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九章 幼少の記憶(二)

 

〔とても古い日常の記憶がある。

 日常だ。気に留めることもなく過ぎ去った。

 ただ、その瞬間に感じたちくりとした痛みでもって、脳か心臓かそのほかの記憶細胞のほんの一部に感覚的に刻まれたものがあったのかも知れない。眠気に負けて畳に付きかけた煙草を拾おうと利き手の指先を軽く火傷したとき、痛みに触発されて、ふと、それを思い出した。

 

 父言葉真(ことはま)(ごと)の手を、幼い我が子が自分の手と見比べて、話しかけてきた。

「お父さん」

「ん?」

「どうしてお父さんの指は短いん」

「……、ちょっと昔、怪我したからやわ」

 家具製造の会社で働いている言葉真毎は子が生まれる前に利き手を怪我した。仕事中の事故には同僚が駆けつけ、病院に担ぎ込まれることとなった。あまりの痛みに怪我の程度が判然としなかった言葉真毎は、治療を終えて目が覚めたとき、中指と薬指に巻かれた包帯の、異様な短さを見つめ、何が起きたのか、なかなか理解できなかった。生唾を吐き棄てられれば少しは気が紛れたか、病室で吐き棄てることはできず吐き気を催し、実際、空っぽの胃の中の物を戻した。

「お父さん、痛いの」

「……そうやな、痛いな、ちょっとやけどな」

 失ったときのことを思い出すと痛む気がした。とうに慣れた短い指で煙草を挟んでいる。口への移動も慣れている。見慣れてもいる。仕事で(ひび)割れた指先は、長さなど関係がなく、子の眼に痛痛しかったのかも知れない。

「治すね」

 と、両手を翳して、治癒魔法の光を灯した。治るわけがない。失ったものは戻らない。魔法学に暗い言葉真毎にもそのくらいのことは判っていた。もし戻るなら、病院で戻っていたはずなのだから。

「…………」

 戻らない。戻るわけがない。

 いつも可愛い微笑みの我が子が、眉間に皺を寄せて、意地になったように治癒魔法を掛け続けている。右手の指先が、自分と同じような並びになることを思い描いて、そうならないことに理不尽を覚え、

「うぅ……」

 もう、泣きそうだ。そんな我が子に、応えられない不甲斐ない指先。このときだけでもいいから戻らないものか。戻るわけもないのに言葉真毎はそう思って、

 不意に治癒魔法の光が弾けて、

 闇にも似た光から視覚が回復したとき、煙草の位置が掌に近いことに気づいた。いや、

 ……指が──。

 失ったはずの第二関節までの骨、医者が末節骨とか中節骨とか難しい言い方をしていたか、その骨ごと指が戻っているから煙草の位置を近く感じたのだ。

 その指を視て、いつものようにぱあっと笑おうとした我が子を、言葉真毎は、

 ぱちんっ!

 叩いた。

「え……、あ──」

 なぜ叩いたの。そう問うより先に何かを察した我が子は、言葉真毎より聡い。言葉真毎は、自分がなぜ叩いたのか理解していなかった。また、

「戻せ……、指がない状態に、戻せ」

 そう言った意味も、自分で理解できていなかった。反射的に出た言葉だった。それは、言い方を換えれば、人間ならば理由を考えるまでもなく体現してゆけることだったからだ。

 理不尽だっただろう。理解していない親に、叩かれるのは。ただ、我が子は、

「ごめんなさい……」

 謝って、魔法を掛ける前の、難しい名前の骨がない状態に戻して、しかし、溢れた血を止めることはして、また、

「ごめんなさい、お父さん」

 泣きそうな顔で謝って、でも、泣かないで、怺えて、俯いた。

 指先の皹割れが、赤ちゃんの肌のようにすべすべになっていることに、言葉真毎は、苛ついて、我が子の無防備な頭を叩いて、煙草を銜えた。我が子が我慢しているのに、言葉真毎は、そのとき、我慢できずに涙した。

 無垢な行いが、あるいは痛みを和らげようとする優しさからのものであるなら、褒めてあげたり、お礼を言ったりするのが筋だろう。が、言葉真毎は、そうはしたくなかった。

 

 失ったものは戻らない。それが、常識だ。

 だから、叩いたのだ。だから、失った状態に戻せと命令したのだ。人間ならば遺伝子レベルで馴染みきった当り前の、摂理だ──。言葉真毎がそれに気づいたのはずっとあとだった。生まれてこの方、頭の回転が悪い人間だったからだろうか。それとも、親の資質を培ってこなかったからだろうか。

 言葉真新家は、我が子の誕生とともに奇跡がたびたびあった。奇跡が起こることで、奇跡を起こす我が子がいることで、家の常識と世間の常識が乖離しようとしていた。乖離が顕著となることで迫害を受けかねない。と、子を慮った教育の一環だと言えればまだマシだったのだろう。そうは言えず、無理解のまま叩いて命令した言葉真毎は、聡い我が子の学んだ常識に甘えて自ら学ぶことをしなかった。甘えることが自分の中の常識で、我が子が学び取りつつあった世間の常識と乖離していることには気づかないままだった。

 あれから再び皹割れた指先で煙草を挟む日常は、世間の常識と乖離せず、世界の摂理に反することもない。平穏な日常と引換えに、奇跡を失い、侘しくなった。〕

 

 奇跡の日常は戻らない。言葉真毎が明確にそう理解したのは三〇二七年三月一四日、金曜日のことだった。仕事を終えて同僚と一杯やって帰ると、自宅玄関前に見慣れない姿があった。我が子であることに気づくのに時間を要したのは、こういっては語弊があるが、変わり果てた姿だからだ。命を失った亡骸や幽霊ということではなく、幼少期の愛らしさを欠片も残さない容姿で、正味な話、自分に似た無骨さを体現したかのような容姿で、言葉真毎は苛立った。

 昔と異なり、その苛立ちをぶつける間もなかった。

「棄ててくれてありがとう。生涯、さようなら」

 そう吐き棄てられて、立ち去られた。

「待たんか!」

 脇を通り抜けた我が子を引っ摑もうにも影も形もなく、酔いから覚めた言葉真毎は家で吞み直し、夜を明かした。

 

 

 山田リュートに関する話をしたあと、今後傀儡にされそうな人物をオトの中で整理するためにも、特に関わりのあった人物をいったん掲示板に書き出すことになった。その一人である父言葉真毎について書き終えたオトから、

「──、俺の胸を抉りたいならお父さんは必ず傀儡にされる。しかし容赦せんでいいよ」

 と、手加減無用をララナは聞いた。夕食のあと皆が思い思いに過ごしている頃合であるから掲示板の前はオトとララナのみである。

 特殊空間での魔法練習や戦闘訓練で能力の底上げが進んでいる家族だが戦うべき相手が判らないのでは本領を発揮できない。意識のない傀儡や精神支配状態の敵性分子なら目が虚ろであったり挙動に不自然さがあったりして見分けがつく可能性はあるが、どんな人物なのかを具体的に知っておいたほうが素早く対処できる。

 敵性分子たり得る存在を認識してもらい、警戒すべき相手の姿形を覚えてもらう必要があったため外見情報や声質など個人を見分けるのに必要な最低限の情報も書き添えられている。魔団の狙いは第一にオト。予想される傀儡はオトと最も関係の深い相手や手を出しづらい相手に絞られ、人数はそう多くなかった。

 三〇四八年一一月二四日の土曜日に、オトの父言葉真毎は亡くなっていた。継続的にオトの情報を送ってくれていた瑠琉乃とオト本人から、その当時にララナは話を聞いた。時間は短いがララナは言葉真毎と面したことがあるので仮に生者で意識があるのなら今のオトに対してどう思うか話を聞いてみたくも思うが、既に亡くなって意志ある言葉を発しなくなっているであろう傀儡に尋ねるべきことはなく、オトの指示通り手加減なしの対応をすることに決めた。

