一息
*
要塞防衛戦終結後の翌日。兵たちが勝利の美酒に酔いしれている中、軍務室には、ジルバ大佐とシマント少佐がいた。
「……確かに、あの男は……『皇帝陛下を連れて来い』……ヘーゼン少尉はそう言ったのか?」
「は、はい。間違いなく」
「ク……ククク……クククククククククハハハハハハハハハッ! ハハハハハハハハハッ!」
「じ、ジルバ大佐。笑い事ではありません」
シマント少佐は憤った様子で、机を叩く。
「私はこの時ほど我が身を呪ったことはありません。皇帝の御身に捧げて生きてきて、これほどの屈辱を味わうことになったとは」
「ああ、すまない。シマント少佐を笑った訳ではない。相手はもちろんあの不敬者の話だ」
「……しかし、私もあの時に黙認してしまった事実があります」
「なにを言っているんだ。ヘーゼン少尉の言葉遊びなんて通用する訳がないだろう。そして、君は不可抗力で、逆らいようがなかった。そうだな?」
「も、もちろんです」
「だったら、問題ない。あの男が不敬罪を犯したのは、事実だ。どんな功績を挙げたとしても、待っているのは極刑だ」
「そ、そうですか! いや、絶対そうですよね」
シマント少佐は心の底から安心した。
「まさか、あの男がこんなくだらない失態を犯すとは思っていなかったよ。しかも、我々に最良の結果をもたらした後にだ」
「は、はい!」
この戦で、敵前逃亡したケネック中佐の派閥は、撤退抗戦したジルバ大佐に一生頭が上がらないだろう。
なんせ、彼らはこの要塞の長であるジルバ大佐を見限って、独断で撤退したのだから。後からこちらが撤退するという算段があったのだろうが、とんだ計算違いだろう。
そして後は、生かすも殺すも、ジルバ大佐とシマント少佐の裁量次第になる。
もう戦勝報告が彼らに届いている頃だろうか。今頃、泡を吹いて倒れているのではないだろうか。それとも、唖然としながらも、急いでこちらの要塞に向かっている頃かもしれない。
「ククク……まあ、ヘーゼン少尉も土下座して涙ながらに謝れば、許してやらなくもないが。いや、まあシマント少佐が許さないか」
「フフフ……はい。ヤツには、馬の糞くらいは食ってもらわないと。バクバクとね」
そのぐらいの屈辱を自分が遭わされたのだ。全員がいる前で、情けなくも土下座などさせられた。それも、身分の高いものにではなく、配属されて2ヶ月あまりの新人将官にだ。
絶対に許せない。
その時、ノック音がした。
「ロレンツォ大尉です。入っても?」
「おお、来てくれたか」
ジルバ大佐もシマント少佐も、上機嫌に彼を迎え入れる。いろいろあったが、この部下の進言を聞き入れたことで、危機を脱することができた。
「いや、君も本来なら降格してもおかしくないほどなんだが、今回の戦功に免じて不問にする」
ジルバ大佐は満面の笑顔で肩を叩く。
「……はい、ありがとうございます」
「でだ。ミ・シル伯はいつ頃来られそうだ? 我々がディオルド公国の豚どもに手痛い打撃を喰らわせてやったのだ。その勢いのままに、要塞を攻略してやらんとな」
「いえ。その必要はないと思います」
「は? どう言うことだ?」
「すでに、要塞はクミン族によって攻略されております」
!?
「は、はぁ!? な、な、なんで!? どどどう言うことだ!?」
シマント少佐が取り乱したように尋ねる。
「彼らは、私たちがディオルド公国と戦っている間に、大軍をもって要塞を攻撃し、すでに掌握してます」
「ぎょ、漁夫の利を取ったと!?」
「……いえ。どちらかと言うと、我々の恩人でしょう。なぜ、ディオルド公国の兵たちが撤退したのか判らなかったのですが、これで謎が解けました」
「ふざけるな! あの野蛮な猿ども……ふざけた真似を」
「しかし、おかげで兵たちは助かりました。ギザール将軍はヘーゼン少尉が倒したと言えど、流石に、数万の大軍を相手にするのは、こちらも数千単位の死傷者が出る」
「そんなことは関係ない! 見ておれ、猿ども。必ずミ・シル伯が要塞を奪い返してくれる」
シマント少佐が指の爪をガジガジしながらつぶやく。
「あの……それは無理かと思います」
「無理? あんな猿どもが四伯のミ・シルに勝てるとでも!?」
「いや、そうではなくて。我々帝国とクミン族は、現在、5年間の停戦協定中です」
「がっ……あんのクソ少尉め!」
シマント少佐は、足でジタバタと地団駄を踏む。
「現在、彼らと意思疎通できるのは、ヘーゼン少尉だけです。なんとか、彼らと交渉しなくてはいけません」
「そんなことしなくても、協定などは破ってしまえばいいではないか!」
「……破れば、帝国の信用度が下がります。万が一格下の部族に対して、そのような行為に及んだのがバレれば、各国にどう申し開きするんですか?」
「くっ……」
シマント少佐は思わず口をつぐんだ。




