姫君(1)
「フィーナ!!」
フェリクスはエルドランド公を置いて反射的にフィーナの部屋に駆け出した。
屋敷の中はたちまち不穏と喧騒に包まれた。また僅かではあったが硝煙が立ちこめている。
「今の音は一体なんだ」
「階下から煙が出ているぞ!」
「まさか暁月か?」
「皆さん落ち着いてください!」
怒号や悲鳴は聞こえるが学園の生徒たちは冷静に出口へ誘導しているようだった。フェリクスは横目でそれを確認するとフィーナの部屋に急いだ。
幸いこの屋敷にいるのは一人娘のフィーナを除けば大人ばかりだ。グレインヴァルの使用人に何人か年若い者はいたが、それでもフィーナさえ保護すれば屋敷にいる人命はなんとかなるだろう。ここは貴族の屋敷だ。使用人を除けば魔術士しかいない。魔力の濫用は規制されてはいるが、緊急事態ならば使用が認められている。
「フェリクス!」
ハッと正面を向くとルカが走ってくるのが見えた。
「ルカ!一体何が起きている!?」
「分からない、突然地下から爆発音が聞こえたんだ。現場は煙が充満していて近づけない。とりあえず屋敷にいる者には避難のために外に出てもらっている。君も誘導を… 」
と言うルカの言葉を遮るようにフェリクスは
「俺はまずフィーナのところに行く。フィーナがまだ一人で寝ているかもしれない」
と言った。
「フェ、フェリクス!」
遅れてエルドランド公がフェリクスに追いついた。エルドランド公は足の速いフェリクスに追いつこうと息も絶え絶えだった。フェリクスは魔力もだが身体能力がずば抜けている。
「エルドランド公は先に外に避難し皆を落ち着かせてください。フィーナは俺が連れてきます」
「しかし…」
エルドランド公は青ざめて今にも倒れそうなほどに不安気に顔を歪めた。この国の貴族たちは争いごとに慣れていないのだ。
「大丈夫です。任せてください。まず主人である貴方が落ち着かなくては」
とフェリクスはエルドランド公の肩をガシッと掴んだ。強い力で掴まれ、冷静を取り戻したのか、エルドランド公は
「あ、ああ分かった。フィーナを宜しく頼む」
と言うと足早に出口に向かっていった。ルカはその二人の様子を見届けたあと
「ならば僕も行こう。フィーナ嬢を保護したのち共に現場の確認をしよう」
と言った。
「了解!」
そして二人は駆け出した。
「フィーナ!!」
フェリクスはフィーナの部屋に着くとノックもせずにドアノブを回した。思ったよりも早く硝煙が回って屋敷中に煙が充満してきている。魔力を使えばいくらでも回避する術はあるが、フィーナはまだ子供だ。魔力を自在に操る能力は低い。というより、ほぼない。例外はあるが、十歳になるまで魔力の教育は受けないのだ。
「鍵がかかっている!」
「クソっ、ドアを破壊する!フィーナ!!もし中にいるならドアから離れろ!!」
〈力を集め、衝撃で砕け散れ!インペトゥス!〉
フェリクスが呪文を唱えると彼の魔力は眼前のドアに集結し、木製の扉に亀裂が走った。部屋ごとふっ飛ばさないように加減したため、完全に壊れてはいない。
「ぜ、全然壊れてないじゃないか!」
ルカが慌てて叫ぶ。しかしフェリクスはドアから数歩下がると、
「俺は魔力の加減が苦手なんだ、よ!!」
と言いながら今度は体当たりで壊れかけのドアをふっ飛ばした。
「うわ…」
ルカはフェリクスの物理で解決する様子に引き攣った顔をした。フェリクスは痛みなどは露ほども感じていないようでそのまま部屋に突入する。
「フィーナ!起きてるか!?」
部屋の奥、窓の月明りに照らされたベッドサイドで小さな人影がゆらっと動いた。暗くてよく見えないが背丈からして子供だ。フェリクスはほっと安堵して近づこうとした。
「よかった、フィ…」
だが、
「誰だ…?」
シルエットがフィーナではなかった。よく見ればフィーナよりも背が高い。子供は子供だが、七歳の背丈ではなかった。髪も豊かなウェーブではなく、肩で切りそろえている。また着ている衣服もフィーナが着用しているであろうナイトドレスではなく、ブラウスにズボンといった簡素な使用人のような恰好をしていた。
「…………」
その人物は逃げもせず喋りもせずフェリクスとルカを闇からじっと見た。ような気がした。