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一三章 正当性殺害逮捕

 

 プウの特訓は音羅と一緒に始まって一緒に終わる。日課が二週間途切れて一人での特訓に慣れ始めても、充実感が欠けることには慣れなかった。

 ……音羅。今は、どこで何をしているんだ。

 見つけた的をことごとく炎で狙い撃ちにした。一帯は大火事だ。外なら大問題だが、納月の水魔法で一瞬にして消火される特殊空間なら誰にも害がない。

「お姉様みたく少しずつ上手になってますねぇ、感心、感心」

 と、納月が頭を撫でるのを、プウは突っ撥ねた。

「年下扱いするな」

「おや、おや、今日も今日とてプゥプゥご立腹ですねぇ」

 竹神家の父オトや父に従う分祀精霊でなければ言葉が通じないので、姉妹たる納月達にはプウの言葉が鳴声にしか聞こえない。

 ……いや、まあ、姉妹、と、いうのも少し違うんだろうが。

 何せヘビだ。音羅が生まれた日に現れて一緒に暮らしていても、竹神家の子ではない。プウ自身、自分が何者かよく解っていない。曰く分祀精霊。オトやララナをパパ・ママと呼んでいるのはプウの勝手に過ぎない。気持的には音羅と遜色なく、父母をパパ・ママと捉えているのだが、ヘビの姿であるからにはペットの位置だろう。

「ふん……腹立たしい。おれだって、竹神家の子なのに」

「なんです、今日はやたらと火を吐きますねぇ。特訓が足りない感じですかね」

「そうじゃないが、そういうことにしてもいいかもな」

 音羅の居場所が一向に摑めないことに苛立っているのも確かだ。まだしばらくこの特殊空間で的を狙い撃ちしたい。

「ここだと疲れにくいですし、やればやるほど精度が増す気がするのも理解できますけど、休憩は挟んだほうがいいですよー」

 と、言いつつ、納月がプウの口許に治癒魔法を施すのは、自分で放った炎で少しだけ火傷を負っていた。

「自分の丸焼きを作りたいわけじゃないでしょう。体を傷つけない力の使い方をマスタしてくださいよ。ずっと傍にいてあげられるわけじゃないんですから」

「解っいてッ、何をする!」

 唐突に頭を小突かれてプウは納月を睨んだ。

「解ってないくせにキメ顔しないでくださいよ。で、睨むのなしで」

「だから解っている、と、言っている」

「本当に解ってるなら背伸びで威圧してないで塒まいて落ちついてくださいよ〜。立腹ついでにまた口角やってるの気づいてます」

「く……」

 つい吐いた炎で火傷していた。意図せず音羅と離れているせいか、プウはここのところ、とにかく落ちつかない。心のどこかに苛立ちが居座って、動いていなければ周りを巻き込んで爆発してしまいそうになる。

「気は解ります。みんな、お姉様がいなくなって少しずつ乱れてますし、わたしもそうです」

 納月が水弾を無数に作って、プウの炎で焼け焦げた地面を的確に撃つ。と、地面が抉れて陽光を返しながら泥が跳ねた。被りそうな泥を水の壁で押し退けたのも、納月である。弾けた水の壁がうっすらと虹を架けて消えると、プウは塒を巻いて、口角の火傷を納月に治してもらった。

「イラつきますね、マジで。特にお姉様は、魔団に取っちゃ障壁でしかなかったんでしょうけどわたし達に取っちゃそれだけじゃない」

 母が父を求めたのと同じだ。苦しいときや悲しいとき、傷ついたとき、支えてくれて励ましてくれるのが心強かった。

「ただ、プウさんも解ってんでしょう。こういうこと、初めてじゃないって」

「……あの頃を一度目とするなら、二度目だな」

 父のこと、佐崎文也のこと、学園でのこと、いろいろなことが重なって音羅が元気を失ってしまったことがあった。その頃の竹神家は父がおらず、母のみが引っ張っていた。母がいなかったら持たなかった。その上で、父に続いて音羅の活気を失ったことで家が暗くなっていたことを、プウも知っている。

「あの頃とは少し違うだろう。元気を失くしたわけではない。……いなくなったんだ」

「お姉様がいかに明るくしてくれてたか、鈴音さん以下の妹が知るいいきっかけにはなったかも知れませんね」

「自分達の生活が何に支えられているか考えるきっかけ、と、いう意味なら、受け入れがたいが納得はできる」

 両親と並んで家族を支え、引っ張っていたのが、長女の音羅。

「刻音さんや納雪さん、生まれて間もない磋欄さんや霊欄さんも、お姉様に褒められるのが大好きですからね、誰もができないような特別なことをしてなくても日常の何気ないことで褒めてくれるお姉様がいなくなって何かが欠けてることを察してます」

「納月もそうだろう」

「……わたしもそう、妹は、みんなそうですよ。だからあの頃と同じ、いや、もっとヤバいかもですね、姿もなく、罵りさえ聞けないんですから」

「……」

 元気を失った音羅が何をしていたかと言えば何かにつけて文句を垂れていた。家を出てゆいてしまった父の普段の姿にも似て、棘があって、怠惰にも観え、そのじつ、求めても手に入らない父の愛を求めた悲しさゆえの、父の姿の体現だったのだろう。きっと無自覚だった。父の姿を真似することで喪失感を埋めようとしてなんとか元気を奮おうとしていたのだろう。それが全くの無意味で現実逃避であることをじきに気づき、残された大切なものへ目を向け始めたから今日の音羅が存る。

 此度の妹が音羅ほどの喪失感を覚えることはない。父も母もいて、多くの姉妹がいて、同じ気持を共有し、納月や子欄の経験を聞くこともできる。が、実際に戻ってきていない音羅への心配でもってこれまで当然のように享受していた音羅の明るさがどれほど大きなものか実感することができただろう。

 プウは納月と空を仰いで、いくつか溜息をついた。そんな二人に、

「ここでしたか」

 と、声を掛けたのは、子欄である。

「子欄さん、もう起きて大丈夫ですか」

「顔に似合わず心配性ですね」

そんな(そがん)無関心な顔ですかねっ」

「そがんて。ともかく、毎日訊かないでください」

 子欄が納月の隣に屈んで、「お姉様は、プウさんと修業ですか」

「ええ、狙撃を指導したのは一応わたしですしね」

 プウが吐く火炎弾の命中・威力の精度を飛躍的に高めたのは、学園時代に狙撃の腕を磨いた納月の指導の賜物である。

「寝坊助のお姉様が狙い撃ちに長じているとは信じられないんですが」

「寝坊助関係ないですっ。と、チャンバラんときに嫌というほど見せてますけどね」

「プウさんの言葉が解らないのに、と、いう意味を含んでいます」

「いやそれでも寝坊助は関係ないんじゃ」

「プウさんは音羅お姉様の相方みたいなものですから、納月お姉様とは反りが合わなそうなイメージもあります」

「活力、と、いう意味なら、まあ、そうですね、寝坊助も無関係じゃなくなる気はします」

「そんなお姉様がどうやってプウさんに指導したんですか」

「なんとなくジェスチャで理解してる気になってるだけ、非言語コミュニケーションですよ」

 プウと納月のコミュニケーションはそれでなんとかなっている。行き違いが発生することも多いが。

「(しーちゃんの前でも試してみるか。)水弾を使ってあれを狙ってみろ」

 と、プウは納月に言った。ジェスチャとしては、納月の足首を尻尾でちょいちょいとつついて、近場の小岩に向けるように小さく炎を吐いてみせたのである。

「お姉様。プウさんは今なんと言ったんですか」

「あの岩を食べたい!」

「違ぁうっ!」

「何やら泣きそうな顔で訴えかけてますよ。違うんじゃないですか」

「冗談ですよ、お姉様がいないから代役のご愛嬌ってことで」

「音羅となっちゃんでは似ても似つかないがな」

 音羅が素でボケるのに対して納月は考えてボケる。考えている時間を悟らせないほど反射的にボケられるのは日頃からボケとツッコミを意識しているからだろう。そういう意味で、音羅に次ぐ年長者としての納月は竹神家で大きな存在感がある。音羅にありそうで無かった妥協性も持っているから、危うい突撃をしないところも美点だろう。

「さて、さっきのジェスチャの答はなんですかね」

「解っていなかったのか。少しは考えろ」

「嫌ですねぇ、溜息ひとつで婚期が遠退きますよー」

「誰のせいだと思っている」

「呆れ顔ひとつで出逢いを一つ失いますよー」

「だから誰のせいだと、と、いうか、なぜおれに結婚絡みのツッコミをする。別にぼっちじゃないからな!」

「それはさておき」

「さておきじゃない!──」

 不意に納月が水弾を操った。ひょいと指先で押し出して、先程プウが示した小岩に当てた。

「これが正解ですかね」

「解っているじゃないか。ボケる暇があるなら遠回りするな」

「いやあ、ボケながら考えてたら遅くなりましたー」

「そういうことか……」

 ボケる脳細胞をジェスチャ解読に回せばいいのではないか、とは、言うまい。やり取りを聞いていた子欄がつい笑ってしまうのを観たら、多少の遠回りは水に流せた。

「ところで希しいですね、子欄さんがここに来るのは」

「修業か」

 納月とともにプウは子欄を見た。運動会を除けば、ここに訪れる理由は修業くらいだろう。

 子欄も一時、音羅と同じように連れ去られていた。度重なる空間転移に曝されて疲弊していたため、家の手伝いを休むよう母に言われている。そんな子欄だから、音羅の身を一番に案じて、あまりやらなかった修業に乗り出したということだろうか。

