魔術士の蕾たち(3)
フェリクスはエルドランド公に呼び出され就寝時間を過ぎても帰ってこなかった。夜がとっぷり更けた頃に部屋に戻ってきた。
生徒たちの寝所としてベッドが敷き詰められた大部屋では、皆疲れて眠ってしまっている。晩餐会でふるまわれたワインも手伝っているのだろう。起こさないように忍び足で自分のベッドに向かうと、隣のベッドではサイドテーブルのランプがついていた。
「まだ起きているのか?」
と小声で話しかけるとルカはびくりと肩を震わせた。ルカは毎度小動物のような反応をする。体躯の小ささもあいまって野鼠を相手にしているようでその反応を見るたびに苦笑しそうになるのを堪える。
「なんだ、君か」
「気づかないほど熱中してたのか。お前、朝からあまり調子が良くなさそうだったし、長距離の移動で疲れているだろ。早く休んだ方がいい」
フェリクスがやんわり言うと、ルカはいささかㇺッとした表情をした。
「それは君もだろ。ずっと口を動かして疲れているのでは?」
「はは、俺は張り詰めた空気が苦手でね。どうせなら何事も楽しい方がいいじゃないか」
と言いながらフェリクスは身に着けていた衣服を脱いで肌着と下着のみになる。薄明かりの中でもフェリクスの体の線は良く分かる。よく筋肉がついていて無駄な肉がない。魔術士というより剣士のようにしなやかな体だった。自分とは正反対のその体つきにルカは一瞬目を奪われる。
ルカは時折女性に間違えられるほど華奢で、それがコンプレックスだった。
「……僕はもう少しだけ読んだら寝るよ」
「ほんとに勉強家なんだな」
「勉強していないと不安なんだ…」
「え?」
「いや、なんでもない。おやすみ」
ー港にてー
ルカとフェリクス達が朝を迎える頃、港では隣国ヴェストリアの商人グレイヴァルの一行が到着していた。これより、エルドランド公の屋敷へ滞在するために向かうのだ。グレインヴァルの部下や使用人を連れた三十人くらいの大所帯だった。
一人の使用人の少年が船から降りて大きくのびをした。下位の使用人がよく着ているブラウスとズボンだけの簡素な服を着用していたが少女と見紛うほどに美しい少年だった。隣国の商人であり屈指の貴族であるグレインヴァルを乗せた船旅は快適そのものだったが、やはり陸に足を着けるのが落ち着くと少年は思った。
少年は空を見上げる。白い海鳥が旋回している。春の太陽は優しく、雲も柔らそうに浮かんでいる。その様子を深海のような青い瞳を細めて懐かしむように眺めていた。
「おい、新人!」
と他の使用人に呼ばれて少年は声のする方に顔を向けた。
「ぼーっとしてねぇで荷物を馬車に運べ!」
怒声を浴びさせられても少年は臆することなく笑顔で
「はい!ただいま!」
と快活に答えて、走り去った。
フェリクスは予定の起床時間より30分早く起きると中庭で腕立て伏せをしてみたり、庇にぶら下がって懸垂をしていた。いつもは夕刻にやるのだが、課外授業の最中は早朝しか時間がない。
春のぼんやりとした朝の光を浴びながら、体を伸ばしていると誰かが規則正しい呼吸をしながら走ってくる気配がした。
「おいおい、嘘だろ。体力あるんだな」
それはルカだった。ルカは荒い呼吸を整えつつフェリクスの前に止まった。
「……反対だよ。体力がないから付けてるんだ」
どうやら大きな屋敷の周りをひたすら走っていたらしい。
「そうか、まぁ無理すんなよ」
フェリクスとしては他意のない挨拶のような言葉だったのが、またルカの機嫌を損ねたらしい。
「別に無理はしてないさ。僕はそんなに頼りないか?」
棘のある声で言われ、フェリクスはしまったなと思った。確かに昨日からルカに労りの言葉をかけすぎたかもしれない。
「そんなつもりじゃなかったんだが…悪かった。確かに気に掛けすぎたかもしれないな。気を悪くしないでくれ。お前を見ていると弟を見ているようで…」
「……?君は確か末子では…」
この学園の生徒はみな名門の家柄ではあるが、フェリクスのフェルナンド家ももれなく有名だ。王家に仕えている者が多い。フェリクスは兄や姉が数人いたが、末子だったはずだ。その末子がフェルナンド家では一番の実力者というのは有名な話で、フェリクスの眉目秀麗ぶりから王族のいずれかの娘に婿入りするのではないか、とすら噂されていた。
「フェリクスー!こんなところにいたのか。ああルカもいるな。もうすぐ朝食らしいぜ」
仲間が迎えに来てしまってフェリクスとルカの会話は途中のまま終わってしまった。