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一四章 幼少の記憶(五)

 

 三〇一六年二月一六日、日曜日──。

 学園での騒動に一様にショックを受けていた一同は、言葉真音もよく来ていた堤端総の家の離れに集った。学園内の衝撃的な出来事を前になす術がなかった子ども──。とはいえ、ここで何をするでもなく時間を過ごすことは稀有であった。それぞれが持ち寄った遊び道具やゲームソフトを堪能して日が暮れるまで外遊びや探検をすることも常だった。そんな愉しい日日が言葉真音の凶行でがたがたと音を立てて崩れ去って、言葉真音以外の全員が顔を揃えたのに何もせず時間が過ぎてゆいた。

 ゲームソフトをハードディスクに挿し込んで毎度のように自分と重ねたプレイヤーキャラクタを谷底へ落としてリセットを繰り返していた田中淳だけが一見その場を堪能していた。谷底に落ちたのでもなく苛立ったのでもなくコントローラを置いた田中淳が唐突に声を発する。

「なあ」

「……、なんだい」

「どうにかなんねーの、この空気」

「『……』」

「みんなしてチンモクしてんじゃねーよ。リセットしようぜ」

 同じ言葉でも聞き手によって解釈が変わる。その一部を、結崎桜が発する。

「リセットって何。できるならしたいよ。けど、できない……。オトがどうしてあんなことさせてるのかワカンナイのに……」

「ハナ垂れ淳が言っているのは愉しいはずのこの場で重い空気を漂わせるなってことよ」

 とは、坂木葵の解釈である。

 結崎桜に近く、坂木葵の意見に反したのは河岸可憐である。

「オト君のことが解らなくなったからこんな空気になっているんだ」

「解らないことは考えないほうがいいようにも思う」

 と、井中太一が日和見な主張。「ほら、テストの問題だってそうだ。解き方を知らないと答の出しようがない」

 それに対して、勉強を得意とする二室ヒイロが反論した。

「答が用意されてる問題とは違うよね……。きっと音君の心の問題で、答はどこにもない」

「解を得る方程式がないから打つ手はないわね」

 と、坂木葵が教科書を閉じた。みんなが遊んでいる傍でも勉強している彼女は前に進むことのできないこの時間を誰より嫌っているのかも知れない。

「正直、わたしもハナ垂れに同意よ。空気でも無理解でもどちらでもいいけれど、この無駄に重苦しい時間を共有することに意味があるとは思えないわ」

「ダテメガネはなんともおもってないの」

 と、結崎桜が坂木葵に詰め寄った。「オトのこと、もうどうでもいいって!そんなふうにおもってるんだ!あんなにみんなであそんで、たのしくやってたのに……たすけあってもきたのに、すっぱりあきらめられるんだ!」

「……すっぱり諦めたわけじゃないわ」

 混乱、憤り、不安──、みんなの空気におろおろしていた山田リュートを一瞥して、坂木葵が結崎桜を見つめ返した。

「動機を知らないのなら諦めるほかないじゃない。考える時間が無駄だわ」

「それがすっぱりだっていってるんだよ!」

「桜、ひとまず落ちついて。葵もとりあえず教科書を開いてそちらに目を向けてくれ」

 と、堤端総は場を鎮めようとしたが、

「ソウもソウだよ、どうしてあんなこといいだしたの!」

「あんたは糾弾派の中核よね」

 と、二人に睨まれた。

 言葉真音が要望書を配布したあと、あり得ないことが発生した学園で堤端総は言葉真音の糾弾に乗り出した。

「教師が教室から追い出された。そんな話を聞いた次の日だったかしら、要望書配布からもそれほど経たないうちだった。『今の彼は信用できない。彼を告発するんだ。』アンタ、声高にそう言っていたわよ」

 教科書の角を突きつけた坂木葵の追及に、堤端総は息が詰まった。

「あれがきっかけでアンタとアンタの賛同者が教師を始め多くの大人に働きかけて、果ては先月中旬、あるいはそれ以前から警察まで動き出したんだわ」

「……大人の力を借りなければ、彼を止めることはできない。そう考えたのはぼくだけじゃないはずだ。だから葵もみんなもぼくを止めなかったんじゃないのか。それが彼のためだと思ったから止めなかったんじゃないのか。現状の苦しさを、ぼくのせいにするな!」

 堤端総は、少なくとも行動した。黙って見ていた坂木葵達とは違う。そう断言できる。そのはずだった。

「恐かっただけでしょう」

 と、坂木葵に核心を衝かれたのである。「解ってたわよ、みんな。音と張り合えている気になっていたのはアンタだけだものね。それでいて負け続けていたのがアンタだもの。音の恐ろしさを誰より知っているアンタは──」

「何もしなかった葵達と一緒にするな。ぼくはみんなのために……!」

「何、それ」

 と、河岸可憐が首を傾げた。「ウチら、そんなこと頼んだ。頼んでないよ。それで、ソウ君の保身の理由になんて、されたいとも思っていないよ」

「保身なんかじゃ……ぼくは前の彼みたいにしていたじゃないか……本当に、みんなのために動いて──」

「総君」

「……ヒイロ、なんだ」

「総君のは真似事だ」

「ヒイロまで、ぼくを責めるのか!」

「違うよ」

 二室ヒイロが冷静に、しかし目に涙を溜めて、訴えかけた。「音君はすごいひとで、みんなの力になっていて、みんなを助けていて……あんなひとが近くにいて幸せに思うくらい、同時に、ああなりたいって思うくらい、ボク達は憧れていた。真似したくなるのもすごく解る。でも、総君のは、真似事だった。それが客観的真実だ」

「どこがだ。ぼくの心をちっとも酌んでいない虚像じゃないか!」

「ここで誰も笑っていないじゃない!」

「!……、──」

 普段大人しい二室ヒイロの一喝に、堤端総は頰を殴られたようだった。それまで碌に見つめられなかったみんなの顔を観て、自分の起こした行動がどんな結果を生み出したかを、嫌でも再確認した。

「音君はみんなが笑えるように、って、助けていたんだ。総君の動機がなんであれ、結果としてみんなを苦しめている……。それに、友達を見下げることなんて、誰もしないと思う。それを、解ってほしい」

「……ごめん……、解ってる、嫌というほど(解ってるんだ)」

 恐怖に苛まれて糾弾しようとした。それでも糾弾しきれず言葉真音が学園に居座っている。反対に、正常な教師・児童が学園から出てゆかざるを得なくなった。

 言葉真音がいる学園には誰も近づきたがらない。遅かれ早かれそうなったのだとしても、堤端総の行動で表面化が早まった可能性はあった。

 上がる一方だったボルテージが少しずつ下がり、荒波のような場の空気が鎮まってゆく。

 すると、普段は目の前のことしか考えられない山田リュートがふと口にした。

「オトさんとぅまた話せないんでぇすかぁ」

「『……』」

 山田リュートの独特の口調に加えて、彼女独特の視点が、そのとき、場の結論を一致へ向かわせていた。

 山田リュートは要望書配布と言葉真音の変化を関連づけて考えることができていなかった。みんなが混乱したり、動揺したりしている理由が言葉真音の変化に起因したものだということもあまり理解できていない様子だった。学園ではあり得ないこと・目の前で起きたことが、言葉真音の行動によって齎されたものだと理解できていなかったからだ。その視点で純粋に放たれた要望は図らずも、言葉真音と何かしらの距離を取っていたその場の全員に刺さっていたのである。

「……説得、してみない」

 と、河岸可憐が言った。「もしかしたら、リュートさんじゃないけど、何かの勘違いでウチらが誤解しているだけだったらオト君を追いつめちゃうと思う」

 その可能性は万に一つもなかった。要望書に掛けられた謎の精神支配魔法によって学園のみんなが操られたのだ。大人をも凌駕する魔法技術を有していた言葉真音にしかできない仕業だった。それを裏づけるように四学年一組の教室に陣取って動かない彼がいて、児童・教員の多くが恐れて近づかない。誤解は、あり得ない。

 けれども、その場の空気は、山田リュートの要望に乗るようにして前向きになっていた。十中八九から漏れた可能性を拾い上げられる気になって、無限の谷越えに挑める気概の田中淳が笑った。