 掲示板は、表面に触れて別の情報への切替えを想像すると思った通りの情報に切り替わるので便利である。切り替えた情報の一部として出てくる魔団のメンバ予想には、言葉真毎の兄言葉真(ことはま)国夫(くにお)も入っている。両親の離婚に口を挟んだという言葉真国夫は言葉真新家の日常を壊した人物であり会いたくない人間の一人として挙げられた。ポーカーフェイスのオトだが元来は怒りっぽい。そんなオトの怒りを誘って隙を作る駒と成り得るとのことである。ほかに予想できる人物をざっと挙げると既に現れた葛神思、桜神甚、ゾーティカ゠イル、エント゠ウヴ゠エリーの四人に加えて、家に関わりのある人物で言葉真国夫の妻言葉真(ことはま)恒子(つねこ)や母竹神(たけみ)銓音(せんね)、祖母言葉真(ことはま)鷹音(たかね)だ。家系外となると幼い頃に番組出演で関わった人物が何人か挙げられそうだがオトはそれらを重視せず、学園長こと星川(ほしかわ)(すぐる)、広域警察本部署長の天白(あましろ)(やわら)、サンプルテをよく訪ねてきていた日向像(ひなたぞう)佳乃(よしの)大川(おおかわ)雛子(ひなこ)、橘鈴音を暴行した三人の不良、それから、元恋人山田リュートを含めた旧知複数人を挙げた。人相書きと理由がそれぞれ書き記されているので、学園支配後ほとんど引籠りだったオトがそれ以後もじつは広い交友関係を保っていたことを知ることができて新鮮な気分ではあった。

 中でもララナが気になったのは、初めて人相書きを観た三人の不良──。その存在を初めて聞いた頃にもおおよその身長や年齢は聞いたが、身体能力や魔力の有無などについては細かく聞いたことがなかった。それゆえに膨大な失踪者の中から個人の特定に繫げることはできなかったのだが、

「三人の不良の情報は確かですか」

 と、ララナは念のためオトに確かめた。

「緩いモザイクでぴったり合うくらいには正しいはずやよ」

 と、ふざけたのでもなくオトが言ったのは、もとから男性嫌いを主張しており頭の片隅にも置いておきたくないのだろう。また、橘鈴音を追いつめた仇敵として葬った相手であるから個人的な思いとしても記憶に残したくない相手だったことは想像に固い。

「一番の問題はメンバの構成だとか能力だとか外見だとかじゃなく、不完全ながら死者の再生なんてことを魔団が成し得たことやな」

 不知得性魔力ならそれができるとは既に暗示されていたことであるが、不知得性魔力は創造神アースが主立った世界の構築とそこに暮らす者の認識から外した魔力ともいえるので、世界のルールたる摂理に縛られた人間には認識すらできず操ることなど到底できない。

「お兄様との関係に縛られたメリアさんが設計超越を果たしたようなものでしょうか。魔団は世界に施された設計たる摂理を超越している、と、オト様はご考察ですか」

 創造神アースの施した設計は秩序を生み出している。ひとも物も設計の通りに動く。ざっくり説明すると設計は二種類。個人に施された設計と世界に施された設計で、後者は摂理ともいえる。前者も後者も通常は逃れられない。だが、稀にそれに抗って設計に収まらないモノが存在する。そのモノが設計・摂理を乗り越えることを設計超越・摂理超越という。

「通常の摂理において死者の肉体再生・蘇生が不可能なのは、まだ息絶えとらんものに対して治癒魔法が効かんことの延長上にある摂理やよ。ララナの持つ〈魂鼎(みこと)の力〉で魂器破壊を代償に発する蘇生ならまだしも、死後還元魔力をわずかながら現世に引き留めて再生させとることが普通ならあり得ん。それができんから、摂理に反したようでありながら摂理に縛られとる不死者なんてものが誕生し、治癒魔法が有効とまで知れ渡っとる」

「生前のおもいの一部たる個体魔力が引き留められないがために不死者は記憶も意識もなく彷徨い歩く肉塊になるのですね。また、摂理がその肉塊を死者と定義するため生者を癒やす治癒魔法の効力が反転して滅びを齎す」

「魔団による摂理超越に当たりそうなことに話を戻そう。不知得性魔力を認識しとること、それによってなんらかの原始魔法か特異能力を発揮したこと、死者再生・蘇生関連の行為、それらは広くひとや物に課せられた法則を覆しとる」

「原始魔法と特異能力、これの違いについて改めてご示教くださりませんか」

「細かく分けると大変やから原始魔法を総称として使っとることは前にも伝えたかな」

「厳密には異なるのでしたね」

「違いはいろいろあるが、一番の違いは魔力集束をするか・しないか、また、それによる余光のあり・なしやな」

「なるほど──」

 魔力を集束した際に発せられる余光は不知得性でも視認できるため、それがあるか・ないかで原始魔法と特異能力の違いが判るということらしい。

「どちらも現象を認識できんとその瞬間の違いも判らんからみんなに合わせてやはり原始魔法としておくが、まあ、暇があれば自分達の使っとる魔法や能力を見定めてみるといい」

「例えば私達が使う特異転移は余光が発生しないので特異能力に分けられる、と、いう具合ですね」

「そう、そう、そんな感じ」

「では音羅ちゃんの使う炎や氷はどちらでしょう。──」

 その昔にオトが〈祀魔法(しまほう)〉と称したことがあるのが音羅の炎だ。当時の記憶を振り返ってみるとあれが「炎」という現象の色だったのか余光だったのかララナは判然としない。また、つい最近見た音羅の炎や氷にしても同じだ。それを尋ねたララナに、オトが答えた。

「発生した現象の色と余光がそれほど違わんことがある。炎や氷、それから雷や水なんかも、それ自体が光ったり光を反射しやすかったりするよね」

「見た目では余光との区別がつきにくいのですね」

「やから、不知得性魔力を知覚できんひとには見分けがつきにくい。で、音羅のは特異能力と原始魔法、どちらもある。お前さんもそうであるように感覚で使っとるから、自覚ないけどね」

 ララナは不知得性魔力を知覚できないので、難しく考えるよりは不知得性の現象を原始魔法としてざっくり捉えておくほうが解りやすい。

「あえて例を挙げるなら〈無音歩行〉は特異能力に分類できる」

「確かに、余光が発せられませんね」

 歩くと、足裏の狭い範囲から自重が伝わることで床と接触する音や床の軋む音が立つほか、体が風を切る音や衣服と肌が擦れる音、筋肉の収縮する音、血流や心臓の音など、さまざまな音が立ってしまうものである。が、オトや謐納、それから刻音はそれらの音を全く立てずに歩くことができる。それは集束されていない魔力本来の効果、つまり魔力効果で起こしている現象ということだ。

「特異能力は不知得性魔力を意図的に用いているのですよね」

「そうやね、無自覚でも意図的やよ。場合によっては身についた配慮ともいえるかもね」

「無音歩行はまさに配慮から生じたのでしょう。謐納ちゃんや刻音ちゃんは、いろいろと周りに気を配れる子です。勿論、オト様も」

「いや、俺のは違うよ」

 と、掲示板の言葉真毎を指差すオト。「ぶん殴られんための自己防衛やったから」

「お義父様の気を煩わせないため。自己防衛でもあり、お義父様のことを気に掛けていらっしゃったのだと、私は存じます」

「好意的に観すぎ」

「光栄です」

 オトのその応答は「正解」に等しいのでララナは微笑みでお辞儀した。

 原始魔法や特異能力の習得方法はさまざまで、総じて変わった力だ。物理法則的にあり得ないようなことまで起こせる。

 そのようにあり得ないことを起こせる原始魔法や特異能力は、創造神アースの創り出した世界のルールたる摂理を覆し、超越しているといえるだろう。摂理超越する存在を創造神アースが想定していなかったということではなく、単に摂理という箱の中から飛び出してしまったというだけで世界がそのままとんでもない方向に改変されたり破壊されたりするわけではない。が、原始魔法や特異能力を不知得性魔力を知覚できない存在に使ったら一方的な行いが可能だ。魔団のような悪意ある存在が行えばなおのこと、平穏が乱されるのは目に見えている。