 子欄が俯き加減に語り出す。

「家の仕事を休ませてもらっているあいだに、魔団の可能性がある相手について今一度しっかり知っておこうと思って、掲示板を何度も確認していたんです」

「ほう、ほう。それで」

「わたし達が在学当時にも知ったことを深掘りしたくなりました。お父様は幼い頃、各国の王や有力者と関係を築いていた。それとは正反対の〔恋人〕についてです」

「ああ、あれですか。……怒り心頭のままに聞き出そうとしたあの当時しか訊けなかったですよねぇ。みんなも、訊きづらくて訊いてない感じだと思います」

 掲示板には「元恋人」ではなく〔恋人〕と書かれている。元がつくかつかないかで父の気持が大きく異なることを皆が察している。その察しを子欄が口にする。

「お父様は今も亡くなったひとを愛している。だから『元』じゃないんです」

「お母様やメリアさん、それからギフトのみんなはそれなりに詳しく知ってるみたいですね」

 ……おれは知らないが。

 父の内心を深く聞くことができるのは、妻や昔馴染の分祀精霊くらいだろう。とてもではないがプウは父の傷を抉りには行けない。

「深掘りしたいのは、お父様の内心もそうなんですが、少し、書き方が気になって……」

「書き方。どういう意味です」

「〔恋人〕って、代名詞ですよ。名前があったはずなのに」

「ああ……」

 ……確かに、な。

 父の〔恋人〕とその死に絡む〔三人の不良〕は特に目に留まる。一部人物について掲示板の情報は明らかに伏せられている。その事実が大事、と、子欄は考えたようだ。

「亡くなったひとの名前を知ることで背負ってしまうものがある。佐崎さんのことで、わたしや納月お姉様も、それは感じたでしょう」

「ええ、まあ。凄まじく高価な薬を安価に届ける仕組を作れていたら、ちょっとは同じ症例のひとを救えるとは未だに考えたりします」

「同じように、恋人のことも背負い込んでしまうことをお父様は懸念したのかも知れません。それと同じように、恋人に纏わる三人──」

「〔三人の不良〕と括られた男子ですね」

 恋人とは別の意味でモブキャラクタのように名前を持たない三人がいた。恋人に暴行を働いた不届き千万な輩であり、父は思い出したくもない顔だろう。だからこそ、殺害した。三人の不良の項目には〔恋人暴行への復讐・殺害〕と簡潔に纏められていた。それ以外はおおよその身長・体重など無感情な文字が並んでいて、絵はどこか無機質だった。

「お父様は、今もあのひと達を怨んでいると観ていいと思います。できることなら、遭ってほしくない……」

「ですね。心がかさつくのは避けようがない。昔みたく、いえ、わたし達が生まれる以前のように、気が立ってしまうでしょう……」

 丸くなった父。幼い頃のように優しく、それでいて怠惰を残している今の父こそが、父が素直でいる姿なのだと、納月と子欄は感じているようだ。

 ……おれも、今のパパが好きだ。

 母にも音羅達にもわけの解らない試験を出していた父が深い優しさを秘めていたことは知っている。それでも、今のような優しさで接することができなかったのか、とは、プウも思い、きっと無理だったのだとも思っている。掲示板で断片的に読み取れる機微から、素直に感情を発せられないほど父が苦しんできたと解ったのだ。そしてそんな父と比べても刺刺しかった頃に接して変えてくれた母がいたから怠惰で優しい父がいる。

 三人の不良に面したら、恋人との別れを想起し、別れを引き寄せた輩への復讐心で父が病んでしまうのではないか。再び、刺刺しくなるのではないか。納月や子欄が危惧することをプウも考えた。

「でも、……」

「プウさん、どうかしました」

「……パパが昔みたいになることは、もうないと思う」

「なんと言ったんですか」

 と、首を傾げた子欄に対して、納月が解する。

「お父様にはわたし達がついてるから、もう昔に戻ることはない。そう思ってるんですよね」

「ああ」

 プウはうなづき、笑顔になった納月と子欄より先に特殊空間を出た。妹二人と意識を共有したからだろうか、少しだけ気持が落ちついて、立ち番に合流したくなった。夜間は父と謐納が玄関前と裏口をそれぞれ担っているが、日中は玄関前を鈴音と夜月と刻音が、裏口を母が担当している。母には刃羽薪と糸主がついているので戦力的に不安なのは鈴音達が守る玄関前だ。通訳としてクムに同行してもらったプウは、玄関扉を尻尾でスライドさせて、雑談に興ずる鈴音達に合流した。

「結師もいたのか」

「結師さんもいたんですわね」

「プウの通訳ならあたしには必要ないわよぉ」

 と、結師が鈴音の肩から見下ろして言った。頭に載せたクムが結師と同じ目の高さになるまでプウは体を持ち上げた。

「プウさんとクムさんも立ち番を手伝ってくれるんですか」

 と、嬉しそうにした刻音と反対で、夜月が文句をつける。

「この顔ぶれだとまた穴に落とされそうな気がしてならないわね」

「穴はプウ様のせいではないですわ」

「轍を踏まないのは当然の対策じゃなくて」

 プウは夜月の言葉が気になった。

「轍……」

「轍とは何を指していますの」

 プウの気持を酌んで訊いたクムに、夜月が答えた。

「コラン姉様が帰ってきた次の日、説明したでしょう。狙われていたのがオトラ姉様とは限らない、と、いう話ですわ」

 空間転移によって音羅が連れ去られた。後に帰還できた子欄もほぼ同時刻に連れ去られていたことは家族全員が知っている。音羅とともにプウと夜月が穴に吸い込まれかけていたことも夜月が説明したためみんなが知っている。

「おれか夜月ちゃんが狙われた可能性もあると、夜月ちゃんは思っているんだったな」

「狙われた理由も聞きましたわね」

 と、プウの通訳をしつつクムが夜月の意見を振り返る。「自分とひとの魔力を融合し放つことができるプウ様は、魔団から観れば音羅様の武器になる存在。鎮静魔法を使う夜月様も多くの魔法を無力化できる厄介な存在。夜月様はそう言っていましたわね」

「そうよ。プウの俊敏さが物理的に脅威というのもあるわね。魔団に魔法を主体とする人間がいることは確かだから、集中を乱してくるような存在は鬱陶しい。ワタシのこともそう。傀儡化魔法を鎮静できないとしても、そのほか全ての魔法に鎮静対策を組み込むのははっきりいってメンドー」

 魔団が不殺をルールとしているならなおのこと妨害を潰すため拉致・監禁を考えるだろう。

「依然として魔団の方針は定かじゃないから、今は考えなくていい」

 と、鈴音が家全体としての方針を提示した。「できることは迎撃だけ。受身だけど仕方がない。この決定に反論したひとはいなかったと記憶してるんだけど」

「反論しなかったことと反論がないこととは全く違うでしょう」

 と、夜月が睨むように木木を見上げた。「どんな手を使ってもオトラ姉様を取り戻すべきところよ」

 夜月の意見に刻音が一部賛意を示す。

「先手を打ちたいですよね。魔団がどこにいるかだけでも判れば……」

「それができないから受身、とは、お父さんの意見だ」

 現状唯一の手段である大神家の遠見でも魔団や音羅を見つけられていないため、竹神家は防衛に徹している。万一にもさらなる拉致をされるような事態を回避しなければならない。

「ナユキ達は疲れてきてるわよ」

 と、いう夜月の意見は、みんなも持っている。

 村内に響いていた声が、聞こえない。葛神思を皮切りに傀儡の襲撃が続いた影響だ。玄関先でも、そんな変化を感ずる。

 その分岐点を鈴音が見定めていた。

「佐崎文也による襲撃を直接村民が観たことをきっかけとして、こうなってる。村の中から子どもの声が聞こえなくなって、状況を重く受け止めた大人がこの二週間、昼夜問わず人員を割いて警戒してる。同時に、──」

 ……竹神家は孤立している。

 モカ村民の血を引かない余所者だけの家系だ。村外から問題を持ってきた形であるから村民から距離を置かれている。巻き込まれないよう注意している。防衛意識のみを捉えれば理解できる。が、これが続いて、もしも村民が直接の害を被ったら禍根を残してしまう。だから、最も狙われている竹神家が昼夜に掛けて迎撃態勢を固めている。

