魔術士の蕾たち(1)
のどかな街道を一台の大きな馬車が走っていた。雲は遠くにたなびき、空は青く、風は穏やかでいかにも遠出日和といった気候だ。そんな中、ルカ・ノアール・ヴィオラントは馬車の中で一人浮かない顔をしていた。癖のない長い黒髪を一つに縛り、柔和な顔つきでたおやかな雰囲気を持つ少年だったが、悪く言えばやや頼りない風情だった。そんな彼が俯いて顔色も優れないとなれば、
「ルカ。具合でも悪いのか?」
と聞かない方が無理だった。フェリクス・ルクス・フェルナンドは先ほどから同乗者に軽口を叩いては場を和ませていたが、一番端に座るルカは笑いもしなければ言葉も発さないのでつい心配になり声をかけた。
「!」
フェリクスが身を乗り出してルカの額に大きな手を当てると、ルカは驚いたように体をビクッと震わせた。少々過剰なほどに。
「酔った?熱はないようだな」
「やめろ!」
とルカはフェリクスの手を払いのける。ルカの手は小さいので手だけ見ていると大人と子供のようだった。
「おっと。余計な心配だったか?まさか緊張してるとか?俺が歌でも歌ってやろうか」
と白い歯を惜しげもなく見せてフェリクスは笑った。
「…………」
ルカは眉間に皺を寄せたままフイッと顔を背けると視線をまた下に落としてしまった。何やら思い悩んでいる様子ではあったが、体調が悪いわけではなさそうだと判断し、フェリクスはルカをそっとしておくことに決めるとまた雑談に戻ってしまった。
この馬車は最高二十人まで乗せられるくらい大型で、今は十人の少年たちが乗っていてフェリクスを中心に花を咲かせている。その様子をルカはちらっと盗み見た。フェリクスはとても目立つ。
金の髪は絹のように光っていたし、青い瞳も澄んだ空を閉じ込めた宝石のようだった。鼻梁が高く端正な顔立ちをしているうえに、肩幅の大きな体はしなやかで長身だ。とても同じ十八には見えない。この馬車の少年たちは皆一様に同じ制服を着用していたのにも関わらずフェリクスだけはまだあどけなさが残る少年達とは一線を画して、騎士ような風貌だ。その非の打ち所がない容姿に憧れる女子生徒は多い。
ルカも女子ではないが、彼を遠くから見るたびに憧れのような気持ちを持っていた。
素行が悪いとは聞いていたが、妬みからくる噂だと思っていたのに、本当に粗野で無神経な奴だった。あながち噂は嘘ではないらしい。
というのも先ほどから彼が皆を巻き込んで笑わせている話はとてもじゃないが、淑女には聞かせられないような下品な話題ばかりだった。ユーモアがありウィットに富んだ話しぶりから頭が良いのは分かる。フェリクスは首位のルカの次いでいつも成績は上位だった。
だから楽しみにしていたのだ。今回、密かに憧憬の念を抱いていたフェリクスとどんな話ができるのかと。しかし、
「俺が行った娼館の中なら、やはりおすすめなのは『花明かり』だな」
などと得意げにのたまわっている。およそ、その白馬の騎士といった風貌からは似つかわしくない単語がぽんぽんと出てくる。
普段規則に厳しい学舎の中で、規律と秩序に縛られている少年たちはフェリクスの話に感嘆したり笑ったりして盛り上がっている。普通の年相応の反応ではあるが、自律を尊ぶ魔術士然としたルカの性分としてはなかなかに耐え難い時間であった。
最悪だ!!
ルカの中で思い描いていたフェリクス像がガラガラ崩れていくのを感じる。
(早く帰りたい…)
ルカは少しでも気分を変えようと馬車の天幕の隙間から外を見た。扉や屋根などはなく大きな箱に簡素な天幕が張られているだけの馬車は、そこかしこからぽかぽかと春の陽が差し込んでくる。
うっすらと雲がたなびいて青い空が広がっていた。その穏やかな空を眺めているとルカの心は僅かに晴れる。普段この少年たちは魔法を学ぶための学舎に缶詰にされていて、なかなか敷地外への外出がない。また、この学園の生徒は貴族や王族に連なる者しかおらず、幼少期から厳しく躾けられた者が多い。そのため脱走してやろうとか抜け出してやろうなどと考えるものはほぼいない。と思っていた。このフェリクス・ルクス・フェルナンドを目の当たりにするまでは。
「まぁ、女を抱くならやっぱり、」
ついフェリクスの方に意識を向けてしまい飛び込んできた言葉の断片にルカは最低最低最低!!と1人顔を赤くして憤慨した。