 して、オトが示唆するのは乱されるかも知れない平穏の一つであった。

「〈裁者(さいじゃ)の力〉。アデルの使うあれは原始魔法であることはもう理解できとると思うが、それによって生じた力が絶対の加護とはもう言えん状況になったとも理解できとるかな」

「──!」

 不覚にも、ララナは言われるまで気づかなかった。「お兄様が私に掛けた全耐(ぜんたい)障壁(しょうへき)、これも裁者の力によるものでしたね」

「ん。その障壁が不知得性魔力で構築されとることは、これまで誰もその障壁に気づかんかったことによって何万回と証明されとるといえるが、さて、同じく不知得性魔力を用いる魔団に絶対的防護性を発揮するかどうか」

「……過信は禁物、と、いうことですね」

 傀儡化魔法の対象について話した際オトはララナが傀儡にされる危険性を除外していなかった。全耐障壁を無視して魔団がララナを操る危険性が観えていたのである。

「と、いうことは、私が保護できたはずのメリアさんや娘も──」

「そう。だから、各人に警戒を促して戦えるように訓練をつけとるわけやよ」

 掲示板による情報共有もより深い危険性を見越した対策の一つだ。

「頭が下がります」

「よし、よし」

「撫でていただきたいわけでは」

「素直なのが一番って話やよ。魔団に可愛げはないな」

 オトが悲しげに眺めたのは掲示板の人相書き。彼の旧知堤端総が映されている。

「魔団が素直にオト様のみを狙ってくるなら、あらゆる危険性を排除できますが……」

「そうはいかんやろうから、厄介極まるね」

 厄介、で、ララナは思い出したことがある。

「桜神甚さんとエント゠ウヴ゠エリーさんは生きていました。傀儡化魔法の術者が生者であることは先に判明しておりますから、因果の糸が繫がっている可能性がございます」

「無論調べたが残念」

 と、オトが瞼を閉じて後悔を零す。「過去の出来事を悪用されたな」

「──異次元の結界による因果の糸の切断ですね」

 オトが閉じ込められた結界によってオトと繫がっていたララナ達との因果の糸が切れたことがある。魔団がオトの過去を調べるか逐一観察していたのだとしたら、あの出来事から因果の糸を切断する手段を学び、活かしたことが考えられる。

「良くも悪くも魔団には知識を活かす頭があることが判然としたね。俺の失態を拾ってくる辺りに挑発を感ずるからそれに乗るべきじゃないな」

「より力を蓄えて挑みましょう」

「ん。と、いうことで、明日みんなを集めてここまでの話をしっかり伝えるとしよう」

 

 そう話して警戒すべき日は、予想以上に早くやってきた。皆に警戒を促すことを決めたまさにその日の夜だったのである。

 

 

 村の医院でボランティアをしている納月と家事全般を手伝っている子欄がぐっすり眠っている横で、同じようにして眠っていた刻音は、

 どっ!

 何かの物音で目が覚めた。

「……こんな夜中に、なんです」

 と、上体を起こした子欄に倣って、刻音も上体を起こした。

「上からみたいですぅ」

「上って屋根じゃないですか」

「展望台をかねてますけどぉそうですね」

 話していると、今度は西の外のほうから、

 どすっ……。

「何か、落ちたような音ですぅ……」

「枝に巣を作った鳥が屋根に落下して滑落したんでしょうか」

「子欄お姉ちゃん、想像力豊かですぅ」

「初めて言われました。なんだか嬉しいです。ちょっと見てきますね」

「あ、わたしもいきます」

「親子で落ちていたら大変ですからね」

「想像力……」

 気のいい姉には魔団云云への警戒を訴えるのは野暮な気がして、刻音は想像の通りの出来事であることを祈ってついてゆく。何事もないのが一番であるし、何事かが起きそうなら時を止める自分の魔法で全てを止めて父達の加勢を待てばいい。

 西壁の窓に寄って、竹格子に頭を押しつけるようにして下を覗き込んだ子欄が、

「あ、やっぱり鳥です、結構大きい。ああ、足を引き摺って……刻音さん、行きましょう。治療してあげないと」

「はいっ。(よかった、本当に鳥か)」

 刻音と子欄も、足音に気を遣っているとはいっても声を発している。納月も起きてしまったのではないか、と、目を向けると、

 ……やっぱり起きていないな。

 ぐっすり、すやすや、だらしない寝顔。あの調子なら勢いよく扉を閉めても起きないのではないか。廊下に出てそっと閉めた扉を振り返って、刻音はそんなことを思った。

 一階に降り、誰の部屋もない西廊下から三和土に下り、玄関から静かに出て、家の西にいた手負いの鳥にそっと近づいた子欄が治癒魔法で治療し始めた。

「動物にも治癒魔法って効くんですねぇ」

「水属性の治癒魔法なら外傷をほとんど治せますから便利ですよ」

「よ、と、言われても刻は使えないので反応に困りますぅ」

「そういえば、刻音さんも水属性を持っているのに使っていませんね。旅の中で使う機会がなかったんですか」

 幸か不幸か治癒魔法を使う機会がなく、練習したもなかった。

「鈴音お姉ちゃんが怪我をしたところは見たことがないし、刻は魔物の動きを止められるからほっといても治るような怪我しかしたことがないんですよぅ、主に自滅で」

「刻音さんは攻撃に偏ったんでしょうね。使うにはきっかけがあるものです」

「きっかけですかぁ……」

 治癒魔法を掛けるとしたら、相手は怪我人だろう。初挑戦が大怪我ではトラウマを作ってしまいそうだ。

「よし、治りましたね」

 子欄が魔法を止め、「下がりましょう」と、刻音を促して少し離れると、野鳥が慌てたように飛び去った。

「お礼もなしですかっ、わっ」

 舞い散って額に当たった羽の一つをポイして、刻音は影もなくなった鳥を睨んだ。「せっかくお姉ちゃんが助けてあげたのに無礼ですぅ!」

「まあ、まあ。手負いだと自然界では狙われます。外敵に襲われれば命を落とすこともあるので気が立っていたんでしょう。動物として自然な警戒ですから、治療をした身としてはあの警戒心を保って無事でいてほしい。なので、刻音さんも怒らないでいてほしいです」

「うぅ、優しいなぁ、お姉ちゃんはぁ」

「ふふふ、刻音さん、立派な姉へと歩を進めているようで偉いです」

「んふふ〜」

 ついぎゅっとしたくなるのを抑えたのが伝わったのか、頭を撫でてくれた子欄に刻音は微笑み返した。

 履物があったので行きは玄関から出たが、出入口としては勝手口のほうが近い。勝手口がある家の北側から子欄とともに家へ入ろうとした刻音は気づいた。

 ……足音──。

 つい先程まで自分達がいた家の西側から、それが響いてきて立ち止まった。

「お、お姉ちゃん待って、なんか、誰かいる──」

 小声で呼びかけた刻音を振り返ると、子欄が背中を押した。

「刻音さんは家に入ってください。体を冷やしてもいけませんし、何かあっては事ですから、お父様達に連絡を」

「あ、ちょっ──」

 戸を開けて押し込まれては入らざるを得なかったが、一緒に旅をした鈴音の言葉が刻音の脳裏に蘇った。

 ──頼りきるのもよくないけど、初めて行く場所なら一人になるのは避けたほうがいいよ。

 初めて行く場所。限定的状況でのアドバイスとは解っている。が、二人ならどうにかなる状況で一人では追いつめられることもある、と、いう注意喚起でもあったはずだ。頼りきることもあったが、支え合う関係こそ家族だ。

 ……お姉ちゃん、刻にも支えさせて。

 治療など欠片もできなかったが、別のことなら役立つ場面もきっとある。刻音は自分を信じて外へ取って返した。家の北側、裏庭の東寄にクエンが植えられていて死角はそこのみだが、子欄の姿はない。

