ヤン
*
「飲んじゃった! 飲んじゃいました! 飲んじゃいましたけど!?」
「うん」
「なんてことするんですか!? 私になんの断りもなく!」
「だって、聞いたら飲まないだろう?」
「当たり前でしょう! だって嫌ですもの!」
「強制は好きじゃないんだ」
ニッコリ。
「……っ」
黒髪少女のガビーンが止まらない。どうしよう、この師匠の言っていることが、まったくもって理解できない。いや、嘘でしょ、この悪魔。
あんな禍々しくグライド将軍の姿を変えた物体を、躊躇なく、まるで病人にお粥を口にさせるようにサラリと体内に入れてきた。
「嫌ですよ! ええ、嫌でしたとも! だって、嫌ですから! どうしてくれるんですか!?」
「どうしようもないな。すまないが、僕にも過去は変えることはできないんだ」
「……っ」
謝るポイントが圧倒的にそこじゃない。
「断るってわかってたら、普通やらないんですよ! 普通は!」
ヤンは殊更に『普通』を強調した。
「断るもなにも」
「な、なんですか?」
「僕はただ、君の口に螺旋ノ理を投げただけだ。そこに選択肢などないだろう」
「……ええっ!?」
どう言うことだ? 自分が間違っているのか。だんだん、わからなくなってきた。ただ、投げただけ? 避ければよかったと? 無防備に口を開けた自分が悪かったのか?
「そうだよ、君が悪い」
「こ、心を読まないでくださいよ。それに、絶対に師が悪いです! どうしてくれるんですか!?」
「何が不満なのか、よくわからないな。加熱してあるから感染病の心配もないし」
「か、加熱って加熱過ぎますよ」
……悪魔、いやむしろ、悪魔過ぎる。
だが。この異常者は、気づかない。異常者は自身が異常者だと全く気づかないのだ。
なんたる異常者。
そして、そんな非難の眼差しなど全くもって気にすることもなく、ヘーゼンはマジマジとこちらの身体を観察する。
「ヤン。君は膨大な魔力で発育障害になっている。それは、体内に脈々と溜まっている状態とも言える」
「ら、螺旋ノ理を体内に入れたら解消されるってことですか?」
「知らない」
「キー! なんなんですか!? なんなんなんなんですかー!」
ヤンがヒステリックにブンブンと手を回すが、ヘーゼンはいつも通り、頭を押さえながら冷静に答える。
「どういう反応を起こすか興味深かった。それだけだ」
「……えっ、嘘でしょ? 本当にそれだけですか?」
「うん」
「……っ」
愕然とした。そんなバカな。そんな短絡的な。そんな衝動的かつ自分勝手かつ利己的唯我独尊的な理由が果たして許されるのだろうか。
だが、当の本人は、珍しいくらいに目を輝かせている。
「どうなるかわからないことほどワクワクする。次点でラスベル用にも考えたが、なんとなく予想できたのであまり面白味を感じなかった」
「……」
ラスベルは心の底からホッとした表情を浮かべていた。
だが、ヤンは冗談じゃない。
「自分で飲んでくださいよ!」
「もちろん考えた。だが、僕は魔力が満タンになったことがほとんどないんだ。それを考えると螺旋ノ理の恩恵は薄いように思う」
「……なるほど」
悔しいが、答えには納得はしてしまう。この魔杖は、魔力を貯めることで効果を発揮する。ヘーゼンの1日は、まさしく狂気的だ。超高速で実務をこなしながらも、膨大な魔法の研究を欠かさない。
1日に回復する魔力は決められているので、むしろヘーゼンに使用するのはマイナスに作用する可能性もある。
もちろん、まだ効果が解明されていないのでプラスに働く可能性もあるが、時間を費やして研究するよりはモルモットで実験した方が早いというところだろう。
「どうだ? なんか、変化があるか?」
「いや、別にないですけど」
ヤンは自身の身体を確認する。やはり、好奇心が勝ってしまう性分のようで、ヘーゼンへの怒りはいつの間にか消えて、解析と思考を始めてしまう。
「力が強くなったとか。頑丈になったとか」
「うーん。さっき、師を心底全力本気で殺す気で殴りかかりましたけど、全然でしたもんね」
「……」
ペシっ。
「い、痛い! な、なにするんですか」
「デコピン程度で大袈裟な。ただ、その様子だと頑丈になってもいなさそうだ」
「……うーん」
もしかしたら、膂力と耐久力の変換は、グライド将軍自身が選んだ能力だったのかもしれないと推察する。
火炎槍も氷絶ノ剣も中遠距離型で、超接近戦には弱い。その弱点を補いたいという想いが、その能力を司るのではないかと仮説を立ててみた。
「なるほど。人の意思が能力になるということか」
ヘーゼンが腕を組みながらつぶやく。
「そういう可能性もありますよね」
「……ちなみにヤン。今、君のやりたいことは?」
「さっきも言いましたけど、師を全力でぶん殴って、あわよくば亡き者にしたいと考えてます」
「ははっ」
「冗談じゃないんですけど」
なんたる精神性。
「まあ、経過観察というところかね」
「も、実験動物扱いしないでくださいよ」
ヤンがため息をついて、歩き出そうとした時。
「……っ」
胸の鼓動が激しく鳴り響いた。
「……どうしたのヤン?」
隣にいたヘーゼンとラスベルが怪訝な表情を浮かべる。だが、ヤンには2人が驚かないことに、驚いていた。
「み、見えていないんですか?」
こんなにも、ハッキリと見えているのに。
そこにいたのは。
紛れもなく。
グライド将軍だ。
そして。
その心を奪われた。