「ぜってーもとに戻るって。あいつ()()だし」

 言葉真音を指して特に幼馴染の五人はそう表する。ここでいう言葉真音の「天然」とは、端的にいうなら馬鹿正直さ・馬鹿まじめさといったところだ。

「そう、そう、きっとそうだよ!」

 と、結崎桜が楽観的な姿勢を強めさせる。「なんかつらいことがあって、いらいらしちゃってるだけかも。そんなこと淳ならいつものことだもんね」

「ひとをバカみたいにゆーなよ」

「だってバカだよね」

「ついでにハナ垂れよね」

「ダテメガネまで乗るなよっ」

 坂木葵の悪乗りにツッコむ田中淳を宥めて二室ヒイロが話を戻す。

「具体的にどうするか考えてみないと。音君をもとに戻すにはどうしたらいいかな」

「とりあえずみんなで手を練るしかないんじゃない」

 と、坂木葵が今度はまじめに意見した。「情報収集が必要とは思うけれど誰からすべきか」

「音君が教室に一人でいるところを最近よく見かける……。騒動を起こした仲間が周りにいる感じもしなかったから、音君の内心を知るような児童や先生がいるとは考えにくい」

「幼馴染のわたし達ですら何も思い当たらないものね」

「うん。ご両親に会いに行くという手もあるけど……」

「避けたほうがいいわね。何年か前に父親の借金のことを聞いた」

 言葉真音は耳聡く、家族を大切にしていて、父親の借金で自分のギャランティが吹っ飛んでいても反抗していた様子がなく、悪くいえば隷属的関係にあるように外からは観えた。仮に原因が借金問題ではなかったとしても、言葉真音の変化になんらかの形で家族が関わっていたとしたら、そこから話を聞こうとするだけで心を開いてくれなくなる可能性もある。そも、田中淳が示したように言葉真音が天然であることも踏まえて考えなくてはならない。

「訊きたいことがあるなら直接訊いてほしい、って、アイツは言うわよね」

 と、坂木葵が溜息をついた。「人間そうそう根っこは変わらないわ。アイツの天然が欠片もなくなっているとは考えにくい」

 その点は、最初に糾弾しようとした堤端総も同感だ。恐怖したなりに言葉真音がもとに戻る可能性を感じてもいたのである。もしも今もとに戻ったなら若気の至りで許される。そんな淡い期待もいだきようがあった。

「オトのやってることってハンザイなんだよな」

 と、田中淳が漠然と。「捕まったりしたらどうなるんだ」

「(逆送されるような凶悪事案には今のところ当たらないんだろうし、)年齢的に少年法にも引っかからないと思うからその可能性はないと思うが、」

 堤端総は最悪を想定する。「有名な彼が起こしたことで世間に悪い影響があるはずだ。法律とは違う形で裁かれる可能性はあるんじゃないか」

「ホーリツとちがうかたちでサバカレル?」

 と、結崎桜が首を傾げたので、坂木葵が堤端総を指差して応えた。

「幼馴染でもオトを叩き始めた。特に関係のなかった奴らの中では、そんな考えがもっと湧きやすいでしょうね」

「そっか……オトのこと、みんながたたきはじめる、って、ことなんだ……」

「そうなったとしても説得さえできればみんなで乗り越えられるよ」

 と、二室ヒイロが立ち上がった。「ボクのときだってみんなが助けてくれた」

「ヒイロ君のときって」

 と、河岸可憐が尋ねたのは、言葉真音を含めた六人の和に河岸可憐、井中太一、山田リュートの三人は初等部進学後に加わってゆいたため過去を知らなかった。

「保育園児のとき、ボクが、その、虐められているのを助けてくれたんだ、音君達が中心になって。それでもボクは、しばらく恐くて、おどおどしていて、誰の和にも入れない気がしてたんだけど、そのときも音君達が守ってくれて、今まで、やってこられたんだ」

「そっか、オト君達がしてくれたみたいに、嫌なことがあったあともずっと支え合うってことだね。ウチもそれに賛成」

「ありがとう。みんなもいいかな」

 成功体験があって、ただの流れでもなく本当に可能性を摑める気がして、全員が二室ヒイロの考えに賛同した。結崎桜が想像するように言葉真音が苦しんでいるのだとしたらここでこそ支え合うべき、と、いう友情や正義感のようなものも滾っていた。世間が言葉真音の弱っている心を機敏に察してくれないとしたら、機微を感じ取って支えられるのが幼馴染であり友人であるこの面子だ、と、二室ヒイロが気づかせてくれた。苦しいときほどひとの本質が顕れるというが、

 ……ヒイロは、本当に、正義のヒーロだな。

 堤端総は、嫌みでもなく本心でそう思った。

「話を戻そう。情報収集はできないと思ったほうがいい。ボク達の、友達としての感覚が試される」

「警察に捕まることも考慮した迅速な行動、要するに、ぶっつけ本番になる。要望書配布の頃からわたし達は顔を合わせていないわよね」

 坂木葵の問掛けに皆がうなづいた。「距離を置かれた、と、感じさせた可能性もあるから慎重さも必要だけれど、心を開けさえすればいろいろ話してもらえる可能性があるわ」

 坂木葵もやや楽観的だった。けれども、その楽観的な考え方も含めて幼馴染・友人として言葉真音の機微を酌み取れていると捉えることもできた。未だかつてなく彼が窮地に立たされているのならば四の五の考えるより行動あるのみだ、と。

 最後に、

「会いに行こう」

 堤端総は、そう言った。「ぼくも糾弾はいったんやめて、もう一度オトと話したい」

 皆の信用を欠いていた堤端総の姿勢の変化も楽観的な流れを加速させた。田中淳がコントローラを握って笑い、結崎桜がその隣に並んで、二室ヒイロが堤端総の背中を撫で、坂木葵が呆れ顔で教科書を開き、河岸可憐が井中太一を引っ張って連弾をし、山田リュートがテンポのずれたカスタネットを叩いて、まるで、言葉真音がいたときのような離れに戻っていた。

 

 その夜、堤端総は夢を見た。床について眠りに落ちるや悲鳴を上げそうなほどの、嫌な夢を見た。それは現実に起きたことであって、夢と判るくらいの誇張が入っていることを除けば回想ともいえて、目覚めた瞬間、息が切れていた。

 およそ三年五箇月前の三〇一二年九月一日、水曜日の朝のことだ。

 学園東口から入って敷地内を南へ行くと、動物小屋がある。金網や壁で仕切りを作ってニワトリ、アヒル、ウサギを飼っているのは情操教育に役立てるためであるという。

 ウサギを飼っているスペースに入っていた言葉真音を見つけ、登園したばかりの堤端総は金網越しに様子を覗いた。すると、言葉真音の両手の中で大きくなってゆくものを見留めた(みと  )

「オト、それ、何をしてるんだ」

「ん、ウサギを大きくしたくて」

「それは観れば判るけど……って」

 何羽か動き回っているウサギを確認すると、以前との変化に堤端総は気づいた。

「最近小さいのが生まれたんじゃなかったっけ。もしかして……」

「うん、この仔が幼体やった仔やよ」

「へえ、成体に成長させる魔法でも使ったのか」

「ん。もう少し研究が必要そうやけどね」

「オトはやっぱりすごいな。大人でも難しそうな魔法の研究を一人でしてるなんて──」

 

 堤端総は幼かった。言葉真音も幼かった。どちらも道徳的・倫理的な判断力がなく動物愛護の精神に欠陥があったとしてもおかしくはなかった。堤端総は、憧れや尊敬やそのほか諸諸のプラスのイメージで言葉真音の行いを好意的に捉えていて自分や彼の欠陥に気づけなかった。

 夢の中、言葉真音の背景は血の色だった。両手の中で大きくなったウサギが血飛沫とともに臓物を浴びせ──、飛び起きた瞬間、堤端総は全身が汗で濡れていて、胸を圧迫されているかのように息が苦しかった。血飛沫は現実にはなかったことだが堤端総の恐怖を形にしたものとして過剰な表現ではなかった。

 ……生命に作用する魔法!それは、やってはならない干渉じゃないのか……!

