予測
ヤンはヘーゼンの部屋へと入って書物を漁る。相変わらず、様々な書物が置いてあった。
まずは、地理の本を数冊選ぼうと探す。ヘーゼンの本棚は分野ごとに分けられていないので、目的のものを探すのにも一苦労だ。
本のタイトルを目で追いながら、ふと思考が止まる。ヤンは、振り返って本を読んでいるヘーゼンの顔を覗き込む。
「どうした?」
「んー……師ならどうするのかと思って」
「……僕と君とでは前提条件が違うので、アテにはならないと思うがね」
「どうしてですか?」
「まず、できることの幅が圧倒的に違う。なので、無数に取り得る選択肢の中から最適なものを一つ選ぶ。君はそうじゃないだろう?」
「そんなもんですか」
なんとなく誤魔かされているようで、しっくりこない。この男は、心を覗こうとすると、なぜかいつも拒絶してその思考のみを伝えてくる。
「例えば、僕がシマント少佐に同行したら、まず一言も話させない魔法をかける」
「ひ、酷っ!?」
「そう思うか? 小心者、内弁慶、陰険な性格の持ち主だ。まず、言葉の通じない相手には横柄な態度で罵詈雑言を連発するんだ、あの手のタイプは」
「……」
あ、当たっている、とヤンは思った。
そして、ヘーゼンの指摘も確かに当たっている。ヤンは幼児で非力だ。しかも、魔力もない。スタートラインが違うのに、同じ前提で考えても意味はない。それは、わかっているのだ。
でも。
「んー」
「まだ、何かあるのか?」
「なんでしょう。なんか、ちょっとひっかかるんですよね」
そう言えば、色々と違和感がある。ヘーゼンは、基本的に自身の不利益になる行動をしない。当然、この交渉が上手くいけば窮地に立たされることになるが、特になにかを行動しようとはしていない。
もし、本当に予測外の行動をヤンがしてしまっているとすれば、その盤面を崩しにくるのではないだろうか。
しかし、今回そうはしない。考えられる意図は2つ。ヤンの行動が想定の許容内に収まっているのか。もしくは、予測済みの行動で敢えて泳がしているのかだ。
「……どうした?」
「いえ。何でもありません。ええっと、他には――」
怖っ。一瞬、考えただけで、こちらが何かを思案しているのに気取られた。ここからヤンは、ヘーゼンに教わったとおり、思考を別にわけて行動を始めた。一つは、地理の本を探しながら、他の資料を探すこと。
もう一つは、ヘーゼン=ハイムがこの先に何を考えているかだ。
ヘーゼンは超合理主義者だ。なので、本を几帳面に返すと言うよりは、頻度に応じて本と机の距離を変える。一番読んでいる本は手前。最も興味のない本、もしくは未だ読んでいない本は奥。
ヤンは何気ないフリをして、本をヘーゼンの机に近い順番で見渡す。
ここで、一つ気になる本を発見した。『帝国建国史』。実利に近い書籍の中で、これだけは若干異質に感じた。もしかすると、クミン族の理解を深めるために、帝国との争いの歴史を振り返ったのかもしれない。
実際、クミン族の女王バーシアと会談した時には、ヘーゼンは彼らの歴史について語っていた。実際に使用する場があったのだから、この男がこれを読んでいたとしても不思議ではないが。
……しかし、時系列が合わない。
停戦協定が終わったのは1カ月以上も前のことだ。そして、その間に戦争などもあったので、手前には戦略や戦術についての本が数多くある。そのうちの中に紛れ込んでいるということは、停戦協定以降も一度目を通したと言うことだ。
なぜ、戦争前、もしくは戦争中にそんなことしたのか。ヘーゼンの先読みの力はズバ抜けている。恐らく、戦争に勝利した後――クミン族が要塞を奪取した後の領地交換について、なんらかの意図があったのではないだろうか。
「ああ、もう何から読めばわからないので、適当に取りますね」
ヤンは投げやりなフリをして、適当に十冊の本を選び、その中に帝国建国史を紛れ込ませた。
「じゃ、行きます。お騒がせしました」
「おい、ヤン」
「……っ、何か?」
「雑に扱うなよ。本は大事にな」
「高価なものなんだから、当然、貧乏人は心得てます。ありがとうございました」
ビビった。すべてを見透かしたような瞳で、穿つようにこちらを観察してきた。目をそらしても、見つめても、こちらの意図が読み取られそうだ。しかし、何はともあれ、目的の物を手にすることができた。
ヤンはすぐ部屋に入って、帝国建国史を読み始めた。




