バレリア(1)
テナ学院。この日は、快晴だった。桜吹雪舞い散るこの季節。教師のバレリアは、この空気感が好きだ。
校庭には誰もいない。普段は、互いに魔法を使い互いを高め合っている生徒も、コソコソと二人で密会している生徒もいない。
「っと。いかんいかん、7日後には、新入生が登校するんだ」
眩しい想いに耽っていたバレリアは、気を引き締めて机へと向かう。春休みの期間に教師がやることがないと思われているが、むしろ、それは逆だ。
クラス決めに、授業計画の立案と作成。学院院長の挨拶原稿の作成(その通りやらないが)等々。新入生が来る日までにやることが山積みだ。
そんな中。
「ただいま帰りました」
「……っ」
青髪の美少女、ラスベルが職員室に入ってきた。バレリアは、すぐに席を立ち彼女の側へと近づき、ギュッと固い抱擁を交わす。
「よく無事で戻ってきてくれたね」
「……いえ。私は、自分の力不足をこれ以上ないくらい痛感しました」
「そ、そんなことはない。前代未聞の成果を上げてきたじゃないか」
バレリアは心の底から彼女に敬意を表する。まさか、生徒たちも知らないほどの弱小国のノクタール国がイリス連合国を滅ぼすとは思わなかった。
そして、聞くところによると、ラスベルもこの戦に参加し、中軸をなす功績を残したという。
当然、ヘーゼン=ハイムの名は大陸全土に鳴り響いたが、学生の身分でありながら奮戦したラスベルの功績もまた大いに讃えられている。
この子は間違いなく帝国の中軸を担う将官になると確信した。
「君にぜひ新入生の挨拶をしてもらいたい。彼らも憧れの生徒がいれば励みになるだろうし」
「あいにくですが……お断りさせてください」
ラスベルは深々とお辞儀をする。
「そ、そうか。当然疲れているだろうから、無理強いはできないな。まあ、ゆっくりと休んでくれ」
「いえ。そうではなく……今は他人のことを気にしてられいるほど余裕がないんです」
「ん? いや、そんなのあり得ないだろ。ラスベルの才能も努力も同世代で肩を並べる者なんていない」
「……そんなことはないです。むしろ、今は1分……いや、1秒でも時間が惜しいくらいで」
「……」
バレリアは、改めてラスベルの方をマジマジと見る。なんとなくだが、前に見た時よりも、痩せた……いや、身体つきは以前もシャープだった。
しかし、なんとなく鋭さが増したと言うか、威圧感が増したというか。
「私など……師に比べたら、ゴミやミジンコ……いや、それ以下かも」
!?
「師って……ラスベル、まさか」
「はい。私はへーゼン=ハイムと師弟関係を結びました」
「……っ」
バレリアは愕然とした。信じられない。あの生ける悪魔、へーゼン=ハイムと師弟関係など結ぶなんて。
当然、ラスベルがあの男に執着していることは知ってはいた。並々ならぬ対抗心を燃やしていたことも、なんとか超えようと奮闘していたことも。
だが、一度でも会ってみれば、ヘーゼン=ハイムの人間性がわかるはずだ。ましてや、ラスベルは長きに渡って、ともに過ごしたはずだ。
そうであれば、どうやったって、結論は『逃げる』しか思い浮かばないはずだ。あの異常者の弟子になど、『死』と天秤にかけても悩むレベルだろう。
「なんでそんなことを!」
思わず声を荒げて彼女の肩を持つ。だが、ラスベルの眼差しは、以前の彼女とは考えられないほど強かった。
「後悔していないと言えば嘘になります。ですが、再び時間を巻き戻したとしても、私はヘーゼン=ハイムを師と仰ぐこと以外は考えられないと思うのです」
「……っ、早まったことを」
その硬い決意を前に、バレリアは、頭を抱える。師弟関係というのは、割と重い契約だ。帝国将官としてのキャリアにも大きく関わりがある。
師弟関係は、派閥を形成するに当たって一役買っている。なので、自身の将来を見据えるのなら、よりメイン派閥の有力者に請うべきだ。
「……彼も彼だ。今後のラスベルのキャリアを考えれば、不利になることはわかっているだろうに」
バレリアは責めるような口調で呟く。確かにヘーゼン=ハイムの実力は飛び抜けている。だが、今後のメインストリームは、やはり、エヴィルダース皇太子の派閥だ。
ヘーゼンがエヴィルダース皇太子の不興を買い、超弱小国のノクタール国に出向させられたのは、天空宮殿で噂されていることだ。
今回、イリス連合国を滅して、帝国に凱旋帰国をしたが、それでも彼の派閥内には古参の重臣たちがいる。
なんとか彼らにラスベルを売り込み、将来有望な将官の師弟関係を結ばせることこそが、彼女にとって最良のキャリアステップなのである。
だが、ラスベルは真剣な表情を浮かべて首を横に振る。
「今の私には、師の下で学ぶことしか考えられません。将来のキャリア形成などは二の次なんです。とにかく自分の能力を伸ばすことを考えたいのです」
「……っ」
確かに、ヘーゼン=ハイムの実力は異常だ。だが、特筆すべきは、その魔法使いとしての才でなく、目的のためなら手段を全く選ばないというその精神力の強さだ。
「あ、あの……ラスベル。よく、考えて欲しいんだけど」
そう言いかけた時。
部屋の扉が開き、一人の男が入ってきた。
それは、紛れもなくヘーゼン=ハイムだった。




