エヴィルダース皇太子(2)
エヴィルダース皇太子は、思わず耳を疑った。目の前にいる平民出身の下級貴族から、今、とんでもなく不敬な言葉が聞こえたからだ。
「き、聞こえなかったな? もう一度言ってみてくれないか? ゆーっくりと」
「ああ、構いませんよ。独り言ですので、聞こえなくても別に。では、これから皇帝陛下の謁見がありますので、また」
!?
「おい! ちょ、ちょ、ちょ! ちょ、待てよ!」
去ろうとするヘーゼンに対し、慌てて扉の前を塞ぐ。それは、マズい。あの発言が仮に、万が一、正気の上で放ったとすれば、このまま帰すことなどできない。
「なんでしょうか?」
「さっきの言葉! もう一度、言ってみてくれ」
「なんでしたっけ? ちょっと、忘れてしまったな。あんまり記憶力がない方で」
「……クク。ああ、そう言うことか」
エヴィルダース皇太子は、思わず、ほくそ笑んだ。なるほど、イキっただけか。義母の誘拐を有耶無耶にされ、頭に血が昇って、身の程を忘れて、つい口走ってしまったと言うことか。
「まあ、いい。我は、非常に温厚な性質なので、深い海のような心で許してやろう。だが、我以外の者が聞いたら、不敬罪でーー」
カチッ。
『なるほど……今の情勢で、私を敵に回しますか』
!?
「あっ、思い出したー。なるほど、私はさっき、確かにこう言いましたね」
「がっ……こっ……ええっ!?」
エヴィルダース皇太子は目をガン開きにして、ヘーゼンの手に持っている魔道具を凝視する。
「ああ、これですか? 私が開発した蓄音器というものでして。過去の発言などを記録できるんですよね。ちなみに、先日、その効果が認められて、準公式的な証拠として提出可能になりました」
「……っ」
「あれ……どうしました? 唇が真っ青ですよ? お加減でも悪いんですかね」
ヘーゼンは、エヴィルダース皇太子に額を近づけてガン見する。
「そ、そんなものが帝国のしかるべき機関に提出されたとして、証拠になるとでも思ってるのか?」
負けじとエヴィルダース皇太子は、額を近づけ負けじと睨み返す。自分は天上人だ。どんな重罪を犯したとしても、逮捕されるまでに至らず揉み消される。
それも、自分が何も言わずとも、だ。
目の前の男が、相当激しい気性の持ち主だと言うことはわかった。だが、こんなことぐらいで弱みをつけ込まれるほど皇太子の権力は甘くない。
「証拠を提出? 誤解されては困りますね。そんな気は毛頭ございませんよ」
「……」
「……」
「クッククク……そうであろう。まあ、試しにいくらでもやってみるがいい。我が仮にどのような行為に及んだとしても、我にはそれを覆すだけの権限がある。そんなものは毛ほどの弱みにもなりはしない」
「そうですね。それに、道具には使い方というのが、あります。この蓄音機も、本来は『忘却防止用』として制作したものです。そんな人を陥れるような使い方は本道ではないと、私は思います」
「わかってくれたか。いや、よかった」
エヴィルダース皇太子はコロっと態度を豹変させる。やっと、強大な権力の前に、折れてきたか。聞けば、平民育ちの将官だと聞く。
下賎な生まれの分、この天空宮殿での作法が分からなかったのだろう。所詮は田舎の猿か、と嘲ったように笑う。
「いや、皇帝陛下も、だいぶご高齢ですので、記憶に関し、人知れずお悩みのことなどもあろうかと思います……気に入って頂けるといいのですが」
!?
瞬間、エヴィルダース皇太子が振り返り、壁に飾っていた魔剣を取ってヘーゼンの首筋に翳す。
「おい、貴様……なにを言っている?」
「恐れ多くも、皇帝謁見の機会を頂けましたので。せっかくなので、自信作を献上しようかなと思いまして」
「……っ、ふざけるなよおおおおおっ!」
エヴィルダース皇太子は、目をギンギンに血走らせながら叫ぶ。だが、刃を突きつけられたヘーゼンは淡々としながら首を少しだけ傾けて笑う。
「ふっ……皇太子殿下は、戯れがお好きのようですが、私は冗談のセンスがイマイチでして」
「……今、すぐに、この剣を振るって貴様を殺しても構わんのだぞ?」
「どうぞ?」
「……っ」
ヘーゼンはまったく動じずに答える。
「断っておくが、ハッタリではないぞ? 貴様は、我のことを怒らせた」
そう言いながら、エヴィルダース皇太子はヘーゼンを殺してからの挙動を考えた。この邸宅であれば、いつものように抹消できる。
その上で、ブギョーナに隠蔽させれば、どうなるか。
ヘーゼン=ハイムは、謁見前に行方不明になる。多少強引にでも、自分が捜査の指揮を取れば、犯人の捏造など簡単に作れる。
いいだろう。
殺ってやる。
エヴィルダース皇太子は、真紅の眼球のまま嗤い。
ヘーゼンはフッと小さく漏らし笑う。
「殺るなら、さっさとどうぞ。殺らないのなら、エマ=ドネア様を待たせてますので」
「……っ」
エヴィルダース皇太子の血走った眼球が、飛び出そうなほど大きくなり、振り翳した剣を慌てて止めた。
ドネア家は、現在の皇帝派の筆頭である。ヴォルト=ドネアは皇帝の最側近で、皇太子と言えど迂闊に手が出せぬ存在だ。
チラッとブギョーナの方を見るが、涙目でブンブンブンブンと首を振っている。
どうやら、ハッタリではない。
すなわち、隠蔽不可能。
エヴィルダース皇太子は、手を震わせながら魔剣を降ろす。
「短絡的な行動は、オススメしませんね。失敗した時に、皇太子殿下の評価を下げることに繋がりますので」
「……そ、その蓄音機とやらを寄越せ」
「あっ、欲しいのですか?」
「いいから寄越せ!」
エヴィルダース皇太子は、強引にヘーゼンの手からぶんどり、足下に投げ捨てて思いきり踏んづける。何度も何度も。何度も何度も何度も。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「ああ、もったいない。結構、高価なのですよ?」
「五月蝿い! 貴様、我のことを本気で怒らせたな」
「まあ、皇太子殿下の献上用に準備したものなのでいいですけど」
「……えっ?」
カチッ。
『ブギョーナは、『戯れでそなたの義母の誘拐教唆を仕掛けたのではないか?』と我が言ったのだ。皇太子である我が』
「……っ」