 ……もう西側に。あの足音、誰のだったんだろう。

 家族の可能性はなくもない。

 ……比較的大きな足音なのは意外に納雪さんだったりする。

 声が小さいからということではない。納雪は両親からの記憶継承がなかった。あらゆる経験を自分で積んでおり、成長が最も人間らしい。だから納雪には静かに歩くための経験が一番少ないのだろう、と、刻音は思っている。

 ……って、まだ早朝でもない。こんな夜中に出歩く不良な納雪ちゃんはいはい。

 子欄や自分が不良とも思わないが、……だったら誰だ。もしかして夜月お姉ちゃん。

 外に出歩くイメージがあるのはその名に夜を冠した姉だが、刻音は首を横に振った。

 ……肌に悪いって言いそうだ。いろんな化粧品も持っていてすごいもん。

 体の調子を乱すような不規則な生活は夜月と縁遠いだろう。それなら誰だ。

 ……って、あれ。

 子欄が向かったであろう西側へ向かいつつ、刻音は気づいた。とうに死角で見えないが、村の外、北のほうから音羅の気配がしたのである。

 ……音羅お姉ちゃん、どうして。いや、先に対処してくれてたんだとしたら──。

 魔物討伐の仕事中、どういうわけか魔力探知を掛けている刻音より音羅のほうが早く魔物に気づくことがあった。それと同じように魔団の襲来を逸速く気取っていたのだとしたら。刻音が聞いた足音の主と同一人物かは不明だが、魔団を平野へ追い出してくれたなら刻音達は家の中で母達と合流したほうがきっと安全だ。

 ……子欄お姉ちゃんも早く合流しないと。

 刻音がそう考えたときには状況が思わぬほうへと動いていた。家の西側、野生の鳥を見送った場所へ駆け込んだ刻音は空中に浮いた闇の塊(?)に子欄が絡め取られてゆくのを目撃したのである。とっさに時を止める魔法を放ったが、

 ……効かない!

 子欄を爪先から覆ってゆく闇の動きが止まらない。その闇に魔力反応を感じない。魔団の原始魔法と観ていい。全速力で駆け出し、右手に握った魔法薬を投げる動作に入りつつ刻音は子欄に左手を伸ばした。

「お姉ちゃんっ!」

「──!」

 振り向いた子欄も闇を振りきるように手を伸ばしたが指先が触れ合うこともなく、その姿が吸い込まれるようにして闇に消えた。その闇は、瞬く間に風景に融けて消えていた。

「う、噓……何、これ……!」

 肌がぞわっとして、刻音は思わず後退りしてしまった。可能な限り素早く対処した。それでも魔法薬を投げる余裕もなく、手も届かなかった。

 ……お姉ちゃん、ど、どうしよう、どうしたら──!

 闇はやはり消えている。今さら魔法薬を投げたところで意味がない。そう考えていた刻音は再びぞっとした。子欄と闇にばかり意識が傾いて背景に目が届いていなかった。暗がりの森の中でちらと動く影が見えたのである。

 ……お姉ちゃんを消したのはあのひと?

 恐らく魔団。刻音はただちにその辺りの空間の時を止めようとしたが、闇を止められなかった感覚とは異なり、明らかに弾かれた感覚がした。

 ……対魔法障壁か何かで守られている!

 刻属性が強力だったがゆえに刻音には対魔法障壁に対して有効な物理攻撃の手段がない。なので、対魔法障壁を崩すなら単純に刻属性魔法の威力に物を言わせる必要がある。

 ……もっと強力なものを使わないと止められない!

 影には気配を感じなかった。不知得性魔力の影響か、魔力反応を完全に潜めているか。

 ……あ、行っちゃう!

 木陰に隠れられた。気配がないので、正確な位置が判らなくなった。

 ……草を踏む音がする。無音歩行は使えないんだ。それならまだ止めようはある。

 木陰に潜んで迂回して刻音を躱そうとしている。家の中に入れてしまえば誰が害を被るか判らない。子欄のようにどこかへ消されでもしたら──。

 ……でも、もう自由になんてさせない。刻の耳だってお父ちゃん達と同じなんだから!

 影の足音を捉えている。

 ……まずは傀儡化を解いてみないと。だけど……。

 木木に反射して足音が捉えにくくなってきた。

 ……奥、外層のほうへ移動している?

 竹神家一同の耳が利くことは魔団も把握済みということだろうか。

 ……こうなったら、はったりでも武器は用意しないと。

 気配で位置が割り出せないので、姿を確認しなければ魔法を外してしまう。強力なぶん消耗が大きいので、反撃を許すような隙を与えては刻音もやられてしまうかも知れない。

 ……球体に構築する魔法弾の応用だ。形を棒状にして、──これでいい。

 接近戦が不要だった刻音にしてみれば、これは本当に虚仮威しにしかならない武器だが、当てれば構築に使った魔力の量に比例してそれなりの威力も発揮する棒だ。刃物にすることも不可能ではないが、傀儡となったひとが死者でなかった場合取返しがつかないので、出血しにくい形状を選んだ。

 ……まずはこれで、森から引き摺り出す!

 喬木の枝へと跳び載ると無音歩行で枝から枝を跳躍して足音の発信源である影を俯瞰した。

 ……刻から逃げられるわけないでしょ。

 暗がりでは顔もはっきりしないが夜間に刻音の目を避けるように動いている時点で不審者だろう。その背後に降り立ち、

 ギンッ!

 思いきり魔法の棒を振って影の腰を殴打した。掌に伝わってきたのは岩や金属のような硬質な何かに接触したような感覚だ。生身の人間を殴ったならもっと鈍い音もしただろう。

 ……やっぱり弾かれているっぽいけど、これでいい。

 ペンシイェロの木と周囲の草花は村の財産なので傷つけたくない。竹神邸の一部であれば壊れても父がなんとかしてくれるだろう。竹神邸への侵入を目指している影は、刻音が家の前から離れたことを好機と捉えて自然と家のほうへ向かった。

 ……そんなの予想済みだ。今度は当てる!

 魔法薬で傀儡化魔法を解く。それが駄目ならもう一度魔法を試み動きを止める。

 ……そして今はきちんと見えている!

 内層から出て家の前へ飛び出してゆいた影の背中に棒を投げつけ、ひざまづいたことを認めて魔法薬をぶん投げた。容器が割れて虹色がぶちまけられるが、

 ……っ、まだ動いている。

 魔法薬が効いていない。背中に当たった魔法薬を気にするそぶりを見せた影だが間もなく勝手口のほうへと進む。

 ……でも想定内だ。

 魔団が鎮静魔法や魔法薬に対抗する術式で影を操っている。あるいは、

 ……あのひとは傀儡じゃなく、傀儡化魔法の術者本人って可能性もある。

 傀儡化魔法の術者は魔団の末端ではなく中枢に近い存在と目されている。

 ……侵入させたりなんてしない。

 刻音は両手に全魔力を集中し、魔法を放った。

「止まれーーーーーーッ!」

 

 

 刻音の叫びが聞こえた。飛び起きたララナは、次には氷が圧し合うような轟音を聞いた。

 ……家の西、磋欄ちゃんと霊欄ちゃんの部屋の近く!

 家を見下ろして平面的に捉えるなら最年少の二人の部屋の真横で何かがあった。最年少だから最弱とは言えないものの、オトの弱みを握るという意味なら狙われやすい立場ではある。

「オト様、磋欄ちゃんと霊欄ちゃんを保護して私は外へ先行します」

「メリア、俺らでほかの部屋の子らを保護するから起きぃ」

「うっ、寝起きがつらい紙耐久の弱みを衝かれましたか」

「魔団もそんなことは気にしてないと思うが早くしなさいね」

 目許をこすって体を起こしたメリアとオトをそれぞれ別の娘の部屋へ転移させると、ララナも磋欄と霊欄の部屋へ転移した。

 

 

 地表へ放った刻音の魔力が一部壁と屋根を撫でる。魔力を竜巻状に束ねて氷の柱を模した結界魔法に変えて影を捉えた。

 ガシャーーーンッ!

