エヴィルダース皇太子(4)
それは、土下座と呼べるのだろうか。
土下滑り込み。
いや、土下滑り込み、めり込み。
ペッコリと、頭を数ミリ傾けてやるつもりでいた。それでも、平民は愚か、上級貴族にも頭を下げたことないエヴィルダース皇太子が頭を下げるなど、前代未聞だ。
それでも、十分過ぎる譲歩だ。
だが。
「あれ? 顔色がすこぶる悪いですが、私、また、なにかやっちゃいました?」
「はっ……ぐっ……がっ……」
黒髪の青年は首を傾げながら尋ねる。足下には、瓢箪頭を床にめり込ませて、見事に挟まれているブギョーナ。
上級貴族の大師が、下級貴族の底辺層の貴族に対して。ビィーンと背筋を伸ばし、直立で床に刺さっている。
エヴィルダース皇太子は、震えながら問いかける。
「き、貴様……正気か?」
「どう言うことでしょうか?」
「ヘーゼン=ハイム。お前は、皇太子の私に対して、このような恥晒しな真似をせよと言うのか?」
「別に言ってませんよ」
「……っ」
言ってんじゃん。
めちゃくちゃ、言ってる。
「私は、ブギョーナ様の謝罪の仕方を紹介しただけです。いや、やはり、非常に潔がよいですな」
「……」
「自身の恥も自尊心もすべて捨て去っての、このお姿。これならば、誰がどう見たって謝の意を表しているように見える」
「……あ、くっ……あ、はあぁっ!」
ヘーゼンはブギョーナの瓢箪顔を、グリグリと足蹴にしながら褒め称える。その言葉と行動の破滅的チグハグ感が、この男の狂気性を示してやまない。
「まあ、でも平民出身の私からすれば、大事な義母の誘拐を仕掛けてきた者に対してなど、このくらいの謝罪で済ますなんてあり得ませんけどね」
「……っ」
こんな底辺の地の底まで自尊心をかなぐり捨てた謝罪(刺さってる)が、このくらい!? エヴィルダース皇太子は、頭がクラクラとした。
「申し訳ないですね、平民目線で」
「……っ」
圧倒的な上から目線で、エヴィルダース皇太子を眺めるヘーゼン。
「っと、そろそろ時間も無くなってきました。他になければ陛下の元に向かおうと思いますが、いいですか?」
「……ちょ……まっ」
エヴィルダース皇太子は、固まった。どうすればいいのか、まったくわからない。成人になってからは、皇帝や前皇太子以外に、頭などは下げたこともない。
『土下滑り込み、めり込み』など、もっての他だ。
思わず、筆頭執事のグラッセを見て『さっさと助けろ』と無言のメッセージを送る。それまで、呆然としていた老人は、ため息をついて淡々と話し始める。
「ヘーゼン=ハイム殿。ここで、エヴィルダース皇太子の殿下が謝ったところで、あなたにとって利益がありますか?」
「……ありませんね」
「でしたら、条件面で見直しをすると言うのは?」
「信用できませんね」
!?
「私はアウラ秘書官と契約について交渉を行い、無事に合意した。にも関わらず、裏で私の大事な義母の誘拐を行った……おっと、皇太子殿下が『教唆』と言われたので、誘拐教唆ですか……」
「……」
「交渉とは、互いに信頼関係がなければ成り立ちません。ハッキリと言ってしまえば、あなた方との信頼関係はゼロだ」
「た、た、た、戯れだと言っているではないか!?」
エヴィルダース皇太子は取り乱しながら叫ぶ。
「戯れ……なるほど。ですが、物的証拠もありますけどね」
!?
「ど、ど、ど……どういう」
「最近、とある上級貴族の某ベテラン熟年メイドをヘッドハンティングしまして。証拠一式をすべて取り揃えてくれているんですよ」
ヘーゼンは爽やかな笑みを浮かべながら、説明する。
「あ、お、オバーサ……あ、あのクソイカれ行き遅れババァメイド」
ブギョーナは地面にめり込みながらつぶやく。エヴィルダース皇太子は、その一言で、圧倒的な事実だと言うことを思い知らされる。
そして。
「いや、主人の暴言に耐えきれなくなったらしいですよ? 長年、忠誠を持って仕えてきたと言うのに……悲しいですね……おや、顔色が本当にお悪いですが、大丈夫ですか?」
「……」
エヴィルダース皇太子の脳内に、あらゆる最悪の出来事が想起する。もし、仮に蓄音機の証言と、すべての証拠を提出されれば……
間違いなく、皇帝陛下の逆鱗に触れる。
「がっぐぐぐぐっ……がごごごごごっ……この野郎ーーーーーーーーーーー!?」
「あっぶぼぼぼぼぼぼぼぼほぼぼぼぼぼぼっ!? ぶぼぼぼぼぼぼぼぼほぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼほぼぼぼぼぼぼっ」
弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ー!
エヴィルダース皇太子は、刺さったブギョーナの足を掴んで、引き抜いて、猛烈に殴る。殴る殴る。殴る殴る殴る。殴る殴る殴る殴る。
やがて。
「ぜはぁ……はぁ……はぁ……へ、へーゼン=ハイム。いや、この豚が全部独断でやったことなんだ。我は、まったくと言っていいほど関係がない。この豚を火炙りにでも、ローストポークにでも、好きにするがいい。これで、いいか?」
「いい訳ないじゃないですか」
!?
「私が平民であった頃は、下賎な輩が多かったです。蜥蜴の尻尾切りって言うんですか? 部下の失態を、知らん顔して、いや、むしろ逆に被害者面して責め立るようるような輩が多かったので、そう言うのは許さないことにしてるんです」
「……っ」
こいつ。下賎呼ばわりしてくるのか? 今、こいつは、この平民出身の下賎の出の、下級貴族の底辺層の将官が、未来の皇帝で、皇太子である自分を、下賎と揶揄したのか?
「高貴な存在であらせられます、エヴィルダース皇太子には、そんな振る舞いは似合いませんな。次期皇帝になる可能性もあるような方がそんな下賎な振る舞いは臣下として看過できません」
「……っ」
口に出しても言いやがった。
「おっと、そろそろお時間ですか。他にお話がないようでしたら、失礼しますが」
「……っ」
失礼過ぎる。
激しく著しく史上最大の失礼を浴びた上で。エヴィルダース皇太子は、意を決する。
やるしかない。
史上最大の屈辱であったとしても、それしか今は選択肢がない。自分が皇帝になった時……いや、この謁見が終わった後、すぐに、『必ずこの男のことを八つ裂きにする』と、心の中で誓いながら。
「……がっ……ぐっ……ごぐががががががっ」
震える手で膝をギュウっと掴み。
「ぎがごぐ……がごぐぇっ……」
両膝をそのまま地面につき。
「ぐがごげぁ……ぐぐ……」
両手を下げていた時。
「おい、ヘーゼン=ハイム……いったい、なにをやっているんだ?」
アウラ秘書官が部屋の中に入ってきた。