 成長を促進したということは仔ウサギから寿命を奪ったということではないのか。真綿で首を絞めるより着実に死を与えることではないのか。

 ……オト──。

 二室ヒイロがいうように、ひとを助け、笑顔を増やしていた。言葉真音は、確かにそんな結果を残してきた。そうだとしても、堤端総は、それで全てが帳消しになるとは思えなかった。言葉真音は何かを足蹴にし、綺麗な顔を飾っている。

 ……君は、やはり危険だ──。

 本当にみんなを助けるために、本当にみんなを笑顔にするために、自分がすべきことはなんだろうか。三〇一六年二月一七日の月曜日、堤端総は学園へ向かう道すがらそれを考え、言葉真音との対話を求めて集まったみんなと内心を異にして、言葉真音と対面した。

 眩しい朝日の射す教室、自分の席につき合掌に額を当てるようにして俯いていた言葉真音の脇に、少し前とは違う形で友人一同が並んだ。

「オト、話がある」

「……」

 言葉真音は、身動き一つしない。いやに耳が利く彼が、突然に聴覚異常に襲われたかのように無反応を決め込んでいるのは、話し合いが不都合だからか。

 ……構うものか。その本性を炙り出してやる。

 堤端総はみんなに内心を悟られないよう、言葉真音の肩にそっと触れて、揺らすようにして話しかけた。

「聞こえないはずはないだろう、オト」

「煩い……」

 その一言に、恐らく友人全員が凍りついていた。直後、堤端総は友人の様子を確かめる余裕も失うことになった。

「な……君は──」

「聞こえなかったか。煩い、と、言っている」

 言葉真音は、今のような否定的言葉を発したことがなかった。テレビ出演で発していた標準語も、友人相手にはいやに他人行儀だ。おまけに、睨んだのだ。

 ……オト、じゃない──、これは、誰だ──。

 見知らぬ大人や不良に絡まれたらこのようになるのではないか。一回りも二回りも体格の大きい相手に上から見下ろされたような錯覚を催した。実際はそれ以上に得体の知れない巨大な何かに圧し潰されたかのようになり、小柄な彼を見下ろす立ち位置であったのに堤端総は尻餅をついてがくがくと震えてしまった。

 ……なんだ。体が自由に動かない……言い知れない力を感じる。

 一向に足に力が入らない。言葉真音の、精神支配の魔法か。外面を飾ることも忘れて、堤端総は叫び始めた。

「き、君は……やはり変わったんだな……みんなのことなんて何も考えてない、自分のことばかりの、化物に成り果てたんだ!」

「総君、何を──!」

 二室ヒイロが堤端総の肩を押さえるも時すでに遅く、

「この距離で叫ぶ必要があると思っているのか」

 今度は本当に、堤端総は言葉真音に見下ろされた。首を絞められたかのように息ができなくなって、ぼろぼろと涙が零れた。なんの感情かも解らないまま、ただ、泣いた。

「壊れたくなければ、消え失せるといい」

「『……』」

 ほぼ全員が絶句していた。

 姿こそ言葉真音だが拒絶的な半眼と言葉、それから声と雰囲気が教室で反響して渦を巻き、初等部児童の小さな体が揉みくちゃにされるような、粉粉にされるような、居たたまれなさに吐き気すら催して──、精神が半ば崩壊して、堤端総は空笑いで涙した。

 一番にみんなを動かしたのは、井中太一だった。

「みんな、行こう……」

 堤端総の手を引き、起き上がらせると、一人、一人、手を引いて、井中太一が教室から連れ出し、河岸可憐も倣った。そうしなければ、みんながその場で棒立ちしてしまっていた。何も言葉を発せられず、彼の心に影響するような何かをすることもできず、ただそこに突っ立って見下ろすことしかできなかった。

「山田さんも──」

 井中太一が連れてゆこうとしたとき、教室に立っていた最後の一人、山田リュートが言葉真音の肩を軽く揺すった。合掌に額を当てて瞼を閉じていた彼を、思い悩んだ恋人としてしか捉えていなかったのかも知れない。

「オトさぁん、どうしまぁしたぁか、頭、痛いでぇす」

 山田リュートには独特の距離感がある。それは、普通の人間ならパーソナルスペースを侵されたと感ずるほど近いもの。今日の言葉真音に対する距離感も同様だった。顔を覗き込むように、頰を擦り合わせる距離に迫って問いかけていた。

「オぉトさぁんっ、大丈──」

 コンッ。

 言葉真音が、肘で机を軽く打った。平時の堤端総やほかの面面ならその程度で怯えるようなことはなかった。が、普段から突然の物音や騒ぎが苦手な山田リュートは、そういった弱さに気を配ってくれていた言葉真音の立てた物音に過敏に反応した。近づけていた顔を一気に遠退けて、信ぜられないものを観たように、後退りした。山田リュートはその瞬間、みんなと同じ意識を共有したのだろう、初めて涙を流して、震えた。

 井中太一が山田リュートの手を引く間際、言葉真音に一瞥をやった。

「見損なった。……さようなら」

 山田リュートを刺激しないよう静かにそう言って、山田リュートの恐怖を増させないようゆっくりと視界に入って、その手を引いて、教室の外に出てきた。

 教室の背中はあまりに遠く、重く、動く気配がなかった。

 その日から一部正常な教師が県民ホールを借りて授業を行えるようになっており、学園は静かだった。

 早退する心持で学園を出た堤端総達は、堤端邸の離れに集まった。楽観視や前向きさを打ち砕かれて鬱鬱とした空気が充満し、田中淳がコントローラを握ることもなく、坂木葵が教科書を取り出すこともなく、河岸可憐が楽器を手にすることもなく、山田リュートに至っては隅っこで膝を抱いていた。

「どうして、こんなことに……」

 と、河岸可憐が呟いたのは、トランプの入った小箱をふと触れたときだった。「こんなはずじゃ……ないはずじゃ、なかったっけ……」

 見落しがたくさんあっただろうことに気づけないほど、全員がショックを受けていた。糾弾の意識を再燃させていた堤端総でもその意識ごと圧し潰されてしまったのだ。言葉真音を支えたいと思っていたみんなが支えは不要と断じきれてしまうようなある種の力強い言葉を浴びせられて平常心を保つことなどできるはずもなかった。

「時間が掛かるかも知れない」

 と、井中太一が知恵の輪を弄った。「オト君は大人顔負けだった。ぼく達が大人になって、もっと強くならないと……たぶん、対等な話し合いは難しいな」

 諦めの言葉だ。大人になったとき、言葉真音はもっと先へ行いてしまっている。言葉真音という神童が義務教育の机にとどまっている時間は長くてあと六年もない。六年待たずとも、堤端総達が追いつく術はとっくにない。ただ、深く繫がっていたという実感を持っているから、絶望の中に可能性を見出してしまうだけ。万に一つもない可能性を拾い上げようと、時が解決してくれる、と、縋るように、願うように、思ってしまうだけ。

 非現実的で、無駄で、愚かだ。

 彼の変化、否、豹変が現実だ。

 堤端総は、思った。この時間は無駄だ、と。変化を願って彼にかまけていることが自分達に取ってなんのメリットがある、と。友人と認められていないから拒絶されたのだ。

 幼馴染でさえ、恋人の山田リュートでさえ、怯えさせ、泣かせ、傷つけた言葉真音に、更生の可能性はない。

「彼はもう駄目だ。時間の無駄。葵ならそう言うだろう。みんなも気づいてるはずだ、もう変えようがない、って」

 堤端総は、深呼吸とともに立ち上がって、背負っていたランドセルを肩掛けにして、離れの出入口に立った。

「今日はもう帰ろう。それで、明日からはこのみんなで新たに、愉しくやろう。学園の替りに県民ホールへ行って勉強して、笑って、運動して、ちょっと遠くなった帰途を一緒にしよう」

 前向きになるには言葉真音を忘れるほかない。言葉真音とのいい思い出は胸の中にたくさんある。現実を直視して心を破壊し尽くされるのは、優しかった頃の言葉真音も望まない。みんなもそう理解してくれるはず、と、放った堤端総の言葉よりその場で響いたのは、隅っこからの言葉だった。

「オトさんにぅ、してぇあげられること、何もぅないんですぅね」

 思い知ったことだから、ぐさりと刺さった。

「だから……そんなこと言ってても仕方がないだろう!」

 気づけば堤端総は叫んでいた。とっさに手で口を覆ったときには、山田リュートが肩を震わせて啜り泣いていて、取返しがつかなかった。

「お開きね」

 坂木葵が立ち上がり、堤端総の脇を抜けた。「時間の無駄だわ。さようなら」

「ああ、また明日」

「……」

 坂木葵の返事がなかった。

 ……当てつけか。みんな同じなのに。

 何もできない。言葉真音には、誰も何も影響しない。もとに戻せない。一緒だ。なのに、みんなが堤端総の言葉に応えず、

 ……なんで、ぼくだけ悪者みたいにされなければならないんだ。

 堤端総は、ランドセルを床に叩きつけそうになった。井中太一がランドセルを、河岸可憐が肩を抑えていて、がたっ、と、教科書や筆箱が鳴っただけだった。それなのに山田リュートがびくっと震えて、堤端総は、鼻息を荒げながらも歯を食いしばった。