 ……特殊空間の外だと初めてだから、加減ができなくて耳が痛いけど……。

 窓から家の中へと響き渡っただろうその音が異常事態を知らせてくれる。母父らの増援やサポートも見込めるだろう。

「誰が相手だって負けない。刻はお姉ちゃんなんだから!」

「……」

 氷に巻き込まれた家は予想に反して全く壊れていない。家が頑丈なだけで魔法が弱いのではない。が、結界に閉じ込められた際にダメージを負ったはずの影が人形のようなぎこちなさで振り向いた気配がした。

 ……魔団相手には弱かったのか。この結界の中で動けるなんて。

 結界の内外で景色は隔たれている。こちらからも向こうからも互いが見えない。術者である刻音だけ、魔力を介して影の動きを感ずる。

 ……何かしようとしている?

 影が両手に魔力を集中させている気配がした。

 ……音羅お姉ちゃんが戦っているなら、ほかにも敵がいるかも知れない。

 結界に集中したいが周囲に気を配っていては限界がある。刻音がそう思ったとき、家から増援が駆けつけた。

「刻音」

「謐納お姉ちゃん!」

 三階北東の部屋で眠っていたであろう謐納が早くも。同室の鈴音と納雪もきっと起きていて家の中で家族全員の態勢を整えてくれているだろうが、感謝より情報伝達と警戒を促すのが先だ。

「魔団っぽいひとが来て結界に入れたけど何かしようとしている!」

「焦らず。結界維持に注力願いまする」

「う、うん!」

 姉妹の中でも随一の冷静さで指示をくれて周囲に気を配ってくれる謐納のお蔭で刻音は落ちついて魔法に集中できた。

「素晴らしい結界です。外に出られるとは考えられませぬが、予想外の存在こそが魔団との旨しかと心得ておりまする。父上達の増援までわたしが刻音を死守致しまする」

「ありがとうございますぅ。お姉ちゃんがいたらなんとかなりますぅ!」

 結界の中の傀儡か魔団をふん縛って責め立てれば子欄の居場所についても聞けるかも知れない。と、刻音が思って間もなく、さらなる増援が駆けつけた。

「無事ですか」

「あ、お母ちゃん──!」

「謐納ちゃん、そちらを頼みます。こちらは私が」

「承りました」

 前に出た謐納に続いて、後ろに母が駆けつけてくれて、刻音は魔法を強固に維持することができる。

「ありがとう、お母ちゃん、お姉ちゃん……うぅ……」

 安心感が、先の不安感を蘇らせ、刻音は、抑え込んでいた感情を零した。

「刻音──」

「刻音ちゃん、どうしましたか」

「子欄お姉ちゃんが消えちゃったんです……!」

「なんですと」

「消えた、とは」

「よく、判らないんです。闇みたいな穴に吸い込まれるように、吞み込まれるみたいに……手が届かなくてそのまま──」

「左様なことが……」

「刻音ちゃん、そのことは後程。今は魔法に集中を」

 母が後方を警戒しつつ肩を撫でてくれなければ刻音は膝を折りそうだった。ぎりぎりのところで集中力を保ち、魔法の維持に全力を注いだ。

 

 

 防御系魔法の性能は、魔法壁、障壁、そして結界の順に高まる。魔力量的に相殺できる魔法であっても、これら防御系魔法はほかの魔法に比べて相殺できる魔力量が断然に多い。うまく活用すれば攻撃に曝されにくくなるが、世間では障壁の使い手も稀有だ。ララナのかつての仲間は障壁使いの才覚を遺憾なく発揮して戦いを優位に運んだが、障壁よりも強度の高い結界を使える刻音は竹神家にとどまらず世界的にも有数の防衛手段を持っているといえるのである。

 刻音が全力で維持する結界の強度は多くの神を葬ってきたララナの魔法を止めることもあるほど。結界の内側では精神力回復に制限が掛かるので、内側から破ることはおよそ不可能の域だ。一方で、この場の膠着は人数不明の魔団相手には避けるべき状況である。次から次に襲撃されでもしたら、優れた結界を展開できる刻音でも集中が切れる。集中が切れれば魔法は消える。一人一人確実に退ける必要がある。

 結界に閉じ込められているのは死者か。それを速やかに判断せねば次の行動に移れず、後手を取る危険性が出てくる。

「刻音ちゃん、一つ質問です」

「なぁに?」

「影は呼吸をしていましたか」

「足音はしていて……息遣いは聞こえなかったです」

 家族の耳は信用に足る。囁き声にも達しない納雪の声を聞き取ることができる聡さなのだ。多少離れていても、通常の人間が止めることのできない呼吸を聞き取れないとは考えにくい。

 ……閉じ込められた影は死者、十中八九、魔団の傀儡です。

 家、結界、謐納、刻音、ララナの順に並んでいるが、さらに西には内層がある。暗がりの森に伏兵がいた場合、ララナが刻音の後ろを離れると対処が難しくなる。それらを考えたララナは、謐納に配置変更を伝える。

「傀儡処理のため私がそちらへ出ます。謐納ちゃん、こちらの警戒を任せます」

「承りました」

 森への警戒を謐納に任せたララナは、家とほぼ接している結界の北側へ転移し、魔力で形作った〈魔弓(まきゅう)〉を握った。

「お母ちゃん、刻属性も入れている結界だから魔法も止まっちゃいますよぅ!」

「大丈夫です。お母ちゃんを信じてください」

 刻音の結界の強度はもとよりその性質も理解した上でララナには手段がある。それに、

 ……死者を弔うのはこの世に生きる者の務めです。

 ララナは傀儡に向けて一手の魔矢を放った。

「あ……!」

 刻音が思わず声を漏らしたのは、時を止める強力な結界を魔矢が二本とも貫いた。結界は維持されているので傀儡は外へ出られない。そうでなくても、

「動きが止まった……?影が止まりました!」

「傀儡化を無力化できたようですが、少し待ちましょう」

 心臓と頭を貫いた矢が魔力を引き剝がしている。それによって傀儡化魔法が無力化されているので動けなかっただろうが、念のため、結界に閉じ込めて十数秒待機した。

「動きましたか」

「ううん、動いていないです。完全に止まっていますぅ」

「よいでしょう」

「あの魔法の矢はなんですか。刻の結界を貫くなんて見たことが……」

「〈融断光(ゆうだんこう)〉という魔法を一部に用いた魔矢です。オト様の障壁も貫いて致命傷を負わせてしまうと考えて使いませんでした」

 その昔には、創造神アースが不知得性魔力で構築した構造物の壁をも融かした魔法であるから、オトの施した障壁にも有効と見做して安全に配慮する必要があった。死者の傀儡が相手であれば容赦が要らず、思わぬ情報を一つ得た。

 ……引き剝がしたものとは別の、融けたあの魔力は、確か……。

 魔矢に用いた魔力を介して、傀儡からオトの父言葉真毎の魔力を感じた。

 ……お義父様。斯様な見送りとなったこと、お許しください。

 融断光で融かしたあらゆるものは魔力に還元され、ララナのものにすることができる。が、死者の傀儡に用いられているとしたら、それは生前に魔力を奪われていたか、死の直後に現世に引き留められたということ。本人の意志に反した現世への残留は摂理に反しているため不自然であり、自分の魔力にしてしまうのは魔団の悪行を是認することに等しい。戦時に鈍した感性を振り返りつつ──、ララナは、言葉真毎の魔力を結界の外へ引き出し、自然へと還した。

 ……どうか、安らかに──。

 

 

 事切れた姿を憶えている。焼きついて、忘れられない姿だ。傷ついて、痛ましくて、それでも、寄り添い合った姿だ。傷つけ合った過去を乗り越えた、愛おしい姿だ。

 ずっと憶えていたい姿だ。

 音羅は二人の手を重ねて見送って、二人だけにしてあげたくて、あの場を離れようとした。目が覚めたときには自宅にいて、朝が来て、たんぽぽ園に行ったら二人のおもいを引き継いだひとびとの姿があった。二人はこの世から消えてなくなったわけではなかった。

