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 エヴィルダース皇太子は、激しく、耳を疑った。


 やんごとなき身分である自分に対して。絶対的な権力者である自分に対して。この帝国で、皇帝陛下以外に逆らう者などいない自分に対して、この男は『が高い』などと、のたまったのか。


 いや……幻聴だ。


 これは、流石に、幻聴過ぎる。


「ヘーゼン=ハイム……貴様、今、なんと言った?」

「よく、聞こえませんし、見えませんね。最近、疲れのせいか、視線が重いんですよね」

「……っ」


 めちゃくちゃ、足下、見てる。


 比喩とかじゃなく、物理的に。


「はっ……こぉんのぉ……あぁん」


 幻聴じゃなかった。やはり、この男は心の底からイカれていると確信した。


 そして、瞬間、()()()()()()()()()()()()がフラッシュバックした。


 土下滑り込み、めり込み。


 今でも、たまに夢で見る。あの瓢箪型頭のクソデブが、全力でダッシュし、ヘーゼン=ハイムの足下の空間に吸い込まれていく、ホラーよろしくな光景。


 それを、皇太子である自分に『しろ』と言うのか。


「はっ……がっ……ごえっ……ごええええっ!?」


 瞬間、エヴィルダース皇太子の視界が、グニャリと歪む。これは、本当に現実なのだろうか。朝、起きたら夢であって、いつも通り紅茶を飲みながら窓の外を眺めてーー


「あの……時間がないので、早くしてもらえませんかね?」

「……っ」


 ブチッ。


「こんの無礼者があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 エヴィルダース皇太子は、炎帝ノ剣(えんていのけん)を抜き、かつてないほど魔力を上げる。滅殺する。魂ごと存在を消し去ってやる。燃え滓すらも残さず、燃やし尽くす。


 だが。


 ヘーゼンは、不敵に笑い、


「いいんですかね? 《《陛下に知られても》》」

「……っ」


 今にも放とうとした魔法を、エヴィルダース皇太子はビクッと反応し、寸前のところで止めた。


「き、き、貴様……今、なんと言った?」

「あれ? 以前、言いませんでしたっけ? 私には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……っ」


 ドネア家。


 現皇帝レイバースの最側近であるヴォルト大将が当主の超名門家系である。


「反帝国連合との戦い前、私の学友時代の友人、エマ=ドネアが、留守中の当主代行及び、後継者の座を引き受けたこと……知ってますよね?」

「はっ……くっ……」


 エヴィルダース皇太子は、全身の震えが抑えきれなかった。皇帝レイバースの怒り猛った表情かお。大きくため息をついた表情かお。自分に対し……失望した表情かお


 グルグルグルグルと、その光景が頭に巡る。


「本当にいいんですかね? 私を敵に回すこと……帝国が滅びるかもしれない有事を、独断で決めて」


 ヘーゼン=ハイムが無防備にエヴィルダース皇太子に近づき、覗き込んでくる。一太刀。少し手に力を入れて剣を振るえば、首を斬れる距離。


 少しでも力を入れれば……


「……っ」


 それは、ダメだ。皇帝レイバースは、『常に帝国のことを考える皇太子』たることを強いている。自尊心のために、このような判断を下したことを、絶対に許しはしない。


「う゛う゛っ……あ゛あ゛う゛っ……」


 屈辱で涙を溜めながら、エヴィルダース皇太子は、アウラ秘書官とデリクテール皇子の方を眺める。


「ヘーゼン=ハイム! 私が頭を下げる!」

「……いや、私が下げよう」

「いや、あなたたちに下げられても、なんの意味もないです」

「「……っ」」

「あ゛あ゛っう゛う゛っ……」


 なんで、意味がないんだ。こいつらが、下げればいい。こいつらは、皇太子じゃない。背負っているものもない。頭など、いくら下げさせても減らないのに。


「ふ、ふ、ふざけるな! なんで、が……」

「あなたじゃなきゃ、意味がないんですよ。だって、この戦の最高責任者は、エヴィルダース皇太子なんですよね?」

「な、なんでそんなことをする意味がある!?」


 その問いに。


「印ですよ」

「い、印?」

「はい。土下座印です」

「……っ」


 目玉が飛び出そうになるエヴィルダース皇太子に。


 ヘーゼンは笑顔で、手に持っている羊皮紙をピラピラとかざす。


「より強固な契約魔法を成立させるためです。帝国には、さまざまな魔杖がありますよね? 特級宝珠の大業物も、天空宮殿の宝物庫に幾つもある。であるならば、中には通常の契約魔法を破る類のものも存在するかもしれない」