 山田リュートに寄り添っておもむろに抱き起こした田中淳が、結崎桜の背中を押して、歩き出した。

「じゃあな、ソウ。また来るから、気い落とすなよ」

「じゃあね……」

 と、結崎桜が出入口を駆け抜けてゆき、山田リュートを支えた田中淳が歩いて出てゆいた。

 堤端総の息が整ってきたとき、河岸可憐と井中太一が肩とランドセルから手を離して、口を開いた。

「じゃあね、ソウ君、また」

「元気、出せよ」

「……、……」

 罵声を浴びせられたのでもないのに責められた気がして、堤端総は返事をしなかった。

 みんなの足音が遠退くと、

「みんな、勝手なことばかり言って、結局、いつも、いつも、オトの味方なんだ……」

「……いろいろ行き違いがあるって、解っているんだよね」

 と、残っていた二室ヒイロが堤端総の斜め横に立って、窓を見つめた。「音君に味方しているからじゃなくて、総君がひどいことを言っているからなんだ」

「どこがだ。ぼくは客観的事実を──」

「葵さんの代弁をしているふうで、みんなの代弁をしているふうで、自分を正当化した」

「間違ってはないだろう」

「あまつさえ、正当化した自分を中心に物事を進めようとしていた。そんなひと、誰も信頼しないよ」

「ぼくは間違ってない!明らかだ!そうだろう、ヒイロ!」

「総君……あなたも、つらいんだよね。たぶん、みんなもそうだし、ボクもそうだ。だから、あえて言わせてもらうね」

 二室ヒイロが正面から見つめて、言った。「少なくともボクは、総君とは違う意見だ」

「え……」

「決めつけかも知れないけれど、みんな諦めていないと思う。ボクも、諦めていない。いつか解り合える日が来る。そう、思ってる」

「理想論で、空論で、あり得ない、現実逃避だ」

「そうかもね……。そこが、大きな行き違いだね」

 二室ヒイロが堤端総を一瞥して、「また来るよ」

 ……ヒイロ──。

「総君もいろいろ考えてくれてるんだよね。ばらばらになりたくてそうしてるとは、思えないから、また来る」

 肩に優しく触れて、「明日ね、総君」

 そう言ってくれた二室ヒイロに一瞥を向けることもできず、堤端総は、暗くなっても、そこに独りでいた。

 

 それから、堤端邸の離れにみんなが集まることは少なくなった。時を置いて集まる人数が増えても、山田リュートだけは何年経っても訪れることがなかった。

 

 ふと、昔を思い出すことがある。懐古、贖罪、自分探し、理由はそれぞれだろう。

 言葉真音もとい現姓竹神音の脱走に際して駅を襲撃したなどの罪に問われた堤端総は、婚約者魅神早苗との将来を見据えて、俗世から隔離された期間にさまざま考えた。確かに、一〇歳の頃の自分は、自分でも最低最悪の人間と表せられるほどに弱く、みんなに当たり散らしてしまっていた。情けないばかりで、恥ずかしかった。

 その情けなさと恥ずかしさを返上したくて、両親が離婚して現姓となった元神童たる竹神音の様子を近くで観ることにした。最初は、更生に導けたらいいと思っていた。そのはずだったのに、竹神音の変化のなさに思いを打ち砕かれたのだろう、目的意識が希薄となって、本当に「観ること」しかできなくなっていた。みんなに当たり散らしていた頃よりは自己満足できるほどに動けていると思えた。が、竹神音に一目惚れしたという(セント)羅欄納(ララナ)の出現で行動不足を実感せざるを得なくなった。

 聖羅欄納に惹かれていた堤端総は竹神音から聖羅欄納を遠ざけることを考えた。それをAプランとするなら、そのために竹神音を逮捕させることが保険たるBプランだった。面会しに来てくれた二室ヒイロに話したそれらプランから大きく外れたCプランもあった。

 ……彼を殺せばよかったんだ。ほかでもない、幼馴染のぼくが。そんなふうに考えてた。

 Bプラン実行後の聖羅欄納による竹神音解放があまりに早かった。もっと着実で手堅い、なおかつ法に触れないようなCプランに差し換え、元CプランをDプランにでも落としておけば柔軟な発案ができただろうか。しかしその当時の堤端総は焦燥もあって思考が狭まっていた。竹神音の更生という肝心の可能性を考えなくなっていた。教室で尻餅をついた自分のように彼の危険性をみんなが感じてしまうに違いない。そんな恐怖に囚われていた。

 ……今でこそ、殺そうなんてこと、微塵も思わない。

 堤端総に取っても、聖羅欄納との交流を経て事実更生したらしい竹神音に取っても、Cプランはリスクのみだった。いま考え直せば草案にもならない。

 三〇七五年三月に入って間もなく、堤端総は噂を耳にした。竹神音がダゼダダから引っ越したというものだ。それ以前には、謎の魔力現象を消したり、魔物と対峙していたという話も漏れ伝わってきて、それらの話は、インターネット上にあった写真や動画で一部真実と認められて、堤端総は、旧友として、少しだけ誇らしかった。

 ……関わることなんて、もう、ないはずなのにな。

 服役を終えて結婚した堤端総は、夫婦別姓でもとの名前を名乗りながら妻魅神早苗から出資を受ける形で福祉事業を展開し、恵まれない子どもを支援する活動に従事してきた。親が借金問題を抱えていた言葉真音と同じような境遇にいる子を救えたら、と、思ってのことだった。幼い頃はできなかったことをやれている。経験と実績が自分の罪を雪いで、飛兎竜文の言葉真音に劣るとしても自己否定しなくていいほど地に足をつけて歩むことができていた。

 離れの集いから疎遠になった山田リュートとは未だ関係が修復できていない。顔を見られると避けられてしまうから、堤端総から会いに行くことも控えた。二室ヒイロや結崎桜、田中淳らが仲直りを取り持とうとしても、山田リュートの心に根づいた堤端総への敵意に近い恐怖心が拭えず、半ば諦めた恰好だ。人生、どうしようもないことがある。堤端総のそれは山田リュートとの関係や自らが手放したともいえる竹神音との友人関係である。

 ただ、

 ──さようなら、総先生。

 別れ際に、竹神音がそう言った。忘れもしない三〇二五年一二月二日、土曜日のことだ。手放したはずの友人関係が少しだけ回復したような心地がして、反面、もう会うことはできないのだ、と、寂しくも思った。

 あの日の竹神音は聖羅欄納を娶ったあとで、出所後だった堤端総とは別の形で、気持に大きな変化があったのだろう。関係回復と同じように通ずるものを、恐らくは、互いが感じていた。

 ……行き違いなんかじゃ、ないよな。きっと。

 笑顔で箸を取った子どもがさまざまな経験を経てたくさんの絆を築いて成長する。その姿が年年胸に沁みるようになってゆくのは、自身の築いた絆をより強く感じて、大切にしたいと思っているからにほかならない。

 ……みんなが絆を感じながら育っていってくれたら、少しは償えるかな。

 謝るべきときを逸して、決して謝ることのできない相手が何人もいる。そんなひと達への償いは直接はできないから、自己満足で終えることになる。

 そんなふうに思っていた三〇七五年八月五日、土曜日の夜、突然に──。

 

 

 予測はされていたが、父の目の前に堤端総ほか旧友が現れた。まるで今までずっとそこにいたかのように突然に現れたのである。プウは驚くより先に締め上げようとしたが、父が手で制したのでじっとした。

 ……パパが描いた絵より、ずっと老いている。

 が、面影があって一目で誰か判別できた。それも全員が生者で、

「オト……なんで、君が」

 と、目を見開いた堤端総は、傀儡ですらなく。

「総──」

 傀儡化していない旧友が現れるとまではさすがに想定していなかったのか、父がその名を呼んだ。直後、父が踏み出し、魔法薬をぶちまけながら堤端総の二の腕を引いて転倒させた。モカ村の地面は土曝しで、昼に雨が降ってぬかるんでいる。泥塗れになった堤端総に立ち上がる隙も与えず、父がその体を蹴り飛ばし、森の奥へと消した。

「ぱ、パパ、何をしている!」

 まさか、父が傀儡化しているのか。傀儡化していない旧友を襲う理由がないためプウはそう考えたが、それは束の間の誤解だった。先程まで堤端総が転がっていたぬかるみに結崎桜の拳と田中淳の蹴りがめり込み、泥が舞い上がったのである。そちらに目を向けるより前に父の背中に井中太一の持つ剣が突き刺さっていて、後頭部を目掛けて河岸可憐の持つ鎚が振り下ろされてゆく。

 ……させるか──!

