風
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南東の戦場から数キロ離れた雲の中で、ヘーゼンは驚愕の表情を浮かべていた。手には魔杖『望遠』があり、眼前にはスヤスヤと眠っているヤンが見えている。
「……予想以上だな」
まさか、グライド将軍の幻影体を出現させるとは思わなかった。西大陸の魔法では、悪魔・天使・精霊召喚などがあるが、消滅した死者を具現化する魔杖などは聞いたことがない。
地面に降り立つと。
ラスベルが、ガビーンとしていた。
「あば……あばばばばば……」
「落ち着きなさい。想定の範囲内だ」
特級宝珠を携えた魔杖、螺旋ノ理。ヘーゼンは一通り調べてみたが、その使用者とされる者は歴史上、何人も登場している。
「螺旋ノ理の使用者が死に絶えるたびに、別の使用者に引き継がれていったと記されている。どうやら、ヤンは、次の適合者として見出されたらしい」
「す、師……今、サラッと自分の責任を回避しましたよね」
飲ませたのは、あなたでしょう、と言いた気なラスベルをフル無視して、ヘーゼンは話を続ける。
「見えない意識に操られていた可能性もある。不本意ながらね」
特級宝珠には意志がある。
大陸で、まことしやかに囁かれていることだ。ヤンに螺旋ノ理が、そうなるように仕向けられていたとも考えられる。
「……そして、グライド将軍よりも、ヤンよりも、ずっと前から使用者の魔力が蓄積されていたとすれば」
螺旋ノ理に内在している魔力量は、いったい、どれくらいになるのか。興味が尽きない。
「ま、まさか。そんなことあり得ますか?」
「いや……むしろ、その可能性が高いと言うべきだろう。そして、過去の使用者たちの意識も眠っている可能性もある」
「他に何人もの幻影体が出てくるってことですか?」
「グライド将軍が出てきたんだから、他の者にも同じ現象が起こっても不思議ではない」
ヘーゼンはキッパリと答える。
「グライド将軍の残留思念は、一際強いものだった。それは、ヤンの身体に影響を与えるほどだったが、他の者も深層の意識で眠っているとすれば……面白い」
「……」
ラスベルはゴクリと喉を鳴らす。
「言っただろう? ヤンが成長すれば、君を脅かす可能性があると。大分伸び悩み苦しんだだろうが、今後のあの子は、魔法使いとして急激に伸びるだろう」
「だ、大将軍級の幻影体を操れる以上にですか?」
ヘーゼンはキッパリと首を縦に振る。
「幻影体は、見たところ本物のグライド将軍には及ばないがな。彼は、火炎槍と氷絶ノ剣を振り回しながら、無尽蔵の耐久力と膂力を兼ね備えていた」
ヤンに付き従う幻影体の能力としては、火炎槍と氷絶ノ剣を使用可能なことぐらいだろう。まあ、それでも超広範囲攻撃を可能にするので脅威ではあるのだが。
グライド将軍は螺旋ノ理のスペックをある程度引き出していた、真の強者だった。ヤンは、未だその一部を引き出したに過ぎない。
そんな中、ラスベルが非難気にこちらを見る。
「……これを狙っていたんですか?」
「なんのことだ?」
「私が出した編成案に若干の手を加えましたよね? ヤンのところに増援が来るように仕組んだのでは?」
彼女の問いに、ヘーゼンはフッと笑みを浮かべた。
「敵の軍師は優秀だな。君にも同じことが言えるが」
当初の編成は、敵軍の攻めが来ても十分に戦えるような隙のないものだった。だが、ヘーゼンはそれを修正し、ギリギリ耐えられなくなるようにした。
「……やはり、南東の戦力を調整して、あの子の覚醒を狙ってたんですね」
「当たったのは、偶然だった。運がよかったよ」
「ヤンが死ぬとこでしたよ!?」
蒼髪の美少女に、怒りの色が帯びる。
「他は死んでも、あの子は生き残るよ。そういう星の下に生まれた子だ」
螺旋ノ理に選ばれたのは偶然ではないとヘーゼンは確信している。
「それでも……ガルゾ殿や、他のクラスメートが戦死すれば、あの子は、かなりのトラウマを背負うことになりました」
「戦場とはそう言うものだ。僕はヤンを甘やかす気は一切ない」
「……で、でも!」
「不思議な子だ。いつの間にか周囲に人が集まり、誰もがあの子を甘やかす。君のようにね」
「……っ」
ラスベルは当然、ヤンをライバル視しているはずだ。だが、同時に、あの子を守らずにはおれないのだ。
他にも、カク・ズ、ラシード、ナンダル、バーシア女王……そして、幻影体のグライド将軍。さまざまな強者があの子を中心にして回っている。
「どこか、不安定で頼りなく見えるんです。あれだけの高性能を持ちながら、どこか、ノホホンとしていると言うか」
「驚異的な図太さだよ。精神性の強さで言うなら、弟子の中でもトップクラスだな」
「……私を煽ろうとしてますか?」
「君は背中に虎がいることを、強く意識すべきだな。ウカウカしてると、喰い千切られる」
「……」
「まあ、この戦は、これで膠着状態になるのかな」
ヘーゼンはつぶやく。
敵からしたら、ヤンの超広範囲攻撃は、脅威以外の何物でもない。
マドンも流石に驚いているだろう。加えて、特別クラスの生徒たちも、初日が終わった。緊張はある程度取れて、徐々に慣れていくだろう。
そうなれば、地方将官などは自然と凌駕していく。
「ですが、膠着状態が続くと、私たちは不利なのでは?」
「……次の風を待っているのだよ」
「風?」
ラスベルの問いに、ヘーゼンは笑って空を見た。




