三冷
長く長く続く回廊を早歩きで進みながら、イルナスは豪奢に彩られた透明の壁を眺める。
帝都の中心にそびえ立っているこの天空宮殿は、数百メートルほどの高さで、帝都を悠然と見下ろしている。
中央の交差路で、4つの分岐が発生する。天空宮殿から帝都に向かうためには、北、南、東、西、いづれかの門を通らなければいけない。
「でも、師。魔法も使わないで、誰にもバレずに門を抜ける方法なんてあるんですか?」
ヤンが不思議そうに尋ねる。当然ながら、天空宮殿内に入るためには、当然、警備を潜り抜けなければいけない。
貴族であったとしても、審査には数時間を要する。
自由に出入りできる人間は、契約魔法で行動を縛られた使用人か、多数の護衛を周囲に配備できる超名門の上級貴族である。
だが、ヘーゼンはいつも通り、こともなげに答える。
「北門の衛兵数人と通じている。いずれも出世コースから外れた者たちで、門を通るたびに気安く話しかけて懐柔した」
「あ、悪魔過ぎる」
天空宮殿の上級貴族たちから総スカンを喰らっているとは言え、反帝国連合国との戦の救世主であるヘーゼンは、密かに軍の人気が高い。
そんな英雄に気安く話しかけられれば、舞い上がる衛兵なども少なくはないのだろう。人間の心理を巧みに利用した人誘術だ。
「多分……いや、まあ、おそらく絶対に大丈夫だとは思います」
「……」
「イルナス様?」
「あ、ああ」
ハッと気づいたように返事をするが、心なしかは後ろ髪をひかれるような表情を見せている気がする。
「……」
生まれて16年間をこの天空宮殿で過ごしたイルナスには、ここの生活こそがすべてだった。母のヴァナルナースや星読み兼家庭教師であるグレース。大陸で最も信頼している2人を、この日に一気に失うのだ。
ヤンは優しく童子の手を握った。
「ご安心ください。必ずお守りしますから」
北の門に到着した。衛兵が3人。打ち合わせ通り、他の者たちは休憩に行かせているらしい。いずれも、ヘーゼンと通じている者であると聞くが、彼らの全てを掌握した訳ではないので、要注意だ。
ヤンは、漆黒のマントでイルナスごと覆った。急な出来事に戸惑うイルナスを片手で抱いて胸に押しつけ、ヘーゼンと共に前へと歩き始める。
「っと、ヘーゼン様。後ろの方がそうですね」
「ああ、すまん。弟子で、緊急の案件があってな。苦労をかける。お礼はするよ、相応のね」
「ははっ! また、美味しいお酒を期待しますよ」
「わかった。君たちも、それでいいか?」
「「はい! 嬉しいです」」
「助かるよ。本当にね」
陽気にやりとりをし、速やかに顔パスで通行の許可を得た。一旦、ここの門をくぐってしまえば、あとは門を抜けるだけ。案外、簡単なものだ。
このまま、帝都を抜けて……とヤンが思惑を巡らしていた時に、突如としてヘーゼンが漆黒のマントを剥ぎ取り、イルナスの顔をむき出しにした。
「……」
「……」
「……」
・・・
「「「……っ」」」
衛兵たちは数秒固まっていたが、やがて口から泡を吹くぐらいに驚愕の表情を浮かべた。
「イルナス皇子!?」
「わかってくれて嬉しい。君たちが気づくかどうか、少し不安だったんだ」
「な、なんで……えっ……ええっ!?」
「いやぁ、なんでって誘拐するんだよ。これから」
!?