 河岸可憐の鎚を吹き飛ばそうと炎を吐こうとしたプウを父の右手が制していた。

 ……っ!

 一瞬の躊躇で遅れを取った。河岸可憐の鎚が父の後頭部にまっすぐ入って、続けざまに山吹色(やまぶきいろ)の槍が腹部を貫いて地面に突き立てられた。

「パパ!」

 重ねて示すが、そこは最初に堤端総がいた位置だ。父が退けなければ、堤端総が父と同じ傷を負っていたことだろう。

「プウ、総を保護して逃げぇ。ここはなんとかするよって」

「な、なんとかってそんな(ざま)で!」

 槍を放ったのは、両手に山吹の余光が煌めいている山田リュートだ。

「オトさんぅ、ようやく会えますぃたぁ」

「リュート。意識があるみたいやな」

 未だ漂う魔法薬が槍を打ち消して、父が地面に足をつけた。剣がまだ刺さっているが見た目ほどダメージを負っていないようでプウは安心した。

 ……って、なんだ、この動きは。

 先程まで攻撃していた田中淳達が動きを止めて父と山田リュートを守るように周囲を囲んでいる。

 ……そういえば、掲示板に書かれていたな。

 田中淳達は意識がないようだが、傀儡のようだ。その役目は山田リュートの考えに副っているものと考えられる。と、いうのも、嫌な出来事があったらしく、山田リュートは堤端総と会うことを避けていた。その考えに副って堤端総を全力で排除する役割を田中淳達が担っているのである。

 ……つまるところ、これは魔団の変化球だな。

 傀儡にしていない堤端総を出現させることで父の意識に隙を作った。間もなく始まった山田リュートらによる堤端総排除の攻撃。この一連の動きが変化球だ。

 堤端総を退場させた父の判断は正しかった。堤端総が槍を受けていたら致命傷になっていただろう。それ以前に剣や鎚で絶命していた危険性もある。

 ……けど、変な気もする。

 山田リュートの目は、虚ろではない。堤端総と同じで、傀儡化していないようなのである。それなのに、どこか操られたかのような挙動に観える。魔法薬が効いていないこともそうだがこれまでの傀儡化魔法とは異なる感を覚えた。周りにいる田中淳達が攻撃をやめた理由もよく解らない。術者が傀儡化魔法を単発で発した場合、傀儡の思考は与えられたもののみになり単純化する。実際これまでの魔団は、不知得性魔力の流れをも感じ取る父に気配を悟られないよう、術者と傀儡の魔力的繫がりを絶つため単発の傀儡化魔法を用いていたはずだ。傀儡の思考として堤端総の姿が見えなくなったことを死亡と捉え、山田リュートと父の逢瀬を守る思考に切り替わっているのだろうか。しかしそもそも堤端総を退場させる父の考えを先読みして傀儡に指示を与えていたのでもないなら機敏に守備に回ったことがやや不自然にも感ぜられる。ここまでの父の動きを完全に読みきって指示を与えていたということか──。指示を逐一与えているなら魔力的繫がりが生じており父が術者を気取っているだろう。それなら術者確保に向かうはずだが父にその動きはない。

 ……だとしたらパパの行動が読みきられているということだ。

 さらに状況を捉えるなら、旧友の括りにいた坂木葵と二室ヒイロがいない。

 ……坂木葵と二室ヒイロが、堤端総を狙うってことか!

「プウ、よろしく」

 父が堤端総の保護を促した理由を理解して、プウは父の傷を確かめる。父の回復力は凄まじい。槍で貫かれた腹部の傷も、剣を引き抜いて痛痛しかった背中の傷も、塞がっている。鎚で殴られた後頭部も恐らくは問題ないだろう。

 ……旧友との一対複数は避けさせたかったが、仕方ない。

 竹神邸玄関前から離脱したプウは森へ侵入、奇怪な形や色合のものも多い固有植物を擦り抜けて、幹と幹に渡されたハンモック状の魔力の糸に横たわっていた堤端総を見つけた。

 ……周りに気配はないが坂木葵達がいるんだろうな。

 堤端総を尾で回収して、魔団や傀儡が慣れていないであろう森の中を逃げ回るのがいい。

 ……パパ、無事でいてくれ!

 

 

 容貌の変化など些細なことだ。ひとの体のうち、赤子の頃から死ぬときまでほとんど変わらないところが何箇所かある。そのうちの一つを感覚的に捉えた山田リュートは、湧き上がる感情を抑えようがなかった。

「昔と変わらない褐色の瞳、オトぅさんに間違ぁいないですっ」

「一部分の傀儡化、いや、首から下の神経支配か」

「オトさん?」

「あぁ、こちらの話やよ。遠路はるばるお疲れさん、リュート。なんの用かね」

「会いに来ましたぁ!」

「そっか、会いに来てくれたんやね」

 抱きついた山田リュートをそっと離して頭を撫でる仕種も、学園時代と変わらない。

「会いに来ましたぁ!」

「ん、そうか。じゃあ、淳達はどうしたん」

「う〜ん、解らなぁいっけど会いに来ましたぁ!」

「ん、お前さんが俺に会えて悦んどることは解った」

「はぁいっ、嬉しいっ!」

 何十年ぶりか。時の流れを忘れるほど瞬時に恋人としての記憶が蘇って、竹神音の姿を認めた瞬間から山田リュートの精神は一〇歳に戻っていた。いや、一〇歳の頃からさほど成長していない精神が少し幼くなっただけか。なんでもいい。彼がそこにいて、あの日に観た恐いひとではなくなっていることが判っただけで、山田リュートは心の底からハッピだった。その心は縛りようもなく再び竹神音に抱きついて、

 また今度、ゆっくり話そうね。

 耳許でそう囁かれたときには、声が遠くなっていた。

 ……はぁい、また、ゆっくり、お話──。

 

 

 オトが新たに調合した魔法薬を散布して、その場のみんなに掛かった魔法を解除した。

「……骨が折れるね」

「どう捉えたらいいのかしらねぇ」

 と、オトの右肩に現れた結師は状況を確認する。「山田リュートには意識があったようだけれどほかのみんなはただの傀儡だったわよね」

「ん」

 地面に敷いた布に山田リュート達を横たえて、オトが腰をさすった。

「プウも察していたでしょうけれど、魔団が趣向を変えたってことかしらね。それとも──」

「細かいことはトップから聞けばいい。それまでは確証もないから考えるだけ無駄やよ」

「あなたはもう解っているんじゃない」

「お前さんもやろ」

「まあね」

 傀儡化。それは概ね正しい観察だ。葛神思に始まり旧友を操ることまでした魔法は多少の術式変更・強化を辿りつつも傀儡化魔法の域を出ないものだ。が、

「特異転移、いいえ、特異転移もどき。余光を発しないあれは人間の域を超えているわ」

「明らかに特異能力やな。羅欄納達にその点を共有しとこう。人間相手と侮る時期はとっくに過ぎとるし、今はプウを追う」

「わたしが行ってもいいわよ。二人くらいなら捌ける」

「ここを守っといて」

「あなたがいうならそれでもいいわ。むちゃしないことよぉ」

「ジジイの身やからできんよ」

「どうだか」

 ぴょん──。「ほんと、あなたらしいわね」

 オトの身のこなしは年を重ねて衰えるどころか研ぎ澄まされている。ぬかるんだ地面に足を取られることもなく、泥を撥ねさせることもなく、超低空で跳躍して森へ消えた。

 

 

 ──突然見知らぬ土地に移動したこともそうであったが、昔とそう変わらない顔の竹神音と再会できた瞬間森へと吹っ飛ばされたことも、ヘビに絡め取られて移動したことも、正気を失ったふうの二室ヒイロと坂木葵に襲われたのも年老いた堤端総には刺激が強すぎた。

 ……腰が痛む!そして頭がついてかない!

