挨拶回り
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課外活動である『魔杖研究会』は、日夜、生徒たちが自発的に集まって喧々諤々の議論と研究が行われていた。
担任は教師のダゴル=シツカミという男だった。
「おっ、やってるな?」
毛根が陰りきった教師は、朗らかな表情で差し入れを持ってくる。最初は面倒以外の何物でもなかった課外活動。
だが、いつしか、生徒たちの熱に胸を打たれて積極的に交流を深めているから不思議なものだ。
「「「「「お疲れ様です!」」」」
生徒たちは、一斉に声を揃えて出迎えてくれる。うん、真っ直ぐないい子たちだ、とダゴルの心が洗われるような心地がする。
そんな中。
「おっ。やってるね」
「……っ」
瞬間。ダゴルの息が止まる。颯爽な笑顔を浮かべながら黒き悪魔がやってきたのだ。
「ダゴル先生。どなたですか?」
「……へ、へ、ヘーゼン=ハイムだ」
そう言った瞬間、生徒たちがにわかにワーキャーし出す。
「ヘーゼン=ハイム様って、イリス連合国を1人で滅ぼしたって言うあの?」「俺は指一本で大将軍グライドを倒したって聞いたぞ?」「テナ学院での生ける伝説」「そんな伝説的な人がこの研究会のOBだなんて、本当に誇らしいです」
噂が噂を呼び、今やどこぞの神話かと思うほど盛られまくっていたが、ヘーゼンはなんら気にせずに彼らに向かって話しかける。
「みんな。ダゴル先生は本当に正義感が強くて、真面目な、素晴らしい教師だ。彼を信じて魔杖の研究に打ち込んでくれ」
「「「「「はい!」」」」」
生徒一同は一斉に返事をする。そんな様子を笑顔を浮かべながら、黒髪の青年は怯え切ったダゴルの方を見る。
「ひっ……」
「少し挨拶があるので、生徒たちのいないところで話しませんか?」
「こ、ここじゃ駄目かな?」
「……」
ダゴルは引き攣った笑顔で尋ねる。こんな悪魔と2人きりなんてごめんだ。対するヘーゼンは、数秒ほど黙っていたが、やがて、満面の笑みを浮かべて答える。
「まあ、僕は別に構いませんよ。あなたがよければ」
「……はっ……くっ」
まさか、この男。生徒たちの前で……
「待ってくれ! やはり、2人っきりで話そう。積もる話もあるだろうし。2人っきりで、懇々と」
「そうですか。では、行きましょうか」
ダゴルは先導して、別の教室へと誘う。
危なかった。今、この男は自分の不正を暴露しようとしていた。細やかな反抗すらも許さないその姿勢……異常者過ぎる。
借金・ギャンブル・アルコール依存・家庭内暴力。一見して真面目に見えるダゴルという教師は、典型的な私生活破綻型の男だった。
ヘーゼンがテナ学院の入学試験を受けた時に、魔力測定の数値を偽って提出し不正入学をさせた張本人でもある。
その後、魔杖を製作する予算をテナ学院から引っ張り出すために、『魔杖研究会』を発足して、ダゴルを顧問に据えた。
他、諸々。
ヘーゼンは近くの椅子に座って足を組む。
「ダゴル先生。次に小細工をしようとした時には、わかってますよね?」
「ひっ……はっ……はひぃ」
今までの爽やかな気分が台無しになり、手が震え、喉が渇き、すぐさま酒が飲みたくなる。キラキラした世界から、クソみたいな現実に引き戻され、クソみたいな自分に引き戻される。
「それで、1つ報告が。とある筋から、入学試験で不正を行った証拠を入手しました。すぐに、学院の答案と照合をかけることをお勧めします」
「……っ」
ダゴルは急いで羊皮紙を確認する。確かに、これは不正答案の写しだった。
試験が行われていたのは、ちょうどイリス連合国との戦が行われている時だ。そんな時に、この男はこんな不正までも、裏で執り仕切っていたというのか。
「こ、こ、これで……私に何をさせようとするのだ?」
「別になにも。でも、先生は正義感が強く、曲がったことが大嫌いな性格なので、きっと放っておけないと思いまして」
「……っ」
誰、それ!? とダゴルは心の中で問いかけた。
「数人ほどリストアップされてます。まあ、熱血教師のあなたが声をあげて訴えれば、入学取り消しは確実でしょうね」
「……っ」
「ああ、これで、補欠入学者プラスαで定員が余りますね……偶然にも」
「……っっ」
この男。自分の知り合いを不正入学させようとしているのか。
ダゴルはその瞬間、魔杖研究会の生徒たちのことを思い出した。あの生徒たちの瞳はキラキラしていた。未知の瞬間を夢見て、ワクワクしていた。
あと、7日後。
彼らは新生活を心待ちにしているだろう。輝かしい未来と、多少の不安を胸に。
反射的にダゴルは口にしていた。
「……不正の種類にもいろいろある。入学試験とは極度のプレッシャーがかかる。その試験で将来が決まってしまうと悩み、手を染めてしまった生徒もいるだろう」
「かもしれませんね。まあ、でも不正は不正ですから」
「き、君の神経を疑うよ。罪悪感はないのか?」
「ありません」
「……っ」
ヘーゼンはキッパリと断言し。
「おっと……手が滑った」
「……っ」
瞬間、大量の羊皮紙をバラばいた。
「あっ……あひっ……ひいいいいい」
そのパラパラと舞い散る紙は、借用書、告訴状、今まで犯した非合法の犯罪証拠だった。ダゴルは悲鳴をあげて、地面に這いつくばってそれを拾う。
その様子をニコニコと眺めながら。
ヘーゼンは思いきり後頭部を。
足で踏みつける。
「ひぎぃ……」
潰された蛙のように。
ダゴルは床に四つん這いなり寝転ぶ。
「世間は犯罪者には厳しいものですよ? 特に生徒たちはまだ若いですから、軽蔑するでしょうね。若者の吐き気がするほど青臭い正義感は、曲がったことが大嫌いですから」
「はひっ……」
瞬間、生徒たちの眼差しが、今、まさしくヘーゼンが見据える眼差しに挿げ替えられる。まるで、汚物を見るような軽蔑した目。
借金取りが自分を見る目。出て行った妻子が自分を見るような目。鏡に映る自分を、自分が見るような……目。
「た、助けてください……助けてください……助けてください……」
「……」
ダゴルは何度も何度も連呼するが、ヘーゼンはニコニコと笑顔を浮かべて、彼の薄い毛根をガンづかみする。
「贅沢を言わないでください」
「ひっ……ひぎぃ……」
「いいか? 助かるなんて思うな」
「ひぐぅ……」
「お前は、一生、こんなものだ。今が最高だ。生徒から敬意を持たれる。教師という比較的安定した社会的ポジションを確保できる。十分だろう、クズの貴様の人生にしては」
「ぁ……はぁい……あはぁぃいいい!」
ダゴルは泣きながら、絶望をもって返事をする。ああ、もう自分はダメなのだ。こうやって、一生脅されながら生きていくしかないのだ、と。
ヘーゼンはやがて、ポンポンと優しく背中を叩く。
「大丈夫ですよ。特上の酒を送っておきましたから。心が苦しいようなら、きっと、それが洗い流してくれますから」
そう言い残して。
黒髪の青年は颯爽と教室を後にした。




