イルナス皇太子(1)
イルナスは不思議な感覚に包まれていた。身体が宙に浮いて浮遊しているようで現実味がない。それでいて、心臓の音だけがドクン、ドクン、と波打つようにうるさく、痛い。
「……我が、1位? 最下位ではなく?」
「はい。過半数を超える星読みが、イルナス皇太子殿下を推しました」
「……」
信じられなかった。星読みの魔力測定は、通常十数分ほどかかる。それなのに、自分の番では数秒ほどで終わらせていたではないか。
それを尋ねると、グレースは心苦しそうにつぶやいた。
「私たち星読みは魔力感知に優れておりますので、あまりにも強い魔力を読み取ると、それだけで気分が悪くなってしまいます。イルナス皇太子殿下の潜在魔力は、他の星読みたちには強すぎたのです」
「……っ。で、でも。エルヴィダース皇太子は? デルクトール皇子は?」
「イルナス皇太子。エヴィルダース皇子です」
「……っ」
グレースがすかさず言い直す。
だが、とてもじゃないが、信じられなかった。
「か、仮に自分の潜在魔力が高くても、他の皇位継承候補だって優秀な魔力を持っているはずだ」
「申し訳ありませんが、他の候補者の状況をお伝えする訳にはいきません」
「予測でもいいのでしたら、私がお答えしましょう。もちろん、他の2人も強い魔力をお持ちでしょう。しかし、あなたは別格だった……私の予測を超えるほどに」
ヘーゼンが答えるが、その表情は浮かない。いや、むしろ悩ましげな顔をしている。
「……」
イルナスは不審に思った。仮に潜在魔力が他の候補者を圧倒していての1位ならば、彼にとっては歓迎すべき話ではないのか。
「グレース様。聞かせられる範囲で構いません。なぜ、そのようなことになったのです? 魔力が重視されるのは重々承知ですが、選考条件は他にも多くあるでしょう?」
ヘーゼンが尋ねた。どうやら、この男は今回の判定に納得のいっていない様子である。イルナスの中で、ヘーゼンへの疑念が拡がっていく。もしかしたら、この男はどこかの派閥のスパイなのだろうか。
「ええ。もちろん、他の選考条件も加味しました。現在の派閥、家柄、血筋、全てを考慮した上での決定です。具体的な名前は差し控えますが、イルナス様の潜在魔力は2位の方の10倍以上の魔力量を誇っておりました」
「……っ」
聞いていて、イルナスは現実味がわかなかった。エヴィルダース皇太子の魔力は強大だ。大嫌いで憎々しいが、魔法使いとしての実力は憧れを抱かずにはいられなかった。
そんな彼の魔力の10倍以上……とてもじゃないが、飲み込める話ではない。
しかし、ヘーゼンはさも納得したような表情を見せる。
「得票数を教えて頂きたい。それとグレース様。あなたが誰に投票したのかも」
「……構いません。公平を期すために、この情報は公開されますから。10人中9人の星読みがイルナス皇太子殿下に投票しました。そして……私は、他の候補者に」
「なっ……」
イルナスには何がなんだかわからなかった。ほぼ満場一致で自分に投票が入っていることも信じられなかったし、何より、唯一信じていたグレースだけが他の候補者に投票していたことも信じられなかった。
しかし、ヘーゼンはそれにも納得したような表情を浮かべる。
「なるほど。10名中9名ならば、もうどれだけ他の候補者が工作しようと覆しようがようがない訳ですな」
「ええ。私も一縷の望みをかけて他の候補者に投票したのですが」
「ふ、二人とも……さっきから何を言っている!?」
イルナスは混乱しながら叫んだ。先ほどから2人が言っているのは、どう考えてもイルナス以外の候補者を、1位に押し上げる方法だ。
味方だと思っていた2人が、まさか、敵のスパイ? もう、訳がわからない。
ヘーゼンとグレースは、互いに顔を見合わせてハーッとため息をついた。
「失礼。私の予測では、グレース様と他1名。これが、今回の真鍮の儀式であなたを皇太子に推す星読みだと考えておりました」
「……」
「天空宮殿での派閥の影響力は強大だ。星読みも、所詮は人だ。慣例と利益、そして影響力からは逃れられない。そう思っていたんです」
ヘーゼンは悔しげに言葉を吐く。
「秘匿機関で探る術もなかったとは言え……まさか、ここまで忖度のない集団だとは。正直、呆れました」
「……それで、なぜそんな表情を浮かべる。そなたが私の後ろ盾となってくれるのならば、むしろ喜ばしいことではないのか?」
イルナスの問いに、ヘーゼンは首を横に振る。グレースの方も向くが、表情は浮かない。
「むしろ、最悪です。これならば、まだ最下位の方がよかった」
「き、貴様っ……」
「時間がなかったので、選択肢を狭めていたんですよ。1位など、検討の片隅に辛うじて入れていた最悪の結果です。急いで、今後の行動を決めなければ……ラスベル、すぐにヤンを呼び戻せ」
「その必要はありません。ちょうど天空宮殿に戻ってきたところです」
「そ、そうか。早いな……」
ヘーゼンは少し驚いた表情を見せる。
「休みをくれないなら、自分で勝ち取ると言って、不眠不休で頑張ってたみたいです。今は力尽きてベッドで泥ように寝てます」
「叩き起こせ」
「……っ、は、はい」
ラスベルは、迷いのない指示に引き攣った表情を浮かべつつも部屋を出て行く。
「ヘーゼン、そなた……なにを――」
「……いや、その前に、急いで準備をしてもらわなければな。イルナス皇太子殿下」
「あなたは、今日、この天空宮殿から誘拐されなくてはなりません」