 だというのに──、どうなっている。

 音羅のすぐ脇にいるのは、どう見ても野原花と冬木敦也、たくさんの園児を育て、その命を託してゆいたはずの二人だ。

 どうなっている。なぜ文也に続いて二人が現れた。これではまるで、魔団は父ではなく音羅を狙ってきているかのようではないか──。

 不意に頰を叩かれた。そう強い力ではなかった。神経が冴え渡るようなひりっとした痛みが走った。

「ピィッ!」

 ……プウちゃん──、ありがとう。ちょっとだけ、冷静になれた。

 動転している場合ではない。魔団の目的が何かなど今はどうでもいい。誰を狙っているかはこの際どうでもいい。問題は、

 ……敦也さんも、花も、望んでここにいるわけじゃないはずだ……。

 やり残したことがきっとあった。無念もきっとあった。寿命を全うしたのではなく魔物に殺されたのだ。悔しくなかったはずがない。生きていたかったに違いない。それでも、歪んだ夢を描いたひと達ではない。悪意でもって蘇らされることを望むひと達ではない。

「逃げるんだ、早く……!」

 その言葉が生前の意志があることを示している。

 ……文也さんに続いて、敦也さんにも意識が。

 それが現実。受け止めつつ、対策を考えなければならない。

 逃げようにも、どこに逃げたらいいものか。凄まじい力で摑みかかってきている文也をプウと一緒に押さえつけることはできているが、村に逃げたら害が及ぶだろう。かといって村から離れるように移動しては父達の増援を期待できない。

 ……最悪、いや、絶対、花と敦也さんとも戦わなくちゃいけない。

 避けられる戦いなら避けたい。文也も、敦也も、花も、なるべく傷つけたくない。強くそう思うのは、文也や敦也に意識がある一方で、

 ……花は、なんだか、虚ろだ。

 生前のあの覇気がない。生気がない。花らしい力強さを全く感じない。恐らくは、意識がない。あってほしい、と、どこかで思っていることを否めないが、意識があるとは、どうしても思えない──。

「プウちゃん、ここはわたしに任せて、みんなを呼んできて」

「──プゥ!」

 文也を締め上げて放そうとしないのは、心配してくれているのだろう。

「大丈夫、時間稼ぎくらいは!」

 足先から送った魔力で地面を焼き、花と敦也の前に炎の壁を作り出した。

「さあ早く!」

「プゥ……!」

 文也からしゅるっと離れて地面を這ったプウが目にも留まらぬ速さで村へ向かってくれた。

 ……よろしくね。

 素早さは同等。力はもしかするとプウのほうが上かも知れない。そう思うほど音羅はプウの実力を信頼している。この場の状態を膠着させることやひょっとすると三者を討つこともプウには可能だろう。が、

 ……ああ、わたしはやっぱりパパ似なんだな。

 任せたくない。この三人との戦いだけは、自分が担わなくてはならないと思った。涙が止まらない。うまく力が入らない。プウが離れたことで、文也に押し返されそうだ。それでもほかのひとに任せるのは無理だ。

「……三人とも、わたしが見送るから、少し、待っていて」

 炎の壁を突き破って迫った花が、勢いそのままに繰り出すのは、地を揺らすような踏み込みからの右ストレートだ。

 ……確信した、花に意識はない!

 花の常套手段は反則ぎりぎりの一撃必殺たる肘打ちだった。それを最初に繰り出し相手を萎縮させ、磨き抜かれた小技を淀みなく仕掛け、隙あらば容赦のない一撃を叩き込む。して、柔軟な体と優れた身体能力でときに理解不能なほどの低姿勢で視界の外から嫌らしく仕掛ける。それが花だ。無魔力であることを受け入れ自分の力を最大限に活かして戦い抜いた花の、その対戦スタイルが生前に変化したことはない。

 ……これは花じゃない!別人。魔団の傀儡だ!

 炎の壁を一線状に束ねて花の腹を打ち、初手たる右ストレートごと突き放すと、その後方から炎の球がいくつも飛んでくる。

 ……あれは、敦也さんの──。

 あの地下室以降、敦也の魔力を感じたことはない。敦也の魔法を感じたこと自体が少ないが、

 ……あの魔法からは、確かに敦也さんを感じる……気がする。

 ただし、地下室で感じた歪んだ感情は感じない。逃げろと言ってくれて、眼にも、どこか光がある。敦也に、意識はある。

 ……でも、攻撃は、たぶん魔団が考えたことなんだ。

 変らず力づくで押し返してくる文也を、その力を利用して村と逆方向へ投げ飛ばすと脚に纏った炎を巻き上げて炎の球を絡め取って墜落させた。草地が点点と焼け焦げ、自然環境の破壊に繫がっていないか心配だが今は戦いに集中する。

「敦也さん、どうしてここにいるの。状況を教えて!」

「……っ──!逃げてくれ、お願いだ……!」

 ……詳しい事情を話せないようにされているのか!

 肝心なことを伝えようとしてくれて、しかし敦也は言葉を発せられないようだった。

 魔団の方針で操られているから三人とも攻撃的だ。その点で、行動と裏腹な言葉を発している敦也は生前の意識まで蘇っている可能性が極めて高い。対して、

 ……文也さんからは何か変な感じがする。

 音羅をひどく怨んでいるように言った文也だが、生前はどうにもならない病を皆に伏せながら現実に立ち向かう努力家だった。そんな文也が、音羅が全て悪いとでもいうように怨みを口にするだろうか。文也の言葉は音羅の苦しみに付け入るような物言いではないだろうか。

 ……これはわたしの現実逃避なのか。それとも文也さんの意識だけ魔団が操っているのか。

 明らかに外見を模して再生されている花と、外見も中身も同一人物に感ずる敦也、そして、同一人物のようなのに違和感がある文也。三者の違いの原因は判らないが、音羅の感情がどうであれ亡くなった現実だけは変わらない。意識があるなら生前と同じように接したく、しかしそれだけはできない。だから、敦也の言葉に対する音羅の答は決まっている。

「ごめんなさい、逃げられない。逃げたくない」

「音、羅さん……」

 

 

 未知なる強さの魔物がダゼダダを襲ったあのとき──、冬木敦也の身に思わぬことが起きた。

「敦也、無、事か……」

 その言葉を最後に野原花が倒れ、動かなくなった。冬木敦也はそんなことを求めていなかった。

 魔物の一撃が野原花の右脚を奪った。一面を染めるほどの出血が一瞬にして彼女の意識を奪い、この世から追い出した。冬木敦也は迫る魔物へ炎を放ちながら彼女を抱えて逃げた。それも長くは続かなかった。背面から胸を貫かれ、野原花を抱えた右腕が食いちぎられた。その瞬間は妙に痛みを感じなかった。感覚が抜け落ちたのか。腕のあった場所が異様な熱を感じたのは感覚よりずっと早かったかも知れない。が、自分の感覚を置き去りにしても冬木敦也は動いた。視界が急激に暗くなっても関係ない。彼女を、せめて何かに凭れさせたかった。

「道端で、斃れ、る。そん、な、こんな終り、キミに、ふ、さわしく、ない……!」

 多くの園児に囲まれて笑っている姿、卒園児やその親に囲まれて不敵な笑みを浮かべている姿、そうして、成長した教え子に囲まれて安らかに眠る姿こそ相応しいはずだったのに。

「ごめん、ね、花さん。ボク、不甲斐な、くて……」

 だが、内心、全く別のことも考えていた。

 ……花さんはやり遂げた。だから、生き続けていく。ボクは、それを疑わない。

 暗い視界に咲き誇るような氷の結晶と舞い踊る炎を見た気がした。そのさまが、野原花の抱えた苦悩と情熱のように見えて、それこそが彼女の訴えてきたものの成就と、自分の夢そのものであるように感じて、かねてより深めていた確信を冬木敦也は握り締めた。

 ……ボクも夢を叶えられた。花さんの、お蔭だよ。

 瞼を閉じて、意識を手放した。

 

 左手が、全身が、温かい何かで包まれた感覚を覚えた。

 死んだ。それが、冬木敦也はなんとなく判った。

 が、瞼を開けると五体満足の自分と野原花がいた。自分の意志では動かない体を自覚して、瞬間的に理解した。

 ……誰かに操られている。望まぬことを、強いられる。

 彼女の志が踏み躙られてしまう。

 ……ボク達はやり遂げた。祈ること以外に、すべきことはない。

 彼女を見つめて、冬木敦也は、一心に祈った。

 

 勝手に動く体が辿りついた先で、冬木敦也は祈りをより強く持った。

「早く、逃げるんだ……!」

 姿を借りた言葉は偽物だ。姿形さえ偽物といえる。惑わせてしまう可能性はゼロではない。しかし、対する竹神音羅に伝えることが叶わない祈りを、冬木敦也は握り締めた。

 ……音羅さんなら、花さんの託したものを貫いてくれる──!