「村内での孤立は父様が根回ししたんでしょうけどね」

 と、夜月がプウの心を読んだかのような発言をした。「父様は抜かりないわよ。これ以上、被害を出さない。そう覚悟してる。魔法薬を各家庭に届けてるのも覚悟の証の一つね」

「魔法薬は毎日アップデートしてるらしい」

 とは、鈴音が言った。より多くの魔法に効くよう仕上げているそうだ。魔団が先手を打ちやすい傀儡化や穴型空間転移にも有効というから父の本気度はかなりのものだろう。

「あの父様がここまでの対策を打ってる。轍を踏むのは避けるべきと、もう一度いうわ」

「顔ぶれが同じなら狙われるリスクが高まる。夜月はそう言いたいわけだ」

「ええ」

「と、いうことだからごめんけど、プウ、納雪達と遊んでくれない」

 と、鈴音が促した。「わたし達だと音羅お姉さんの真似事しかできない。プウはその点、音羅お姉さんとすごく似てるから、元気づけられると思う」

 ……さて、どうするかな。

 戦闘での出番は遠からずやってくるだろうが、鈴音達は父の作った魔法薬を所持し、ある程度の襲撃に堪えることができるので増員する必要がない。音羅のような天然の明るさはないが、プウはプウなりの明るさを持っている。ヘビならではの動きで愉しませることはむしろプウにしかできない。

 少し考えたプウは、鈴音にうなづき返した。

「いいだろう、なっちゃん達と遊んでくる」

「ありがとう。よろしくね」

「任せておけ」

 

 

 家の外にも出られず日に日に元気がなくなっていた年少組四人を、クムとともに家に戻ったプウが遊びで自然と元気づけている。その姿にメリアは一回り大きな成長を観た。

 賑やかさに目が覚めたか、夜間の立ち番に備えて眠っていたオトが起きてきたのはちょうどおやつどきで、メリアは村伝統の和菓子を出してオトと同じテーブルについた。テーブルからは居間で遊ぶプウ達の姿がよく観える。大きくなった体に四人を乗せて壁まで這い回るのであとで軽く掃除をする必要もあるだろうが、埃が立っていても不思議と不愉快には感じない。

「優しい子ですね、プウさん」

「音羅と程近い子やからね」

 気取ったふうの立居振舞が多いプウだが、遊び出すと幼子のように無邪気な姿を見せる。年下の子と触れ合うのを音羅と同じように心底愉しんでいるというのもあるだろうか。

「あれは、なんといいましたか」

「プウに乗っとる気分のこと」

「はい」

「人間が作ったアトラクションでメジャな絶叫マシン、ジェットコースタのことかな」

「それです。わたしも乗ってみたいくらいです」

「あとで頼んでみ。快く載せてくれると思うわ」

「大人料金はいくらでしょう」

「プウはカネ取らんやろ」

 こんな言葉があるかわからないが、安心して乗蛇(じょうじゃ)できそうだ。

「メリアは大丈夫」

 と、何気ないふうに訊かれて、メリアはどうしようもなく応答に詰まった。

「……はい、まだ」

「もうしばらく待ってね」

 と、オトが会心の笑みで見つめてくれたから、心の奥に蟠る不安が霧散するのを感じた。

「わたしは、音さんがいてくれるから大丈夫です。音さんは、大丈夫ですか」

「俺ならもっと大丈夫。みんながおるから」

 埃の立った居間を眺めて、オトが目を細めた。「煩いのは嫌いやけど、しばらくプウにはああしてもらうのがいいね」

「プウさんの心のこともありますよね」

「知らず知らず溜め込むタイプやからね」

 自分の不甲斐なさや能力不足、失態を感じたこともあるだろうが、みんなの不安や心配や怒りといった負の感情を感じているから、プウは自分でも知らないうちに苛立っている。音羅と同じだ。かつての音羅がオトに依存してそうなったように、プウは音羅に依存してそうなっている。音羅の姿がなくなって、気配を感じなくなって、みんなの心の揺れを強く感ずるようになって、それをどうすることもできない苛立ちを捌ききれなくなってしまった。が、そこには少し思い違いがある。

「プウさんが明るく振る舞えば苛立ちの原因を小さくすることができます」

「やから、あの子には、もうちょっと自分に素直になってもらいたいもんやね」

 オト曰く、本来のプウは今のように明るい子であるという。素直にそうはなれない理由があるようで、普段は威圧感を放ってすらいる。

「音羅さんと同じ位置で威厳を持って下の子に接したいんでしょうか、お兄様として」

「そうやなぁ、それは少し違うかもね」

「どんなふうにですか」

「っふふ、それはお前さんの、いや、みんなの思い違いが正される日に理解できるかもね」

「思い違い、ですか」

「まあ、それが判るのも時間の問題やろう。あの子も、そろそろ気づくはずやしな」

「何にですか」

「俺が言っても仕方がないことやよ。ごちそうさん」

 ショコラズキを食べ進めていたオトが青竹楊枝を皿に置いて、「どっこいしょ」と立ち上がった。

「羅欄納さんに合流しますか」

「いや、鈴音達と交替やから」

 オトは玄関前担当で裏口のララナと顔を合わせる時間がない。しかしだ、メリアは危機感を持っている。子欄がほぼ元気になったとはいっても音羅が未だ戻っていない竹神邸。第一妻であるララナの心は音羅と子欄が消失したあの日以降緩んだことなどないのではないか、と、感じているのだ。──その感覚が確かでも、警戒を解いていいときではない。夫であるオトが感じていないことなら煽らないほうがいい。けれども放置はできない。ララナの心境を彼も感じているならそれを促すような言い方をしたい。危機感が伝わらないようにメリアは口を開く。

「最近は警戒続きで寝床も一緒になりませんよね。交替にはまだ早い時間ですし、顔を見せたら羅欄納さんはきっと悦ばれますよ」

 宿命的な関係が簡単に切れないとしても、小さなところから綻んでゆくのも関係だ。怠惰なオトでも、自分の意志を介在させないことに積極的なわけではない。

「ありがとう、メリア。まずは裏口に寄ってくわ」

「はい。お気をつけて、っん──」

 頰に口づけをされて、メリアは顔から火が出そうになった。不意を衝く無造作な行為にどぎまぎしているあいだに微笑みのオトが這い回るプウをするりと躱して廊下へと去っていた。

「……こちらこそ、ありがとうございます。元気が出ました」

 音羅がいなくなってからメリアもララナもオトとのあいだに夫婦の営みがない。お互いの気持を伝えるひとときを欠かすことは避けたいと思いながら、今はそれをすべきときではないと自制している。それでもメリアとララナが膝を折ることなく家族を支えられるのは、先程のようにふと掬い上げるようにオトが微笑みかけ、とろける甘味のように触れてくれるからだ。

 

 

 クエンの手前、熱の籠もった目差を向け続けることを躊躇って、ララナは頭を撫でてくれるオトの手を取り頰に当て、控えめに頰ずりした。

「オト様、本日も日向のように温かいです」

「日陰での立ち番ありがとうね」

「蜜柑採取のついでです」

 オトが頰をそっと撫でてくれるひとときが、替えがたい報酬だ。

「あれから魔団に動きがありませんね。警戒を解くべきではないと考えながらも、立ち番担当の子達を思うと気持の面で長期戦は不可能と考えます」

「そろそろ動きがないと困る、と、俺も思う」

 魔団の居場所が摑めず受身の対応を続けているが音羅の身の安全を考えるともはや猶予がなくなっている。

「略取・誘拐に相当する犯罪被害者の生存確率は、発生から時間を経るにつれて低下する傾向が強い。犯人の心理を考えれば被害者を生かす道理はほぼあらず犯行直後に殺害することも。安全を担保する何かしらの要素がない限り、二週間も経って命の保証はできません。……」

「酷なことをわざわざみんなに説明して、自分まで追いつめんでいいからね」

「……オト様、私は──」

 衰弱した子欄の様子を観たときから不安が募っている。いや、不知得性魔力による襲撃が始まってからというもの不安が募り続けていた。二人の子の消失で一気に重みを増して、堪えきれない自分を予感して焦燥していた。して、不安を解消する手立てを持たない自分に苛立ってしまっている。音羅は無事か。生存しているのか──。果たされない生還、家の中の空気、伝染する心配や不安、それらを感じた娘の気持がさらに落ち込んでしまわないように、ララナは感情を表に出さないよう怺えるので手一杯だ。

「せめて因果の糸が繫がれば……」

「それは難しいのかも知れん」

 音羅が既にこの世にないなら──。「ララナが考えるようなことだけじゃないよ。結界だ」

「オト様のように、何箇月も閉じ込められることが」

「〈魔力(まりょく)還元(かんげん)体質(たいしつ)〉。俺達は元来、食べるものがなくても生き存える。因果の糸が繫がらんことを踏まえ、生きとる前提で話を進めるなら音羅が結界に閉じ込められて身動きできんことが想定できる。これは、凰慈さんから遠見による発見報告がないこととも状況が合致する推測だ。異論はあるかね」

「いいえ。……私は、心配と不安と焦燥と諸諸の感情で、視野が、極めて狭まっております。冷静な判断が、できておりません」

「俺がおるから安心せぇとはとても言えん。甲斐性なしですまん、と、言うしかない」

 背中に腕を回してぎゅっと抱き締めてくれたオトにララナは縋ろうとした。彼の背中に手を回せなかった。宙で震えた手をそれぞれ固めて、吐露する。

「余裕がないばかりに、当たってしまいましたのに、それなのに、オト様は斯様な、頼りない私にまでご慈悲を……」

 情けなくて、恥ずかしい。当たったこととさほど違いはない。弱さを曝けて担うべきものを丸投げにしているのだから。

 だが、オトが真向からララナの意見を否定する。

「俺がいつももらっとるもんこそ慈悲なんやけどな」

「……料理のことでしょうか」

「それは神具。どんなにすごい力があっても神具は道具。道具は使う者がおらんと碌に働かん。俺の言いたいこと、解る」

 解った。が、ララナはうなづかずにいた。

 固めていた自分の右拳を、腕をなぞるように触れたオトの手を、ララナは不意に感じた。

「神具に限らず、庇って守って甘やかしてくれるお前さんがおるから大黒柱なんて張れもせん弱腰が生きとる。その弱腰がちょっと零した言葉を慈悲なんてゆうならその慈悲を零せる弱腰を守れとる自分にも価値を感じて、大事にしてね」

