バレリア(2)
バレリアは思わず数足後ずさる。目の前に現れたのは、人生で最も会いたくない人物だったからだ。
テナ学院卒業生、へーゼン=ハイム。
元同級生のセグゥアを、決闘と称した詐欺紛いの鬼畜(指一本動かさずに仲間の裏切りで勝利)で、完全なる従属奴隷としたことは記憶に新しい。
ワンワンと泣き崩れる彼に、自分は何もすることができなかった。あの時の教師としての無力感を思い出すたびに、罪悪感に苛まれる。
後に、ゴリゴリの奴隷となった平民の彼は熟じ……いや、ジュクジォ家の当主レアピッグの元へと嫁いで行った。今も忠実な奴隷として、天空宮殿を暗躍していると聞くが。
他にも、諸々、とんでもなく、トラウマになって禁断症状が出るほどには迷惑をかけられたのだが、それは別の物語である。
そんな歩く鬼畜が、まさに、今、こちらに向かって歩いてくる。
一見爽やかそうな黒髪の好青年は、相変わらず洗練された綺麗な笑顔で挨拶をしてきた。
「お久しぶりです、バレリア先生。2年ぶりですか? お変わりにならず、お元気そうで」
「い、い、いや。君こそもの凄い活躍じゃないか」
卒院生の話は、当然教師側もチェックしている。彼らの活躍が、学院のブランドイメージを高めると言っても過言ではない。
現に、へーゼン=ハイムは帝国史上でも類を見ないほどの早さで昇進を果たしているので、翌年の志望者が倍以上に膨れ上がった。
「ところで。今年度のテナ学院に入学する新入生はもう決まりましたか?」
「あ、ああ。もう3月末だからな。定員もすでに達している。なぜそんなことを?」
バレリアが尋ねると、へーゼンは平然とした様子で答える。
「ああ、一人だけねじ込んで欲しい子がいるんですよ」
「……え?」
「特例でお願いします。コネで」
「……っ」
公然と正々堂々と不正入学しようとしてきた。
「こ、こ、この学校は実力主義の学校だ。そんな堂々と不正を許容するはずないじゃないか!?」
「そうですか? 完全実力主義は確かですが、多額の寄付を行うことによって、点数を嵩増しすることもあるでしょう? 例えば、僕の同期であるドメイタ=ケアス君とか」
「そ、それは……」
具体名で、痛いところを突いてくる。
「別に責めている訳ではありませんよ? 私は、この学院の、こういうところは気に入っているんです。無能な生徒を抱える親に多額な寄付をさせることにより、より優秀な生徒の教育に力を入れる。完全実力主義という、この学院の理念を見事に体現している」
「くっ……」
バレリアはどちらかと言うと、その方針には反対だった。だが、一定数にそのような枠が設けられていることは事実だ。
「しょ、証拠は!? 証拠がなきゃ君の言っていることは、ただの名誉棄損だぞ!」
「ありますよー」
!?
「あ、あるの?」
「ええ。学院時代ですが、帝国将官として障害になりそうな者に対しては、全員、弱みを握ろうと徹底的に監視させてました。日々の行動パターンからテストの成績まで」
へーゼンは羊皮紙を十数枚並べる。
「な、なんでそんなものを」
「いや、学生というのは、チョロいですな。友達という名目で近づいて少し誘惑すれば、ホイホイと悪事に手を染めてくれる。『絶対に言うなよ』などと言う見事なフリを入れた口約束を見事に信じるんだから」
「はっ……くっ……」
まさか、この男。学生時代から、こんな腹黒い工作を、数年に渡って行っていたのか。バレリアは愕然とした。そもそも、ヘーゼンの成績は、この学院史上類を見ない高得点を叩き出している。
そんな裏で、こんな暗躍をする時間まであるなんて。
「はっ……くっ……」
悪魔。絶対的悪魔。
「と、友達同士の口約束なんて青春じゃないか。君の行為は、そんな彼の思い出に泥を投げつけたんだぞ!?」
「別にいいですよ、友達じゃないし」
「……っ」
「そんなに心配しなくて大丈夫ですよ。当然、洗わせてますので、私まで足はつかないようになってます。まあ、嗅ぎつけられて奴隷までですかね」
「……」
そんな心配は、全くしていない。
「と言うわけで、裏口でねじ込んで欲しいんです。もちろん、入学テストは受けさせます。推薦人を恩師であるバレリア先生に是非」
「……っ」
なんという図々しさ。
「そ、そんなことを許容する訳にはいかない! だいたい、なんで私がそんな頼みを受けなきゃならない!?」
「可愛い元生徒の頼みじゃないですか?」
「み、耳がはち切れるかと思ったぞ」
バレリアは、愕然とした表情を浮かべる。
「そ、そんなに裏口をさせたいのなら、学長に相談すればいいじゃないか!? それこそ、エマ経由で」
エマの父親であるヴォルト=ドネアは、このテナ学院の学院長である。ドネア家とのチャンネルの大きさはむしろヘーゼンの方が強い。
「彼女は本当に真面目ですからね。こう言ったことには、融通が効かなくて頑固なんですよ……あなたと違って」
「……っ」
失礼。失礼極まりないことを、元生徒がぶつけてくる。
「それに、彼女自身、自分がコネ合格であったのではないかというコンプレックスも持っている」
「まあ、学院長の娘だからな」
頼みづらいのもわかる。
「そ、それなら直接学院長に頼めばいいだろう!?」
「あまり借りを作りたくないんですよ。ヴォルト学院長は皇帝陛下の最側近。最終的にどうにもならなくなった時にだけ、頼み事をするくらいでないと」
「……っ」
裏口入学だって。相当に頼みづらいと思うが。
「いや、イージーですよ?」
「た、頼むから。心を読まないでくれないか」
なんてクレイジーな男なんだ。
「安心してください。ヤンは、規格外に優秀な子です。潜在能力だったら、私並みだ」
「……っ」
入れたくない。絶対にこの学院の足を踏み入れさせたくない。
「ついでに、彼女に魔法の家庭教師もしていただきたいです」
「な、なんで私が!?」
「先生が優秀だからに決まってるじゃないですか」
そう言って、羊皮紙を置く。
「な、なんだこの秒単位のスケジュールは!?」
「授業以外のヤンの教育計画です。このカリキュラムに沿って、みっちりと仕込んでください」
「……っ」
こんなもの、絶対にぶっ壊れる。この学院のレベルは非常に高い。年に何人も帝国将官を輩出する名門だ。それでも、この計画をこなせる者などいないだろう。
「壊れませんよ。私も同じようなもんでしたので」
「だ、第2のヘーゼン=ハイムでも作ろうとしているのか?」
「オリジナルと言うのは、血の滲むような修行の先にあるものだ。僕の模倣くらいは当然、してもらわなきゃ困る」
「……っ」
ヘーゼンは当然かのように笑顔を浮かべる。
「だ、だが! 無理だ。言っただろ! 定員はもう決まってるんだ。7日後には、生徒たちが入学式で入ってくるんだ。それは、私にはどうしようもできない」
「大丈夫です。3日後には、数名排除されますから」
「……っ」




