姫君(4)
少年が駆け出すとルカとフィーナを抱えたフェリクスも後を追いかけた。少年の足はさほど早くはなくすぐに並走できた。
「待ってくれ、これからどうするつもりだ」
フェリクスはいまだ眠り力の抜けたフィーナを横抱きしているのも関わらず、平然と走っていた。手ぶらのルカの方がついていくのに必死だった。
「まず地下倉庫に行く。そこに例の薬があるからな。レジスタンスは屋敷ごと薬もエルドランドもグレインヴァルも葬り去るつもりだ。今頃、地下倉庫は火の海だろう。証拠が燃やされては困るからな」
気づけば先ほどより明らかに硝煙が濃い。
「えほっごほっ」
ルカが走りながらせき込む。
「ルカ、風の魔法で身の回りの空気の流れを変えろ!」
「それは…」
ルカが何かをためらっている間に、フェリクスは呪文を唱え始める。
〈風よ、流れを…〉
しかし
〈ヴェントス〉
凛とした声がフェリクスの詠唱を妨げた。たちまちルカとフェリクス、そして少年から微風が発生し、煙は三人を避けるように流れた。
「ついでだ、君達にも魔法をかけた。君らは屋敷を脱出してフィーナ嬢の保護、エルドランドを始めとした屋敷の者たちを守ってくれ。いずれ次々にレジスタンスが湧いてくるぞ」
少年は駆けながら涼しい顔で魔力を行使し、ルカとフェリクスに当然のように指示を出した。
「ま、待て!今の魔法はなんだ!?詠唱がほぼなかったぞ!しかも俺たちにまでどうやってかけたんだ」
魔法の仕組みは詳しくは解明されていないが、この世界に潜むあらゆる事象にこいねがう事で発生する。その声が届くか届かないかは魔力の有無や高さで差が出る。また目的によって詠唱に使う言葉は変わる。何に願い、何をしたいかを明確にかつ簡潔に述べなければならない。 しかし、今少年が放った魔法には何に願ったのかも、何をしたいのかも不明瞭だった。だというのに三人の体からは風が発生した。さらに、魔法は基本的に自分自身にしか起こせない。他人の体から風を発生させることなど、『何に願い、何をしたいか』に加え、『誰に』が加わることになる。より複雑な詠唱が必要となり相当力のある魔術士にしかできないのだ。
「そんなこと今はどうでもいいだろう、早く外に行け」
正面玄関の前で少年はルカとフェリクスと別れ、地下へ続く階段へ向かおうとした。
「待て、君一人で地下に行くのか」
ルカが少年の腕を掴み引き留める。
「ならば、僕も同行する!」
「…要らん!足手まといだ!」
「な、なんだと!?そもそも君に協力するなんて言ってないし、君から指示を受ける謂れもない!」
「君はもっと賢いと思ったんだがな、ルカ・ノアール・ヴィオラント」
「なぜ、僕の名を!?」
「赤目に次いで高位の魔力を持つ紫の瞳…花の学び舎では数人しかいない。課外授業に出る八年生では一人。君のことだろう、ルカ。魔力に関わる者なら君の名を知らない者など早々いない」
魔力の高さは外見からも判断できる。それは瞳の色だ。魔力を持つ者は概ね、赤、紫、青のいずれかの瞳をしている。赤ければ赤いほど魔力が高いがこれは王族にしか発現しない。ほとんどの魔術士はフェリクスのように青い瞳をしているが、時折強い魔力を持つ者は赤みがかった青、つまり紫の瞳をして生まれてくる。王族には多いが、一般の魔術士には非常に希少な存在だった。ゆえにルカは紫の瞳をしているだけで名が知れているのだ。
「……君は、いや…あなたは王族の関係者では…?」
ルカがいぶかし気な瞳で少年に問う。
「君らは質問ばかりだな。今、そんな話をしている場合ではない」
地下からなおも爆発が発生している音が聞こえる。このままでは屋敷ごと崩壊しかねない。
「ルカ!フェリクス!無事だったんだな!」
その時、学園の一人の生徒が二人の姿を見つけ駆けよってきた。
「シルヴィオ!」
その隙をつくように、少年はふっと姿を消してしまった。
「あ!!待て!」
ルカが慌てて後を追いかける。
「ルカ!待て!!あー!くそ!シルヴィオ、事情はあとで説明する。フィーナを頼む。魔法で眠っているがじきに目を覚ます。あと近くの警備団にすぐ連絡しろ。レジスタンスが紛れている。とにかく人命優先でみんなを守っていてくれ!」
「おい、ルカ!フェリクス!!」
フェリクスはフィーナをシルヴィオと呼んだ生徒に託すと、ルカと少年を追いかけて硝煙の中へ突っ込んで行ってしまった。