 

 

 どうしようもなく惑う。当然だ。外見だけはそのままなのだ。それでも音羅がどこかで冷静になれたのは、ひとの優しさや強さを信じてきたから。弱ささえもひとの優しさや強さの一部であると知ったからだ。

「怨んでくれてもいい。憎んでくれてもいい。許してくれなくてもいい。だから、できたら、あちらの世界から見守っていてほしい……」

 墓前と何も変わらない。身勝手なことを考えて自己満足な未来を求めている。亡くなったひととはいえ手に掛けるのだ。気持を軽くしたく思ってしまう。プラスマイナスゼロにはきっとならないことで、プラスに傾かずマイナスへ傾き続けることだ。気持を軽くしたくて仕方がない。だから意識のあるひとびとの負の感情を受けることも、できることならしたくはない。が、大切なひとを前にしてそれをしてしまったらもっとマイナスに傾いてしまう。

「三人とも、わたしがこの世で見送る!」

 投げ飛ばした文也からは地を這う炎の渦が発せられ、敦也からは大岩のような頑強な炎が迫る。炎で突き放した花がその身を炎に包まれながらも迫り、その虚ろな瞳で見つめてくる。

 ……こんなこと、誰も求めていなかったのに──!

 熱帯の生暖かい夜風と押し迫る熱気を感じて、音羅は三者に意識を向けた。

 ……こんなこと、したくなかったはずなのに!

 炎の渦も、大岩のような炎も、炎に包まれた花も、纏めて氷漬けにした。

 ……魔団の好きにされて、みんな、嬉しいはずがないんだから……!

 氷を広げ、狂気に歪んだ文也の拳と悲愴感の滲む文也の顔も包む。炎のように広がる氷は絡め取ったものの身動きを許さない。

「これ以上、苦しまなくて済むように──」

 両手から発した炎を大剣の如く伸ばして、炎の渦と文也、大岩の炎と敦也を、同時に両断した。氷も炎と化し、拳を振るった姿勢で固まっていた花を吞み込んで、一帯の空気もろとも焼き尽くした。

 一片の悪意も遺さぬよう火の粉を散らせた炎の大剣を治めて、黒煙とともに空に昇る炎の欠片を見送った。

「…………、……」

 さようなら。そう、口にしたつもりが、

 ──ありがとう、音羅さん──。

 そんな声が聞こえた気がして、感情に塞がれた喉からは声が出なかった。

 ……さようなら、みんな……さようなら。

 あの頃のように、あの日のように、傷を負っても倒れ伏すわけにはゆかない。

 ……倒れたって、わたしは、何度だって立ち上がるんだ。

 モカ村を振り返ると、火球のように空からプウが降ってきた。

「えっ、え、プウちゃん、と、夜月ちゃん!」

「ピゥ」

「っと、片がついてたみたいね……」

 プウの尾を摑んでいた夜月まで降ってきた。驚き慌てながらも音羅は二人をなんとか抱きとめた。

「二人とも、なんで空から」

「ワタシが氷の柱でプウを空へ放ったのよ」

 尾に摑まった夜月もその勢いに乗ってやってきたと。

「みんなを呼んで、って、言ったはずなんだけれど、夜月ちゃんだけで来たんだね」

「指示は知りませんわ。プウが這ってきたから蜻蛉返りさせただけよ」

 応援を呼ぶために戻ったのに音羅と夜月の部屋がある二階へ直行したということはないだろう。プウと夜月はどこで会ったのか。

「もしかして、わたし達が出ていくときに起こしちゃったかな」

「煩かったからじゃないですわよ、単に蜜柑の摘まみ食いをしようとしていただけ」

 父といい夜月といい、蜜柑が大好きな一家である。

 ……ひとのことを言えないしな。

 そこは咎めることでもないので、「ありがとう、来てくれて、気が和らいだよ」

「……戦っていたようですわね」

 氷漬けにしたとき炎は消したがところどころ焼け焦げて迫り出した地面に激戦を感じ取ることができる。特殊空間での全力の戦闘に慣れておいてよかった。景色の著しい変化に気を取られて集中を切らすようなことはなかった。

「戦闘慣れは功を奏したわけね。……大丈夫ですの」

「うん。ちょっとつらいけれど、悪いひと達に利用されることを花達が望むわけがない」

「……姉様の親友が」

「親友、(学さんに取ってのパパみたいな──、)うん」

「姉様──」

「ピィ……」

 夜月とプウ、二人に見つめられて、音羅ははっとした。

「あ、どうしたんだろうね、なんでもないよ」

 きちんと立っていたが、失うことの苦しさは音羅の感覚よりずっと重く鋭く胸を刺していたらしい。煙も残る景色が異様に澄んで見えたのは、無自覚に涙していた。

「ごめん、ちょっと、だけ、待っていて」

「『……』」

 自分でも気づかないうちに溜まってゆく感情。零れる間際に音羅は腕でがしがしと拭った。

 空を見上げ、黙って傍にいてくれた二人、それから家族を傷つけられるわけにはゆかない。そのために音羅は報告しておかなければならないことがある。

「学園時代の後輩佐崎文也さんが複数と、花さんのパートナ冬木敦也さんも現れた。みんな、亡くなったはずなのに……」

「そう……。死者を複数再生させることができるのね、魔団は」

「そうみたい。ひどいよ、ひとを道具みたいに扱って……。傀儡化魔法を解いて体が自由になったとしても、花や敦也さんは蘇ったことにきっと納得できない。ただ……」

「ただ、……」

 体力向上を認められ生きてゆくこと。文也の願いは叶っていたのかも知れない。そう思うと本当に火葬が正しかったか音羅は判らなくなる。そこにぴしゃりと言葉を放ってくれたのは夜月にほかならない。

「何を悩んでいるか知りませんけど、死んだ人間は戻らない。魔団のやってることは姉様風にいえばルール違反よね」

「うん、そうだね……」

「それにそんなことより、ワタシなら他人のいいようにされるなんてゴメンね。姉様の親友たちはそれを受け入れるほど空っぽだったわけ」

「……夜月ちゃん」

「っふん……」

 苛立ったふうの夜月。聞き方によってはきつい言葉でも思いやりがあると音羅は感ずる。

 亡くなったひとの気持を無視してその体を道具のように扱い、懸命に生きているひとの心も踏み躙る。ルール違反の、卑劣な行為だ。

 ……そう。だから、魔団の行いを許しておけない。

 必死に生きてきたみんなの人生を踏み躙られた。それなのに、否定されたくない人生を、この心が否定してしまいそうになっていた。

 今もそうであるように、現実は、迷いが多くて、つらくてたまらない。が、必死に生きていたみんなを知っているからそうなるのだ。手に掛けたことが変わらなくても、懸命に生きるみんなを認めた者として、ひとの心を踏み躙る魔団にみんながいいように蘇らされることも、みんなが操られる存在に貶められることも、許してはならない。