 堤端総がそう思ったとき、煌めく粉のようなものが辺りを舞って二室ヒイロと坂木葵の動きが鈍った。転倒間近の二人を支えたのは現れたオトである。

「間に合ったね」

「プゥっ!」

「……オト──」

 その背中は、遠き日の教室ではなく、別れ際のものに似て、それ以上に昔を彷彿とする、堤端総達にとても親しいものだった。

「これ以上巻き込んでもいかんし、詳しい事情は話せん」

「……この状況は、君のせいだということか」

「怨んでくれても構わんくらいには」

 ヘビはオトの使い魔か何かか、二室ヒイロ達から逃れるための運び方はやや荒っぽかったが、地面に下ろすときは丁寧だった。

「見たことのない森なのに、どこか懐かしいな」

「立ち話しかできんが、とりあえず家の前に戻ろう」

 ああ、と、堤端総が返事をするまでもなく、竹神音の空間転移か、秒送りされた動画の中の人物にでもなったように最初に見た場所に戻っていた。藁葺き屋根が並ぶ土曝しの集落は、夜間ということもあって静かだ。二室ヒイロと坂木葵を横たえた竹神音が一息ついた。

「さて、みんなをもとの場所に戻さんとな」

「ここはどこなんだ。なんだか、空気や体が重い」

「お前さんがいうところの学園支配の頃、悪神討伐戦争が起きとったのは知っとるよね」

「あ、ああ、異世界……神界が舞台になった戦争だったな。あまり実感はなかったがダゼダダも悪神の襲撃を受けたと」

「戦争の舞台、神界はいくつもあって、ここはそのうちの一つだ」

「こ、ここが!そうか、魔力の密度が高いからこんなふうに感じるのか」

「さすが高等部の(もと)首席生(しゅせきせい)

「責めるわけじゃないんだが、例の事件で途中退場さ」

「大人になったね」

「君は……少し、もとに戻ったな。優しく、なってるように思う」

「棘もぶつかれば折れる。早い話、疲れたのかもね、原点回帰、童心に還る、だ」

「そうか……っははは──」

「っふふ──」

 思わず漏らした笑いが、竹神音と重なって、堤端総は、自分の認識が正しいことを再確認した。

 ……オトも、変わったんだな。

 堤端総は、自分が求めた優しい人間へと。竹神音は、言葉通り〈幼馴染〉の頃に。

 堤端総は、横たわったみんなを見つめる。

「ぼくも、みんなも、惑星アースに帰すんだな。君なら簡単なんだろうが、疲れてないか。服が汚れてるが……」

「問題ないよ。能力的には化物やから」

「……倒れてるみんなはどうだろう」

「リュートは身の丈に合わん魔法を使ったから疲れとる。ほかのみんなもちょっと体を痛めとるね。あとに響きそうな傷は治しといたから致命傷はないよ」

「……すまない」

「主語を明確にしぃ」

「……棘は折れたんじゃなかったか」

「有耶無耶でいいなら構わんよ。俺が惑星アースに住む予定はないし」

 一時的に帰る予定もないということか。堤端総は、竹神音の前に立つことができず、みんなを見つめたまま、一呼吸を置いて、口を開いた。

「操られてたということは、精神や傀儡系の術式だろう。みんなすぐに起きるかな」

「疲労感の大小はともかく、目覚めは遅くないかもね」

「みんなが目覚める前に帰したいと思ってるんだろうな」

「リュートには夢と思ってもらう。ほかのみんなには説明せざるを得んくなるから困る」

 誰がこんな状況を作り出したか、竹神音は話さないだろう。学園での一件から五〇年以上を経ている現在、説明もなくみんなを混乱させるような事態に巻き込んだことを納得してもらえるわけがなく、そうと判っているなら早早に帰宅させるのがいい。

 堤端総もそう思ったが、

「……ぼくが責任を取るから、待ってほしい」

 と、竹神音の方針に物申した。「早苗はいないが、ここにいるみんなに、勿論君を含めて、話したいことがあるんだ」

「お前さん達だけで話せばいいことかもよ」

「いや、駄目だ、主語を明確にするから。君も一緒じゃないと意味がない」

「──、そうか」

 肩に擦り寄ったヘビと何かを話したのだろうか、その頭を撫でて竹神音がうなづいた。「いいよ、待とう。少しだけ時間の余裕ができた」

「我儘を聞いてくれて、ありがとう」

「構わん。長かったな……あの日の続きをしよう」

「……ああ、頼む」

 堤端総が話したいことがあって竹神音にみんなを連れてきてもらったと最初に状況説明をすることにした。

 恐怖と涙の教室。身勝手の離れ。

 ……あれから交わることがなかったみんなの運命を再開する。

 思わぬ集合だが、この機会を活かしたい。

 ……あの頃のように、戸惑って、恐怖して、終わらせたくないんだ。

 疲労の度合が小さい順であろうか、何分かしてみんなが目を覚ましてゆき、堤端総や竹神音の姿を見つけて一様に目を丸くした。最後に目を覚ました山田リュートが竹神音の姿を見るや全回復したように元気になって、全員が揃った。

 堤端総を見るや怯えて背中に隠れた山田リュートを竹神音が落ちつかせて場が整った。

「で、なんなんだ。五〇年も経ってオトまでいるなんて……どういう集まりなんだ」

 とは、田中淳が言い、

「説明もなしじゃ時間の無駄ね」

 とは、現在治癒魔術師として医療現場に立っている坂木葵が腕時計を気にした。

「すまない、責めるならぼくを責めてほしい。話したいことがあったんだ、どうしても……」

「だからさっさとはなしてっていってるのに」

 と、結崎桜が溜息混りだ。

 みんなの苛立ちは奇しくも教室での一件のあと離れに集まったときのようで、堤端総は却って切り出しやすかった。

「ぼくは未だ身勝手だ、そのことを詰ってくれても構わない。みんなの時間を奪って、本当に申し訳ない、そう思ってる、でも、どうしても、ずっと……謝りたかった」

「『……』」

 沈黙が重なったのは、堤端総が既に頭を下げているからだろう。態度で圧倒したかったわけでもないので、堤端総はただ素直に胸の内を曝した。

「リュート、あのとき、怒鳴ったりして、ごめん……ただでさえ、オトの変化を感じて打ち拉がれていた君を、あろうことか友人のぼくが追いつめてしまって、ごめん……!」

「ソウ、君……」

 おずおずと窺う気配を感ずる。山田リュートが今、何を感じているかは、あとで聞かせてもらえればいい。あるいは、一生聞けなくてもいい。こんな場を得られるとは思っていなかったから許されることがなくても構わなかった。自分の越度で傷つけたひと達に謝らないまま死ぬことだけはしたくなかった。

「みんなにも、ぼくは、ひどかった。ずっと、そう思ってきた。ヒイロは最初からぼくを甘えさせてくれて、淳や葵や桜、可憐や太一はいつか許してくれて、その優しさにぼくは甘えて、碌に謝ることなく今の関係に縋ってきた。それじゃ……いつまで経ってもあの離れから、あの教室から、抜け出せないのに」

 山田リュートも聞いているから、刺激しないよう静かに続けた。

「オト──、君にも、謝りたかった。ぼくは、あまりに情けなくて、君が恐くて、君に何があったのか、考えようともせず爪弾きにしようとしてた。みんなが話し合おうとしてたのに、ぼくは君を排除しようと考えてあの教室に行ったんだ──」

「『……』」

「……本当に、情けなくて謝るしかない。ぼくは自分のことしか考えてなかった」

 そうだ。いつかの彼の言った通りだった。堤端総はあの頃のことを何も憶えていなかった。そのくせ竹神音を監視して、排除することばかり考えて接していた。更生してくれるだなんて心から思ったことはただの一度もなかった。教室へ向かう前日、離れでみんなと話したときの心を欠片でも握り締めていられたなら、ひょっとしたら、竹神音の変化を手助けできたかも知れなかったのに、信じきれずに疑って、あまつさえ排除しようとしたのだ。

