表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

99/700

幸せ


 ヘレナは、しばらく、泣いて泣いて泣き尽くそうとしたが、『それ以上うるさくすれば喉を潰す』と異常発言を吐かれ、強引かつ強制的に涙を引っ込めた。


 感情がもはやグチャグチャだが、唯一恐怖だけはこれ以上ないくらい感じていた。


 そんな中。ヤンという少女が、神妙な面持ちでヘーゼンを見つめる。それは、怒りの表情ではなかった。純粋な疑問。まるで、無垢な赤ん坊のような瞳だった。


「師はなんでそうなんですか?」

「ん?」

「あなたはやろうと思えばなんでもできるし、なんでも手に入る。なのに、なぜそんなに必死なんですか?」

「必死……必死か……いい表現だ」


 ヘーゼンは自嘲気味な笑みを浮かべる。


「人を陥れずに済む方法があれば、その方がいい。なんで、そう思えないんですか? 師だったら、いくらでもできるじゃないですか。他人を不幸にしながら突き進むような生き方は、私は間違っていると思います」


 その瞳は、どこまでも真っ直ぐだった。そして、ヘーゼンもまた、その瞳を逸らさずに見つめる。


「……ヤン。幸福と不幸は天秤のようなものだ。誰かが不幸になることで、誰かが幸福になる。それならば、どうしようもない悪人が不幸になった方がいい」

「……」

「現に、この二人を調教することで、奴隷の被害に遭う者は確実に減っただろう。そうすることで、救われる者がいるという未来を、君は否定するのか?」


 その問いに。


 黒髪の少女は躊躇わずに首を振る。


「……そうすることで、師は幸せなんですか? 私は自分が幸せになるために、他人にも幸せでいてもらいたいです」

「……」

「私は、幸福と不幸の秤を傾けることじゃなく、幸福の秤を大きくするような生き方がしたいです」

「……ヤン」

「……はい」


 グリグリグリ。


 !?


「いだ、いだだだだだっ!?」

「僕に説教するとは、君は本当にいい度胸をしている」

「だ、だったらなんでグリグリするんですか!? 痛い、やめてください」

「褒めてないからだよ。実際に、君がどう思おうと、僕の行動を止めることはできない。力なき者が語る理想ほど、無力なものはないと学びなさい」

「ぐ、ぐぐぐぐぐっ……」


 ひとしきり頭をグリグリとした後。


 ヘーゼンは、先ほどとは違った、毒気の抜けた笑顔をヘレナに向ける。


「さて、義母さん。僕の判断が変わらないのはわかるね?」

「……はい」

「本当に罪を償いたいと願うならば、いつでも帝国に出頭すればいい。僕はそれを止めはしない」

「……」

「できないだろう? そうすれば、打ち首は確定だからね」

「……」

「罪を償うとはそういうことだ。僕は犯した罪を償おうとすることもなく、幸福になろうとする君たちを許さない。そして、ヤン。僕の判断が君の言葉で変わることは絶対にない」


 ヘーゼンは真っ直ぐにヤンという少女の瞳を見すえる。


「人の行動を変えることができるのは、行動だけだ。口先で高尚なことなどはいくらでも言える。まずは、強くなりなさい」

「……ふんぬー! わかりましたよ、この分からず屋!」


 ヤンがその場でジタバタしながら叫ぶ。


 そんな様子を見て、ヘーゼンはフッ笑みを浮かべて再びヘレナの方を見る。


「さて、義母さん。あなたの役目は貴族の後妻だ。もちろん、先方に話は付いているから安心して嫁いでいい」

「……」


 むしろ、不安でしかない。絶望でしかない。しかし、受け入れないという選択肢はないのだと身をもって知っている。どんなに辛くとも、受け入れるしかない。


「……ところで、あの、私は平民なんですけど」

「今回、中尉に昇進したので下級貴族を拝命した。小さいが、土地も譲り受けた」

「……っ」


 ヘレナは唖然とした。将官試験を受けて合格した時にも驚愕したが、まさか3ヶ月間足らずで身分すらも超えてしまうとは。


 なんという有能な悪魔だろうか。


「マスレーヌ=ギスカ。身分は『序子』。最下級から2番目の爵位だ。年は69歳」


 !?


「どうした?」

「……ちょ、ちょっと歳を取ってるんじゃないかな……なんて」


 じじいじゃねえか、とヘレナは思う。ヨボヨボのじじい。しかし、ヘーゼンとヘレナは完全なる従属関係である。異論や反論などもってのほか。そう、調教されている。


「そうだな……ちょっとだけ、歳上かな」

「……っ」


 圧倒的じじいじゃねえか、とヘレナは思った。


「与えられた僕の領地と隣接していてな。低爵位にしては資産を溜め込んでいる。長男は戦死。他に子どももいない。そして、僕の見立てだとあの老人は長くない。もってあと半年というところだろう」

「そ、それはギスカ家の資産を乗っ取れと言うんですか?」

「奴隷落ちしたくなければ、精一杯看病しろ」

「……っ」


 条件最悪。なんだって、わざわざじじいの元に嫁がねばならないのか。


「……どんな人なんですか?」

「温厚な方だよ。挨拶をしたが、義母さんと違って、善人だった。まあ、乱暴などの心配はないさ」

「後妻までさせて領地を奪おうなんて邪道ですよ」


 ヤンが、またしても、噛みつく。


「手段を選んでいる余裕はないんだ。どんな手でも使うさ」

「だから、なんでそんなに焦ってるんですか!?」

「君に答える必要はない」

「……っ」


 ヤンがガビーンという表情を浮かべる。


「貴族と言うのは、自身の領地を上手く治めなくてはいけない。しかし、僕は同時に将官でもある。領地運営に大きく時間を割くことはできない。隣接している他領とは良好な関係を保っておきたいんだ。しっかり頼むぞ、義母さん」

「……はい」


 そう答えるしかない。


「……ああ、これは独り言だが。僕は君たちの行動に関して細かくは指定しない。あくまで、僕の命令に従順であり続ければという条件付きだが」

「そ、それじゃサンドバルと会っても……」

「関知しない。だが、任務が疎かになるようだったら、干渉せざるを得ないがね。せいぜい、僕を煩わせないように身を粉にして働くのだね」

「はい……はい……ううっ……うううううっ……」


 ヘレナはその場で泣き崩れる。


 その姿を。


 ヘーゼンは興味なさげに一瞥し、次の瞬間、すぐさま視線を外し別の行動を開始した。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] まあそれはそうだわな。被害者は不幸になって真っ当に生きる道を閉ざされているのに、加害者が自己陶酔で贖罪するから許せというのは(今回の件では贖罪すらないが)。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