ヘーゼン=ハイム(7)
「はっ……ぎっいいいぃ……」
魔軍総統ギリシアは、噴き出る泡を噛み砕くほど、歯を食いしばった。これまで、ラシードとまともに戦ったことはなかったが、まさか、ここまでの化け物だったとは。
超接近戦だけではなかった。まさか、竜騎を含めた瞬間移動抜刀が可能だとは、夢にも思わなかった。
砂国ルビナの秘刀『孤月ノ太刀』、正式名称……月下ノ理。真なる理の魔杖を持つ者が、なぜ、しがない雇われの傭兵に甘んじているのか。
「本当は、貴様を斬ってやりたかったが、無駄だからな」
「くっ」
思ったほど、憎しみにも囚われていない。ヤツが竜騎兵団団長を降ろされたのは、魔軍総統ギリシアが謀略で親友をハメ殺したからだ。
その復讐心を刺激すれば、猪突猛進で、こちらを狙ってくると踏んでいたのだが。
「まったく……余計なことを」
武聖クロードが、呆れたようにつぶやく。
「な、な、なんですって!?」
「因縁を焚きつけられて、さも、挑発に乗ったかのように演技されたんじゃ。ヤツは、生粋の戦士じゃ。戦場での結果に文句を挟むような男じゃない」
「あんたねえ! 人のことばっか非難して……いい加減にしなさいよ!? 不殺なんてヌルいことやってるから、相手の戦力が一向にへらないんでしょう!」
痺れを切らした魔軍総統ギリシアが、武聖クロードに怒るが、当の本人はあっけらかんとしている。
「ワシがこういう戦いをすることは、参戦に当たっての条件じゃ。文句を言われる筋合いはないな」
「くっ……外れの五聖を引いたわ。武戦士長オルリオ! あんたもそうよ! なんで私の魔法に抗ったの? まさか、ラシードにビビったんじゃないでしょうねぇ!?」
千里ノ霧の移動は、対象者が拒絶すれば適用されない。魔軍総統ギリシアは腕を組み憮然としている魔戦士長オルリオに噛み付く。
「バカかお前は? あの魔長どもを贄としたに決まっているだろう? 真なる理の魔杖持ちに、初見で突っ込むほど無能じゃない」
「ぐっ……ぐぎぎぎぎぎぎぎぎぎっぎいいいいいいいたいぃーーーーーーーーーーー!」
甲高い声で、狂ったように叫び散らす神経質な男は、地団駄を踏みまくる。
「それに……面白い新手が出てきたのでな」
魔戦士長オレリオは、ベルモンド要塞から飛翔し、灼熱の炎を叩き落としたへーゼンの方を見つめていた。
「かっ……あんの……ボキャーーーーーーー!? お、お、覚えてなさいよ! あのヘーゼン=ハイムと言うマヌケを殺った後は、次は貴様を縊り倒してやるから」
「なんだ……逃げるのか?」
竜騎に乗った褐色の剣士は、挑発的な笑みを浮かべる。
「はっ……んぎいいいいいいいいっ! 蛮族の犬女! 酒狂い戦闘狂! いつか、あんたたちの首を、野晒しにしてグチャグチャにしてやるからね!」
超絶に歯を食いしばりながら、神経質な男は捨て台詞を吐き、千里ノ霧で姿を消した。
「魔軍総統ギリシア……そっちは、外れだぜ」
ラシードはフッと笑みを浮かべつぶやいた。
*
そして、数十分後。
「はっ……んぎいいいいいいいいいっ!」
ヘーゼン=ハイムから放たれた超絶の一撃に。
魔軍総統ギリシアは、歯茎が流血するほどに歯を食いしばる。
「ちょ、ちょちょちょちょ! ちょちょちょちょちょうしに乗るんじゃないわよおおおおおおおっ!?」
「……もう打ち止めだったら、話しかけないでくれるかな。お前、戦闘能力の低い雑魚だろ?」
「はっ……んぎょえええええええええええっ!?」
屈辱
屈辱
屈辱屈辱屈辱
圧倒的で圧巻的な超屈辱。魔軍総統ギリギリは血が出るほど薄い髪をかきむしり、ブチブチブチと毛根を抜きまくる。
だが、見事に図星だった。
もはや、武国ゼルガニアの残存勢力は存在しない。魔軍総統ギリシアの能力は完全なるサポーターなので、残る大国トップ級は、魔戦士長オレリオと武聖クロードのみ。
もはや、完全なる雑魚扱い。
「んぎいいいいいいいっ! ふざけるんじゃにゃいわよぉ! あんたみたいなポッと出の無能新人に……」
「武聖クロード……聞こえるか?」
!?
無視……いや、完全に無視。
以降、叫んで、喚いて、怒り狂う魔軍総統ギリシア声が、ヘーゼン=ハイムの行動に影響することは1ミリたりともなかった。
眼中の外。
そして。
空を悠然と飛翔している黒髪の青年は、圧倒的な上から目線で、精悍な老人を捉える。
「カッカッカッ! 聞こえているぞ」
「不殺を信条としているそうだな」
「ああ。武を志した時からそう決めている」
精悍な老人が迷わず頷く。
ひたすら高みを目指して生きてきた。我を通すため、何者にも縛られず生きていくため、武に捧げ、武のみに頼り、強さのみを拠り所としてきた。
だが、戦いには、必ず勝者と敗者が存在する。
敗者に対して、強者が命まで取るべきか。それは、純粋な武ではない気がした。強さの証明。自分には、これだけが重要なことであって、他の勲章は必要ない。
「勘違いしないで欲しいが、ワシは聖人君子を気取るつもりはない」
反帝国連合軍に参加したのも、帝国の高慢なやり方が気に入らなかっただけだ。数の暴力で領土拡大を続ける巨象をぶっ倒してやれば、さぞや気持ちがいいだろうと思ったからだ。
「だが、ワシの相手がジオラ伯でガッカリだったわい。あんな死に損ないのジジイを倒したところで、なんも楽しくない。青の女王と元竜騎兵団団長、そしてヘーゼン=ハイム。ヌシらとの戦いは歯応えがありそうだがの」
武聖クロードは、不敵な笑みを浮かべる。
「なるほど……」
「まあ、そう言うことで。ヌシと戦う時も、不殺を曲がるつもりはない。それでも、怯えるなら、手加減してやらんでもないぞ?」
「……わかった。じゃあ、僕からも一つ」
黒髪の魔法使いは、自身の魔杖を高らかと上げて、この場にいる全員に宣言する。
「確殺だ」
「……は?」
「武聖クロード……僕は、絶対に君を殺す」




