信じる
ブギョーナは耳を疑った。いや、自身の滑舌を疑った。ちゃんと言えてたか? あまりも興奮し過ぎて呂律が回ってなかったのではないか?
念の為にもう一度言う。
「あ、君の……ヘーゼン=ハイム君の。義母のヘレナ様。彼女を私の邸宅で預かっているんだよ?」
「それ、聞きましたけど……あと、1分30秒」
!?
聞こえてた。
バッチリと聞こえていた。
「あ、ええあおい! べ、別に迷子になってた訳じゃないぞ! そんなことはわかっているよな?」
「はい。まあ、義母もそこまで老化が進んでないと思いますので」
「……っ」
ええ、とブギョーナは思う。
「あ、き、貴様……わかっているのか? 私の手の中に……手中に義母が収まっていると言うことだぞ!?」
「はい……あと、1分20秒」
!?
「あ、あ、悪魔か貴様は!? 義母のことが大事じゃないのか?」
「大事です」
「あ、そうだろう!? あ……仮に彼女が帰らぬ人になったら、どう思う?」
「悲しいです」
「あ、あひょ……そうだろうそうだろう」
ブギョーナは脂まみれの冷や汗を拭う。要するに痩せ我慢をしていた訳か。強がって、交渉に強く出ようと言う訳だな。
そうはさせない。
「もし、仮にだが。彼女が犯され、なぶられ、慰み者になったらどうする?」
「怒りを覚えます」
「そうなって欲しくないか?」
「はい」
「あ、ひょ……であれば、私の提案を聞くか?」
「いいえ」
!?
「あと、1分」
「……っ」
ブギョーナは耳を疑った。こいつは、何を言っている。いったい、何を口走ってやがるのだ。
「あ、わかっているのか!? あ、私の提案を聞かないってことは、義母を見捨てると言うことだぞ!?」
「脅迫に屈しないのは、私のスタンスですので」
「……っ」
す、スタンス。
「あ、馬鹿な! あ、脅迫と言っても条件次第だろうが!?」
「いえ。どのような条件を出されても交渉しません」
「……っ」
ブギョーナは、目の前の男の正気を本気で疑った。どのような条件でも!? いや、むしろ、どのような条件を出されても聞くべきだろう。
えっ、犯されるのだろう? 孤児の身で拾って、育ててくれた義母がめちゃくちゃに辱められるのだぞう?
思い出せ。思い出せよ。卒業生の答辞で、泣かせる話をしていたじゃないか。
「あ、貴様! 見下げ果てたやつだな? 人の血が流れてるのか? 義母に恩義はないのか!?」
「あります」
「あひょ……そ、そうだよな? あ、そうだよなぁ!?」
「はい」
そうだろう。自分は義母がいなかったら、ここまで来れなかったと言ってたじゃないか。
なんなら、オバーサの報告を聞きながら、少し貰い泣きした。彼女の献身的な愛に貰い泣きした。そして……目の前で、犯すことを想像して腰を何度も前後に振った。
「あ、言っておくが、そんなに難しい条件じゃないぞ!? いいから、話を聞け!」
「あと、50秒だけ聞きますが、たとえ、『逆に全財産を貰える』という条件でも、私は『ノー』と言います」
!?
「あ、はきょ……えへべ?」
全財産を貰っても、ノー? ブギョーナには、言っている意味がわからなかった。自分から全財産を差し出しても、義母が無理矢理犯されても、ぐちゃぐちゃに辱められても、無惨に殺されても、それを止めないってこと?
えっ、全財産、貰っても?
えっ、止めないの?
えっ……それ、逆。
「あ、逆うううううううっ!? あ、それ逆うううううううっ!?」
ブギョーナは、ヘーゼンに縋りつきながら叫ぶ。逆。逆。それ……逆なんだ。こいつは、頭がおかしいから、頭が悪すぎて、逆になってる。
逆。
だが、ヘーゼンは頑なに首を横に振る。
「逆じゃないですよ……あと、40秒」
「あ、嘘嘘嘘だ! あ、わかってないのか!? 状況がわからないのか? あ、混乱してるのか? 『全財産払ってでも義母を解放して欲しい』じゃ、ないんだぞ!?」
「別に混乱してませんよ。仮定の話には、興味がないので、あなたの話はつまらないですが」
「……っ」
なんだ、つまらないって。つまる、つまらないの話じゃないだろう。断じて、つまるとかつまらないとかの話じゃ。
「あ、もーうー1度! も・う・1度聞くが! よく聞けよ!」
「はい」
「あ、耳の穴をかっぽじって、よく聞けよ!」
「お断りします。メンテナンスの間隔は、定期的に決めてますので」
「あ、いいから聞け! 貴様は義母のヘレナに拾ってもらったんだよな!? あ、平民の! 孤児の身で!」
「そうですね」
「あ、卒業式の答辞で、『最愛の義母』と言ってただろう!?」
「言いましたね」
「あ、そんな義母を、今、貴様は見捨てようとしてるんだぞ!? 私が全財産を貴様に渡しても、絶対に見捨てるって、貴様は言ってるんだぞ!?」
「やはり、誤解じゃないですね。合ってます」
!?
「あ、あ、あ合ってないーーー! あっ、合っている訳がないーーー!」
「いえ、正解です……あと、35秒」
「あ、あひぃ……」
ブギョーナはブンブンと首を振って、唾液を撒き散らしながら、何度も何度も問いかける。
「あ、何で!? あ、何で!? あ、何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何でえええぇ!?」
「信じてますから」
「あ、し、信じる?」
「たとえ、犯されても、辱められても、殺されても……義母は言ってくれるはずです。『何があっても信じる道を進みなさい』って」
「……っ」