ヘーゼンのアッサリとした宣言は、『これからお茶します』ぐらいの軽いものだった。ヤンも彼らと同様に驚いていたが、割合立ち直るのが早くて『ああ、こいつまたやりやがったな』的な視線を黒髪魔法使いに投げかける。
一方で、衛兵たちはすぐさま魔杖を抜き、周囲を取り囲む。
「ヘーゼン様。冗談じゃ済まされません。国家反逆罪は関わった者すべてが極刑になるほどの重罪ですよ」
「いや、なにを言ってるんだよ。私は君たちの協力を得て、イルナス皇子を誘拐するのに。現に通行許可をもらってるんだから。私もヤンもイルナス皇子殿下も捕まったら証言するよ……確実にね」
「「「……っ」」」
その笑顔はあまりに綺麗で、すがすがしくて、逆に歪んで見えた。衛兵たちはすぐさま彼の言っていることが理解できなかった。混乱していた。
なぜ、わざわざヘーゼンは彼らにイルナスを見せたのか。そのまま、通り過ぎてくれれば、なんの問題もなく門を通過できたではないか。そう言いげだった。
「な、なにを言ってるんですか! わ、私たちは――」
「ふぅ……わからないかな。『国家反逆罪は加担した者すべてが極刑になるほどの重罪』だよ。言っただろう? 『美味しいお酒を期待する』って。それは、君たちが私に加担したことに他ならない何よりの証拠だろう?」
笑顔で説明するヘーゼンに、3人の衛兵たちは驚愕した。
「……」
確かに、言ったし了承した(おそらく蓄音機で録音もしている)。
しかし、彼らのお礼など社交辞令に過ぎない。あるいは、酒場でいっぱいでも奢ってくれれば十分。そんな大人の気遣いを、目の前にいる悪魔は罠へと変えた。
「もう君たちの住居には、誘拐の共犯者にふさわしい金額の贈り物をさせていただいているよ」
「そ、そんなもの受け取る訳がないじゃないですか!?」
「大丈夫。いきなりの大金だと受け取って怪しまれると思って、懇意にしている商人には分割で契約しておいたから。すでに、家族は喜んで受け取ってもらってるよ」
ヘーゼンは、ヒラヒラと彼らと同じ人数分の契約書を見せる。3人の衛兵たちは完全に青ざめた表情を浮かべている。
「……」
ヤンは、この時にヘーゼンの教えを思い出す。信頼の薄い者を味方に引き込むのであれば、同じ罪を犯させろ。それが、重ければ重いほど彼らを縛る鎖となると。
「し、真実は一つだ。俺は犯罪には加担しない。ヘーゼン=ハイム。あなたの悪行は許されることではない」
「違うよ。真実とは、複数の事実の集合体によって成り立っている。それは、組み合わされた事実の数だけ存在するものだ」
「……っ」
黒髪の青年は漆黒の瞳を彼らに向ける。それは、先ほどまでの軽やかで陽気な笑顔とは、まったく別物だった。
「私が準備した事実は3つ。君たちが私に便宜を図って違法な申請を許可したこと。私の準備した『お礼』を了承し、君たちの家族がすでに受け取ったこと。君たちがイルナス皇子の誘拐計画を知ってしまったこと」
「……っっ」
「どうかな? 客観的に見て、簡単に便宜を図ってしまう君たちの安い言い訳と、この揺るがない3つの事実。どちらを人は信用するかな?」
「「「……っっっ」」」
数人の衛兵たちは、もう完全にフリーズしてしまっている。イルナス皇子も完全に硬直状態だ。
「……」
1年。天空宮殿で過ごしたこの期間に、ヘーゼンはさまざまな種を蒔いた。反帝国連合国との戦で莫大な功績を挙げたにも関わらず、天空宮殿の皇族、上級貴族から総スカンを食らっている不世出の英雄。
主に、似たような境遇で不遇を囲っている者たちに近づき、味方を作った。
そして、躊躇なく裏切る(ヤン、ドン引き)。
「……」
ヤンにとってみれば、これが師の本性そのものである。冷静・冷酷・冷徹。三冷を笑顔で体現するこの魔法使いは、常に裏切りを警戒しなければいけない。
そして、見事にヘーゼンを信じ、罠にハマった彼らは、青白い表情を浮かべながらアグアグと口を動かしながら固まっている。
「と言うことだから、君たちはなにも見なかった。イルナス皇子はここを通らなかったし、便宜を図ったりもしなかった。いいね?」
「「「……」」」
「沈黙は回答と見なすよ。じゃあ、ヤン、イルナス皇子殿下。ご武運を」
黒髪の魔法使いは、満面の笑みで、全力で嫌な顔をしているヤンと驚愕の表情を浮かべているイルナスを見送った。