「君は心を開いてくれなかった、なんて……どの口が言ってるんだ、って、話だよな。ぼくこそが心を開いてなくて、君のこと憶えてなくて、信じてなかっ──あ……」

 地面を見つめていた視界に不躾なくらい勢いよくハンカチが割り込んで、堤端総は思わず声が漏れた。手を辿るまでもなく、視界には、ぱちくりと瞬きする山田リュートが入ってきて、差し出したハンカチを目許にぽんぽんと当ててくれた。

「りゅ、リュート……」

 

 

「泣いているひとがいたら、こうしてあげるのですよ。それだけできっと仲良しです」

 言葉真音の微笑みに、山田リュートは、

「はぁい!」

 と、一気に笑顔になった。目許に当てられたハンカチの優しい感触も、彼の優しい声と甘い香りも、忘れられないくらい心で膨らんで、悲しいこともつらいことも全部消えてゆいた。

 

 

「ソウ君、大丈ぉ夫です?」

「……う、うん、今、大丈夫に、なったよ……!」

「あぅあっまだまだいっぱぁい溢れて!全然大丈夫じゃNOですっ!」

 きっと言葉真音から学んだであろう山田リュートの優しさが胸に迫って、堤端総は膝から崩れて、涙が止まらなくなった。

「総君、もういいんだよ、謝らなくて」

「ヒイロ、なんで……」

「本当に時間の無駄ね。ヒーロがいう通りよ」

「あ、葵も。どうして……」

「オマエが責任感じてるの、オレ達が感じてないとでも思ってたのかよ。逆に薄情じゃね?」

「淳……」

「そうだよ。ソウが子ども達をたすけるためにいろいろしてきたの、サナエからもきいてたんだからね」

「桜……」

「許してないなんて思われていたなら、こうして集めてくれてよかったかも知れないね」

「可憐……」

「オレ達はとっくに許していたよ、じゃなきゃ、離れに集まり直したりなんてしなかった」

「太一……」

「リュートはどうなん」

 と、竹神音が意見を促した。「たぶん、みんながあえてその件に触れんかったのは、リュートがまだ許してなかったからやろ」

「離れてても見通してんだな、マジで神かよオマエ」

「せやね、俺は神やからなんでもお見通しだ、悪いことすっと天罰落とすぞ」

「んだよそりゃ!調子ぶっこいてじゃねーよ、はははっ!」

 と、両手を叩いて田中淳が大口を開けた。

 谷底に落ちても、リセットを押した田中淳が笑うと、昔も、今も、

「『ははははっ!』」

 みんなが、笑った。まるで悪いことが一つもなかったかのように、なんの気兼ねもなく、みんなが──。

 

 

 リセットすれば、みんなが笑える──。

 そして、ずっとそうして、笑っていたかった。

 戻ることができないはずの過去に戻れたような気がして実際はそうではないことを深く理解しているから、リセットボタンに手を伸ばした田中淳を、今こそオトは笑いながら止める。

「さて、お開きやな。夜も遅いし、そろそろ帰る時間だ」

 交わらないはずだった未来がわずかに接近したことに悦びを覚えながらも離れてゆくことを受け入れなければならない。接近しながらも必ず擦れ違う海王星と冥王星のように、みんながそれぞれの家庭を持ち、みんながそれぞれの時間を持っている。それが現実だ。が、

「オト──」

 リュートに涙を拭われながら、総が右手を伸ばして、「君もだよ、たぶん」と、みんなに一瞥を向けて、再びオトに目を戻した。

 君も。

 その意味を解することは、みんなの目差を受ければ容易かった。

「オト。オマエも大変だったよな」

 と、淳が笑い、

「キセキの夜のことインタビュしてもいい?」

 と、マイクを向けるように桜が握った右手を伸ばして、

「壁新聞でも作ってあげようか」

 と、ヒイロが初等部児童のように提案して、

「どこの壁に張るのかしら」

 と、冷めた目差ながら葵がまんざらでもない様子で、

「絵はぼくとオト君で描くよね」

 と、太一が宙に描くそぶりをして、

「タイチは下手だからやめてよ」

 と、可憐が呆れ笑いを浮かべ、

「タイチ君はどこにヘタがついているんでぇす?やっぱり頭ぁ?取ってあげるです」

 と、真剣に探し始めたリュートにみんなが笑いを誘われて、ふと、オトも笑いかけて、冷徹に微笑みを潜めた。

「俺んちは門限があるんよ。付き合える時間はもうない」

「また会えるだろう」

 と、淳がその場のノリで次の約束を取りつけようとすることは判っていたが止められるはずもなく、次なる言葉は予測していなかったからさらに止めようがなかった。

「ずっと考えてたぜ、ないアタマ振り絞って、オマエがどんなこと考えてたか」

「……」

「サクラが言ってたんだ、オマエになんかつらいことがあったんじゃないか、って。それであんな、わけ解んねえことやったんじゃねえかってさ。でもまあ、いまさらだ、理由云云とか、過去に起きたなんやかんやはどうでもいい」

 淳が老いた顔に似合わず元気いっぱいだった。「オレ達ゃ老い先短いジジイ・ババアになっちまった。喧嘩も節節に来るって屁理屈つけてさ、また一緒に遊ぼうぜ!」

「淳──」

 楽観的だ。楽観的すぎで、素直すぎて、噓などどこにもない。幼い頃の、素直なままの自分を曝け出してもなんの躊躇いもなく受け止めてくれるひとが、そこにはいる。同じ時間の中で同じ出来事を体験し、視点が違うから同じ気持ではないとしても、何より、互いに痛みを感じた出来事だけは解っているから、解り合える。

「パパ、いいんじゃないか」

 と、プウが耳許で促した。「ちょっとくらい時間があるだろう。音羅も、待ってくれる」

「……」

 オトは、プウの頭を指先で撫でるばかりで、口を開けなかった。

「なんだ、まだ何か足りないのか」

 と、太一が苦笑した。「……、この際だからみんなで謝らないか。学園であったことも、みんなが心を開けなかったあの日のことも、纏めて」

「いいね、それ」

 と、河岸可憐が同意して、「あれからもいろんなことがあったんだから、なんでもかんでもチャラになるわけじゃないってことくらい理解できているんだ」

「世間の目とかね」

 と、二室ヒイロが両手を合わせた。「どうしようもないことだってたくさんあった。音君もそれを感じてきたんでしょう。偏見やレッテルは消しきれなかったし、つらい思いをしないことなんてなかったはずだよ」

「みんなそうね。それでもこうして集まっているわ」

 と、坂木葵が呆れたように言った。「性懲りもない腐れ縁、って、天邪鬼な表現でもいい。時間の無駄でも、生産性がなくも、誰を助けられなくても、ここにいることが普通に思えて、不愉快には思わない。それでいいんじゃないかしら」

「愉しいですっ!」

 と、山田リュートが両手を振り上げて笑った。「またみんなで集まっていまぅす!トゥランプにゲイム、パズルにスイム、なんでもOKでわいわい笑う離ぁれの時間、夕日がこんにちはぁするまでウルトラハッピでぇすっ!」

「人間、息抜きが必要ってことだな」

 纏めた総が一番に頭を下げた。「オト、すまなかった。許さなくてもいいから、また……いつでもいいから、一緒に話そう。あの頃の時間を、みんなで取り戻そう!」

 総の謝罪は、全てを帳消しにするほど力強かった。そこに、みんなの謝意も並んで、魔団のことを考えている余裕がないほどに、気持が押しきられた。

「……いいよ。たまになら、ね」

 そんな言葉では濁しきれず、頭を下げきることもできず、オトも顔を伏せていた。

 

「ぼくも、……本当は、みんなに、謝りたい──」

 

 間もなくハンカチを手にリュートが抱きつくようにして迫って、誰からともなく抱擁の連鎖が起こって、それから、みんなが揉みくちゃになって、誰からともなく涙を流して、夜であることも忘れて、笑い始めて、止まらなかった。

 

 

「どこか昔のゲームみたいだよなあ、冒険しようぜ!」

 と、言い出した田中淳を止める言訳でもないが治癒魔法医院で働く坂木葵が長話できない。

 これから時間の取りようがいくらでもある。皆の意見が一致して帰途を辿ることとなった。竹神音の空間転移魔法で時間に余裕のない坂木葵から順に一人ずつ帰って、最後は、堤端総である。

 みんなと同じように堤端総にも仕事がある。竹神音の様子を観るに早く去るべきなのだとも理解している。が、思わぬ再会で、彼と話したいことがいくつも湧いていた。後回しにすると有耶無耶になってしまいそうだ。時間がもったいないので堤端総は早早に口を開く。