 握り固めた拳は包まれただけだった。無理に開かれることはなかった。言葉とともに届いたそれが、冷たい手の内や体の芯まで温めてくれるようだった。

 ふわっと広がったのは、特殊空間。家の中の扉から入るのが普通だがあの空間はそもそもオトが作っている。オトが思えばどこからでも入れる。クエンの前から一瞬にして移動したそこには見渡す限りの草原と空が広がっていた。

「俺には、疑わしい真似を続けてきた自覚がある。どこかに隠し事がある、と、疑われる部分を残しとる自覚もある。やから、あえてはっきり言っておく。俺は、お前さんの前から消えるその日まで、一つ、隠し事がなくならんよ」

「一つですか」

「ここに至ってのらりくらりするのは不誠実とも自覚しながら、いつものことと自分を曲げずにゆうしかないんやけど、その一つ以外も自ら打ち明けるつもりがない」

「……」

「これは俺の性分でお前さんの責任じゃない。どうしようもないことも受け入れ合ってくのが伴侶やと思うから、妙な責任を感ずるくらいなら別れたほうがいい」

「嫌です」

「条件反射みたいにその一線を避けるのをやめろとは言えんがこちらも譲る気がない。俺がそうであるように、羅欄納も自分を責めるのをやめられん。やめさせられるのは本人の心だけ」

 固めて隠された手の内まで温める熱を、ララナは聞く。

「一つの隠し事でもって、誰かに依存されても、誰かに頼られても、誰からも決して心からは信頼されることがないと確信がある。だからあえて一つ打ち明けとく。これでも、なお、俺はやはり羅欄納を大事に思っとる。その苦しみを受け止めたい」

 ……オト様──。

「苦しんどることを吐露したいと思ってももらえず、あまつさえ、受け止められんと疑わせてまった自分なら、鈴音のときのように存在価値がない」

「!──」

 オトの言葉に、ララナはこれまでにない危機感を感じた。

 橘鈴音との過去を振り返るなら、存在価値がなくなったオトはきっと躊躇うことなく自刃した。その選択をララナも一度目にし、彼を傷つけてでもそれを止めた。

「人質を取るようなやり方は、まるで魔団やな。けど、最後まで聞いて」

「……はい」

「拳を固めたままでおってもいいから、俺にその拳をぶつけてくれへん」

 暴力に訴えるのは当然よくない。けれども、オトが促した行為には異なる意味合がある。

「一〇〇%受け止め合えるならそれが一番の伴侶ってことになるんやろう。それを目指すにはあまりに情けなく噓の多い俺やから、せめて捌け口くらいは担わせてくれへん」

 特殊空間に移動した理由はそこにあった。「みんながそうしとるように発散して。独りで抱えるより幾分マシになるし、今は誰もおらんから親の体裁を気にせんでもいい。ついでに消耗もないから防衛力には響かん」

 ……オト様──。

「駄目押しに経験談を。幼い頃は叫びの一つも上げてよかったけど俺はせんかったな。たぶんお前さんもしてないよね」

「……はい」

 世界に独りになったと感じたそのときも、星を滅ぼしたと知ったときも。

「お前さんが叫んだのはいつやったか」

 オトがララナや娘、家族を裏切るようなことをしたとき、叫んだ記憶がある。

「変に姉さん女房っぽいせいで肝心なときに頼りにくくなっとる、と、こじつけみたいな理由を振り翳してもいいからとにかく叫んでくれへんかな」

 どうでもいいこじつけまで持ち出してオトが促してくれることを、ララナはこの瞬間まで我慢していた。我慢の限界をとうに超えていたから、

「ほら」

 と、背中をとんとんしてもう一度強く抱き締めてくれた彼に、ララナは自覚より早くぶつけていた。

 そのときも、あとで振り返っても、不満や憤りをぶつけるべき相手は魔団以外になかった。隠し事に憤っていたのは予測のつかない魔団の脅威に余裕を失っていたからであってオトに含むところなどいまさら何もなかった。ただただ、降り積もった感情が行場をなくしていた。圧し潰されて異常な熱を持った感情はいつしか火がついていた。必死に消そうとしても消せなかった。やがては燃え盛って、抑えがたかった。オトにいわせればそれは最初から激情だった。特殊空間なら彼の障壁があるから大丈夫、と、いう大前提すら忘れてしまっていた。周りへの配慮が全く利かないほど視野が狭まっていた。そんな不安定な精神状態で爆発させた激情が、景色を一変させていた。

 

 

「〖ーーーーーーー!〗」

 口を閉じたままの、言葉にできない叫びだった。悲痛さに胸が裂かれるようだった。

 ……羅欄(らら)。あなたが被る不幸は全てわたしのせいやから、どうか──。

 空間が七回、赤く染め上げられた。割れて、抉れて、砕けて、褪せて、ねじれて、霞んで、吹き飛んだ。そのように見える現象が一瞬にして起きた。太陽の光を浴びた全てのものが消え去ったかのように、それが不可視の光で起きたかのように特殊空間の森羅万象が蒸発した。

 ……これからも、素直に叫んでね。

 抱き締めた彼女の叫びを、オトは全て受け止めた。

 

 

 ほどけた髪が腰を撫で、腕に掛かったとき、ララナは喉を潰すように咽び泣いた。幼い頃から疲れ知らずだった体はライトレスの滅亡以降食べる必要もなくなったというのに、初めて膝を折るほどの疲労感を覚えて、目の前の熱を抱き寄せて支えにした──。火中から望んだように全景が揺らめいていた。夕焼け模様。ララナがそれに気づいたのは、変らず抱き締めていてくれたオトを感じたときだった。

 オトの体はぬるりとしたもので覆われていた。全景よりなお赤く燃える血だった。間もなく癒えて血痕のなくなった体でも、痛みを感じなかったわけがない。

 ララナは、息を吞みながらも、痛む喉から声を発した。

「障壁はどうされたのですか……!」

「最初から用意してなかった」

「何故ですか!」

「緩和したら真向から受け止める意味がない。理由はそれで充分」

「オト様……」

 手を尽くして状況を打開する。幼い頃には解決できない問題などないようにララナは思っていたが、解決できないこと・解決できていないことを理解できていなかった。その昔は物理的な問題を取り除くだけだった。傷ついて癒やしを待っている心に無頓着だった。ララナはそれが、いま身に沁みてよく解った。

「……オト様、私は、どうしたらよいのか、解らなくなっておりました。解らないまま、斯様なことを。申し訳──」

 ララナが謝る前に、オトが頭を撫でていた。

「いい子、いい子」

「ん──」

「ずっとそうやって、俺に取ってのいい子でおろうとしたんやから、メリアや娘や妹、守りたい誰かのいい子でおろうとしたんやから、つい激情も吞み込んでまう。そんなお前さんを、ここまで放っておいて、ごめんね。それでね、これに懲りずまたぶつけてほしいんよ」

「あ、ぅん……っ!」

 先程の激情とは別の爆発的な感情に襲われてララナは口を噤んだ。オトの褐色の眼は大地の如く雄大で、本当に、何を言っても、何をしても、受け止めてくれるのだと感じたのだ。

「痛いのは嫌やけど、こういうのなら全然平気。くすぐられるよりはむしろ好きやな」

 その瞳と言葉の真意は、じつは出逢った頃から何かにつけて聞いていた。素直に意見することや隠さないこと。それらだ。噓をついて生きていると自白しながらそれを性分とした彼だから、そんな自分の苦しみからトレースするようにララナの心を感じ取ったのだろう。

 ララナは言葉が見つからなかった。感謝しかない。苦しみ、悲しみ、つらさ、怒り、心配、遍く感情を、その傷と痛みでもってより深く感じてくれた彼に、ありがとうのほかにどんな言葉があるだろう。それでは足りないと感じているとき、どんな言葉を発したらいいのだろう。

 ありがとう。

 その言葉の代りに、伝えてもらった気持をララナもオトに伝えたい。くすぐったがりな肌を刺激しないように背中をぽんっと抱き締めて、首筋から窺う。

「オト様も平気ではござりませんよね。音羅ちゃんを心配なさって、皆さんを守るために何ができるか、きっと私よりお考えですよね。不安を煽らないよう打ち明けられない部分もきっとおありですよね。噓、と、仰って有耶無耶になさった苦しみがおありですよね……」

 景色を一変させるような叫びをまともに受け止めながら、ララナを安心づけるようにオトが微笑んでいる。竹神邸内・家族内への心配事で手一杯になっていたララナと違って、自分が知る情報を先回りで掲示板に記してきたオトが魔団を含めた敵性分子の割出しに力を注いでいないはずがなく、ララナが抱えた苦悩もとうに一人で背負っていたに違いなかった。それを噯にも出さず、より大きなものを抱えながらみんなを守るべく脅威を包み隠すための噓をついて誰に責められても打ち明けないことを決めているから、彼は噓をつき続けることをあえて打ち明けたのだとララナは感じた。

