ブギョーナ
ブギョーナは思わず、言葉を見失った。10年後? そんな馬鹿な事があるか。あって、たまるか。
「あ、ふざけるな! と言うか、なんでノコノコと帰って来たんだ!」
「申し訳ありません。しかし、『時間がない』の一点張りで、取り合ってももらえませんでした」
「……っ」
泣きそうな表情で訴えるオバーサに、愕然とする。
「正気か? あの男」
名門ゴスロ家の当主が、『今すぐにでも会いたい』と言えば、なにを置いてでも優先すべきだろう。爵位『大師』というのは、上級貴族の中でも10番目に高い地位だ。
それを、下級貴族の下位レベルが断るなど、あり得ない。
「あ、すぐに行け! あ、行って食い下がって来い! 別に長時間時間を作れとは言っていない! 30分ぐらい……いや、15分あれば、あっちから『時間をくれ』とすがってくるはずだ!」
こちらがカードを握ってるんだ。話さえ聞けば、ひざまずいて、土下座して……そしたら、同じことを言ってやる。『あっ……そう言えば時間がないんだった』なんて。
ザマアミロ。
・・・
「だ、駄目でした」
「……っ」
ブギョーナは頭がクラクラした。
「あ、駄目って意味がわからない。上級貴族の社交を断ると言うことが、ヤツには理解ができているのか?」
天空宮殿は狭い貴族社会だ。そんなマナー違反を犯せば、たちまち噂が広がり総スカンだ。爵位を軽んじるとは、すなわちそう言うことだ。
「別に断っていない、と。優先度を決めて面談する順位をつけているだけだ、と」
「……あ、あり得ない」
ゆ、優先度を決めた結果、10年後の5分と言う結果に辿り着いたと言うのか。このブギョーナを? 大師の自分を? 底辺のド下級貴族が?
アリエナイ。
「大事な用件だ! 聞かないと一生後悔する! そう言ったのか!?」
「その……内容を公式の書面でくれ、と。重要かどうかは読んでこちらで判断する、と」
!?
か、書ける訳ないだろう。
当然、誘拐など違法。上級貴族だろうと、違法中の違法である。加えて、そんなに堂々と書面で書けば、ブギョーナの仕業であることが公式的に残ってしまう。
「あ、もういい! あ、私が行く」
ブギョーナは、準備をして馬車へと乗り込む(腰は専属魔医が治療した)。
数時間後、ヘーゼンの邸宅に到着し、扉を強くノックした。ダンダンダン。ダンダンダンダンと、拳から血が出るほど強く叩く。
「……っ」
出てきたのは、アウラ秘書官の右腕である副官のレイラクであった。
「はぁ……何事かと思えば。あなたですか、ブギョーナ様」
「な、な、なんで貴様がここに?」
「アウラ様から命じられて、ヘーゼン殿の護衛に。ついでに、秘書官などもやらされてますがね」
「……っ」
マズい。
これは、マズすぎる。
取り次ぎの執事にそれとなく、誘拐を匂わせて会う気だったが、アウラ秘書官に通じているこの男にすれば、相当にマズいことになる。
ブギョーナは100%中の100%の作り笑顔を浮かべ、レイラクに擦り寄る。
「あ、ヘーゼン=ハイムに面談をさせてもらいたいのだ。あ、私と君の仲じゃないか。なんとかならないか?」
「申し訳ないんですが、こればかりは本人の意向がありまして、どうにもならないですね」
「……っ」
キッパリと断ってきた。
「あ、絶対! ヘーゼン=ハイムに後悔はさせない! むしろ、話さないと後で絶対完全不可逆的に後悔することになるぞ!」
「……そこにいるメイドにも言いましたが、ご用件の内容を、まずはお伺いしないと」
「そんなものは直接言う! ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと出せ!」
「……」
ブギョーナは、ここぞとばかりに強気に出て叫ぶ。
「あ、だいたい! 貴様、クソほどの爵位の分際で、大師の身分である私の面談を断れるとでも思っているのか!?」
確か、このレイラクという男も下級貴族の出身だ。それをアウラ秘書官に目をつけられて、上級貴族に引き上げられた身分だ。
上級貴族でも下位で、成り上がりのゴミだ。
レイラクはしばらく考え込んでいたが、やがて、ため息をついて口を開く。
「はぁ……わかりました」
「あ、わかったか! そうだ、貴様程度の爵位で、私に意見するなど100年早いーー」
「アウラ秘書官に取り次ぎますので、お話しなさって下さい」
!?