「噂で聞いていた竹神部長って、もしかして君の親戚や家族だったりするのか」

「音羅のことなら娘やけど」

「どことなく似てるわけだ。会ったことがあるんだ、仕事で。物資を搬入してくれた力持の子で、支援してるところや子どもに気が回る、優しい子だった」

「思わんことがあるもんやな。娘の話をまた旧友から聞くとは」

「また」

「山田食品運送」

「あ、そうか、今では公太の会社だったな」

 昔馴染の話をしたいのはやまやまだったが、今は竹神音羅、彼の娘の話だ。

「……その、音羅さんは元気にしてるか」

「娘はやらん」

「ぼく既婚者っ」

「どこかで聞きましたが不倫は男の文化では」

「かなり偏った文化だ。早苗の尻に敷かれて生きることに決めたから」

「それも偏っとるがよかった。で、話の続きは」

「うん……仕事、正確にいうとボランティアなんだが、仲間が二人失踪したんだ。そのことで音羅さんがひどく落ち込んでいるようだった」

「七三年か、sun new year festivalとかいわれる〔太陽新生祭(たいようしんせいさい)〕の頃やな」

「気づいてたということは、ケアも」

「根本的なことはできてない」

「どうにもならないことがあるって解っているつもりなんだが、すまない……」

 仕事先でともに汗を流した仲間が失踪した。戻ってくるまで心が晴れるはずもない。が、娘の機微に気づいて気に掛けているのが竹神音だろう。

「音羅さんは仕事を続けてるのか」

「こちらに移住して別の職についとるよ」

「直接の関わりが薄いぼくがいうのは変かも知れないけど、音羅さんのこと、よろしく頼む。ひとときでも一緒に働いた仲間として、悲しんだままでいてほしくないんだ」

「心配してもらえて本人も悦ぶと思うが、親として、感謝しとくよ。ありがとさん」

「うん」

 ボランティア仲間の失踪は勿論、彼の関係者もとい娘である竹神音羅のことが気になっていた。これは本心だが、それとは別に堤端総は彼のことが気になっていた。

「なあ、オト」

「ん」

「睡眠発作は、まだ続いてたりするのか」

 それで幼い頃の彼をよくおんぶしたのが堤端総や田中淳で、体調が悪化していないか心配したのがほかの面子だった。

「あれなら問題ないよ。治ってはないが、一人でどうにかできるようにした」

「魔法で」

「ん」

「そうか……」

 魔法を使わせたら右に出る者はいなかった。才能は高まる一方だった。睡眠発作に対処することもじつは一人で可能だった。そんな彼に、堤端総は尋ねたい。

「ぼくらがいた頃から対処は自分でできたのか。できたんだとしたら、どうしてしなかったか聞きたいんだ」

「自分でなんでもできてまう化物の顔を見せれば築き上げた関係は簡単に壊れる」

 ……そうか、そうだよな……。

 言葉真音は、才能に反して人前で魔法を使うことが極端に少なかった。テレビ出演しているときでも知識と知恵と行動、そして言葉で、物事を動かそうとしていた。どうにもなりそうにないとき、誰がどう振り返ってもそうしなければ何かが犠牲になってしまうときに限って、彼は魔法を使った。睡眠発作にしても同じだった──。欠点を残して接することでしか人間らしい繫がりを保てない。幼少の彼はそんな危機感の中で生きていたのだろう。人間誰しもひとを傷つける暴風を纏っている。暴風のない静穏域を共有できるひとを手放したくはない。自分の身の安全を委ねてでも、静穏域を共有できた目の前のものを彼は棄てたくなかったのだ。そんなことにすら堤端総は気づけなかった。

「ぼくらとの関係を大事にしてくれてたんだな」

「国が違うだけで祭り上げられることも排除されることもある。力を持ったばかりになりたくもない熱帯低気圧になる」

「少なくとも一〇歳の頃まで戦争のない平和な時代だった。それを崩すまいとしてたんだな」

「結局崩した。最初から関わりを持たんようにする利口さに欠けとった」

 合理的結論に従えなかった。それは現代の竹神音の結論で、天然な言葉真音では浮かびもしない考え方だったに違いない。が、そうであるなら動物小屋の一件に疑問が残る。

「魔法繫がりで、ちょっと訊いていいか」

「この際やからどうぞ」

 糾弾意識を携えることとなった夢の光景を振り返り、仔ウサギを成長させた研究段階の魔法に恐怖し、言葉真音を危険と捉えた。それらを伝えて、堤端総は竹神音に尋ねた。

「危険なら危険でもいい。君にぼくらが及ばない力があることなんて保育園のときから判ってた。弱いところをいろいろ知ってる幼馴染。それが全てだから、あの魔法の真意を知りたい」

 なぜ仔ウサギを実験台にしたのか。あの魔法が何を目的としていたのか。

「当時の気持を細かく伝えられん。捻くれとるからな」

 と、前置きをして、竹神音が答えた。「早く大人になりたかった」

「君の夢は『最上の魔術師』だった。睡眠発作だけじゃなく、他者のために倒れるほど動き回っていた──。大人の体力と知識、経験を、君は得たかったということか」

「端的にいえば。せめて体力だけでもついたら……そう思ってね」

「成長すれば自ずと体力はつくかも知れないが知識や経験は体の成長についてくるわけじゃない。それを見逃してしまう幼さが、君にあったんだな」

 魔法の真意が判って、彼が他者のために頑張ろうとするあまり見逃していたものがあったことを知れたから、堤端総は恐怖に染まった夢の背景を彼の気持の色で塗り直すことができる。そう思えたら、ふとまた気になることが湧いてきた。

「あの仔ウサギのあとだったかな……君が、……可愛かったの、思い出したよ」

「変態」

「なっ、ぼくのせいなのか!」

「変態」

「……君のせいでもあると断じて主張するからな」

 もとから女の子のように可愛かった言葉真音が、一日で伸ばした髪を二つに結いあげて正真正銘の女の子のように登園してきたことがあった。

「すっかり忘れてた……髪を伸ばしたのも魔法だと聞いた気がする。君は、自分も実験台にしてた……」

 彼自身の成長が目的なのだから当り前といえば当り前の実験だ。その実験がどこを目指したものか、堤端総は今の彼を観て判断した。

「君は、男性らしくなりたかったんだな」

「せやね、これはまさに初恋の相手の姿を模したもんやから」

「えっ」

「冗談やよ」

 どこまでが、と、堤端総は訊こうとしたが、「っふふ」と、笑う竹神音がよく知っている可愛い彼そのものに観えたから、細かい線引がどうでもよくなった。

「質問に答えてくれてありがとう。ぼくはやっぱり君のことが好きで、どうしようもなく憧れていたんだ、って、また気づいたよ」

「殺そうとしたこともあったのに」

 伝えたことのないことも見通している。それが、彼だった。友を余さず見つめていて、必ず手を差し伸べていた。

「それでは、ぼくが恐れた君と同じになってしまう。むちゃをする選択肢が、君に憧れたぼくとしては一番しっくり来たんだ。とは、当時のぼくもはっきり自覚していたわけじゃない」

「どういうこと」

「君は常に壁だった。そういうことだよ」

 堤端総には気づけない脆さがその壁にもあった。それだけで、噓のようにあっさりと微笑みかけることができた。わずかばかり自嘲が滲み出てしまったのは、自分が彼の脆さに気づける立場にあって気づけなかったこと、そうして彼を打ち崩して彼に立ちはだかる壁とはなれなかったことに、情けなさを感じてしまったのである。

「ぼくはいつも、自分の弱さや脆さを君に気づかされてた。だから、君にはぼくが──」

 壁になれていたらきっと今でも切磋琢磨していた。彼が手放したくなかった関係以上の、理想的なライバルでいられた。堤端総は、そう思った。取返しがつかない。時は戻ってこない。気づくのがあまりに遅すぎた。

「ありがとう」

「え……」

「俺を思い出してくれて。それだけで充分やよ」

 遠退いた憧憬の背が今は近く、正面から顔を合わせることだってできて、飾らない表情を浮かべられた悦びに笑みが深まって、えも言われぬ温かい衝撃が胸に押し寄せた。

「ああ、充分だな」

「ん。左様ならば」

「ああ、また会おう。さようなら(左様ならば)──」

 

 

 

──一四章 終──

 

 

 

 

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