「ピゥ……」

 そっと肩に寄ったプウの頭を音羅は撫でる。

「文也さんともこうして触れ合ったこと、憶えているかな」

「ピィぃ……」

「嫌そうにしながら、文也さんの腕に絡みついてくれたよね。それから、体や頭を撫でてもらったりして、尾で指先を引っ叩いたりしていたっけ……」

「プゥ……」

 花が連れていたワタボウと一緒に文也と触れ合った思い出がプウにはある。当時はとても嫌そうだった。今も嫌がるだろう。だからといって、別れを望んでなどいなかった。同じ世界に生きていることを否定できるわけがなかった。

「プウちゃんも、わたしも、まだまだ小さかったね。文也さんの半分も生きていなかった頃に出逢って、ああやって触れ合っていた。当り前みたいに思っていたあの時間は、全然、当り前じゃなかった」

 取り戻したくても取り戻せない。蘇らせたくても、蘇らせてはならない。思い出は、心の中になければならない。

 音羅は、改めて決意した。

「何度この手に掛けることになっても戦おう。一緒に生きてきた命を踏み躙っている魔団に、絶対に屈しない」

「プゥ!」

 プウの差し出す尾とグータッチして、音羅は村を見つめる。

「帰ろう。夜月ちゃんも」

「ええ。また襲われてもたまらないわ」

「少し待ってほしいね。パパ達に伝えないといけない情報があるから」

「蘇生なんて馬鹿な真似ができる輩ですわよ」

「待ったなしだね」

「ええ」

 同一人物の再生と蘇生、意識や言葉を有する傀儡がいることを家族全体で共有しておきたかった。ところが、今まさに話していた通り、待ったなしの状況だった。

「──」

「これは──」

 歩き出そうとした音羅達の足は唐突に空を切った。最初から地面がなかったかのように足裏が何も捉えなくなって、重力か、吸い込まれるように体が落ちてゆく。

 ……いけない……本当に吸い込まれている感じがする!

 音羅は夜月の腕とプウの尾を摑んで、

「っやあッ!」

 渾身の力で大地のある方向へ投げ飛ばした。

「姉様──!」

「ピィッ──!」

 地面にまで届いたプウがぎりぎり届かなかった夜月の腕を尾で捉えて引き上げた。

 ……炎を早く──っ、出せない……!

 腕からも、脚からも、炎を出せない。精神力が底をついていたのか。

 ……いや、そこまでの消耗はしていなかったはず。だとしたら、この、変な重力のせいか。

 体を吸い込んでいるのは魔法か。魔力を感じないのは原始魔法で発生しているからだろう。その影響で魔法が使えないようになってしまっているとしたら、二人を投げ飛ばしたのは正解だった。

 ……欲張ってみんなで飛ぼうとしていたら、みんな一緒に吸い込まれていたな。

 文也に意識らしきものがあったことはプウが知っている。蘇生または再生された花達のことは夜月にも伝えた。二人の話を、父達ならきっと役立ててくれる。

 ……うん、きっと大丈夫。

 前向きに考えればこの状況も幸い、とは、とても言えないが、

「姉様早く飛んで!」

「ピィィイイイィ!」

 ……二人が無事なら。

 ひとを手に掛けたことに対する天罰かも知れない。二人が助かったのはそういうことだとも音羅は思った。

 ……うん、それなら、納得できる。

 思いもしない形で命を落とすことになった三人と形は違えど同じだ。思いもしないことで音羅も命を落とすのだ。

 ……でも……みんなに、お別れくらいは、言いたかったな……。

 罰を受けた先、あの世を司る神様がいるのならお願いしてみよう。

 ……うん、そうしよう。

 無論、最悪の想定は妥協だ。この重力が解けようものなら全力で抗って穴でも地獄でも脱してやる。

 ……今は様子を観る。パパ、みんなのこと、お願いね……!

 瞼を閉じた音羅は、地の底へと吸い込まれた──。

 

 

 ……何が、起きた。

 大地に引き上げられて肩で息をする夜月と並んで、プウは真黒な穴を覗き込んだ。町一つがまるまる崩落しそうな巨大な穴だ。地下空洞の天井が崩れるなどして発生するシンクホールというにはあまりに大きく、崩れ落ちた地面の欠片も見えず無音で発生したのだから、明らかに不自然な現象だ。父達が言っていた原始魔法と捉えるのが妥当だ。

「どうなってるのこれ、何がどうなって──」

 普段クールな夜月が冷汗を流して動転している。それを一瞥して音羅の吸い込まれた巨大な穴にプウが目を向け直したとき、穴が、なくなっていた。

 ……馬鹿な。音もなく空き、音もなく閉じただと。

 ついさっき自分の体を引っ掛け、夜月を引き上げた断崖絶壁が埋没したかのようになくなっている。

 ……音羅は──!

「姉様……姉様ッ!」

 穴が空いていた地面を手で叩くようにして呼びかける夜月。

 ……嫌な予感がする。

 音羅が生き埋めになったであろうことは勿論だが、夜月の体をいつでも支えられるように崖だった場所から動かないようにしたプウは後方からの冷たい突風で予想外の事態を捉えることとなった。シンクホールもどきが再び現れるのではないか、と、警戒していたが、振り返った村に、

 ……巨大な氷。

「魔団の別働隊かしら。厄介ね……」

 プウと同じように村を振り返っていた夜月が、いったん地面に鎮静魔法を掛け、何も起こらないことを確認した。

「……」

 ぴきっと眉間に皺を寄せて地面に睨みを利かせた夜月にプウは震え上がるような憎悪を感じた。一呼吸して表情をリセットした夜月の思考は、表情同様に冷静だった。

「地面に穴を開閉したんじゃない。生き埋めではない。不知得性の何かでシンクホールらしき穴と見せかけたポータルを作って姉様を連れ去ったようね。一生とは限らないだろうけれど人質たる姉様は恐らく無事。父様達への報告もあるし急ぐ必要がある」

 夜月がプウの尾を摑み、「解ったら行くわよ」

 ……これはこれで嫌な予感だ。

 間もなく、地面から氷の柱が迫り上がって、村の方向に飛ばされた。

 ……やはりこれか!

 着地の衝撃を考えると這ったほうが幾分安全なのだが、状況の俯瞰も夜月の狙いだ。

「あの氷は、刻属性が混じってる。トキネの結界ね」

 ドッジボールで安全にボールを取るために試していた魔法だ。ボールが割れてしまう威力があったためチャンバラで利用するようになり、相手チームの動きを止める常套手段になった。結界を氷で視覚化することで敵方の停止を味方が摑みやすいという利点があり、刻属性のみの魔法より連携に向いている。

「トキネの近くに家族がいて連携可能な状況のようね。気配がないから父様、母様、ヒツナ姉様辺りといったところかしら」

 ……分析が早い。頼もしいな。

 枝葉で根元を確認できないが、気配からして氷の結界が発生したのは家のごくごく近くだ。壁や屋根を一部破壊していそうだが、防衛のためなら多少の破壊は容認すべきだろう。

 魔団の目を警戒したのだろう、夜月の魔法で飛んできたのは内層でも村から少し離れた喬木だ。プウが幹に体を引っかけて枝に夜月を下ろすとほぼ同時、木木の隙間から見えた氷の結界が消えてゆいた。

「家のほうもどうにかなったのかしら。単に脱出されたんじゃないことを願うわね」

 見えないパラシュートでも装着しているかのようにゆっくりと降下した夜月に続いて、プウも地面に降りた。魔団が複数人の傀儡を使うことは先程はっきりしたので、家の周りに潜む影がないか警戒して進む。

 ……音羅……少し、待っていろ。

 プウは、離れていても音羅の気配を感ずる。穴に消えてからどこにいるかは判らなくなったが、どこかにいて、生きているということを、体の奥底で感じている。

 ……パパに早く状況を伝えないと。

 木木に遮られて見えなくなったナゴエド平野を振り返らず、プウは家へ急いだ。プウの言葉を理解できるのは竹神邸の〈父〉と父に従う分祀精霊だけだ。

 

 

 

──九章 終──

 

 

 

 

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