「オト様、魔団以上の敵性分子を予測していらっしゃるのでしょう」

「言うまでもなく創造神やよ」

「やはり。──魔団に立ち止まらされるようなオト様ではござりませんでした。私は、もっと素直に添い遂げるべく精進致します」

 世界最悪の敵性分子たる創造神アースを出し抜いたのがオトだった。それ未満の敵性分子にも全力で対応するとしても最悪の未来予想図が創造神アースとの直接対決を上回るわけがない。

「まあ、俺のことを持ち上げすぎやけどね、──笑ってくれてよかった」

 そう言った瞳は初めて視た頃に似て、もっと、もっと、吸い寄せられるような温かさに満ちていた。感謝の言葉のみならず声も出なかったララナは、頭を撫でてくれる彼に言葉にできない感謝を籠めて微笑み返すので精一杯だった。

 オトの腕の中で全身が熱くなってゆくのを感じていたララナだが、気が緩んだからか、感覚過敏か、そこかしこをまさぐられている感じがして、

「んぅ、あふぇ……」

「え、どうしたん、変な声出して」

「あ、わわ、っと、しょのえっと、しょこかひこを撫でていらっひゃる感触がしまひっ」

「唐突に公然猥褻を問うな、何もしとらん」

「れはこりょ感触は……」

 あらぬところまでするすると撫でられている。と、ララナが感じた理由にオトが気づいた。

「全耐障壁が消えとる」

「まひゃか!」

 ララナはそう口にしたが、確かに全耐障壁の気配がなくなっていた。兄たるアデルが授けた全耐障壁は自然現象からもララナを遠ざけていた。つまり、撫でていたのは微風だった。

「自覚ないやろうけど融断光の変化系やったから、アデルの障壁もさすがに守りきれんかったらしい──、と、説明を聞く余裕もなくヤバそうね」

 すっかり力が抜けたララナはオトに寄りかかるほかなくなった。頼りのオトの熱にも過敏に反応して舌が回らないので返事もできなかった。応急処置でオトが障壁を纏わせてくれたお蔭で微風のイタズラが止まったが。

「も、申し訳こひゃいまひぇん」

「へなへなやね」

「慣れが必要しょうでしゅ、必要そうれす」

「っふふふふ、昔の納月みたい」

「笑いごとではごひゃいましぇんんんっ!」

「っはは、叫んだっ、可愛いっ」

「むんぅうううっ!」

 我が事ではないと笑えるものだ、と、ララナは本当に少し怒って、オトの腰をくすぐり回して涙が出るまで笑わせてやった。

「ご、ごめんひゃい、もぉ許ひてくらはいっ」

「勿論許します、姉さん女房ですから、っふふ!」

「それ威厳なくなっとるけど大丈夫」

「もう一度腰を失礼しましょうか」

「失礼致しましたっ」

 指先までまっすぐにして綺麗にお辞儀したあと、オトが不意に、

「羅欄」

 と、呼んだ。

 わずかな戯れでほどよく全身の力が抜けたララナは、彼の言葉を素直に耳に入れた。

「音羅を必ず助け出そう。もう少し、一緒に頑張ってくれる」

「それこそ勿論です!」

「即答。ああ、でも、ん、お前さんらしい」

 迷うことなど何一つない。ララナはいつものように、オトについてゆき、家族のために立ち続ける。どんなことにも挫けることなどない。そんな当り前のことが当り前ではなくなっている今こそ、自分らしくなくその道を閉ざしてしまう内向きな思考を見つめ、受け止めてくれるひとがこんなにも近くにいたことを再確認できたのは何より大きな進歩だった。

「最後に一つ」

 と、ララナはオトに打ち明ける。「こちら、特殊空間の精神力還流の仕組、メリアさんから聞きました。ご迷惑をお掛けしたことに目を瞑ってくださり、本当に感謝しております」

「っふふ、全然平気」

 とは、先程も聞いたことだったが、覗き込む目差から逃げるように夕焼け空を見上げた姿に本音を感じた。

 ……オト様、本当に、ありがとうございます──。

「ほどけた髪あとで結ったるから、見つめるのなしで」

「っふふ……はい」

 娘からはよく新妻のようだとからかわれるララナだが、いつもは顔に出ないオトもひょっとするとそうなのかも知れない。

「全耐障壁はどうする。アデルに頼みに行く」

「いいえ」

 微風に慣れなければ対策すればいい。「お兄様の庇護の外で自らの意志で生きているのですから、私にはもう必要ございません」

 全耐障壁は竹神家防衛の一要素なので、その点では重く観ている。

「現象を強力に緩和し、衛生状態を保つ擬似的な全耐障壁なら使えます。その昔、天白和さんなどに施したものです」

「ふむ、それなら防衛力的にも問題ないか。俺のあげたネックレスもあるしな」

「メリアさんに加護の説明をしたあとでしたね。ネックレスは聖起源であるためなるべく移動させないほうがいいと伺いました」

 魔物襲撃騒動を誘発したのがこのネックレスだった可能性にオトが言及したのもその日だった。

「一方、攻撃的な魔法から守ってくれるとも」

 ララナに対するオトの想いがその防護力を発揮するという。

「学習機能つきってことも伝えたね。一度魔法を受ける必要はあるが、あの感染性も学習したから、次は掛かることもない。とはいえ過信は禁物。くれぐれも気をつけて」

「いつの時代も油断は命取りです」

「微風とかね」

「オト様、腰」

「失礼されても困るし、気が緩みすぎてもいかんから、この辺りでお開きやな」

 頰を撫でてくれたオトの手に、ララナは掌を重ねてうなづいた。

「じゃあ、引続き守りを頼むね」

「攻めはお任せします」

 今はただ役割を全うしよう。そんなやり取りすら新鮮に感じて、オトの腕を抜けてもララナは心が軽かった。

 

 

「プウ、表いこ」

 と、どこか晴れやかな父に声を掛けられて、プウは、なごり惜しそうな納雪達に目をやる。

「また乗っていい」

 と、尋ねる磋欄にうなづき返して、それぞれの言葉で「頑張って」と送り出してくれた妹にも瞬きで応じて、プウは父とともに玄関前に出た。鈴音達と交替して玄関前に父と並ぶと、

「プウ、今日は少し、本気で警戒しようね」

「……何か、来る感じがするのか」

「なんとなく、今日の感じがする」

 父のそれが単なる勘で済めばいい。納雪達と遊んでリフレッシュできたからか強い警戒心を夜通し保つのも容易い気がして、プウは力強くうなづいた。

「頑張ろう、パパ。音羅はきっと見つかる……必ず帰ってくるから」

「ん、頑張ろう」

 

 

「──俺がやった」

 少年らしからぬ無精髭に青空のような無表情で、彼はそう言った。

「確かか」

「現場検証、科学捜査、証拠物件の数数、ついでに状況証拠、全てが俺の罪を認める」

「……」

 三〇二二年一二月二一日、日曜日の取調室は天白和ほか二名の刑事の緊張が充満していた。一部で学園支配と称せられた約七年前の事件から時を経て逮捕に至った旧姓言葉真、現姓竹神音の取調べを行っているからにほかならない。容疑は強姦致死だった。

 

 取調べが数日に亘った。続けられた捜査と証拠鑑定によって竹神音の一部自供が変化し、覆った部分もあった。まず覆った部分であるが、被害者である橘鈴音の体内に残されていた体液に竹神音のものがなく、強姦の自供が噓と判明したのである。致死。それが自供通りであるとしても強姦がいったい誰の犯行か。それが判明したのは聞込みでチンピラ風の男性三名が浮上したときだった。その男性三名について訊くと竹神音の供述に変化が生じた。自分一人での犯行としていたものを、共謀としたのである。路地裏で話が弾んだ流れでのことで、事件後の行方は不明とも証言したが、以降は「俺がやった」を一貫した。

 

 竹神音は明らかに何かを隠していたが、その意図が判らなかった。彼は一貫して結果のみを語り、納得のゆく動機に絡む感情を語らなかったからだ。現実に起きていたことではなく、自身の結論こそが全てとするようにぶれることなく、検察の取調べでも「俺がやった」と繰り返し──、竹神音は証拠不十分として不起訴処分となった。橘鈴音を刺したナイフを竹神音が提出したが、そこについていた血液指紋も決定的証拠とは成り得なかった。なぜなら、橘鈴音を刺した瞬間を観た者がおらず、竹神音が刺殺したように観える状況があるのみで、刺傷による橘鈴音の出血量もわずかだった。時遡空間投影のような高度な時空間魔法を用いた事件時の状況再現は術者が存在しなかったために行えなかった。

 ……一人でやった。それ以外に、奴はもっと重要な噓をついていたはずだ。

 天白和は、そう考えている。恋人である橘鈴音を殺害する理由も、恋人を襲った男性三人を庇う理由も、何十年経っても判らなかった。ただただ、竹神音が噓をつき、一部犯罪事実を被ってでも守ろうとした何かがあることを推測するにとどまった。

