エマ=ドネア
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エマ=ドネアは、ウキウキしていた。突然、へーゼンから『極秘ですぐに会いたい』という旨の伝書鳩が来た。
「えへ……えへへへ……」
最後に会ったのは、いつぶりだろうか。クローゼットにある服は、すでに10着は試着している。
やがて。
「ううん……いや、まあ、そんな訳ないんだけどね」
やっと納得のいく服を選んだエマは、鏡の前で、首をブンブンと横に振る。仕事人間のへーゼンに限って、もちろん、そんな可能性はないのだが、それでも胸の高鳴りが抑えられないのが苦しいところだ。
やがて、カク・ズがドネア家の邸宅に入ってきた。
「久しぶり!」
「ギシシシッ! 元気だった?」
「うん! まあ、忙しいけどね」
「じゃ、行こうか」
「……え?」
屈託のない笑顔を浮かべる巨漢の青年は、挨拶するや否や、再び外へ出ようとする。
「へーゼンと来たんじゃないの?」
「別の場所にいるから、案内する」
「……」
いつも通り、不穏な予感しかしない。
案内された場所は、殺風景な邸宅だった。身分の低い上級貴族が使用していたのだろうか。手入れも行き届いておらず、人が住んでいる様子はない。中に入ると、へーゼンが神妙な面持ちで出迎えた。
「誰にもつけられていないか?」
「つけられる? ま、まあ大丈夫だと思うけど」
「……そうか。カク・ズ」
「妙な気配は感じなかったね。周囲を張っていた部下からも、特に報告はあがらなかった」
「わかった。ありがとう」
「……何事?」
即、ロマンチックをぶち壊しにかかる物々しい雰囲気。どこをどう解釈したって、ここから色恋沙汰には発展しない。
むしろ、今までにないほど嫌な予感がする。
「真鍮の儀で、イルナス皇子が、皇太子になった」
「……」
「……」
「……え?」
ポカンと。
エマが聞き返す。
「ということで、皇位継承順位最下位であろうミクシリアン皇子に会いたい」
「ちょ! ちょちょちょちょちょちょちょちょーーーーっと!? 話を勝手に進めないでくれる!?」
淡々と話を進めていくへーゼンの言葉を遮り、彼女は涙目を浮かべながら叫ぶ。
以前から、イルナス皇子推しであることは知っていた。今回の真鍮の儀で、なんらかの行動を起こすような予感はあったが、それでも、許容し難い話だ。
だが、黒髪の青年は至極真面目な表情で、淡々と話す。
「時間がない。僕の言うことを即座に理解してくれることを望む。いいか? イルナス皇子が、皇太子になった」
「……っ」
エマはゴクリと喉を鳴らす。
「エヴィルダース皇太子の発覚を、可能な限り遅らせたい。力を貸してくれ」
「……わかった」
二つ返事で了承する。へーゼンの表情に、かつてないほど余裕がない。それだけ、予想外の事態なのだろう。
「でも、相手はむしろアウラ秘書官でしょ。すぐにバレるんじゃない?」
「だからこそ、急いでいる。エヴィルダース皇子がアウラ秘書官に伝える前に、工作をしたい」
「……すぐに報告しないかしら?」
「可能性はあるが、低いと見ている」
「でも、皇位継承順位内定の儀で、アウラ秘書官を呼ぶんじゃない?」
皇位継承者は、最も尽力した功臣を通告時に呼ぶ慣例がある。グラッセ筆頭秘書官とアウラ第2秘書官のどちらかが選ばれても、全くおかしくはない。
「呼ばないよ。エヴィルダース皇子にとって、部下とは道具のようなものだ。君はよく切れるハサミと喜びを分かち合おうとするかい?」
「……」
その言い方は酷だなぁ、とエマは複雑な気持ちになる。アウラ秘書官とは完全にへーゼンと敵対する立場になったが、その有能さは疑いようがない。
「万が一呼ばれるとしてもグラッセ筆頭秘書官だろう。それも、可能性の低い仮定ではあるが……最終的にアウラ秘書官に打ち明けるのは、短くて数日。長くて数週間後だと見ている」
「……」
「その間に、なんとしても、ミクシリアン皇子に謁見したい。僕の予想では、彼が皇位継承順位最下位に落ちている可能性が非常に高い」
「まあ、確かに」
イルナス皇子が生まれるまでは、ずっと、ミクシリアン皇子が最下位だった。すでに、40歳を超えており、魔力も少なく、武芸もやらず、知識も乏しい。レイバース皇帝からも、すでに見放され気味の存在だ。
「彼が『皇位継承順位が最下位である』という確証を取ること。そして、決してその事実を口外しないよう手を打っておく必要がある」
「……なるほど」
へーゼンの推測が正しければ、ミクシリオ皇子と彼が選んだ2人だけが、『イルナス皇子が最下位でない』という事実を掴んでいるのだ。
「エヴィルダース皇子は、皇太子の疑念を持つ者を、皇位継承順位の高い順位から当たるはずだ。謁見の順番は必然的に後の方になる。その前に、なんとしても会談をねじ込んでほしい」
「む、無茶言わないでよ! 皇位継承順位が最下位といっても皇子よ? 皇族に、そう簡単にアポを取れるわけないでしょ!?」
「エマ=ドネアの会談ならば、断らない。いや、むしろ、この時期だからこそ、積極的に会談を受け入れようとするんじゃないかな」
「……」
へーゼンの言っていることは、すぐに理解できた。要するに、ミクシリアン皇子との政略結婚の可能性について言及しているのだ。
エマの父ヴォルトは、皇帝派の筆頭である。
皇帝派は、現皇帝レイバースのみに仕える臣下たちの派閥で、現政権下では大きな影響力を持つ。ミクシリアン皇子が、皇位継承順位が最下位であれば、今後、必死に巻き返しを図り自身の価値をあげようとするはずだ。
特にエヴィルダース皇子に対して。
その際、皇帝派の筆頭であるドネア家を取り込むことは、エヴィルダースが皇帝になる際に、大きな価値になる。
「ううっ……なんだか、嫌だなぁ」
「たとえ、色欲にトチ狂っても、君がミクシリアン皇子に好意がない限りは、指一本触れさせないから、安心してくれ」
「だ、大丈夫! 自分でなんとかしますから!? あなたは指一本動かさないで!」
エマは即座に、血塗れのミクシリオ皇子を想像し、全身鳥肌が立った。
「でも、時間の問題じゃないかしら。どちらにしろ、イルナス皇子……皇太子殿下を宮中で守りきるのは至難の業でしょう?」
皇族区の警備は、エヴィルダース皇太子が取り仕切っている。皇太子であることが発覚すれば、暗殺者を立ててくることは容易に予測ができる。
そして、へーゼンがイルナス皇子を皇族区で護衛することなど、認められるはずがない。
皇太子と言えど、天空宮殿内の権力は、ほぼ掌握されている。差し当たっては、皇帝レイバースの信を功績で勝ち取らなければいけないが、ほぼ間違いなく、その前に暗殺をされるだろう。
考えれば考えるほど、絶望的だ。
「発覚することを恐れるよりも、発覚してからの守りを検討した方がいいんじゃない?」
「それは、大丈夫。ヤンに誘拐させたから」
「……っ」