「あ、そ、そ、そ、れは……」
マズい。とんでもなく、一番、マズすぎる。
「申し訳ありませんが、私には判断できないですので、上官の判断を仰ぎます」
「あ、や、やめろ! あ、あ、アウラ秘書官は……あ、あ、忙しいだろう!? あ、なにも、わざわざこんなところに来なくても」
ブギョーナは必死に擦り寄って、阻止を試みる。だが、レイラクは首を横に振る。
「今の私はヘーゼン殿の護衛兼秘書官の任についてます。このように判断ができない場合は、遠慮なく指示を仰ぐよう申し伝えられてますので」
「あ、へ、へ、ヘーゼン=ハイムのような下級貴族の身分で、アウラ秘書官をわざわざ呼び出すのか? あ、少しだけ会わせてくれれば済むことだろうが!?」
「アウラ秘書官に命じられれば、私は奴隷でも命懸けで守ります」
「……っ」
な、なんて危険なバカだ。ブギョーナはクラクラし過ぎて、頭がおかしくなりそうだった。
ヘーゼン=ハイムの溺愛している義母を誘拐したのだ。本来ならば、ヤツが土下座してでも『解放して欲しい』と咽び泣く立場のはずだ。なのにも関わらず、会えない。全然、会えない。
こんな、パラドックスがあっていいのか。
瞬間、変な油汗がドバッと湧き出てきた。このまま、面会すらできないままだと、『ヘレナが誘拐された』という事実に気づくことなく終わるのではないか。
「あ、はうあうあう……」
それは、マズい。
猛烈にマズい。
その時。
突然、ヘーゼンが邸宅から出てきた。かなり急いでいるようで、足早に歩いていく。
「あ、な、なんだいるじゃないか」
瞬間、ホッとした。このまま徹底的に避けられて、逃げられるかと思った。
会ってしまえば、こちらのものだ。
「あ、おい! ヘーゼン=ハイム! 貴様に話が……あっ! ちょ待っ……おい! おい!」
「……」
!?
何度も何度も呼びかけるが、無視をしてそのまま馬に乗って駆け出す。レイラクも慌てて、それに追随して、馬に乗る。
「あっ……ちょ待っ……」
手を伸ばすが、すでに2人は遠かった。慌てて周囲を見渡すが、馬車しかない。
どんどん遠くなっていく2人。
「あ、おおおい! あ、おおおおおおおおい!? れ、レイラク! その男を止めろ! おおおい!」
ブギョーナが目一杯叫び、猛烈に走り出す。何度も何度もピョンピョンとジャンプして猛烈なアピールを繰り出す。
「あ、はぁ……あ、はぁ……おおい! 貴様の…ん! あ、おおい! あ、ぜはぁ……ぜはぁ……」
走った。目一杯に、全力に、人生で一番というほど走った。
「あ、はぁ……はぁ……あ、おおうおおおえっ……はぁ……はぁ……」
走る。
ちょうど沈み行く黄土の太陽に向かって。
「あ、はぁ……はぁ……ぜぇ……ぜぇ……あ、おお……うぷっ……うおおおおおええええええっ! うおえええええええっ!」
走り。
ビチョビチョに、激しくゲロを撒き散らし。顔も服もビッチャビチャになりながらも。
それでも走り。
やがて。
止まる。
「あっ、チックショーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」