 なぜ。

 三〇二三年の〈奇跡(きせき)(よる)〉、三〇二七年の〈(いつわ)りの(つき)〉、して昨年三〇七四年の魔物襲撃騒動、細かいものも取り上げればそれ以外に多くの事件・事象・騒動に関わっているであろう竹神音の動機はいつも不明確であった。他方、ダゼダダ警備国家全体としては国民の命や国土が理想的な状態で守られた事実がある。他者を害するため。欲望を満たすため。身勝手。世俗に溢れ返った見解を竹神音はその歩みで否定してきたといえる。

 それをまだ知る由もなかった過去の検察は、公にはしていない〔橘家に一生関わらない〕という内容の誓約書とそこに書き込まれた竹神音のサインを重く観て、不起訴処分を下した。

 橘鈴音を殺害したと竹神音が頑なに主張したことを踏まえて、橘鈴音を事実上死に追いやった三名の男性が消息不明となっていることから、検察が〈正当性殺害逮捕〉を適用したことを天白和は推認した。それでもって竹神音に対する橘鈴音暴行教唆・共同正犯等の客観的動機が消失し、罪の認定が困難となったのだ。一方で無罪の確証もなかったため有罪・無罪いずれも証拠不十分という認定で不起訴処分となったのだとも。そこで天白和率いる広域警察は厳重取締班による監視を強化、緑茶荘並びに通称サンプルテを竹神音が去るまで監視していた。

 不起訴処分のキーとなった正当性殺害逮捕は世界でも希しい法で、竹神音に適用されたと推認できたのは天白和を含めてほんの一握りの人間のみであろう。

 その推認をするに当たってまず理解せねばならないのは殺害逮捕という法についてである。殺人を犯した人間を殺害することで逮捕と見做す。これが、殺害逮捕である。殺人犯人が凶悪犯であることから次の犯行を予防することを目的としている法だ。殺人犯人との遭遇率が低いため一般人に適用されたケースは少ない。凶悪犯が力に優る傾向もあって警察組織などの治安維持部隊が職務で制圧した際に適用されることがほとんどである。

 殺害逮捕の一種が正当性殺害逮捕であり、これは一般人への適用が比較的多い。加害者が被害者を殺害せずとも被害者の自殺・死亡原因に加害者の犯罪行為が当たる場合に成立し許容される加害者への殺害行為だ。例えば被害者が死亡する前に加害者を殺害していた場合などに適用されることもあり、事実上の復讐を許容する法ともいえる。被害者・加害者ともに故人が死亡理由を明らかにしていないと言質が録りにくく立証が難しいため殺害逮捕の中でも判定が難しく、それゆえに適用されることも適用を公表されることも稀だ。

 その正当性殺害逮捕が竹神音に適用されたであろう件に話を戻そう。橘鈴音と竹神音が恋仲もしくはそれ相当の深い仲であることが関係者聴取で判明しており、事件当時竹神音が橘鈴音を積極的に殺害する状況はなかった。そこで発生したのが橘鈴音の事実上の死亡動機たる男性三名による凶行であった。男性三名の失踪が発生したのは、平たくいえば橘鈴音の復讐で竹神音が殺害すなわち正当性殺害逮捕を執行した、と、推認するのが自然な状況であった。ただし男性三名の名前も住所も不明のままで遺言が見つかるはずもなく、竹神音は「俺がやった」の一辺倒で黙秘に等しく、最たる被害者橘鈴音の遺書がなく状況を裏づける証拠が揃わなかったため正当性殺害逮捕の適用は公開できなかったのである。その後の竹神音の行動と誓約書の内容・存在価値の一致によって事後的にも適用されたのだろう、竹神音の無罪は特に検察で確実視されているように天白和は感じている。

 そして正当性殺害逮捕の適用を推認するに当たっては、姿を消した男性三名のうちの一人について触れなくてはならない。じつはその一人こそが、竹神音が確たる動機をもって殺害逮捕し得る人物と推定されていた。竹神音と橘鈴音が住んでいた緑茶荘の管理人日向像佳乃の孫日向像(ひなたぞう)太一(たいち)である。

 日向像太一は橘鈴音の事件後に姿を消した人物の一人であった。ところが、日向像佳乃は何日経っても、何年経っても、失踪届や捜索願を出さず、死亡届をも出さなかった。父親が早逝し母親もこの国にはいないので自由にさせてあげたい。とは、当時の日向像佳乃の証言であるが、失踪届等等の提出を促しても日向像佳乃は動かなかった。頑なともいえるその姿勢に、天白和は密かな確信を得た。孫の失踪を知りながら失踪届を出さず、捜索願を出す必要性を感ぜず、死亡届を出すことを躊躇う心境にあるのだ、と。そうして天白和は日向像佳乃が仇を討つために竹神音の様子を窺っていると推察したのである。して、検察でもそう推察したからこそ、竹神音の正当性殺害逮捕を密かに認定し、不起訴処分を下し、事後的にも処理したのだと推認できたのである。

 無論、推測が重なり憶測めいた話にはなっている。先頃、魔物襲撃騒動で命を落とした日向像佳乃からは内心を聞くことが叶わず、不起訴処分の判断を下した検事らが情報を開示することなどあり得ないため真相は闇の中だ。

 が、先にも触れた魔物襲撃騒動のさなか竹神音と日向像佳乃が執った行動が、長い時を経て正当性殺害逮捕をさらに確信づけた。それというのも国防のため肩を並べて同じ魔物を退治した後、日向像佳乃が竹神音を殺害しようとしたのである。そんな日向像佳乃を竹神音が痛めつけることもなければ無事に帰したことも重要である。日向像佳乃の動きが仇討ちだったとすれば、竹神音による日向像太一の殺害逮捕を確信していたことになる。また、日向像佳乃の復讐に対して動ずることなく咎めることもせず見逃したことから竹神音は殺害逮捕した相手が日向像太一であることを認識していたことになる。と、なれば、未成年時の竹神音の白黒つかない恋人への犯行動機が完全消失し、証拠不十分などとはいわず無罪確定となる可能性がある。

 しかしながら、そうであるならば橘鈴音事件当時、竹神音はなぜ真相を語らなかったのか。それこそが肝心である。なぜなら、たださえ一〇歳時の罪で世間を騒がせた竹神音が一七歳になって再び凶悪な犯行を重ねたと皆が信じ込んでしまったばかりにダゼダダ警備国家は長らく竹神音の存在に恐怖することとなった。かと思えば信奉する者も現れ、二極化した一般の意見が対立して、一部では揉め事に発展するケースもあった。それを細かく仲裁していたのは現場の警察官や刑事であるとはいうまでもないだろう。罪がないにも拘らず罪人のように監視していたことなどは謝るべきこととは承知しているが、そもそも偽証を行った竹神音の責任もあると考えて、組織としての謝罪ならともかく、個人としての天白和は素直に謝る気にはなれない。

 して、竹神音が神界へ移住したとの情報を仕入れた天白和は、有給を取って竹神音を追うことを考え始めていた。

 そんなときであった。仕事を終えて執務机を立とうとしたとき、突然に体の自由が利かなくなった。

 ……操られている──。

 天白和がそうと判ったからからでもなく、肩に載っていた小型のゾウが、

「傀儡だねぇ」

 と、鼻を振って、天白和の首を打った。すると、

「っ!」

 天白和は体が動くようになって、ゾウを見やる。「何が起きた。どこからの干渉だ」

「おらぁそこまではぁ判らないけどぉ気をつけたほうがいいねぇ」

「いつものことだがもう少し早く話してもらえないか」

「それはできない。おらぁこれが普通だからぁ」

 一文字に数秒かかる喋り方はいつまで経っても慣れない。会話で情報を求めることが困難な分、こういった不測の事態に対応できるため助かってはいる。

「ゾウ。術者を探知できたか」

「いやぁ、判らなかったぁ。ごめんよぉ」

「できたなら教えろ。これはテロに等しい」

 広域警察本部署長を傀儡に仕立てようなどとする輩である。先の世界同時テロも不可解であったが、それに触発された者か同一犯、あるいは別のテロ組織が本格始動したとも考え、対策を練る必要があるだろう。

「しばらく眠れそうにない──」

 

 

「──と、思っとったら早早に操られてモカ村(ここ)に来たんやね」

 お腹を摩る父がそう尋ねた相手は、ダゼダダ警備国家の広域警察本部署長天白和である。

「仕方ないだろう。ゾウも解けなかったようだ」

 右肩に分祀精霊のゾウが載っている天白和は目つきに反して悪人ではないのだろう。プウはしかし警戒しつつ様子を見守った。

「探知はできたか」

「いやぁごめん、できなかったぁ」

「そうか」

 異常に喋りの遅いゾウとの会話に苛立っていないので天白和の忍耐力は折紙つき。目つきよりずっと穏やかなようである。

「さて、こちらから話したいことはあるが、」

 と、天白和が見下ろしたのは、足下に倒れた複数の人間である。「どういう状況だ」

「見ての通りやよ」

「日向像佳乃、星川英、言葉真鷹音、それに、日向像太一ほか二名──」

 父の予感通り、傀儡化した人間が襲来した。父が過去に関わった人間が勢揃いしていたといってもいいほどの人数であり、傀儡としての質も一部向上していた。魔法薬を散布するも天白和には効かず、父がお腹に拳を一つ食らったのである。背後を取ったプウが締め上げた隙に父が傀儡化魔法を分析して解除、この状況に運ぶことができたが、天白和以外は死者を再生させたことが一目瞭然であった。