「そ、そんなもの、聞いたこともない!」

「あなたが知らないだけかもしれない……特にデリクテール皇子などは怪しいですな」


 ヘーゼンはチラリと視線を向ける。


「そ、そんなもの! そんなものないよな!? なっ! なっなっなっ!?」


 エヴィルダース皇太子は、猛然とデリクテール皇子に詰め寄る。


「……私も、そんなものは初めて聞きましたが、重要なのは、ヘーゼン=ハイムがその可能性を想定している、ということです」

「……っ」


 その答えに、ヘーゼンはニッコリと笑う。


「その通りです。残念ながら、私には、デリクテール皇子が嘘をついているかどうか、見破れませんから。ですから、リスク管理として()()()()()()()()()()()()()で縛ります」

「ひっ……ぐううううううっ!?」


 ヘーゼンは、そう答えてエヴィルダース皇太子の足元に羊皮紙を置き、人差し指を地面に指す。


「その紙に額をつけ、『私の提示案を飲む』とエヴィルダース皇太子が誓ってください……この契約には、あなたの全面的な精神的屈服が必要なのです」

「……っ」


 絶対に土下座をしろと、なんとしても土下座をしろと、是が非にでも土下座をしろと、目の前の悪魔が迫ってくる。


 すかさず、アウラ秘書官が、契約魔法の条文を手にとって確認する。


「……なるほど。あらかじめ、先に提示したことが書かれているな。だが、ヘーゼン=ハイム。君が、帝国を攻めないことは書かれていない」

「書きませんよ。結んでいただくのは、あくまで、今回の戦の褒賞のところだけだ。私が帝国を攻めないという契約は後で結びます」

「なっ! そんな契約にが結ぶ意味はないだろう!?」

「ありますよ。これが、最低条件です。結ばないのであれば、私は以降の一切の交渉を打ち切ります」

「……っ」


 この男……どれだけ足下を見れば、気が済むのだ。


 エヴィルダース皇太子は涙を溜めながら、またしても、後ろを振り返る。


「アウラ秘書官ぇ」

「……」

「デリクテール兄さんぇ」

「……」


 2人とも、何も言わない。


 言ってくれない。


 ポタっ……ポタっ……


 エヴィルダース皇太子の足下にある契約魔法の紙に、数滴の水が滴る。


「……」

「……」


         ・・・


「ふぅ……私も暇じゃないんでね。あと、5秒だけ待ちます」


 !?


「ご、5秒なんて、そんな……」

「4……3……」

「……っ」


 ご、5から始まりもしない。


 エヴィルダース皇太子は、おもむろに膝を地面につける。


「に……」


 カウントが止まった。


 そして。


 ガクン……ガクン……と曲がらない身体を強引に曲げる。


「あがっ……あがががががががっ……いぎぎぎぎぎぎぎっ……」


 殺ス…… 殺ス殺ス…… 殺ス殺ス殺ス殺ス…… 殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス。


「うぐぐぐぐぐぐぐっ……えげげげげげげえええええっ……」


 奴隷の奴隷だ……自分が、皇帝になった時。あのクソガキ(童皇子)と一緒に、絶対に、一番、真っ先にこいつを奴隷の奴隷にする。死ぬほど拷問をして、毎日死にたいと泣き叫ばせて、毎秒殺すような痛みを味合わせて、死を切望するほどに喘がせてやる。


「……ごごごごごごごごっぐぅぅ!」


 ようやく。


 額を地面の契約書面に、ガッチリとつけて。


 土下座印を、完成させた。


「ヘーゼン=ハイムぅ……貴様の提案に……従って……や……ああああ! るううううううう!」


 ありとあらゆる怨念を込めて。


 魂を震わせ、唸った。


「……」

「……」


           ・・・


 それから、何秒経っただろうか。誰もがその場で固まっている中、ヘーゼンは淡々と契約魔法が掛けられた羊皮紙を回収し、エヴィルダース皇太子の肩に手を優しく添える。


「はい。確かに受け取りました」

「そ、それじゃ……」

「ええ」































「じゃ、皇帝陛下《お父様》のところ、行きましょうか」

「……っ」







 



 


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