺物〈創造物(そうぞうぶつ)〉の破壊である。悪意ともいえるそれらを破壊することで現世の争いを終わらせ、世界を高次元化に導く創造神アースの意図を防ぐことが目的である。高次元化というのは精神性の向上や能力の発展であり、それらのみを聞けば高尚と考えられるが、いま生きる全てのひとと今ある世界の全てのものを高次元化したそれらと挿げ替える、つまり、現存する森羅万象が亡くなると聞けば話は別だろう。悪意的創造物を破壊しなければひとも物も歴史も思想も失われる。すなわち、オトが守りたい、無論、ララナも守りたいこの家や世界も失われてしまう。いうまでもなく全てのひとがそうなってしまう。創造神アースの転生体であるララナとオトは転生体であるからけじめをつけたいのではなく、一個人として動かねばならない理由があるのだ。

「目的のためには手段を選ばん、なんて、恰好のいいことをいえるほど強くもないが、創造神アースの力を除いて自分の持つ手段を全て使って対処したく思う」

 創造神アースの力、全てを創造し破壊できる〈創造の力〉を使わないのは、その力で何もかも思い通りになるという創造神アースの思い上がった考え方を否定するためである。もしも悪意的創造物の破壊を創造の力で行ったなら、創造神アースの考え方とやり方を肯定し、世界の挿げ替えを事実上認め敗北を宣言することに相違ない。これは、絶対に避けねばならない。

 悪意的創造物が相手でないときも同じだ。卑劣な手段を用いる魔団が相手でも、創造神アースの考え方ややり方を肯定する手段を選び取った時点で、創造神アースへの敗北宣言になる。

「世界云云に興味はない。目の前にあるものを守る。俺はそう決めた」

「オト様……」

 褐色の瞳が揺れることなく主張したから、精神支配は敗北ではござりませんか、と、ララナは訊くタイミングを逸した。ただ、回答はあった。

「苦しいこともある。そりゃそうやろ、誰もが自分の譲れんもんを守るために、手放したくないもんを少しずつ手放しながら生きとる。全てを譲らんなんてことは、恐らくどこの誰にも無理なんよ。傷つくのは自然で、じつに人間らしい」

「オト様は、そのような人間で存りたいのですね」

「かれこれ何十年も化物だ。周りに合わせるっていう苦しみを、血眼になって取り戻してもいい頃合かも知れん。一〇〇歳までおよそ三〇年、まだまだ若いしな」

 憤りを顕にして避けたことを、彼は求めることにしたようだ。「それに、必ずしも俺の気持や信念を曲げることにはならん。悪行に鏡を置いてやる」

「悪因悪果ですね」

 望む結果のために積極的に状況を操作した創造神アース。対して、オトはどこまでも受身の対応だ。個人同士の応報から外れてもいない。オトの屁理屈は、個人が担う応報に徹するための自重でもあるのだ。

「魔団に法の裁きを下せるような立場じゃないけど、捕まえるために多少の痛みを与えるのはよくある話やろ。俺のときがそうやった」

「あのときは血の気が引きました。もうなさらないでください」

「同じことがあったら」

「論ずる必要はございません」

「せやね」

 オトへの不当な扱いをあのときのように看過したりはしない。オトがそれを望んでも、今はきっと看過できない。オトを虐げるあらゆるものを、ララナは強引にでも退ける。

「──オト様は、私に染められていらっしゃったのですね」

「夫婦やし、姿勢や手法を多少真似てもいいやろ」

「嬉しく……大変嬉しく存じます」

「その笑顔」

 オトが目を細めた。「俺は、それもちゃんと守りたい」

「オト様──」

「羅欄納──」

 もうじき夜である。賑やかな子の声が浴室から響く中でも、見つめ合うと手を取り合ってしまいそうになる。ララナはオトの瞳に吸い寄せられるように腰を浮かしつつあったのだが、

「失礼しますね」

 と、苦笑のメリアが隣についたのでどきっとした。

「ふぁっ、は、はいっ、メリアさんどうかしましたか」

「流しが空いたんやろ。支配以前に水音が止まっとったし」

「オト様、そうならそうと仰ってください」

「支配のタイミングで察せられるかと思った。それに、お前さんも聞こえとるやろ」

 ララナはすっかり聞き漏らしていた。

「羅欄納さんは音さんが怪我を負わないよう、陣容が穴のないものであることを確認したかったのですよ。愛ゆえの盲目、いいえ、妻ゆえの(つんぼ)ですね」

「んっ……」

 顔が熱い。「わ、私もお湯をいただいてきます」

「納雪達の夜ご飯は」

「包丁で指を切り落としそうです」

「そりゃ大変。仕方ない。メリアに頼──」

「音さん、愛に応えましょう」

「メリ──」

「音さん」

「自発的やないと意味なくない、これ。まあいいが」

 オトがクムを連れて立ち上がり、「先に入った子らがそろそろ上がるやろ。時間なさそうやからテキトーでいい」

「『構いません』」

「メリアまで応えんでいい」

 成行きでオトが夜食を作ることとなり、ララナに加えてメリアも納雪達と一緒にお風呂に入った。子達が語る海辺の思い出はオトが同席する食卓も賑やかにして、家族の笑みとヴァイアプトの燈で場の空気は柔らかく温かであった。

 魔団。脅威を意識しているからこそ、大切な家を凍えさせないよう、今は笑おう。

 

 

 

──三章 終──

 

 

 

 

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