 傀儡化の魔法が解けて倒れたままになっている人間を、プウは父とともに仰向けにして並べた。父が魔法で敷いた布の上で、顔の汚れを別の布で拭いもする。そうした作業を進めつつ、天白和が聞きたかったであろうことを父が先回りで伝える。

「日向像太一とほか二名は、あの子に関わって俺が殺した三人の少年やよ」

「──」

「知りたそうな顔やったのに無反応かい」

 父の問に天白和がうなづかずに応える。

「自白と捉えていいな」

「構わんが、ここにおるはずのない人間やよ」

 それは天白和も十分に理解している様子である。

「皆、死人か。死臭がしないということは、生きているのか」

「魂がない状態だ。意思はなく、肉体だけが生きとる」

 魔団に纏わることを手短に説明した父に、天白和が目を白黒させることもなく冷静に対しているのは、広域警察本部署長として多くの事件に携わってきたからだろう。

「──状況は理解した。死者が魂を得ないまま蘇るなど、生者への侮辱でもある。葬るべきだ」

「委ねていいかね。ここ、村の中で荼毘に付すのは躊躇われる」

「いいだろう。人間は、人間の世界において人間の手で葬るべきだ」

「まるでこの世に人間以外がいることを知っていたような口振りだな」

 と、プウは父を一瞥して天白和を睨む。「それに、天白和、こいつは何者だ。昔から姿が全く変わっていないような気がする。人間ならとうに警察を引退している頃だろう」

 プウの疑問を解消すべく父が尋ねてくれる。

「お前さんにこれをあげるから、一つ答えてくれるかね」

「先程も使っていた鎮静系の魔法薬か」

「可能なら量産してもいいよ。ただ、そのときには傀儡化魔法の精度が増して効かん可能性が高い」

「質問は」

「答えてくれるんやね」

「職務時間外だ」

「じゃあ遠慮なく。お前さんが何者か聞かせて」

「魔法薬の礼というなら安い」

 抜き身にしていた剣を覆いに掛けて、天白和が森へと目を向ける。「ここほど小さな星ではなかった。オレはかつて神界を治める主神だった」

「そうなのか」

 プウは驚いて、父と天白和を交互に見る。「天白和は、神なのか」

「だった。過去形やな」

「今は人間としてやっている。いつからかは憶えはいない。が、広域警察本部署長として、ダゼダダ警備国家の治安維持を担うことは天命と考えている」

「主神の頃の記憶がないってことかね」

「一部残っているが他愛もないことだ。仲間と切磋琢磨し、悪魔や悪神からひとびとを守り、恋をし──」

「このイカツイのが恋だと」

「したらいかんの」

「そういうわけではなかった。驚いて、つい」

「……貴様はヘビと話せるのか」

「そこにおるゾウと同じやよ」

「此奴は人語を解するが」

「お前さんが聞こえるようになったのはここ五〇年のことやろ。それより前から俺はいろんなもんの声が聞こえた」

「神童や化物などと呼ばれた由縁か」

「耳以外の能力は人並以下やよ。お前さんだって万能じゃないやろう」

「人並以下の能力を振り絞ってきた。その結果、人間に生まれ落ち──、そう、生まれ落ちたんだったな」

「いま思い出したん」

「ああ、忘れていた。恐らく、一度は死んだんだろう」

 ……普通忘れるか、それ。

「いつの頃かは憶えていないが些細なことだ」

 ……いや、些細ではないだろう。

「大事なのは過去より現在そして未来だ」

 ……それは確かに。

 天白和の言葉に密かに納得したプウと同じように、父がうなづいた。

「忘れた過去に今のお前さんの土台があるとは思うが、概ね同意を示すよ。現在や未来の選択を縛るような過去なら忘れてもいい。人間は忘れることを許されとる存在やから」

「貴様は何もかもを憶えている。そう聞こえる発言に捉えられるが」

「俺はむしろ人間の域に達せんほど忘れっぽい。単細胞なんやろう」

「此奴らのことは憶えていた」

 天白和が不良三人を見下ろす。掲示板の人相書きとの一致から父が殺害した当時の姿であることは明らかだ。

「よほど感情的に接した相手だったのではないか」

「尋問」

「そうだ」

「そうか。なら、こちらも、そうだ、と、返しとく。いまさら隠すことでもない」

 と、父がわずか語った。「事件の経緯は概ねお前さん達の思い描いた通りやと思うよ」

「絶望の淵に立たされた恋人を手に掛けた後、正当性殺害逮捕を適用して強姦犯人三名を手に掛けた。正当性殺害逮捕適用には恋人の死を望む意思が前提となり、自殺幇助は免れないが、それら実態はあるか」

「一般性、法律に照らせばそういう罪でいいかもね」

「ここに来て否認するのか」

「罪は確実にあるよ」

「貴様は、何を罪と捉えている」

 天白和の問に、父が間髪を容れず真向から応えた。

「生きる道を心から選ばせてあげられんかったことが罪やよ」

 ……パパ──。

 プウは、天白和と沈黙をともにした。

「惨い仕打ちを受けたのがあの日やっただけでそれに近い出来事によってあの子が追いつめられたとき同じ道を辿らせることになったやろう。それをどんな罪で裁かれても裁かれた気になるわけもない。とは、羅欄納達と生きる中で実感したことやけど、だからこそ、俺は、謝罪をするつもりが改めてなくなった」

「裁かれたとて、刑期を終えたとて、大衆にそれを認められたとて、罪を贖った気になっただけの虚ろな自罰に過ぎない。貴様は、そう考えているんだな」

「俺の罪を裁けるのは亡くなったあの子だけやと思っとるよ」

 ……その恋人はもういない……。

「逃げの論理とは考えないか」

「そう思わんでもない。遺族からの殺意ならいくらでも受ける」

「『……』」

「ただ、遺族の殺意を向けられても、どんなに自分を傷つけても、あの子の名代で傷つけられても、贖った気にもならんければ、あの子が心から納得してくれるとも思わんから」

「……感情的結論だ」

「せやね、同意する。これでも、公的に示しをつけたいお前さんの気持を理解しとるつもりやよ。魔団の件に巻き込んだことも踏まえて、ただで済ませられるとは考えとらん」

「パパ──」

 父が、両手を揃えて天白和に差し出した。

「お前さんがここに来ることはもうないやろう。捕まえるなら今だ」

「何をして……!」

 両手を差し出す父の脚を上って、プウはその手を絡め取って下ろさせようとしたが、「う、動かない……!」

「プウ、お前さんも強くなったね。けど、この意思ばかりは譲れんな」

「捕まったら誰が家を守るんだ!」

「そろそろ認識を改めるといい」

「な、なんのだ」

「俺はお前さんより先に生まれとる。花さん達や、そこに横たわるみんなと同じだ」

「!」

 先に生まれた者が、先に死んでゆく。寿命という縛りがあるからだ。「パパは創造神アースの生まれ変りで強い魂を受け継いでいる。寿命に縛られていないはずだろう!殺したって死なないはずだ!」

「魔団の成長速度は目を見張るものがあるからね、ひょっとすると、俺を殺す術を見出すこともあるかも知れん」

「馬鹿な!」

 プウは、締め潰すように全力で抑え込んでいるのに、父の腕が下がることはない。

「俺がいま死んだとして、それでもお前さんは俺に頼るん。そんなんで音羅を救えるん」

「っそれは、別問題だ……」

「同じやよ。他力本願で力を磨くことはできん。お前さんがそこまで強くなったのはどうしてか、振り返ってみぃ」

 父に言われるまでもないことだった。

 ……おれは──。

 非力だったから。……強くなりたかった。

 暴走した野原花が放った風を防ぎきれなかったあのときも、ラヴェイトパァスィアの力にねじ伏せられたあのときも、音羅を守りきれなかった。そうして、音羅が守ろうとしたものを守りきれなかったから、何をしてでも、自分が強くならなくてはならないと思った。だから、神界に訪れて以降、刃羽薪にこき使われるように乗り回されることも修業として受け入れて、魔物と戦い続けて、特殊空間では音羅とも戦ってきたのだ。

