ヤン
*
絶対にやめてやる。
ヤンは堅く心に決め、猛然とヘーゼンの部屋に向かっていた。やっと鬼畜のような仕事量を終え、ベッドでスヤスヤ眠っていた時に突然の呼び出し。
いや、まだ休日のはずじゃん!?
頑張ったんだ。『若い者の休日を奪うのが生きがいなんじゃ、ワシ』と老害クソムーブをかますグライドを抑えこみ、振り絞るように捻出した余暇なのに。
もう、我慢できない。
手切金の大金貨20枚は準備した(コソコソ貯めた)。これで、契約魔法も解除できるはずだ。開口一番で、大声で言ってやる。そう意気込んで部屋の扉を開けた。
「師、私、あなたの弟子をやめさせて頂きます!」
「そうか。なら、皇子殿下を誘拐しろ」
!?
ヤンは、ガビーンとした。
不敬。口にするだけで、あまりにも圧倒的、全力、全身全霊で不敬なワードだ。言っている意味がわからない。師であるヘーゼン=ハイムの言葉が、あまりに突拍子もなさ過ぎて、全く意味がわからなかった。
ってか、誰もいないよね!?
黒髪の少女は慌てて自分の部屋を見渡し、誰もいないことを確認。ホッと胸をなで下ろす。そして再度その言葉を頭の中で連呼したが、やはり意味がわからない。なので、よく聞こえないフリをすることにした。
「……はい?」
「いい返事だ」
「ぎ、疑問符ですよ!」
やっぱり、ガビーン。
慌てて断固として否定した。この恐ろしい師は、下手をするとそのまま進めてしまう危険がある。と言うか、する。
「……」
ああ、この人ヤバい人だ。ヤンは改めて目の前にいる師がいかに危険人物であるかを思い知った。
「どういうことかしっかり説明してくださいませんか?」
「……なにがわからない?」
「ぎゃ、逆に今の会話でなにを理解しろと言うのですか!?」
「ふぅ……察しの悪い弟子だ」
「……っ」
全然悔しくない。絶対に理解できない指示を理解できないことは、全然悔しくない。そう答えると、ヘーゼンに「僕ならできる」と言ってのけられて、ヤンは大いに悔しがった。
しかし、黒髪の少女には誘拐の動機も、背景も、そもそも誰を誘拐するのかもわからない。
「そもそも、誰を誘拐するんですか? 『する』って言ってるわけじゃないですよ!」
「童皇子……いや、童皇太子殿下だ」
「童……ってことはイルナス皇子……でも、皇太子って……」
「真鍮の儀でイルナス皇子殿下が皇太子に内定した」
「……え、ええっ!? なんでまたっ」
ヤンはあらためて耳を疑った。見たことはないが、イルナスの噂は耳にしている。5歳のまま成長が止まった『童皇子』。
魔力の発現も未だなく、血筋、財力、家柄、どれをとっても心許ない皇位継承者圧倒的最下位。宮殿中から馬鹿にされている存在。
よりどころは愛。母であるヴァナルナースが受ける皇帝レイバースからの寵愛のみが頼りという超弱小皇族と聞いている
しかし、皇太子ともなればすべてがひっくり返る。貴族内に蔓延っている派閥の勢力図が根底から覆される事態となるのだ。
「イルナス皇太子殿下の潜在的魔力は、皇室の中でも最も強い。歴代皇帝の中でもおられなかったほどだそうだ……星読みたちが耐えられぬほどのな。それも、彼ら全員が恐れるほどの巨大な宿星をお持ちだ」
「だからって……後ろ盾も味方も少ないヴァナルナース様の皇子ですよ? 皇太子という地位を被ってこの宮中で生きていけないでしょう?」
「そうだ。イルナス皇子殿下はこの宮中で生き残れない。必ず暗殺される」
「……っ」
師の明確な返答に、ヤンはゴクリと喉を鳴らした。確かに今までは、皇太子から最も縁遠いので生き延びられていただけだ。
皇位継承権第1位――現皇太子のエヴィルダースに殺されるのは時間の問題である。
後ろ盾も味方も少ないこの状態で、宮中で守れる者などいないだろう。そこまで頭に走らせた瞬間、『ああ、そういうことか』とヤンは理解した。
皇太子内定が、すぐ前に行われたのだろうと言うことを。
「……私への嫌がらせではなく、今日にせざるを得ない緊急事態ということですね」
「やっとわかったか。そういうこと」
「……っ」
なんて言い草。
「イルナス皇太子殿下には、なんとしても皇帝になってもらわなくてはならない。この帝国には、強力な皇帝が必要だ」
「……だからって、なんで私なんですか?」
ヤンはせめて、こんな理不尽を被る理由が知りたかった。自分にだって、清く正しく生きていく権利があるはずだ。
なぜ、わざわざ犯罪者と言う汚名を被らないといけないのか。本来であれば皇子に仕えている側近とかがやるべき仕事じゃないのか。
そもそも、イルナス皇子なんて会ったこともないのに。なにが楽しくて、特に義理だてもしていない宮中の争いに巻き込まれないといけないのか。
「君は平民育ちだ。さすがに、貴族に逃亡はできんだろう。ついでに、魔法使いとしての才能は私の認めるところだ」
「つ、ついでって……あの地獄の日々をついでで片付けないでください! もうちょっと私がやりたくなるような理由をくださいよ!」
話が脱線しまくってしまうが、ヤンには聞き捨てならなかった。むしろ、そっちがメインじゃなきゃ、なんなんだ。
このデタラメな師に仕えて2年余り。よく生き残れたものだと自分で自分を褒めてやりたい。アレは、教育という名のシゴキだ。いや、そんな言葉すら生温い。この世の地獄だ。
「……」
黒髪の少女は深呼吸をして、与えられた選択肢を考えてみた。前者は、師とのハードサバイバルコース。後者は、皇子誘拐という大犯罪を犯した国家的反逆者コース。
「……ん?」
死の危険。過酷さ。境遇。あらゆる要素を脳内の天秤に掛けてみるが……よくよく考えてみるとかなり均衡していることに気づいた。
いやいや、でも。若干、宮中の食事が美味しい分、こっちのがマシ……のはず……に違いない……だといいな。
「……やっぱり、私には無理ですよ」
「イルナス皇太子殿下は、もうそろそろこの部屋に来られる。しっかりと仕えるように」
「わ、私の話聞いてました!?」
「これは、命令だ。やれ」
「……っ」
ガビーン×100。
なんたる理不尽。あまりにも酷過ぎてお話にならない。いや、これ以上、このイカれた師と一瞬たりともだっていたくない。
と言うか、今すぐに全力の魔法をぶっ放して存在ごと消滅させてやりたい。もう、我慢できない。全然、我慢できない。
「師……もう私、我慢できません。申し訳ありませんが、あなたの弟子、やめさせていただきます!」
「なら、ちょうどいいな。じゃあ、頼んだぞ」
「……っ」
あれぇ……あれぇ。
ヤンは混乱した。確かにヘーゼンの言う通り、ちょうどいい。でも、でも、それってなんか違うくないかなと正気に戻り始めていたいた矢先。
部屋の扉が開いた。




