四伯(2)
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その日は、超珍しくヘーゼンが、ソファの上でゴロゴロしていた。
「……っ」
その光景をヤンが、信じられない表情で眺める。
「どうした?」
「な、何をしてるのかなって」
「ふっ……僕だって、たまには休息をする。人は365日24時間活動をし続けられないからな」
「……じゃなくて、なんで私の部屋で、ゴロゴロし始めるのかと言う疑問です」
「僕がサボっている間、君がサボらないように見張ってる」
「至上勝手過ぎる!?」
ヤンが、いつも通りガビーンとする。
「なんにせよ、君は勉強に励みなさい。僕のことは気にしなくていいから」
「……邪魔過ぎる」
と愚痴りつつも、半ば諦めたモードで机に向かう。どうせ、追い出して部屋に鍵を掛けたって、何故か部屋の中にいるのだ。
「本当に変な人ですね、師は。帝国が……いや、大陸が最も右往左往している時に、グデーっとしてるんですもの」
「そんな時だからこそ、だ」
「……」
この気の抜けた感じが、逆に怖い。
「エマさんにでも、会ってきたらどうですか?」
「彼女も忙しい。と言うか、帝国将官は、無能以外、皆バタバタしている」
「私だって、暇じゃないので、一刻も早く自室に帰って欲しいんですが」
「ははっ」
「冗談じゃないんですけど!?」
いつも通り、本当にいつも通り、ヤンはガビーンを極めた。
*
*
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その頃、精国ドルアナ軍は、東の重要拠点レクサニア要塞に攻め込んでいた。
「間もなく、正門が開きます」
「そうか。ご苦労だった」
大将軍ギリョウ=シツカミは、冷静な表情で頷く。白い無精髭の知将は、1ヶ月も経たずに、帝国の要衝をいち早く陥落させようとしていた。
そんな中、伝令が急ぎ足で駆けつける。
「て、敵襲! 帝国の援軍がやって来ました! 加えて、1人の魔法使いが疾風の如く西軍を蹂躙しております!」
「……この速さ。恐らく、四伯だ。私が行こう」
ギリョウ大将軍が、兵を引き連れ、馬でいち早く駆けつける。
到着したその場には、数千の死体があった。だが、その死体は異様だった。人に殺されたのでなく、まるで、獣にでも喰い千切られたかのような……
中心には、1人。精悍な男が立っていた。
カエサル=ザリ伯。帝国最強と謳われる四伯の一角であり、帝国の東軍総指揮官だ。夥しいほどの血の朱に染まった男は、無精髭の老将に不敵な笑みを浮かべる。
「……」
これまで、カエサル伯は、主に西方に攻め込んでいた。当然、大陸でも名が馳せる四伯の魔杖は有名だが、細かい能力を詳細に把握する者は少ない。
対峙する者がことごとく亡き者とされているからだ。
「助かった」
カエサル伯は笑顔で言い放つ。
「……何を言っている?」
「反帝国連合軍。『よくぞ、やってくれた』と言っている」
「なるほど……獅子心中の虫と言ったところか」
ギリョウ大将軍もまた、笑みを浮かべる。帝国は、皇帝レイバースの後継者争いがかなり激しいと聞く。その中でカエサル伯は、熱心なデリクテール皇子派閥であることは広く知られている。
エヴィルダース皇太子陣営には、四伯のうち、軍神ミ・シル。そして、ザオラル=ダート伯が派閥入りしている。
カエサル伯が、彼らの功よりも抜きん出れば、皇太子選抜競争においてデリクテール皇子が有利になるというところか。
「こんな所にも、つけ入る不協和音があるとは。やはり、帝国の幹は根腐れが始まっているな」
「悪いが……貴様らは贄。せいぜい、喰らわせてもらう」
屈強で精悍な男はそう言い放つと、首に巻かれた鎖が光る。
彼の魔杖は霊獣ノ理と言った。
「獣化ーー蒼ノ狼」
瞬間、カエサル伯の身体が尋常ならざる変化を始める。全身が肥大化し、青で染まった毛が生え雄々しい牙を生やす。目の前にいたのは、恐るべき魔獣であった。
「獣化型魔杖の最高峰……面白い。リュウカク、サイカク!」
「「はっ!」」
ギリョウ大将軍は、2人の将軍格を呼び出す。
「相手は最強の野獣だ。狩れるか?」
「「はっ!」」
返事をしたと同時に、将軍たちは各々別方向に馬を走らせる。
そして。
「五月雨ノ弓」
右のリュウカクが、数百の矢を放ち。
「紫炎ノ槍」
左のサイカクが火を纏った槍を繰り出す。
だが。
「「……っ」」
獣化したカエサル伯の身体には傷一つつかない。
「私の魔杖は単純だ。それ故に……誰にも負けぬ」
そう言い放った瞬間。
右のリュウカクの喉を食いちぎり、鋭い爪を水平に滑らせ風圧を飛ばし、左のサイカクの首を落とした。
「……なるほど、化け物だな」
ギリョウ大将軍が無精髭を撫でながらつぶやく。
規格外の身体強化。人外を遥かに超越した膂力と速度。そして、耐久力。ギリョウ大将軍はすでに100歳を越えるが、これほどの次元のものは見たことがない。
「だが……人は常に自身よりも強力な魔獣に勝ってきた。多数の弱き者たちでな」
「……」
いつの間にか。カエサル伯を取り囲むように大勢の魔法使いが配置されていた。リュウカクとサイカクは、あくまで陽動に過ぎなかった。
集団魔法。
低等級の宝珠である質の悪い魔杖でも、属性を合わせれば強力な効果を発揮する。中でも、精国ドルアナの魔法壁は大陸で最も強力である。
彼らは、すでに八方向に高度な魔法壁を張り巡らし、カエサル伯を追い詰める。
そして。
「その魔力が尽きるまで数千……いや、数万の攻撃を加えよ」
その号令に伴い、次々と集合魔法が放たれる。炎、土、水、風、火、雷。巨大な魔法弾がカエサル伯に向かって襲いかかる。
「絶え間なく攻撃を続け、魔法壁を張り続けーー」
ギリョウ大将軍が、そう指示をしかけた時。
「獣化ーー暁ノ鳳凰」
青の狼がそうつぶやいた。
瞬間、炎の柱が天空に立ち昇り、雄々しい翼を持った、巨大な幻獣が現れた。軽やかに上空へ舞う鳳凰は、やがて、歪な軌道で落下を始める。
そして。
「「「「「「「ぐわああああああっ」」」」」」」」
高速で地面スレスレを飛翔し、精国ドルアナの魔法使いたちを焼き尽くす。
巨大な幻獣は、そのままレクサニア要塞の正門まで飛翔し、同じく彼らも紅蓮の翼で焼き尽くす。同じ頃、後続隊の帝国の兵たちも合流し、四方を取り囲む精国ドルアナの兵たちに攻撃を始める。
「……作戦変更だ」
ギリョウ大将軍は一筋の汗をかき、震える声を振り絞る。
「魔老ゼルギスが到着するまで、なんとか戦線を維持する」