「厳しい現実に直面して挫けそうになっても、追い求めた理想には程遠くても、身についた力があった。そうやろ」

「おれの、今の力が、そうだ」

「ん。ひとに頼って得られるもんやないんよ。家族を守ることも同じだ」

「理想だ……、おれは守りたい。音羅が守りたいものを、守りたい」

 父に頼り続けるわけにはゆかない。頼らなかったから手にした力が確かにあるのだから、

「放してくれるね、プウ」

 父の言葉にうなづかずにはいられなかった。

 様子を観ていた天白和が首を振って、

「ときの検察ではないが、今はやめておく」

 と、父を制した。「貴様を捕まえ移送しては却ってダゼダダの治安を悪化させるだろう」

「それは、パパを捕まえないってことか……!」

「ヘビはなんと言っている」

「俺を捕まえんのか、と」

「期待感は伝わってくるな。……」

 沈黙の天白和に、父が尋ねる。

「感情的結論でこれまでの警察人生を否定するのはどうかと思うよ」

「貴様の指図を受けるつもりはない。それに、今は職務時間外だ。一警察官として、刑事として、尋問したのでもない」

「まさかの興味本位かっ!」

「ツッコまれたか」

「正解。まあ、お前さんがそう言うなら手を下ろそう」

 と、言って、言葉通りに父が手を下ろしてくれたからプウは一安心した。

 けれども天白和はやはり警察組織の一員であるのだろう。釘を刺すようにこう言う。

「魔団をどうにかするまで浮かれて戻ってはくるな」

「解っとる。で、魔団が恐らく人間とはさっきも伝えたね」

「世界同時テロの犯人可能性もな。捕まえたら広域警察本部署長であるわたしのもとへ送れ」

「生きとる人間なら弔う必要もないからそうさせてもらう。見ての通り死者が多い」

「死者が罪を犯す想定など厄介極まりないな……」

 死者の傀儡と因果の糸が繫がっていないので魔団は生者である可能性が高いが、それは魔団に所属する傀儡化の術者との関係に限ったことだ。それ以外に魔団の中枢で動いている人間が死者ではないと断ずる証拠にはならない。もし死者であれば、一刻も早い事件終結のため遭遇時に葬る想定も父にはあるのだ。

 人間は人間の世界において人間の手で裁かれるべき。天白和はそう考えているのだろう。

「そういう意味では、天白和はパパを人間として観ているんだな。意外だ」

「いいひとやよ、顔に似合わず」

「ヘビとの会話も気になるが、留守にするのは都合が悪い」

 と、天白和が父を睨むように見た。「此奴らとともにダゼダダへ戻せ」

「ん、その前にもう一つだけ訊いていい」

「なんだ」

「お前さんは操られとるあいだの記憶がある。なら、どうやってここに来たかも憶えとるね」

「空間転移だろう。ただし、帯型でもなければ貴様から聞いた穴型でもなかった。余光を発しない、……貴様の妻の使うものに似ていた」

 魔団の術式変更は傀儡化にとどまらないということか。それも今度は母の特異転移に迫るような空間転移を創作していた、と。

「魔団の仕業ではあるんやろうけど、趣向を変えたか。空間転移を用いることは葛神思さんがここに現れた時点で判っとったけど乱発可能とまでは判明してなかったから甚さんから詳細を集めてなかったな」

「捜査が本分ではないのだから詰めが甘いのも仕方がない。甚とは桜神家当主の桜神甚さんのことだったな」

「八百万神社は治安維持組織に等しいから、中央県の本宮に与る甚さんとはお前さんも顔見知りやよね」

「本宮ではなく神宮だがな」

「細かいことはどうでもいいんよ」

 広域警察と八百万神社は対魔物対策において特に連携している。先の魔物襲撃騒動のときもそうだった。

「甚さんから話を聞いてきてくれるん」

「魔団が用いたと思しき空間転移の術式について桜神さんから聞けばいいんだな」

「報告はゾウにしてくれればOKやよ」

「その連絡手段はどういう仕組だ」

「耳のいい俺しか使えん糸電話みたいなもん」

「比喩が解りにくいが確実に伝わるならそれでいい」

 戻ってくるなと言った手前、父や竹神一家が惑星アースにぞろぞろ訪れるようなことを避けたいのだろう。天白和が父の依頼を早早に受け、特異転移でダゼダダ警備国家に戻った。布に横たえていた六人は天白和の手筈で火葬されるが──。

「パパ、大丈夫か」

「お腹ならもう平気やよ」

「それもそうなんだが……おばあさん達とか、星川英とか、あと、あいつらとか──」

 襲来を予想して掲示板に情報を書き込んでいた人間。納月や子欄にはああ言ったが、先程の出来事が父の大きな負担になっていないか、自分達の存在が支えになれているのか、プウは心配だった。

 その不安をプウの頭を撫でながら父が拭い去った。

「俺自身、ここまで冷静に対処できるとは思ってなかったが、たぶん、お前さんみたいに心配してくれるひとがおるからなんやろうな」

「ひとではなくヘビだが」

「っふふ、細かいことはいいよ。それよりプウ、さっきの話はみんなに内緒ね」

「さっきの話とは」

「一不良の正体」

「あ、それか……、解った、黙っておく」

 日向像佳乃の孫であったことを父は知っていたらしい。そのことを掲示板に記さなかったのはなぜか、プウなりにいくつか考えてみた。

「パパの友達に井中太一というひとがいたな。そのひとと同じ名前で同一視されたくなかったから伏せたかったのか」

「人格が違いすぎて見逃しとったわ。言われてみると、太一君の人柄を知らんみんなには起こり得ることかもね」

「じゃあ……みんなを気に病ませたくなかったのか、それか、おばあさんのことを貶められたくないのか」

「優しいね、プウ。真意は保身やよ。殺害逮捕した相手の正体を知っとったなんて知れたら総叩きに遭うやろ」

「おれはそうはならないと思うけどな」

 善悪白黒がはっきりしないひとの心の鬩ぎ合いのどこか一点を取り上げて絶賛することも総叩きすることも、竹神家はしない。

 ……そんなことをしないように教えてくれたのは、ほかでもないパパだ。

 怠惰で天邪鬼。それを誰より自覚している父は自身の言葉に説得力がないと思い込んでいるから対処が行きすぎる。保身などと自分の行動を否定的に表するのもそのせいだ。

「パパが話したくなったら話していいと思うぞ。みんな受け入れてくれる」

「みんな強くて賢いからな」

 昔から閉じた思考で完結している父だから自分からは言わない。だからといって家族を信じていないわけではなく、誰よりも信頼していて、誰よりも守りたいと思ってくれている。

 ……そんなパパだから、おれも、音羅も、大好きなんだ。

 

 

 ……──わたしは、燈に──。

 目覚めの最初は、そんな思考だった。

 音羅は、ゆっくりと瞼を上げた。

 真暗だ。いつか突入した地下室のようだ。窓のない部屋に押し込まれたかのように窮屈な感と息苦しさもある。

「う……なんだか、(頭が痛い……)」

 自分の声が頭に響く。

 額に当てた手も見えない暗さだ。窓のない部屋というのは遠くない表現だろう。声がすぐ近くで撥ね返り、反対側でまた撥ね返ってきた。ここは、閉じた空間のようだ。

 立ち上がるとふらついて、その拍子に前へ進むと、

「あいたっ、(壁が近い……)」

 思わず発した声も正面で撥ね返って左右と後方からまた撥ね返ってきている。

「……」

 後ろを振り返り、壁に両手をついて、眼だけ動かして、「あー」と声を発すると、やはり声が反響している。上には少し余裕があるようだが、やはり空間が閉じている。具体的には、細長くて狭い箱の中のようだ。壁に反響した声が掌にも伝わってくる。

 指先で炎を灯すと、聴覚で捉えた通り、少し高さのある箱型の空間だ。ただ、一面黒い壁で観たところ扉もないので、異様だ。

 ……結界魔法、かな。

 訓練で刻音が使っていた氷の結界の中は明るかったが閉じた空間という点ではかなり似ているので、自分はいま結界の中にいる、と、音羅は仮定した。

 では、なぜ結界の中にいるのか。遡ってみれば、穴に吸い込まれたのが最後の記憶であった。

 ……あれは空間転移だったのか。

 花達を火葬した直後のことであるから魔団の仕業で間違いないだろう。ひどくふらつく。穴に吸い込まれてからどれだけ時間が経ったのかは不明だ。頭を殴られたりして気を失っていたのか、やはりふらつく。

「目覚めた直後に時間を気にしていたっけ……」

 記憶退行前後の父はこんな気分だったのか。今がいつなのか、みんなが心配していないか、気になる。

 ここに来てからの記憶がない。外からの音が全く聞こえない。もしかすると出入りが不可能なのではないか。

 ……魔団の仕業だとしたら、わたしを閉じ込めておきたいのかな。逃げないように。

 父を苦しめるための人質。そうであるなら、結界を維持して、接触してこないだろう。音羅から視認できない状況なら、魔団から害される心配もまずないと考えていい。と、すると、

 ……今はあえて破らないほうがいいのかも知れない。

 音羅の魔法は刻音の結界を解いたことがあるので、この結界も解ける可能性がある。が、魔団がどれほどの人員を集めているのか定かでない。父や母が結界を破ってこないということはまだ発見できていないと考えたほうがいい。増援を期待できないなら音羅一人で魔団の不特定人数と搗ち合う危険性が生ずる。そうなったあと、逃げ出すことができるか判らない。空間転移で連れ戻されたら体力を消耗するだけで終わってしまう。

 ……今は、大人しく待っていよう。

 必ず居場所を摑んでくれるだろう父と母が合流したときが反撃・逃走のチャンスだ。

 ……うん。そのときまでに、回復しよう。

 戦闘での疲れが残っているようなので、魔法を使って消耗した精神力とともに回復する時間がほしい。全力で反撃に転ずるためにも、今は休む。

 ……パパ、ママ、みんな……。

 いつ魔団が結界を解いて忍び寄るか判らない。ここにいる以上、安心して眠れない。不安や緊張が、回復を妨げてくる。

 ……でも、頑張るから。みんな、無事でいて──!

 

 

 

──一三章 終──

 

 

 

 

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