開戦
開戦当日。最近の天気では珍しく快晴だった。ヘーゼンは中央門に配置された。門前に配置しているのは2千。残りは城郭に千が配置される。
黒髪の青年は、城郭から敵兵を見渡す。
眼前には、万を超えるほどの大軍。かつては、一人で対峙していたが、今の実力でやろうと思えば至難の業になるだろう。それ故、軍を駆使しなければ、この戦は負ける。
大勢は、ディオルド公国が圧倒的だ。3倍を超える兵力差。そして、それ以上に士気の高さが段違いに異なる。一斉に怒号を発し、こちらを威圧してくる。
ヘーゼンは馬で巡回しながら味方の兵たちを見渡した。見る顔、見る顔、放心状態というべきか、力が入っていない。
帝国の兵たちは、すでに諦めていた。ほとんどの兵たちが下を向き、覇気もまったくない。もはや、死が確定的に襲ってくるものと、座り込む者たちまでいる始末だ。
「……」
そのまま馬で巡回をしていると、一つの隊だけ異様に士気が高い部隊があった。
第8小隊である。
「あっ、ヘーゼン少尉! お疲れ様です!」
バズ准尉が敬礼すると、第8小隊全員が習って敬礼する。
「……君たちは絶望に支配されてはいないのだな」
「もちろんです! 私たちには、ヘーゼン少尉がついていますから」
バズ准尉はハッキリと答える。
「相手は、5万の大軍だぞ?」
「問題ありません!」
「大陸でも名高いギザール将軍だ」
「ヘーゼン少尉なら勝てます!」
「……僕は、全員は生き残らせてはやれない」
「我々は軍人です! 覚悟はしております。少尉は仰ったじゃないですか! 人を殺すなら、殺される覚悟を持て、と」
「……」
ヘーゼンは何も言わずに、その場を去った。
そして。
ディオルド公国の大軍を前に、城郭の上に立ち、周囲をあらためて見渡す。そこには、帝国軍人たちがいた。やはり、そこに覇気はない。
「まったく……軍人と言うのは、難儀なものだな」
そうため息をつき。
ヘーゼンは、目を瞑って口を開く。
「帝国軍人よ。聞こえるか?」
途端に、兵たちがザワつき出す。
「驚かなくていい。僕は第2大隊のヘーゼン少尉だ。今は、魔杖を奮って全員に聞こえるように話しかけている」
ジルバ大佐も、ロレンツォ大尉も、他の上官の耳にも届いており、誰もが驚いた表情を浮かべ顔を見合わせている。恐らく、そんな魔杖は見たことも聞いたこともないのだろう。
「僕の言いたいことは一つ。3日だ。3日経過した正午。太陽が一番高く昇る時に、勝負は決する。勝利であろうと、敗北であろうと」
その言葉に、誰もが固唾を飲んで沈黙する。
「下士官の諸君は、配属が自身の意思で決められる訳ではない。なので、ここに配属されたことに絶望を感じている者もいるだろう」
その言葉に、下士官たちは地面を向く。
「敵前逃亡は極刑。だからと言って、目の前には5万の大軍。指揮官は、かの有名な雷鳴将軍だ」
その言葉に、上官たちは絶望の表情を浮かべる。
「君たちが選べる選択肢は2つしか残されていない。敵前逃亡をして、極刑の憂き目に遭うか……僕の言葉を信じて3日間。この要塞で耐えるか」
その言葉に、下士官たちは顔を見合わせる。
「後者を選んで戦ったとしても、よくて3分の1。最悪半数以上は死ぬ。これは、逃れようのない事実だ」
困惑の色と決意の色が入り混じる。それは、彼らの心の揺れを示していた。決して、絶望だけではない。
ヘーゼンは、下士官たちに、希望を示した。
「だが、約束しよう。半数ならば、僕は君たちを生かして見せる」
頭に鳴り響く声に。下士官たちは、思わず顔をあげた。
「ギザール将軍を倒し、5万の大軍を退け、君たちの半数を生かし、この絶望的な戦況を救って見せる」
その声には迷いがなかった。そこにあるのは、絶対なる自信。ヘーゼンを視覚できる者は少なかったが、できた者は、その圧倒的な存在感に皆奮い立つ。そして、その高揚がさざ波のごとく後続に拡がる。
「だから、3日でいい。これは、超短期籠城だ。必死に、死に物狂いで、死を恐れずに立ち向かえ。後ろに活路はない。生を拾うには前しかない」
その言葉に、チラホラと希望の声が湧く。
「日頃の厳しい訓練を信じろ。自身の鍛え抜かれた身体を信じろ。共に戦場を駆けた仲間を……信じろ」
大歓声がたちどころに湧く。
「上意下達。上官の指示を信じて身を委ねろ。決して、焦らずに、慌てずに行動しろ。いつも通り、全力でやれば勝てない戦ではない」
それが、唸りとなり。
ヘーゼンは彼らから背を向け、叫ぶ。
「全軍、声をあげろ!」
「「「「うおおおおおおおおおおっ」」」」
地面を揺らすほどの怒号が、敵軍相手に鳴り響く。ヘーゼンは後ろからその怒号を浴び、少しため息をつく。かたや、カク・ズがもの珍しい表情を浮かべた。
「珍しいね。ヘーゼンがそんな檄を入れるなんて」
「士気は上げないとな。ロレンツォ大尉以外の上官は信用できない」
「はぁ……さっきまでの高らかな演説はどうしたんだよ」
「ガラにもないことをした。多少、死なせたくない者たちもいるのでな」
ヘーゼンはそう答えて、第8小隊に視線を馳せる。
「素直じゃないな」
「……では、後は頼んだ」
!?
「えっ、ちょ、ちょっと! どこに行くんだよ」
突然、離脱しようとする指揮官に、カク・ズ、いきなり慌てる。
「このくらいの士気があれば、どんなにダメな指揮官でも1日はもつものだ。ならば、僕は僕にしかできないことをする」
「ええっ! 第2大隊は? 誰が指揮するの!?」
「ロレンツォ大尉に頼め」
「大尉権限奪っておいて、いきなり姿をくらますの!?」
「大尉権限で大尉に委譲するんだ。何も問題はない」
「問題だらけの気がするのだけど!? それを、俺が言うの?」
「大丈夫だ。ロレンツォ大尉は柔軟な上官だ」
「……見込まれたあの人に同情するよ」
カク・ズのため息を尻目に、ヘーゼンは城郭の下へと降り、やがて姿をくらませた。




